アブラハムのストレス・家庭2

2021年7月25日主日礼拝説教 盛岡月が丘キリスト教会牧師 田口勇新

<聖書>創世記17章1~27節
17:1 さて、アブラムが九十九歳のとき、【主】はアブラムに現れ、こう言われた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。
17:2 わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に立てる。わたしは、あなたを大いに増やす。」
17:3 アブラムはひれ伏した。神は彼にこう告げられた。
17:4 「これが、あなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の父となる。
17:5 あなたの名は、もはや、アブラムとは呼ばれない。あなたの名はアブラハムとなる。わたしがあなたを多くの国民の父とするからである。
17:6 わたしは、あなたをますます子孫に富ませ、あなたをいくつもの国民とする。王たちが、あなたから出てくるだろう。
17:7 わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、またあなたの後の子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしは、あなたの神、あなたの後の子孫の神となる。
17:8 わたしは、あなたの寄留の地、カナンの全土を、あなたとあなたの後の子孫に永遠の所有として与える。わたしは彼らの神となる。」
17:9 また神はアブラハムに仰せられた。「あなたは、わたしの契約を守らなければならない。あなたも、あなたの後の子孫も、代々にわたって。
17:10 次のことが、わたしとあなたがたとの間で、またあなたの後の子孫との間で、あなたがたが守るべきわたしの契約である。あなたがたの中の男子はみな、割礼を受けなさい。
17:11 あなたがたは自分の包皮の肉を切り捨てなさい。それが、わたしとあなたがたとの間の契約のしるしとなる。
17:12 あなたがたの中の男子はみな、代々にわたり、生まれて八日目に割礼を受けなければならない。家で生まれたしもべも、異国人から金で買い取られた、あなたの子孫ではない者もそうである。
17:13 あなたの家で生まれたしもべも、金で買い取った者も、必ず割礼を受けなければならない。わたしの契約は、永遠の契約として、あなたがたの肉に記されなければならない。
17:14 包皮の肉を切り捨てられていない無割礼の男、そのような者は、自分の民から断ち切られなければならない。わたしの契約を破ったからである。」
17:15 また神はアブラハムに仰せられた。「あなたの妻サライは、その名をサライと呼んではならない。その名はサラとなるからだ。
17:16 わたしは彼女を祝福し、彼女によって必ずあなたに男の子を与える。わたしは彼女を祝福する。彼女は国々の母となり、もろもろの民の王たちが彼女から出てくる。」
17:17 アブラハムはひれ伏して、笑った。そして心の中で言った。「百歳の者に子が生まれるだろうか。サラにしても、九十歳の女が子を産めるだろうか。」
17:18 そして、アブラハムは神に言った。「どうか、イシュマエルが御前で生きますように。」
17:19 神は仰せられた。「いや、あなたの妻サラが、あなたに男の子を産むのだ。あなたはその子をイサクと名づけなさい。わたしは彼と、わたしの契約を立て、それを彼の後の子孫のために永遠の契約とする。
17:20 イシュマエルについては、あなたの言うことを聞き入れた。必ず、わたしは彼を祝福し、子孫に富ませ、大いに増やす。彼は十二人の族長たちを生む。わたしは彼を大いなる国民とする。
17:21 しかし、わたしがわたしの契約を立てるのは、サラが来年の今ごろあなたに産むイサクとの間にである。」
17:22 神はアブラハムと語り終えると、彼のもとから上って行かれた。
17:23 そこでアブラハムは、その子イシュマエル、彼の家で生まれたすべてのしもべ、また、金で買い取ったすべての者、すなわち、アブラハムの家のすべての男子を集め、神が彼に告げられたとおり、その日のうちに、彼らの包皮の肉を切り捨てた。
17:24 アブラハムが包皮の肉を切り捨てられたときは、九十九歳であった。
17:25 その子イシュマエルは、包皮の肉に割礼を受けたとき、十三歳であった。
17:26 アブラハムとその子イシュマエルは、その日のうちに割礼を受けた。
17:27 彼の家の男たちはみな、家で生まれた奴隷も、異国人から金で買い取った者も、彼と一緒に割礼を受けた。

<要約>
イサクの誕生に向けて

適用:私とアブラハム契約

<詳しいアウトライン>

<要約>創世記17章では、アブラハム夫妻に待ちに待ったイサク誕生の予告が、主から「直々に」告げられます。実にハランを発って24年目、アブラハム99歳、サラ89歳の時でした。前章で、13年前にアブラム夫妻が神の約束を早めようとした「肉の行い」で女奴隷ハガルによってイシュマエルが生まれ、複雑な家庭問題を招きます。17章はついに嫡子イサクが生まれることが告げられ、神の救いのマスターブランが一歩具体化します。アブラハムと子孫を通して、より具体的には、アブラハムの子孫からメシア・イエスが誕生して全世界の民が救いの対象となる、神の壮大なマスタープランの一片を見ることができます。適用では、アブラハム契約の祝福は、クリスチャンの自分にどう反映されているかを検証します。

イサクの誕生に向けて

 ①全能の神(エル・シャダイ)にひれ伏す
 ②ふたつの服従
  改名 5~6, 15
     
割礼 10~11
 ③神のユーモア

適用:私とアブラハム契約
 ①礼拝の民
 ②洗礼者の民
 ②イエスの前を歩く民

闇から光の中へ

2021年7月18日主日礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>Ⅰヨハネ1章1~10節
1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、自分の目で見たもの、じっと見つめ、自分の手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて。
1:2 このいのちが現れました。御父とともにあり、私たちに現れたこの永遠のいのちを、私たちは見たので証しして、あなたがたに伝えます。
1:3 私たちが見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えます。あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです。
1:4 これらのことを書き送るのは、私たちの喜びが満ちあふれるためです。
1:5 私たちがキリストから聞き、あなたがたに伝える使信は、神は光であり、神には闇が全くないということです。
1:6 もし私たちが、神と交わりがあると言いながら、闇の中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであり、真理を行っていません。
1:7 もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。
1:8 もし自分には罪がないと言うなら、私たちは自分自身を欺いており、私たちのうちに真理はありません。
1:9 もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。
1:10 もし罪を犯したことがないと言うなら、私たちは神を偽り者とすることになり、私たちのうちに神のことばはありません。

<要約>

罪により闇の中を歩む人間

私たちの心の奥にそっと置いていた罪があるときふと思い出されて、罪責感にさいなまれます。「あんなことしなければ良かった。」「あんなこと言わなければよかった。」「あんなこと思ったのは間違いだった。」など。このように罪が人生に、そして人間社会に闇を与えます。人の罪は、三つの関係の中で発生しています。第一は、神との関係、第二は自分との関係、第三は人との関係の中にです。第一は、全世界をお創りになり、私たちに命を与えて愛してくださる神、天の父と呼んでいますが、その父との関係が壊されていることです。天の父を存在しないかの如く心から締め出しているのが第一の罪です。第二は、自分との関係における罪です。自分を愛せない、自分の命を粗末に扱うこと、暴飲暴食もそうです。また、自分が家族にとって大切な存在であることを認めないこともです。第三は人との関係においてです。人を傷つける言葉や行い、怒りや憎しみ、有害な飲酒や遊戯に誘うことも魂に対する殺人です。人の名誉を傷つける噂話も罪です。罪は人間を苦しめ悩ませ不幸にします。そして、この罪が、私たち人間を永遠の滅びへと誘っているのです。

光の中に招いてくださる神

神は、罪を犯して闇の中を歩み滅びに向かっていく人類全ての人々を哀れんでおられます。神の正義の怒りが十字架でキリストの上に下ったのです。神はキリストの十字架によって私たちの罪を赦し、すべての悪からきよめてくださいます。神は無条件で私たちをキリストの光の中に招いておられます。それは、私たちの努力や功績は全く関係ないのです。必要なことはただ、その赦しと祝福を、ただ心で信じて受けとればよいのです。神との関係、自分との関係、そして、人との関係の回復が与えられます。罪が赦されているので、闇の力から解放されて光の中を歩むことができます。あなたの債務証書は無効にされました。すべての罪が赦されているのです。ただ、その罪の赦しを受け取ればよいのです。イエス様はあなたを光の中に招いておられます。闇から光に移してくださいます。そのことを信じて、その招きに応えていただきたいと思います。神の約束は、今から後、決してしぼむことのない希望である永遠のいのちです。

人間に隠された神の知恵

2021年7月11日主日礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>Ⅰコリント1章1~14節
2:1 兄弟たち。私があなたがたのところに行ったとき、私は、すぐれたことばや知恵を用いて神の奥義を宣べ伝えることはしませんでした。
2:2 なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリストのほかには、何も知るまいと決心していたからです。
2:3 あなたがたのところに行ったときの私は、弱く、恐れおののいていました。
2:4 そして、私のことばと私の宣教は、説得力のある知恵のことばによるものではなく、御霊と御力の現れによるものでした。
2:5 それは、あなたがたの信仰が、人間の知恵によらず、神の力によるものとなるためだったのです。
2:6 しかし私たちは、成熟した人たちの間では知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でも、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。
2:7 私たちは、奥義のうちにある、隠された神の知恵を語るのであって、その知恵は、神が私たちの栄光のために、世界の始まる前から定めておられたものです。
2:8 この知恵を、この世の支配者たちは、だれ一人知りませんでした。もし知っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。
2:9 しかし、このことは、「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことがないものを、神は、神を愛する者たちに備えてくださった」と書いてあるとおりでした。
2:10 それを、神は私たちに御霊によって啓示してくださいました。御霊はすべてのことを、神の深みさえも探られるからです。
2:11 人間のことは、その人のうちにある人間の霊のほかに、いったいだれが知っているでしょう。同じように、神のことは、神の霊のほかにはだれも知りません。
2:12 しかし私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神からの霊を受けました。それで私たちは、神が私たちに恵みとして与えてくださったものを知るのです。
2:13 それについて語るのに、私たちは人間の知恵によって教えられたことばではなく、御霊に教えられたことばを用います。その御霊のことばによって御霊のことを説明するのです。
2:14 生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらはその人には愚かなことであり、理解することができないのです。御霊に属することは御霊によって判断するものだからです。

<要約>

人間の知恵に頼る生き方:

最初の人アダムの罪によって、死が入り、そしてすべての人が罪を犯したので、私たちは罪人です。生まれたばかりの赤ちゃんでも、神の知恵で養われない限り、そのままでは、やがて神を認めない人生を歩んでいきます。それが、全ての人が持つ原罪です。このように、私たち人間は、信仰によって生まれ変わらない限り、神に属することを理解できません。受け入れません。そして、神があなたを愛していると、言われるのに、あなたがそっぽを向いているなら、それは、あなたが神に敵対して歩んでいると言えます。イエス・キリストがあなたのために十字架で苦難を負って死んでくださった、というのに、そんなのわたしに関係ない、とあなたが言うならば、それは、あなたは十字架に敵対して歩んでいると言えます。神が、人を愛し、御子キリストを人として世に送り、彼を人の罪の身代わりとして十字架で断罪しました。そして、そのことを信じる者は罪赦され救われる、というのが十字架のメッセージです。もし、あなたが人間の智恵にとどまり続けるならば、それは、神に敵対して歩み続けるということです。ですから私たちは、罪を悔い改めて、神を仰がなければなりません。

神の知恵に生きる人生

この知恵は目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に浮かんだことがないものでした。すなわち、決して人間には見たり聞いたりすることが出来ないもの、心で想像することさえできないもの、私たち人間の理性や思考を超えた素晴らしいものを神は用意してくださったのです。それは、神の下さった救いです。キリストはその十字架と復活により、罪を取り除き、罪の結果である死を滅ぼし、永遠のいのちをお与えくださいます。それが福音です。ですから、私たちは神の知恵に耳を傾けることが必要です。人間がおごり高ぶった自分の知恵では、神に近づくことができない、神を見出すことができない、ようにされたのです。本当にへりくだって、自分を神の下に置くことができる人でしか神を見出すことができないのです。神は自分を隠される神なのです。神の知恵に生きる人生をどのようにしたら自分のものにできるでしょうか。それは、「思いを変える」ことです。自分の知識に立つのをやめて、神のみことばに立つのです。そこに本来の人としての祝福の人生があるのです。

神のことばは止められない

2021年7月4日主日礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>
12:1 そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人たちを苦しめようとしてその手を伸ばし、
12:2 ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。
12:3 それがユダヤ人に喜ばれたのを見て、さらにペテロも捕らえにかかった。それは、種なしパンの祭りの時期であった。
12:4 ヘロデはペテロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越の祭りの後に、彼を民衆の前に引き出すつもりでいたのである。
12:5 こうしてペテロは牢に閉じ込められていたが、教会は彼のために、熱心な祈りを神にささげていた。
12:6 ヘロデが彼を引き出そうとしていた日の前夜、ペテロは二本の鎖につながれて、二人の兵士の間で眠っていた。戸口では番兵たちが牢を監視していた。
12:7 すると見よ。主の使いがそばに立ち、牢の中を光が照らした。御使いはペテロの脇腹を突いて彼を起こし、「急いで立ち上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。
12:8 御使いは彼に言った。「帯を締めて、履き物をはきなさい。」ペテロがそのとおりにすると、御使いはまた言った。「上着を着て、私について来なさい。」
12:9 そこでペテロは外に出て、御使いについて行った。彼には御使いがしていることが現実とは思えず、幻を見ているのだと思っていた。
12:10 彼らが、第一、第二の衛所を通り、町に通じる鉄の門まで来ると、門がひとりでに開いた。彼らは外に出て、一つの通りを進んで行った。すると、すぐに御使いは彼から離れた。
12:11 そのとき、ペテロは我に返って言った。「今、本当のことが分かった。主が御使いを遣わして、ヘロデの手から、またユダヤの民のすべてのもくろみから、私を救い出してくださったのだ。」
12:12 それが分かったので、ペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリアの家に行った。そこには多くの人々が集まって、祈っていた。
12:13 彼が門の戸をたたくと、ロデという名の召使いが応対に出て来た。
12:14 そして、ペテロの声だと分かると、喜びのあまり門を開けもせずに奥に駆け込み、ペテロが門の前に立っていることを知らせた。
12:15 人々は彼女に「あなたは気が変になっている」と言ったが、彼女は本当だと言い張った。それで彼らは「それはペテロの御使いだ」と言った。
12:16 だが、ペテロは門をたたき続けていた。彼らが開けると、そこにペテロがいたので非常に驚いた。
12:17 ペテロは静かにするように手で彼らを制してから、主がどのようにして自分を牢から救い出してくださったかを彼らに説明し、「このことをヤコブと兄弟たちに知らせてください」と言った。そして、そこを出て、ほかの場所へ行った。

<要約>

宣教のみことば止められない

今日に至るまでには多くの聖徒たちは殉教しました。捕えられて縛られ処刑されました。しかし、悪魔も人間も、宣教のみことばを止めることはできません。現代も、広がり続けています。救いの福音は歴史を通して、人から人へと伝達されてきました。そして、私どもにも届いたのです。私たちも受けたもの、救いの福音を他に伝える使命があります。それは聖霊の御業です。窮地に陥れられたとき、すべきただ一つのことは祈りです。どんな所でもどんな状況でも私たちは祈りに向かうべきです。熱心な祈りは神を動かすのです。また祈りに期待しなければ、結果を見ることができません。ある牧師先生が、どんなに困難や苦難に直面してもその時私たちが祈りに導かれるならばそれらの苦難や困難は良いことだと言いました。苦難があると神を求めます。結果的に、私たちは神様と更に近しくなるのです。私たちが、なすすべがない、何にもできない、と言うときも、祈りはできます。人生には絶対起こりえないと思うことが起こるのです。神さまの奇跡を見るのです。最大の奇跡は、救われるはずがないと思っていた人が悔い改めて信じて救われたということではないでしょうか。

祝福のみことばは止められない:

神は御使いを用いて、ペテロを牢獄から救出しました。出口のないトンネルはない、明けない夜はない、同じように、試練や困難にも脱出の道はあるのです。信仰生活は苦難や困難がつきものです。しかし、苦しみの中にも祝福のみことばは流れています。神の祝福のみことばは止めることのできません。福音は英語ではグットニュースです。よい知らせです。福音を受け取った人は、罪と死と悪魔からも解放されます。そして、真のいのちに生きることができるのです。福音の内容は「無代価で与えられる主イエス・キリストによる罪の赦しと永遠のいのち」です。福音のことば、祝福のことばは聖書に中にあります。ペテロもヤコブも他の聖徒たちも、ともに神から祝福された人生を歩みました。私たちも、信仰によって等しく神から祝福された者たちです。神の子ども、天の国民、御国の世継ぎなのです。聖書の言葉に従って生きるなら、神の祝福はあなたのものです。