信仰と愛の実践

2024年5月26日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>

人に苦難を与える敵:

クリスチャンばかりでなく、最初の人アダムの堕落以来、すべての人はサタン、誘惑する者に苦しめられているのです。サタンは、神の敵であり、人間の敵です。人間にはサタンも含めて三つの敵があります。クリスチャンの皆さんはこの三つの敵を良く知っておかなければなりません。テサロニケ教会の信者と同様に、クリスチャンは多かれ少なかれ必ず苦難に合います。苦難を与える敵は三つあります。第一の敵はサタンです。真の信仰から私たちを引き離そうと働いています。第二の敵は、この世です。世の誘惑は、人が、その隣人のためにではなく、まず、自分自身の利益のために生きるように仕向けます。聖書は、神を愛し、隣人を自分自身のように愛しなさいと命じています。世は神に対する畏敬がありません。人間中心主義です。三つ目の敵は、誰もが持っている罪の性質です。自分の欲望を果たそうとする性質です。多くの人々はこの三つの敵を知りませんし、認めません。ですから、サタンにとって世の人々は敵ではありません。しかし、人々が福音に生きようとするとサタンは敵とみなして妨害するのです。そこに霊的法則があります。信仰と愛に生きようとすればするほど苦難が押し寄せてくるのです。

福音が与える感謝と喜び:

福音が与える感謝と喜びと題してお話ししています。キリストは、その十字架と復活により、私たちをサタンの支配からキリストの支配へと移してくださいました。もはや悪魔に支配されることはありません。この世の流れに翻弄されることもありません。自分の内にある罪に責められることもありません。内に住んでくださる聖霊に導かれて歩むのです。神を愛し、人を愛する生き方を選んでいきます。そこにこそ平安と喜びがついてくるのです。キリストを信じて歩みだすと、必ず、誘惑する者がやってきます。テサロニケのクリスチャンたちはそれらの激しい攻撃に関わらず、キリストを信じる信仰に生きて、クリスチャン同士互いに愛し合いました。そしてそれが、未信者に対する愛の行いへと広がっていったのです。そして、アジア中で評判となったのです。それは、苦難の中にあっても、キリストにより、神の御前で、聖め、責められるところのないものとしてくださる聖霊の働きです。現代社会に生きる私たちも同様にキリストを求める信仰と愛の実践に生きるものとされたいと思います。

<聖書>Ⅰテサロニケ人への手紙3章1~10節

【新改訳2017】
Ⅰテサ
3:1 そこで、私たちはもはや耐えきれなくなり、私たちだけがアテネに残ることにして、
3:2 私たちの兄弟であり、キリストの福音を伝える神の同労者であるテモテを遣わしたのです。あなたがたを信仰において強め励まし、
3:3 このような苦難の中にあっても、だれも動揺することがないようにするためでした。あなたがた自身が知っているとおり、私たちはこのような苦難にあうように定められているのです。
3:4 あなたがたのところにいたとき、私たちは前もって、苦難にあうようになると言っておいたのですが、あなたがたが知っているとおり、それは事実となりました。
3:5 そういうわけで、私ももはや耐えられなくなって、あなたがたの信仰の様子を知るために、テモテを遣わしたのです。それは、誘惑する者があなたがたを誘惑して、私たちの労苦が無駄にならないようにするためでした。
3:6 ところが今、テモテがあなたがたのところから私たちのもとに帰って来て、あなたがたの信仰と愛について良い知らせを伝えてくれました。また、あなたがたが私たちのことを、いつも好意をもって思い起こし、私たちがあなたがたに会いたいと思っているように、あなたがたも私たちに会いたがっていることを知らせてくれました。
3:7 こういうわけで、兄弟たち。私たちはあらゆる苦悩と苦難のうちにありながら、あなたがたのことでは慰めを受けました。あなたがたの信仰による慰めです。
3:8 あなたがたが主にあって堅く立っているなら、今、私たちの心は生き返るからです。
3:9 あなたがたのことで、どれほどの感謝を神におささげできるでしょうか。神の御前であなたがたのことを喜んでいる、そのすべての喜びのゆえに。
3:10 私たちは、あなたがたの顔を見て、あなたがたの信仰で不足しているものを補うことができるようにと、夜昼、熱心に祈っています。

ペンテコステとペテロの説教

2024年5月19日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>

十字架に心を刺される罪人:

ペテロの説教を通して、聖霊は、すべての聴衆を指して言っています。「あなたがキリストを十字架につけたのです」と。この言葉は、読者も含めすべての人に向けられている言葉です。2000年後の私がどうしてイエス・キリストを十字架につけたというのだろうかと疑問に思う方々もいると思います。キリストが全人類の罪のために十字架にかかったということは、すなわち私たちに原因があるということです。ここに居られるお一人お一人に原因があるということです。十字架に心を刺される罪人、と題してお話ししています。「聖霊によるのでなければ、誰も「イエスは主です」と言うことはできません、と書いています。聖霊によらなければ、誰も自分の罪が分かりません。人は自分が罪人であると分かっても、外面上の罪しか気づいていません。聖霊はあなたの心を探り、心の罪に気づかせます。神は外側でなく内側、つまり心を見ておられます。そのすべての罪のためにキリストは十字架であなたの罪を贖われたのです。無実の神の子が十字架にかからなければならないほどに私たちの罪は重いということです。

聖霊の果実を実らせる人生:

自分たちの罪の深さに気付いた人々は口々に「兄弟たち。私たちはどうしたらよいのでしょうか」と問いました。この時の彼らは自分たちの現状知りこのままでいけないと思ったのです。ペテロはそれに答えて、言いました。「悔い改めてそれぞれの罪を赦していただくためにバプテスマ、洗礼を受けなさい。」と。聖霊がペテロを通して語ったことは、キリストは生きておられる、すべての人は罪を持っていて罪によって滅んでいく、罪を赦していただくためにイエス・キリストを信じなさい、ということです。救いは一方的に神が提供してくださる恵みです。ここに私たちの条件は何も書いていません。ただ罪を悔い改めて神を信じることです。信じた者たちには、父なる神からの約束の聖霊を受けて、良い果実を実らします。人を変え、人を幸福にします。ものの見方が変わります。ネガティブがポジティブに変えられるのです。まだ、信仰をお持ちでない人は、悔い改めて洗礼を受けて、聖霊をいただきませんか。必ず天来の祝福があります。クリスチャンの方々も聖霊に導かれる人生を送りましょう。そのためには、日々のみことばと祈りの時、聖霊が招いてくださる毎週の礼拝、聖餐式を大切に守りましょう。

<聖書>使徒の働き2章32~42節
【新改訳2017】
2:32 このイエスを、神はよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。
2:33 ですから、神の右に上げられたイエスが、約束された聖霊を御父から受けて、今あなたがたが目にし、耳にしている聖霊を注いでくださったのです。
2:34 ダビデが天に上ったのではありません。彼自身こう言っています。『主は、私の主に言われた。あなたは、わたしの右の座に着いていなさい。
2:35 わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで。』
2:36 ですから、イスラエルの全家は、このことをはっきりと知らなければなりません。神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」
2:37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。
2:38 そこで、ペテロは彼らに言った。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。
2:39 この約束は、あなたがたに、あなたがたの子どもたちに、そして遠くにいるすべての人々に、すなわち、私たちの神である主が召される人ならだれにでも、与えられているのです。」
2:40 ペテロは、ほかにも多くのことばをもって証しをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って、彼らに勧めた。
2:41 彼のことばを受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。
2:42 彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。

最高の人生

2024年5月5日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>

自分の思いを優先する人生:

自分の思いを優先する人生は、神のみこころより、自分の決断に頼る人生です。イエス様は「自分を捨てて」と言われました。それは、自分の思いや自分の判断をまずおいて、神のみ思いを探ることです。ペテロも他の弟子たちも、イエス様こそダビデの再来としてイスラエル民族を救ってくださると期待をかけていました。しかし、無抵抗にも捉えられて、裁判にかけられ、処刑されようとしている。本当にこの方がイスラエルの救い主だったのか?ペテロは、イエス様が捕らえられた時、自分も捕まえられることを恐れ、すぐに、逃げました。しかし、かれはカヤパの官邸の庭で、夜の暗がりに隠れて、イエス様の裁判を見ていました。イエス様を裏切ったのです。そのことで、彼は砕かれ、意気消沈してしまいました。その後、主は十字架につけられて、葬られました。しかし、イエス様は、予告の通り墓に葬られて3日目に復活しました。復活の主と出会って彼は変えられました。ペテロは自分の思いを優先する生き方から、主のみ思いを大切にして、それに従う人生へと転換したのです。

心の中心にイエス様をお迎えする人生:

私たちは心の中心に自分を据えるのではなくてイエス様をお迎えする事が大切です。イエス様をあなたの人格の中心にお招きするならば、自分がしなければならないと頑張らなくてもよくなります。なぜなら、イエス様があなたの内で事をなしてくださるからです。「自分がする」から「イエス様がなさる」人生に変えられるのです。ペテロは、復活のイエス様にお会いしてからは、イエス様が自分の主であり、自分の人生をイエス様にささげ、イエス様のために生きることに心が定まりました。私の羊を飼いなさい、とのお言葉により、イエス様から召命と任命をいただいて、ペテロはその後、教会のリーダー、初代の牧師あるいは神父、教会の偉大な牧者、として活躍していくのです。私たちも復活したイエス様をいつも見ています。イエス様は皆さんそれぞれに、もっともふさわしいご計画を持っておられます。ですから自分の思いを優先するのではなく御心を求めていきましょう。あなたに最もふさわしい人生が開かれています。それこそが最高の人生だからです。

<聖書>ヨハネによる福音書21章15~22節

【新改訳2017】
ヨハ
21:15 彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか。」ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの子羊を飼いなさい。」
21:16 イエスは再び彼に「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」
21:17 イエスは三度目もペテロに、「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは、イエスが三度目も「あなたはわたしを愛していますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ、あなたはすべてをご存じです。あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
21:18 まことに、まことに、あなたに言います。あなたは若いときには、自分で帯をして、自分の望むところを歩きました。しかし年をとると、あなたは両手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて行きます。」
21:19 イエスは、ペテロがどのような死に方で神の栄光を現すかを示すために、こう言われたのである。こう話してから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」
21:20 ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子がついて来るのを見た。この弟子は、夕食の席でイエスの胸元に寄りかかり、「主よ、あなたを裏切るのはだれですか」と言った者である。
21:21 ペテロは彼を見て、「主よ、この人はどうなのですか」とイエスに言った。
21:22 イエスはペテロに言われた。「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」