祝福を下さらなければ引き下がりません

2019年07月28日
説教者:ハレルヤチャペル滝沢牧師  森田友明

<聖書>創世記32章1~5、22~32節

32:1 さて、ヤコブが旅を続けていると、神の使いたちが彼に現れた。
32:2 ヤコブは彼らを見たとき、「ここは神の陣営だ」と言って、その場所の名をマハナイムと呼んだ。
32:3 ヤコブは、セイルの地、エドムの野にいる兄のエサウに、前もって使いを送った。
32:4 ヤコブは彼らに命じた。「私の主人エサウにこう伝えなさい。『あなた様のしもべヤコブがこう申しております。私はラバンのもとに寄留し、今に至るまでとどまっていました。
32:5 私には牛、ろば、羊、それに男女の奴隷がおります。それで私の主人であるあなた様にお知らせして、ご好意を得ようと使いをお送りしました。』」


32:22 その夜、彼は起き上がり、二人の妻と二人の女奴隷、そして十一人の子どもたちを連れ出し、ヤボクの渡し場を渡った。
32:23 彼らを連れ出して川を渡らせ、また自分の所有するものも渡らせた。
32:24 ヤコブが一人だけ後に残ると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。
32:25 その人はヤコブに勝てないのを見てとって、彼のももの関節を打った。ヤコブのももの関節は、その人と格闘しているうちに外れた。
32:26 すると、その人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」ヤコブは言った。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」
32:27 その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は言った。「ヤコブです。」
32:28 その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたが神と、また人と戦って、勝ったからだ。」
32:29 ヤコブは願って言った。「どうか、あなたの名を教えてください。」すると、その人は「いったい、なぜ、わたしの名を尋ねるのか」と言って、その場で彼を祝福した。
32:30 そこでヤコブは、その場所の名をペヌエルと呼んだ。「私は顔と顔を合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた」という意味である。
32:31 彼がペヌエルを通り過ぎたころ、太陽は彼の上に昇ったが、彼はそのもものために足を引きずっていた。
32:32 こういうわけで、イスラエルの人々は今日まで、ももの関節の上の、腰の筋を食べない。ヤコブが、ももの関節、腰の筋を打たれたからである。

<要約>

マハナイム、背後で守る神:

ヤコブはここに来て、多くの神の使いを見たのです。そこをマハナイムと呼びました。それは「二つの陣営、または二つの宿営」という意味です。神はマハナイムを用意されました。それは、神の二つの陣営がヤコブの二つの宿営を守ることを暗示しています。神はヤコブに生まれ故郷である約束の地に彼が入る前に、すなわち、今ここで、ヤコブが、イスラエルの父となるための必要な最初の関門を通過するために、神が導いてくださったのです。それは兄エソウとの和解でした。そして次の日の朝、プレゼントを用意するのです。兄エソウの怒りを和らげようと考えたのです。ヤコブは不安でした。恐れました。そして神に祈りました。神が背後で働かれ、十分な準備をしました。神は、私たちに祈り求めるように命令しております。苦難の中で祈り続けます。そうすれば、最後に「神は真実なかたである」という確信に行きつくのです。それが祈りの力です。

貪欲に神を求める祝福:

ヤコブは一人ヤボク川の渡しに残って再び祈り始めました。その時、神の陣営から一人の人がヤコブのところに近づいてきました。それは主の使いでした。彼が通り過ぎて行こうとするので、ヤコブは力づくで彼を引き留めました。何とか自分と自分の家族を守ってほしいと力ずくで迫ったのです。そこで、二人は取っ組み合いとなりました。一晩中戦いましたが、勝負がつきません。するとその人は、ヤコブの腿を打ってから、やっと口を開いて私を去らせなさいと云いました。ヤコブは、いいえ、私を祝福してくださらなければ放しません、と必死にしがみついたのです。その人は言いました。「あなたはこれからイスラエルと呼ばれる。あなたは神と戦い、人と戦い勝利したからだ。」その人は、ヤコブを祝福して立ち去りました。み使いは、彼の腿のつがいを打ったら腿のつがいが外れた、とあります。それはヤコブの自我ということができるでしょう。自分が自分がという、自分中心に気付き勝利したのです。ヤコブは神様の祝福を貪欲に求め見事にそれを得たのです。神は、あなたの悩みにこたえ、あなたに祝福の雨をそそぎたいのです。ヤコブはエソウと会い、和解がなされました。実はこの和解こそイエス様が十字架にお掛りになった目的です。十字架の目的は人が神と和解することです。

救いの計画の始動と展望

2019年07月21日
説教者:ハレルヤチャペル滝沢牧師  森田友明

<聖書>創世記28章10~22節
28:10 ヤコブはベエル・シェバを出て、ハランへと向かった。
28:11 彼はある場所にたどり着き、そこで一夜を明かすことにした。ちょうど日が沈んだからである。彼はその場所で石を取って枕にし、その場所で横になった。
28:12 すると彼は夢を見た。見よ、一つのはしごが地に立てられていた。その上の端は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしていた。
28:13 そして、見よ、【主】がその上に立って、こう言われた。「わたしは、あなたの父アブラハムの神、イサクの神、【主】である。わたしは、あなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫に与える。
28:14 あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西へ、東へ、北へ、南へと広がり、地のすべての部族はあなたによって、またあなたの子孫によって祝福される。
28:15 見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」
28:16 ヤコブは眠りから覚めて、言った。「まことに【主】はこの場所におられる。それなのに、私はそれを知らなかった。」
28:17 彼は恐れて言った。「この場所は、なんと恐れ多いところだろう。ここは神の家にほかならない。ここは天の門だ。」
28:18 翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを立てて石の柱とし、柱の頭に油を注いだ。
28:19 そしてその場所の名をベテルと呼んだ。その町の名は、もともとはルズであった。
28:20 ヤコブは誓願を立てた。「神が私とともにおられて、私が行くこの旅路を守り、食べるパンと着る衣を下さり、
28:21 無事に父の家に帰らせてくださるなら、【主】は私の神となり、
28:22 石の柱として立てたこの石は神の家となります。私は、すべてあなたが私に下さる物の十分の一を必ずあなたに献げます。」

<要約>

救いの計画の始動:

ヤコブは、旅の疲れもあって、いつの間にか眠り夢をみました。不思議な夢を見ました。天まで届く梯子のようなものが地面に立ち、天使たちがそれを上ったり下りたりしているのです。ふと気づくと、何と神がヤコブのそばに立っていらっしゃいました。神は、わたしはアブラハム、イサクの神である。わたしはあなたが横たわっている土地をあなたにあげる。目の前に現れてくださった神は、責めることも咎めることもなく、ただ、アブラハムとイサクにお与えになった祝福の約束を伝えただけでした。神は、私たちの罪を責めるためではなく、罪を悔いているものを赦し立たせてくださるお方なのです。神は赦しの神です。十字架は赦しのシンボルです。ヤコブは聖なる神と出会い、同時に愛の神を知って、真のおそれに至ったのです。梯子が天から地上に降りて、そこを天使が上がり降りしている情景です。この時をもって、神の救いのご計画がいよいよ動き始めたのです。その梯子は、イエス・キリストを表しています。

神の救いの計画の完成と展望:

この時の天からの梯子は、神がこれから人間の歴史の中に介入することを示しています。イスラエル民族を起こし、その民族を通して人類を祝福するために、立ち上がられたことを示しています。ヤコブは言いました。「ここは神の家に他ならない。ここは天の門だ」と。そして、ヤコブは枕にした石で柱を作り、それに油を注いだ、とあります。この「油を注ぐ」というのは、ここでは「聖別する」という意味です。この神の家、天の門は何を指しているのでしょうか。それは、現代における教会です。教会は天国の出張所、天国の領事館です。教会はイエス・キリストを土台として建てあげられています。キリストは教会の頭です。教会では、天国のルールがそれを治めています。そこは、神の一方的な愛によって治められています。教会では、誰にでも無条件に、キリストの十字架による罪の赦しと永遠のいのちが提供されています。そしてそれは、信仰によってのみ受け取ることができます。その為に、神は4千年も前に人類救済計画を始動されたのです。この救いは、すべての人に提供されています。「信じてバプテスマを受ける者は、救われます。」書いている通りです。

成功に至る確かな道

2019年07月14日
説教者:ハレルヤチャペル滝沢牧師  森田友明

<聖書>創世記24章34~48節
24:34 彼は言った。「私はアブラハムのしもべです。
24:35 【主】は私の主人を大いに祝福されましたので、主人は富んでおります。主は主人に、羊や牛、銀や金、男女の奴隷、らくだやろばをお与えになりました。
24:36 私の主人の妻サラは、年をとってから主人に男の子を産み、主人はこの子に自分の全財産を譲っておられます。
24:37 私の主人は、こう言って、私に誓わせました。『私が住んでいるこの地のカナン人の娘たちの中から、私の息子の妻を迎えてはならない。
24:38 あなたは、私の父の家、私の親族のところへ行って、私の息子に妻を迎えなさい。』
24:39 そこで私は主人に申しました。『もしかしたら、その娘さんは私について来ないかもしれません。』
24:40 すると主人は答えました。『私は主の前に歩んできた。その【主】が御使いをあなたと一緒に遣わし、あなたの旅を成功させてくださる。あなたは、私の親族、私の父の家から、私の息子に妻を迎えなさい。
24:41 次のようなときは、あなたは私との誓いから解かれる。あなたが私の親族のところに行ったときに、もし彼らがあなたに娘を与えないなら、そのとき、あなたは私との誓いから解かれる。』
24:42 今日、私は泉のそばに来て言いました。『私の主人アブラハムの神、【主】よ。私がここまで来た旅を、もしあなたが成功させてくださるのなら──。
24:43 ご覧ください。私は泉のそばに立っています。若い娘が水を汲みに出て来たなら、私は「あなたの水がめから少し水を飲ませてください」と言います。
24:44 その人が私に、「どうぞ、お飲みください。あなたのらくだにも水を汲みましょう」と言ったなら、その娘さんこそ、【主】が私の主人の息子のために定められた方です。』
24:45 私が心の中で言い終わらないうちに、なんと、リベカさんが水がめを肩に載せて出て来たのです。そして、泉に下りて行き、水を汲みました。それで私が『どうか水を飲ませてください』と言うと、
24:46 急いで水がめを肩から降ろし、『お飲みください。あなたのらくだにも水を飲ませましょう』と言われたので、私は飲みました。らくだにも水を飲ませてくださいました。
24:47 私が尋ねて、『あなたは、どなたの娘さんですか』と言いますと、『ミルカがナホルに産んだ子ベトエルの娘です』と答えました。そこで私は、彼女の鼻に飾り輪をつけ、彼女の腕に腕輪をはめました。
24:48 そして私はひざまずき、【主】を礼拝し、私の主人アブラハムの神、【主】をほめたたえました。主は、私の主人の親族の娘さんを主人の息子に迎えるために、私を確かな道に導いてくださったのです。

<要約>

神の約束を握って進む道:

アブラハムには、神の約束の成就のために信仰の次の段階に進みます。それは、世継ぎと決まったイサクに嫁を迎えることです。アブラハムは、最年長で、アブラハムの全財産を管理していたしもべに命じます。アブラハムの郷里のハランへ行ってイサクの嫁を連れてくるようにとのことです。アブラハムはイサクを約束の子として、神の祝福の座に置いたのです。アブラハムはイサクを自分の子であっても、神の約束の子どもであるとしっかり認識していました。子育て中の皆さんも、神があなた方にお与えくださった子どもたちは、神があなたに託した神の約束の子どもです。その認識が大切です。私たちは、子どもたちを神にお返ししていくのです。アブラハムは、結果を前もって見ることはできなくても、二つのことにしっかり立っていました。一つは、神は約束を撤回することはないという信仰です。二つ目は、人は神の約束を撤回してはいけないということです。神はあなたを幸せにすると、そして喜びにあふれる人生を与えると約束しているのですから、疑ってはいけません。

キリストの祝福を隣人に届ける道:

このしもべは勇気と信仰をもって大胆に神に近づいています。リベカは非常に美しいばかりでなく、健康で体力もあり、オープンで勇気があり積極的な女性であったと想像します。リベカは自分の親や家族を離れて、イサクの下へ旅立つのです。そこに、リベカの信仰と行動力を見ます。イサクは、イエス・キリストのひな型です。このイサクのために用いられたアブラハム、このしもべ、そしてリベカの三人には決断、勇気、行動という資質を見ることができます。それは、同時に、キリストのために生きる者の資質ということができます。その時から約二千年を経て、「すべての民族はアブラハムによって祝福される」というアブラハムの契約は、イエス・キリストによって成就しました。キリストが全人類の罪の身代わりとなって十字架にかかり、私たちの罪を赦し永遠のいのちに生きる者としてくださったからです。その名を信じた者には神の子どもとされる特権をお与えになったのです。キリストを信じる者は神の国の相続者として永遠の祝福にあずかるのです。是非、イエス・キリストをあなたの救い主と信じてください。

完全な信仰

2019年07月07日
説教者:ハレルヤチャペル滝沢牧師  森田友明

<聖書>創世記22章1~14節

22:1 これらの出来事の後、神がアブラハムを試練にあわせられた。神が彼に「アブラハムよ」と呼びかけられると、彼は「はい、ここにおります」と答えた。
22:2 神は仰せられた。「あなたの子、あなたが愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そして、わたしがあなたに告げる一つの山の上で、彼を全焼のささげ物として献げなさい。」
22:3 翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、二人の若い者と一緒に息子イサクを連れて行った。アブラハムは全焼のささげ物のための薪を割った。こうして彼は、神がお告げになった場所へ向かって行った。
22:4 三日目に、アブラハムが目を上げると、遠くの方にその場所が見えた。
22:5 それで、アブラハムは若い者たちに、「おまえたちは、ろばと一緒に、ここに残っていなさい。私と息子はあそこに行き、礼拝をして、おまえたちのところに戻って来る」と言った。
22:6 アブラハムは全焼のささげ物のための薪を取り、それを息子イサクに背負わせ、火と刃物を手に取った。二人は一緒に進んで行った。
22:7 イサクは父アブラハムに話しかけて言った。「お父さん。」彼は「何だ。わが子よ」と答えた。イサクは尋ねた。「火と薪はありますが、全焼のささげ物にする羊は、どこにいるのですか。」
22:8 アブラハムは答えた。「わが子よ、神ご自身が、全焼のささげ物の羊を備えてくださるのだ。」こうして二人は一緒に進んで行った。
22:9 神がアブラハムにお告げになった場所に彼らが着いたとき、アブラハムは、そこに祭壇を築いて薪を並べた。そして息子イサクを縛り、彼を祭壇の上の薪の上に載せた。
22:10 アブラハムは手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。
22:11 そのとき、【主】の使いが天から彼に呼びかけられた。「アブラハム、アブラハム。」彼は答えた。「はい、ここにおります。」
22:12 御使いは言われた。「その子に手を下してはならない。その子に何もしてはならない。今わたしは、あなたが神を恐れていることがよく分かった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しむことがなかった。」
22:13 アブラハムが目を上げて見ると、見よ、一匹の雄羊が角を藪に引っかけていた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の息子の代わりに、全焼のささげ物として献げた。
22:14 アブラハムは、その場所の名をアドナイ・イルエと呼んだ。今日も、「【主】の山には備えがある」と言われている。

<要約>

アブラハムの試練:

これらの出来事の後、「神はアブラハムを試練に合わせられた」とあります。この度は最後の最も過酷なテストでした。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そして、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」イサクはアブラハムにとっては、自分のいのちより大切な我が子であったでしょう。神はその心情を理解して、「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサク」と言ったのです。神はこの試練を通して、神の救いのご計画を示そうとされたのです。アブラハムの信仰は、復活の信仰といえます。そして今、アブラハムに課そうとしている試練を、神は、ご自身にも課しておられたのです。それは、神の最愛のひとり子イエス様を、すべての人のために、つまり、愛するあなたのためになだめの供え物として十字架にかけることです。試練は信仰を造るのです。ですから試練はあなたに有益です。クリスチャンは、「失望に終わらない希望」を持っています。世にある希望は、移ろいゆくものです。絶対大丈夫と言えるものはないでしょう。神が与えてくださる希望は決して失望に終わりません。神が与えてくださる希望は、「死を通って、いのちに至る」希望だからです。

死を通していのちに至る:

聖書が教える死は、誰でもが迎える肉体の死だけではありません。肉体の死の後に来る魂、あるいは霊の死です。永遠の滅びです。それは、罪から来る報酬です。神は人が滅びるのを惜しんで、人が持つ罪を無実の神の御子キリストに背負わせて身代わりに断罪しました。御子を信じる者は罪に定められることなくいのちに移されるのです。誰もが肉体の死を通らなければなりませんが、死後、やがて復活のからだをいただいて永遠に生きるものとされます。ドイツの神学者であり、牧師であったボンヘッファーは、ヒットラー暗殺計画に加担し、絞首刑に処せられました。絞首台を目の前にして彼は、看守に言葉を残しました。「これが最後です。わたしにとっていのちの始まりです」と。神は、主イエスを信じる者が死を通していのちにいたることを告げています。神はどんなに悲しむ人をも慰めることができます。神は、御子の十字架でその悲しみを経験なさっているからです。