古い人を脱ぎ捨て新し人を着る

2024年12月29日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
神なき人生のむなしさ(17~22節)

クリスチャンになるということは、単にキリスト教に入信することではありません。クリスチャンになることは、新生、新しく生まれることです。人は神に似せてつくられ、神のように正義を愛し、悪を憎んでいました。神は、人に曲げることのできない自由意思をお与えになりました。その自由意思をもって、人は神を愛し信頼する交わりの中で真の自由を得ていたのです。しかし、人は神に反駁して、自分を神の上に置いたのです。その罪により、すべての人は生まれながらの罪人です。そして、神を心の中心から追い出してしまいました。それ以来すべての人は、神なき人生を歩んでいます。すべての人は、腐敗した古い人を脱ぎ捨てて、新しい人に生まれ変わらなければなりません。それが、バプテスマによる洗いと新生です。私たちは、罪を悲しみ、悔い改めて、イエス・キリストを信じなければなりません。そして、キリストの聖さ、正しさ、愛、真実を身につけようと努力するのです。

キリストにある新しい人生(23~32節)

クリスチャン生活の実践には、対神関係のもの、対人関係のもの、対自関係のものがあります。対神関係と対人関係はコインの表裏です。神を愛していますが、人は愛しません。ということはありえないのです。神は目に見えない方ですので、神を愛するということは、人を愛するということを通して表されるからです。神を愛すると言う事は人を愛することです。逆に人を愛するということは神を愛するということです。キリストにある新しい人生と題してお話してきました。パウロは私たちの中の腐敗していく古い人を脱ぎ捨てなさいと言っています。その古い人は、生まれながらの罪びとで死ぬべき古い人です。神を認めない、神を信じない、自分中心の人です。古い人を脱ぎ捨てるというのは、パウロは別の言い方をしています。「キリストとともに十字架につけられた」と言っています。つまり、罪に支配された古い人を殺して、あるいは脱ぎ捨てて、新しい人に生きことです。それは、神を信じてパプテスマを受けることで私たちの内に起こることです。キリストにある新しい人生とは、古い自分を脱ぎ捨てて、キリストを着る生き方です。新しい人生です。神を愛し、人を愛する人生です。失敗を恐れずに、前向きに生きる生き方です。

<聖書>エペソ人への手紙4章17~32節
【新改訳2017】
4:17 ですから私は言います。主にあって厳かに勧めます。あなたがたはもはや、異邦人がむなしい心で歩んでいるように歩んではなりません。
4:18 彼らは知性において暗くなり、彼らのうちにある無知と、頑なな心のゆえに、神のいのちから遠く離れています。
4:19 無感覚になった彼らは、好色に身を任せて、あらゆる不潔な行いを貪るようになっています。
4:20 しかしあなたがたは、キリストをそのように学んだのではありません。
4:21 ただし、本当にあなたがたがキリストについて聞き、キリストにあって教えられているとすれば、です。真理はイエスにあるのですから。
4:22 その教えとは、あなたがたの以前の生活について言えば、人を欺く情欲によって腐敗していく古い人を、あなたがたが脱ぎ捨てること、
4:23 また、あなたがたが霊と心において新しくされ続け、
4:24 真理に基づく義と聖をもって、神にかたどり造られた新しい人を着ることでした。
4:25 ですから、あなたがたは偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。私たちは互いに、からだの一部分なのです。
4:26 怒っても、罪を犯してはなりません。憤ったままで日が暮れるようであってはいけません。
4:27 悪魔に機会を与えないようにしなさい。
4:28 盗みをしている者は、もう盗んではいけません。むしろ、困っている人に分け与えるため、自分の手で正しい仕事をし、労苦して働きなさい。
4:29 悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。むしろ、必要なときに、人の成長に役立つことばを語り、聞く人に恵みを与えなさい。
4:30 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。
4:31 無慈悲、憤り、怒り、怒号、ののしりなどを、一切の悪意とともに、すべて捨て去りなさい。
4:32 互いに親切にし、優しい心で赦し合いなさい。神も、キリストにおいてあなたがたを赦してくださったのです。

クリスマスは気づきの時

2024年12月22日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

ルカの福音書2章11~14節
【新改訳2017】
い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」
2:13 すると突然、その御使いと一緒におびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。
2:14 「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」

<要約>
私たちは、周りに当たり前にあると思っていて、大切なことに気づいていないことがあるのではないでしょうか。私たちの体や生活に必要なすべてのものが備えられて与えられていることを。例えば、食べ物や衣服、住居や家庭、家族や職場の交わり、など。神があなたの近くにおられてあなたのすべての必要を満たそうと、あなたを愛しておられる神がおられるのに気付かないのです。いずれにせよ、私たちの心は暗く、光を当てられなければ、何も見えないのです。近くにいてくださる神に気付かないことから隣人の必要にも気づかない、私たちの内にはそういう、自分中心の人間の姿があるのです。クリスマスは、もとから世におられる神が人となられてこられたことです。神は天の御座を捨てて、へりくだって、私たちに現れてくださいました。私たちは共におられる神ご自身に気づくのです。そして、自分に気づくのです。普段私たちの目が見なかったこと、思いも浮かばなかったこと、に気づくのです。クリスマスは気づきの時です。神は共にいてくださった。私の過去から現在までともに歩んでくださった。私のためにすべての良いものを備えてくださった。あらゆる危険から守ってくださり、これからも守ってくださることを。

  (クリスマスストーリー):クリスマスに実際にあったお話です。自分が愛されて、大切にされていることに気付いたお話です。

御子キリストは、神の私たちすべての人へのプレゼントです。キリストの十字架と復活による罪の赦しと永遠のいのちは、無償で提供された神のプレゼントです。私たちは、それはをただ、空の両手を差し出して、受けとるだけなのです。私たちは、生まれながらの罪びとですが、イエス様の十字架と復活により、罪赦された罪人となりました。これからは、赦された人として、神を愛し、人を愛する、人となりましょう。罪赦され、永遠のいのちが与えられ、希望と喜びの人生に入るのです。クリスマスは気付きの時です。もう一度、私たちはどんなに愛されており、愛されて現在に至っているかを確認するのです。それは、ベツレヘムの家畜小屋で御子イエス・キリストを通して示された神の愛です。

クリスマスの衝撃

2024年12月15日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
闇にとどまる人間社会;

多くのユダヤ人は、救い主がユダヤ人の王として来られ、社会が不安定になるのを恐れていました。現状にあまんじ、変化を恐れていたのです。そこに当時のユダヤ人を含めて人間の罪の姿があります。教会やキリスト教に深入りしたくない、私にはキリストは必要がないという声を聞くのです。結果的に、私たちの罪を取り除いてくださるキリストを拒むのです。正しいことを実行し、正しいことを信じる力がない人間の姿があるのです。闇にとどまる人間社会と題して話しました。多くの人々は、闇にとどまることを良しとして、その罪ゆえに、死と滅びに定められている、と聖書は警告しています。しかし、神は憐れみの神です。人が滅びに向かっていくことを惜しんで悲しんでおられます。そのために、罪のない神の独り子イエス様は十字架で私たちのすべての罪を背負い身代わりとなって死んでくださったのです。そればかりでなく、3日目に復活し死を打ち破り復活のいのちを与えてくださいました。もう死の苦しみは過ぎ去りました。死はいのちに至る門となり、永遠に続く希望と喜びの人生が待っています。

クリスマスはこの上もない良い知らせ:

キリストはご自分の民に拒絶されました。しかし、異邦人に歓迎されました。彼らは、この幼子を人類の救い主、神の子、キリストとして認識したのです。そのお姿は、最も低くなってこられたキリストです。私たちを支配するのではなく、人々に仕えるものの姿で来られました。軍隊に守られた王ではなく、貧しい無防備な幼子でした。それは、力を持って力のある人々を救うのではなく、貧しいものとなって心の貧しい人々を救うために来られたのです。それとは反対に、ご自身を拒絶する人々、「救いはいらない」、「私にはキリストは必要がない」、と言う人々に対しても、忍耐を持って待っておられるのです。それは、ご自身を害するもののために祈られたことからもわかります。キリストは私たちを赦し生かすために来られました。最も貧しい姿で、しかも、私たちの罪を背負って十字架に付けられるために来て下さったのです。東方の博士たちは、幼子イエスに会って、この上も無く非常に激しく喜んだのです。私たちもキリストをこのように歓迎しているでしょうか。私たちもキリストの証人として使命をいただいて自分の使わされている場所で主を証いたしましょう。

<聖書>マタイによる福音書2章1~12節
【新改訳2017】
2:1 イエスがヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東の方から博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
2:2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。」
2:3 これを聞いてヘロデ王は動揺した。エルサレム中の人々も王と同じであった。
2:4 王は民の祭司長たち、律法学者たちをみな集め、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。
2:5 彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれています。
2:6 『ユダの地、ベツレヘムよ、あなたはユダを治める者たちの中で決して一番小さくはない。あなたから治める者が出て、わたしの民イスラエルを牧するからである。』」
2:7 そこでヘロデは博士たちをひそかに呼んで、彼らから、星が現れた時期について詳しく聞いた。
2:8 そして、「行って幼子について詳しく調べ、見つけたら知らせてもらいたい。私も行って拝むから」と言って、彼らをベツレヘムに送り出した。
2:9 博士たちは、王の言ったことを聞いて出て行った。すると見よ。かつて昇るのを見たあの星が、彼らの先に立って進み、ついに幼子のいるところまで来て、その上にとどまった。
2:10 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
2:11 それから家に入り、母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
2:12 彼らは夢で、ヘロデのところへ戻らないようにと警告されたので、別の道から自分の国に帰って行った。

将来と希望の約束

2024年12月1日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
闇が深いほど背後の光は強い:

先の見通しがつかないというのは、個人的にも、国家的にも、世界的にも、とてもつらいことです。現代も、人類の未来は楽観できない状況です。日本も戦争に巻き込まれる危険を抱えています。日本は人口減に入り、超高齢化社会になっています。若者も未来に希望が持てず、闇バイトに手を出す子どもたちも増えており、社会不安も広がっています。不登校になる子どもの数も過去最高になっています。日本の教会の現状を見ても、牧師や伝道者のなり手が不足して、クリスチャン人口も減り教会も統合したり、閉鎖したりするところも出てきます。自分の前に見える自分の影、その闇が深いほど後ろから背中を照らす太陽の光は強いということです。同様に、もし皆さんが、個人的にも困難を覚え、あるいは行き詰まりを経験し、低迷無気力にあるならば、今のピンチこそチャンスであることを知りましょう。私たちが困難や苦難の中に居る時こそ神の恵みの光が強く注がれていることに気づきましょう。

礼拝の民として三つの領域でベストを尽くし希望に生きる:

神はエレミヤを通して、異郷の地でどのように生きて行ったらよいのかを、具体的に指示なさいました。まず、一つのことは、民がバビロニヤにいてもあたかもエルサレムに住んでいた時と同じように生活をすることです。もう一つのことは、今置かれたバビロンの町のために主に祈れ、そこで礼拝を守りなさいということです。同様に、現代に生きるクリスチャンたちは礼拝の民として、この地に根好き、仕事をし、家庭を立ち上げ、そして教会生活をするのです。すなわち私たちは、神を礼拝することを中心において、教会生活、社会生活、家庭生活の三つの領域に励んでいるものです。当時のイスラエルの民への70年後の祖国帰還の約束は歴史において成就しました。それは彼らには将来と希望でした。同様に、現代に生きる私たちクリスチャンにも聖書のみことばは、将来と希望を与えています。それは、主が再び来られること、そして、やがて新天新地に信じるすべての人々が招き入れられるということです。信じるすべての人は、罪の赦しと永遠のいのちをいただいています。神の将来と希望の約束をしっかり握っていなさい。そして、今を生きなさいというのです。先ほども言ったように落ち着いて生活し礼拝の民として神を中心とした生活をしなさいと言うことです。

<聖書>エレミヤ書29章1~11節
【新改訳2017】
29:1 預言者エレミヤは、ネブカドネツァルがエルサレムからバビロンへ引いて行った捕囚の民、すなわち、長老で生き残っている者たち、祭司たち、預言者たち、および民全体に、エルサレムから次のような手紙を送った。
29:2 この手紙は、エコンヤ王、王母、宦官たち、ユダとエルサレムの首長たち、職人、鍛冶がエルサレムを去った後、
29:3 ユダの王ゼデキヤが、バビロンの王ネブカドネツァルのもと、バビロンへ遣わした、シャファンの子エルアサとヒルキヤの子ゲマルヤの手に託したもので、そのことばは次のとおりである。
29:4 「イスラエルの神、万軍の【主】はこう言われる。『エルサレムからバビロンへわたしが引いて行かせたすべての捕囚の民に。
29:5 家を建てて住み、果樹園を造って、その実を食べよ。
29:6 妻を迎えて、息子、娘を生み、あなたがたの息子には妻を迎え、娘を嫁がせて、息子、娘を産ませ、そこで増えよ。減ってはならない。
29:7 わたしがあなたがたを引いて行かせた、その町の平安を求め、その町のために【主】に祈れ。その町の平安によって、あなたがたは平安を得ることになるのだから。』
29:8 まことに、イスラエルの神、万軍の【主】はこう言われる。『あなたがたのうちにいる預言者たちや、占い師たちにごまかされるな。また、あなたがたが見ている夢に聞き従ってはならない。
29:9 なぜなら、彼らはわたしの名を使って、偽りをあなたがたに預言しているからだ。わたしは彼らを遣わしていない──【主】のことば。』
29:10 まことに、【主】はこう言われる。『バビロンに七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにいつくしみの約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる。
29:11 わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──【主】のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。