和解をもたらすクリスマス

2019年12月15日
説教者:ハレルヤチャペル滝沢牧師  森田友明

<聖書>コロサイ人への手紙1章13~23節
1:13 御父は、私たちを暗闇の力から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。
1:14 この御子にあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。
1:15 御子は、見えない神のかたちであり、すべての造られたものより先に生まれた方です。
1:16 なぜなら、天と地にあるすべてのものは、見えるものも見えないものも、王座であれ主権であれ、支配であれ権威であれ、御子にあって造られたからです。万物は御子によって造られ、御子のために造られました。
1:17 御子は万物に先立って存在し、万物は御子にあって成り立っています。
1:18 また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられました。
1:19 なぜなら神は、ご自分の満ち満ちたものをすべて御子のうちに宿らせ、
1:20 その十字架の血によって平和をもたらし、御子によって、御子のために万物を和解させること、すなわち、地にあるものも天にあるものも、御子によって和解させることを良しとしてくださったからです。
1:21 あなたがたも、かつては神から離れ、敵意を抱き、悪い行いの中にありましたが、
1:22 今は、神が御子の肉のからだにおいて、その死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。あなたがたを聖なる者、傷のない者、責められるところのない者として御前に立たせるためです。
1:23 ただし、あなたがたは信仰に土台を据え、堅く立ち、聞いている福音の望みから外れることなく、信仰にとどまらなければなりません。この福音は、天の下のすべての造られたものに宣べ伝えられており、私パウロはそれに仕える者となりました。

<要約>

神と敵対する人間:

アダムの子孫である人類は皆サタンの支配下にあると聖書は語っています。私たちがイエス様を信じる前の状態が書かれています。人は神と敵対関係にあり、かつ悪い行いの中にあったというのです。そのままでは私たちは誰一人として天国へいけないのです。そこで、キリストは敵対関係にある者を和解させるために来られたということが書いています。「その十字架の血によって平和をもたらし、御子によって、御子のために万物を和解させる」と。万物と和解と書いています。人間ばかりでなく、万物です。すべての被造物です。自然界の動植物はどのような状況にあるのでしょうか。創世記には、「大地はあなたのゆえに呪われる」と書いています。アダムの罪により、すべての被造物は罪の呪いの下に置かれ、和解されることを待ち望んでいると言えます。被造物も苦しんでいるのです。

聖なる傷のない者となるために:

キリストが私たちの受けるべき罪の刑罰を十字架の上で身代わりに受けてくださったことにより、キリストを信じる者は罪赦されて、神との和解を得ることができます。サタンの支配からキリストの支配に移されたのです。御子は見えない神のかたち、見えない神の姿であるとあります。キリストは神の本質そのものであるとはっきり語られています。万物はキリストによって創られたということとさらにはキリストによって、今万物は保たれ成り立っている事、最終的にはキリストが万物の存在の目的であるということです。だからこそ、キリストは万物を神と和解させることがお出来になるのです。今日のコロサイ書には、キリストがもたらしてくださった和解の内容が書かれています。「聖なる者、傷のない者、責められるところのない者として御前にたたせてくださる」と。あなたを聖なる者としてくださるのは聖霊です。聖霊はあなたの内側に働き、あなたにきよい神の思いを知らせてくださいます。わたしたちがこころの王座に聖霊をお迎えして聖霊に聞き従うなら、人生は限りない、無限の祝福を得ます。次に、傷のない者、責められることのない者としてくださるということです。神は、キリストのうち傷によってあなたを癒し、御前で聖なる者として立たせてくださるのです。クリスマスは和解の時です。イエス様を信じて神との和解を受けてください。


布にくるまれた救い主

2019年12月8日
説教者:ハレルヤチャペル滝沢牧師  森田友明


<聖書>ルカの福音書2章1~7節 ヨハネの福音書3章16節
ルカ
2:1 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。
2:2 これは、キリニウスがシリアの総督であったときの、最初の住民登録であった。
2:3 人々はみな登録のために、それぞれ自分の町に帰って行った。
2:4 ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
2:5 身重になっていた、いいなずけの妻マリアとともに登録するためであった。
2:6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、
2:7 男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。

ヨハネ
3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

<要約>

救い主を拒む人の罪:

イエス様を布にくるんで飼い葉桶に寝かせた、とあります。飼い葉桶は石灰岩を削って作ったものです。神の御子は惨めな場所で惨めな姿でお生まれになりました。それだからこそイエス様はすべての人の救い主となられたのです。最も弱く貧しく小さな者たちの救い主として来て下さったのです。神の力や権利を持って治めることを好まず、へりくだってしもべの姿になり、仕えるものとなって世に来て下さったのです。神はご自身の栄光や御力を見せつけて人々の注目を集めようとはなさりません。また、神は人を力で支配し従えようとなさらない、力や権力で人を振り向かせようとはなさりません。それは私たち人間の思いを尊重しておられるからです。人の自由意思を大切にしてくださっています。あなたを縛りあなたを支配しようとはなさいません。神はそういうお方です。ヘロデも東方の博士たちもユダヤの王としてお生まれになる方は一角の人物と想像したでしょう。東方の博士たちは星に導かれてユダヤに来ました。そして、「ユダヤ人の王としてお生まれになる方は、どこにおられますか」と王の宮殿のあるエルサレムに尋ねて来たのです。貧しい大工のヨセフとマリヤの子どもとしてお生まれになるとは誰も想像だにしなかったのです。イスラエルの民は、救い主の到来を待ち望んでいました。民が期待していたのはかつて周辺諸国を制圧してイスラエル国家を統一したダビデ王の再来です。しかし、イエス様はそのような期待をよそに、「民を罪から救ってくださる方」として世に来られたのです。神は、世の罪、そして人の罪を取り除くために来られたといえます。それが私たち人間を最も苦しめ、滅びに至らせる問題であるからです。人の罪とは何でしょうか。それは、人をお創りになりいのちを与えておられる創造者である神を無視していることです。自分を優先して神を後ろに置いていることです。そこに救い主を拒み続ける人間の罪があります。

闇から光へ移してくださる救い主:

そのような人間を神は黙ってみていられなくて、イエス・キリストをお与えくださいました。神は世の人々を愛しました。神の愛の最大の表れは何だったでしょうか。それは十字架の上でご自身のいのちをお捧げになったことです。私たち人間の罪の代価をご自身のひとり子の命で払ってくださったということです。世にはそれを受ける資格も価値もありませんでした。ただ神が私たちを惜しんでくださっているのです。私たちを救い、命を与え、永遠の御住まいに招いてくださっています。救い主キリストを心にお迎えしてください。そうすれば、決してなくならない、尽きることのないいのちの希望と喜びに生きるこができます。死は肉体の死ばかりではありません。霊と魂の死も含まれます。人には肉体の死の向こうに魂の永遠の滅びが待っています。そして、すべての人は闇である「罪と死と永遠の滅び」の世界に閉じ込められていると言えます。その闇の世界から光の世界に移してくださったのが、キリストです。罪は赦され、死から救われ、永遠の滅びから永遠のいのちに移されるのです。すなわち「罪と死と永遠の滅び」が、「赦しと救いと永遠のいのち」に代えられました。どうすればよいのでしょうか。そうです。イエス・キリストを信じて、あなたの心にお迎えするのです。その時、あなたは闇から光へ移されるのです。