闇から光の中へ

2021年7月18日主日礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>Ⅰヨハネ1章1~10節
1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、自分の目で見たもの、じっと見つめ、自分の手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて。
1:2 このいのちが現れました。御父とともにあり、私たちに現れたこの永遠のいのちを、私たちは見たので証しして、あなたがたに伝えます。
1:3 私たちが見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えます。あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです。
1:4 これらのことを書き送るのは、私たちの喜びが満ちあふれるためです。
1:5 私たちがキリストから聞き、あなたがたに伝える使信は、神は光であり、神には闇が全くないということです。
1:6 もし私たちが、神と交わりがあると言いながら、闇の中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであり、真理を行っていません。
1:7 もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。
1:8 もし自分には罪がないと言うなら、私たちは自分自身を欺いており、私たちのうちに真理はありません。
1:9 もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。
1:10 もし罪を犯したことがないと言うなら、私たちは神を偽り者とすることになり、私たちのうちに神のことばはありません。

<要約>

罪により闇の中を歩む人間

私たちの心の奥にそっと置いていた罪があるときふと思い出されて、罪責感にさいなまれます。「あんなことしなければ良かった。」「あんなこと言わなければよかった。」「あんなこと思ったのは間違いだった。」など。このように罪が人生に、そして人間社会に闇を与えます。人の罪は、三つの関係の中で発生しています。第一は、神との関係、第二は自分との関係、第三は人との関係の中にです。第一は、全世界をお創りになり、私たちに命を与えて愛してくださる神、天の父と呼んでいますが、その父との関係が壊されていることです。天の父を存在しないかの如く心から締め出しているのが第一の罪です。第二は、自分との関係における罪です。自分を愛せない、自分の命を粗末に扱うこと、暴飲暴食もそうです。また、自分が家族にとって大切な存在であることを認めないこともです。第三は人との関係においてです。人を傷つける言葉や行い、怒りや憎しみ、有害な飲酒や遊戯に誘うことも魂に対する殺人です。人の名誉を傷つける噂話も罪です。罪は人間を苦しめ悩ませ不幸にします。そして、この罪が、私たち人間を永遠の滅びへと誘っているのです。

光の中に招いてくださる神

神は、罪を犯して闇の中を歩み滅びに向かっていく人類全ての人々を哀れんでおられます。神の正義の怒りが十字架でキリストの上に下ったのです。神はキリストの十字架によって私たちの罪を赦し、すべての悪からきよめてくださいます。神は無条件で私たちをキリストの光の中に招いておられます。それは、私たちの努力や功績は全く関係ないのです。必要なことはただ、その赦しと祝福を、ただ心で信じて受けとればよいのです。神との関係、自分との関係、そして、人との関係の回復が与えられます。罪が赦されているので、闇の力から解放されて光の中を歩むことができます。あなたの債務証書は無効にされました。すべての罪が赦されているのです。ただ、その罪の赦しを受け取ればよいのです。イエス様はあなたを光の中に招いておられます。闇から光に移してくださいます。そのことを信じて、その招きに応えていただきたいと思います。神の約束は、今から後、決してしぼむことのない希望である永遠のいのちです。