信仰の戦いと勝利

2026年11月1日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>ユダの手紙8~23節
【新改訳2017】
1:8 それにもかかわらず、この人たちは同じように夢想にふけって、肉体を汚し、権威を認めず、栄光ある者たちをののしっています。
1:9 御使いのかしらミカエルは、モーセのからだについて悪魔と論じて言い争ったとき、ののしってさばきを宣言することはあえてせず、むしろ「主がおまえをとがめてくださるように」と言いました。
1:10 しかし、この人たちは自分が知りもしないことを悪く言い、わきまえのない動物のように、本能で知るような事柄によって滅びるのです。
1:11 わざわいだ。彼らはカインの道を行き、利益のためにバラムの迷いに陥り、コラのように背いて滅びます。
1:12 この人たちは、あなたがたの愛餐のしみです。恐れる心もなく一緒に食事をしますが、自分を養っているだけです。彼らは、風に吹き流される雨無し雲、枯れに枯れて根こそぎにされた、実りなき秋の木、
1:13 自分の恥を泡立たせる海の荒波、真っ暗な闇が永遠に用意されている、さまよえる星です。
1:14 アダムから七代目のエノクも、彼らについてこう預言しました。「見よ、主は何万もの聖徒を引き連れて来られる。
1:15 すべての者にさばきを行い、不敬虔に生きる者たちのすべての不敬虔な行いと、不敬虔な罪人たちが主に逆らって語ったすべての暴言について、皆を罪に定めるためである。」
1:16 彼らは、ぶつぶつ不満を並べる者たちで、自らの欲望のままに生きています。その口は大げさなことを語り、利益のために人にへつらいます。
1:17 愛する者たち。あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの使徒たちが前もって語ったことばを思い起こしなさい。
1:18 彼らはあなたがたにこう言いました。「終わりの時には、嘲る者たちが現れて、自分の不敬虔な欲望のままにふるまう。」
1:19 この人たちは、分裂を引き起こす、生まれつきのままの人間で、御霊を持っていません。
1:20 しかし、愛する者たち。あなたがたは自分たちの最も聖なる信仰の上に、自分自身を築き上げなさい。聖霊によって祈りなさい。
1:21 神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに導く、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。
1:22 ある人々が疑いを抱くなら、その人たちをあわれみなさい。
1:23 ほかの人たちは、火の中からつかみ出して救いなさい。また、ほかの人たちは、肉によって汚された下着さえ忌み嫌い、神を恐れつつあわれみなさい。

<要約>
信者をくじく三つの敵と題してお話しています。一つ目の敵は、生まれながら持っている罪の性質です。ねたみ、欲望、高慢を代表してあげましたが、その他に、悪意、愚かさ、姦淫、欺き、好色、罵り、などまだまだたくさんあります。二つ目は、悪魔と無数の悪霊です。無数の悪霊は、「領分を守らずに自分のいるべきところを捨てたみ使いたち」です。すなわちこの敵は、霊的な存在で、悪魔と無数の悪霊ということができます。そして、三つ目の敵は、この世です。この世の支配者である悪魔と悪霊に支配され動かされているこの世です。この世は、その価値観や誤った教えを教会に持ち込んでくるのです。まとめると、三つの敵は、私たちの内側の罪、悪魔、そしてこの世です。私たちは、そのように敵に囲まれています。すべての人はそれらの敵により、そのままでは、滅びに向かっています。しかし、神は憐れみと恵の神です。神は、私たちが一人でも滅びることを惜しまれています。罪と死と悪魔から救い出したいのです。そのために、無実の神の御子キリストを送ってくださいました。私たちはそのキリストが提供してくださる、罪の赦しとそれに伴う永遠のいのちを受け取るなら、救いはあなたのものとなるのです。死はいのちに、罪の呪いは祝福に、失望は決してしぼまない希望に変えられます。私たちにできることは、空の両手を差し出して、救いをいただくことです。

神を愛し、恐れ、信頼する:

ユダが勧めることを三つに絞ってお話しします。一つ目は、神を愛しなさい、です。二つ目は神を恐れなさい、です。三つめは、疑わないで待ち望みなさい、つまり信頼しなさい、ということです。神を愛するならば、私たちはどうするでしょうか。そうです、神の御心を求め神が喜ばれることを考えるでしょう。そして、自分自身を神の御用のために差し出すでしょう。神を恐れるならば、私たちはどうするでしょうか。そうです、罪から離れます。肉によって汚された下着さえ忌み嫌いなさい。それは罪を憎み、神を恐れなさい、ということです。またそのような罪に陥っている人がいるならばあわれみなさい、すなわち信仰を正し悪から離れるように導きなさい、というのです。また、神を信頼するならば、どうするでしょうか。そうです。あれ、どうして?と思われることが起きても、神を信頼します。神を愛し、恐れ、信頼する、と題してお話ししました。神は一方的な憐れみにより、私たちを罪と死と悪魔から救ってくださいました。それは、私たちの努力や功績とは関係ありません。あなたが、何をしたから、どうであったから、は関係なく、憐みと恵によって神はあなたを救ってくださったのです。それ、御子キリストの十字架に示された神の愛によります。ですから、今度は、神から託された賜物を用いて、神と人に仕えるのです。それでも、私たちは失敗し罪は犯しでしまうものたちです。しかし、イエス様はその罪を十字架で赦して下しました。そして、神を愛し、恐れ、信頼する人生を私たちの代わりに成し遂げてくださったのです。ですから私たちは失敗を恐れず、前向きに神の御心を求め、神を愛し、人を愛する人生を選び取っていくことができるのです。イエス・キリストにこそ、私たちの消してしぼむこともない揺るがない希望、永遠の安息と平安があるのです。

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