ペテロの召命

2021年2月28日礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>ヨハネの福音書21章15~22節
21:15 彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか。」ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの子羊を飼いなさい。」
21:16 イエスは再び彼に「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」
21:17 イエスは三度目もペテロに、「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは、イエスが三度目も「あなたはわたしを愛していますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ、あなたはすべてをご存じです。あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
21:18 まことに、まことに、あなたに言います。あなたは若いときには、自分で帯をして、自分の望むところを歩きました。しかし年をとると、あなたは両手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて行きます。」
21:19 イエスは、ペテロがどのような死に方で神の栄光を現すかを示すために、こう言われたのである。こう話してから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」
21:20 ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子がついて来るのを見た。この弟子は、夕食の席でイエスの胸元に寄りかかり、「主よ、あなたを裏切るのはだれですか」と言った者である。
21:21 ペテロは彼を見て、「主よ、この人はどうなのですか」とイエスに言った。
21:22 イエスはペテロに言われた。「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」

<要約>
「自分がする」から「イエス様がなさる」人生:

ペテロには、「自分はこう思う、自分はこうする」というような、あくまでも自分が主人となって、イエス様についてきたと言えます。しかし、イエス様を裏切るという失敗をして、復活のイエス様にお会いしました。その後は、イエス様がペテロの主人となり、自分に頼らず内におられるイエス様に頼る人生が始まりました。私の羊を飼いなさい、とのお言葉により、イエス様から召命と任命をいただいて、ペテロはその後、教会のリーダー、初代の牧師あるいは神父、教会の偉大な牧者、として活躍していくのです。復活のイエス様は、今も生きて働かれています。イエス様をあなたの人格の中心にお招きするならば、自分がしなければならないと頑張らなくてもよくなります。なぜなら、イエス様があなたの内で事をなしてくださるからです。「自分がする」から「イエス様がなさる」人生に変えられるのです。

イエス様をこの上もなく大事にする人生:

復活のイエス様にお取り扱われる前は、弟子たちにはライバル意識がありました。この後、ペテロは初代教会の牧者として、使徒の中のリーダーとして活躍するのです。ペテロの説教で一日3千人が救われて、弟子に加えられた、とあります。ヨハネは思索し旧約聖書を紐解きイエス様の御わざと預言の成就を結びつけ、第4福音書とも言われるヨハネの福音書を著わしました。イエス様の福音を後世に伝える大きな役割を果たしました。ペテロもヨハネも、キリスト中心の人生を歩み始めてからは自分の名声や名誉にとらわれることなく、自分を他者と比較して悩んだりすることもなく自分の使命に生きたのです。神はあなたの人生に深く関わってくださいます。神は、それぞれの人にあった、適切な役割をお与えくださいます。それは、他の人と同じではありません。一人ひとりの 賜物や人格にふさわしい役割あるいは使命をお与えくださいます。イエス様を愛する事は、イエス様をこの上もなく大事にする事です。その愛を全うする時に、それらの犠牲以上に栄光の喜びを味わう事ができるのです。

こんなに素晴らしい救い

2021年2月21日礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>へブル2:1~10、14、15
2:1 こういうわけで、私たちは聞いたことを、ますますしっかりと心に留め、押し流されないようにしなければなりません。
2:2 御使いたちを通して語られたみことばに効力があり、すべての違反と不従順が当然の処罰を受けたのなら、
2:3 こんなにすばらしい救いをないがしろにした場合、私たちはどうして処罰を逃れることができるでしょう。この救いは、初めに主によって語られ、それを聞いた人たちが確かなものとして私たちに示したものです。
2:4 そのうえ神も、しるしと不思議と様々な力あるわざにより、また、みこころにしたがって聖霊が分け与えてくださる賜物によって、救いを証ししてくださいました。
2:5 というのも、神は、私たちが語っている来たるべき世を、御使いたちに従わせたのではないからです。
2:6 ある箇所で、ある人がこう証ししています。「人とは何ものなのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とはいったい何ものなのでしょう。あなたがこれを顧みてくださるとは。
2:7 あなたは、人を御使いよりもわずかの間低いものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせ、
2:8 万物を彼の足の下に置かれました。」神は、万物を人の下に置かれたとき、彼に従わないものを何も残されませんでした。それなのに、今なお私たちは、すべてのものが人の下に置かれているのを見てはいません。
2:9 ただ、御使いよりもわずかの間低くされた方、すなわちイエスのことは見ています。イエスは死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠を受けられました。その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。
2:10 多くの子たちを栄光に導くために、彼らの救いの創始者を多くの苦しみを通して完全な者とされたのは、万物の存在の目的であり、また原因でもある神に、ふさわしいことであったのです。

2:14 そういうわけで、子たちがみな血と肉を持っているので、イエスもまた同じように、それらのものをお持ちになりました。それは、死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、
2:15 死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。

<要約>

救いの信仰にとどまれば世に押し流されない:

世の流れは、私たちクリスチャンを神から、そして信仰から、引き離そうと強い勢いで臨んでいます。そして、この世の背後で働く悪しき霊のことを聖書は教えています。この世の支配者です。悪い方向に、滅びと死に向かって世の流れを作っているといえます。日本は災害列島です。なぜそれらの災害があるのでしょうか。神が、災害をお与えになるでしょうか?そうではありません。サタンの訴えが聞き入れられ、神はその災害が送られることをお許しになったのです。病気や苦難、災難と思われることは避けられないことかもしれません。試練や困難は、マイナスな事ばかりではありません。神は、試練や困難や苦難を用いてくださいます。マイナスはプラスに変えられるのです。ですから、試練や困難があっても、それに押し流されるのではなく、ますますキリストの福音にしっかりととどまろうではありませんか。

罪と死と滅びから救うキリストの福音:

聖書の死には、霊の死、肉体の死、永遠の滅びである死、があります。神を信じない人は、神のいのちにつながっていないので霊の死の状態です。肉体の死は、誰もが経験する普通の死です。永遠の滅びの死は、肉体の死後、罪に対する報酬である滅びに落とされることです。キリストの十字架の贖いを受け入れないすべての人に臨む死です。キリストは肉体の死を経験なさいました。兵士が槍でわき腹を刺して、死を確認したのでした。しかし、大いなる逆転がありました。キリストは十字架の死にまで従ったが故に、神は彼をよみがえらせて高くあげられたのです。悪魔の持つ死の力をキリストは完全に飲み干したのです。人類の罪の贖いを完遂し復活によって死と悪魔に勝利したのです。つまり、信じる者には、死はその力を失い、復活の命、永遠の命に生きるのです。

イエスを告白するならば

2021年2月14日(日)礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>Ⅰヨハネ4章1~12節
4:1 愛する者たち、霊をすべて信じてはいけません。偽預言者がたくさん世に出て来たので、その霊が神からのものかどうか、吟味しなさい。
4:2 神からの霊は、このようにして分かります。人となって来られたイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。
4:3 イエスを告白しない霊はみな、神からのものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていましたが、今すでに世に来ているのです。
4:4 子どもたち。あなたがたは神から出た者であり、彼らに勝ちました。あなたがたのうちにおられる方は、この世にいる者よりも偉大だからです。
4:5 彼らはこの世の者です。ですから、世のことを話し、世も彼らの言うことを聞きます。
4:6 私たちは神から出た者です。神を知っている者は私たちの言うことを聞き、神から出ていない者は私たちの言うことを聞きません。それによって私たちは、真理の霊と偽りの霊を見分けます。
4:7 愛する者たち。私たちは互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛がある者はみな神から生まれ、神を知っています。
4:8 愛のない者は神を知りません。神は愛だからです。
4:9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。
4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
4:11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた、互いに愛し合うべきです。
4:12 いまだかつて神を見た者はいません。私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにとどまり、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。

<要約>

イエスを告白するならば世に勝利する:

使徒信条に書かれているイエス・キリストについての信仰告白は、イエス様の生涯に起こった事実とこれから起こる事を述べています。イエス様は処女降誕でした。聖霊によって身ごもったとありますように、神が人となって来られたのです。ポンテオ・ピラトの下で苦しみを受け、とありますが、それは、罪のない神の独り子イエス様が罪人である人間のすべての罪を背負って身代わりとなって十字架で苦しみ、死んでくださるためでした。神は無罪のイエス様に罪を着せて十字架で断罪したのです。イエス様は、その理不尽と思われる神の願いを受けてくださり、父である神に完全に従いました。贖いの業が成されたのです。神は、そのようなイエス様を復活させ、彼に、天においても地においても、すべての権威をお与えになりました。天に上られたイエス様は、今度は世を裁くためにもう一度来られます。これは、あなたや私を、罪と死と滅びから救うために、神がご計画し実行なさったことです。私たちは信仰により、キリストの勝利に与るのです。キリストを告白し、世に勝利する人生を、皆さん一緒に歩みましょう。

イエスを告白するならば神を体験する:

ヨハネは、神の本質は愛であると断言します。神は私たちを愛さずにはおられないのです。私たちがどのようであれ、どんなに罪深くても、私たちを愛してくださるのです。そして私たちの罪のために、宥めの捧げものとなり、十字架で身代わりに裁かれてくださったのです。ここに愛があるのです。 それは、無条件の、無償の愛です。「私たちもまた互いに愛し合うべきです」とヨハネは言います。神が私たち一人ひとりを愛しておられると言うことに目を向けず、すなわち神の愛を無視して、自己愛の中に生きているのが、私たち人間の姿であります。私は神から愛されて、神と親しくさせてもらっていることを感謝しています。あなたも、神に愛されていることを素直に認め、イエス・キリストを告白するならば、あなたは神を体験します。神がおられることがわかります。神が愛しておられることがわかります。

厳かな命令

2021年2月7日(日)礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>Ⅱテモテ4章1~8節
4:1 神の御前で、また、生きている人と死んだ人をさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思いながら、私は厳かに命じます。
4:2 みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。
4:3 というのは、人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地よい話を聞こうと、自分の好みにしたがって自分たちのために教師を寄せ集め、
4:4 真理から耳を背け、作り話にそれて行くような時代になるからです。
4:5 けれども、あなたはどんな場合にも慎んで、苦難に耐え、伝道者の働きをなし、自分の務めを十分に果たしなさい。
4:6 私はすでに注ぎのささげ物となっています。私が世を去る時が来ました。
4:7 私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。
4:8 あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。その日には、正しいさばき主である主が、それを私に授けてくださいます。私だけでなく、主の現れを慕い求めている人には、だれにでも授けてくださるのです。

<要約>
クリスチャンの最大の使命とは?

パウロが福音宣教を厳かに命じる理由はなんでしょうか。厳かという字を辞書で調べると、「重々しくいかめしい様」とあります。すべての人は、死を迎えます。死はそれぞれにとって重大な事件と言えます。なぜなら、死んですべてが無になるのではないからです。人には霊があるからです。ある人は、自らの罪のために永遠の滅びに落ちます。神の愛から完全に断絶された暗黒の世界で孤独に永遠を過ごすのです。また、別の人は、罪赦されて永遠のいのちをいただき、永遠の安息、永遠の祝福に入るのです。福音宣教は、人々に永遠のいのちに至らせるキリストの救いを伝えることです。これは、決して軽々しく扱うことのできない重大な働きであることをパウロは心に刻み込もうとしているのです。福音宣教を最優先課題として、どんな困難や抵抗があっても遂行しなさいと言っているのです。

死と滅びからあなたを救う福音:

他人事でない、自分の死と言うものを直視したときに、誰でもが持っているこの痛みを「霊的な痛み」といっております。「自分はどこから来てどこへ行くのか分からない。」という実存の悩みです。しかし、信者はキリストこそが唯一の救いへの希望である事を知っています。罪からくる報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにある永遠の命です。あなたが認めようと認めまいと世界には罪と死とのろいの原理があります。聖書は語っています。罪を犯したことのない人は誰もいない。すべての人が迷い出て無益なものになった、と。悔い改めで神に帰らない限りそのままでは人は罪により死と呪いに定められています。その人を救うためにキリストは来てくださったのです。もしあなたが、まだ、あなたの死に対する準備ができていないならば、今すぐに、悔い改めて、イエスキリストをあなたの罪の贖い主、救い主として信じましょう。