私たちは神の家

2026年6月7日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
かたくなで不信仰な人間社会:

聖書には、私たちが信仰の確信を持ち続けること、終わりまで信仰にとどまること、を勧めています。行いに励みなさい、あるいは功績を積みなさいとは書いていません。私たちは、ぶどうの木の枝にように、幹であるイエス様にとどまり続けなさいと勧めているのです。神を信じること、神に信頼しているだけでいいのです。もともと、人間は神の命につながり、罪のない聖よい存在として神との完全な信頼関係の中で生きていました。しかし、人は、自分には神は必要ないと言って、神から遠く離れてしまいました。そして、神とのいのちの関係が失われてしまいました。自らを神の上に置いて「神に頼るなんて、弱い人間のすることだ。」「神に頼るのではなくて、自分の力で生きていくのが人間らしい生き方である」と自分に言い聞かせているのです。そこに「かたくなさ」があります。人間はその「かたくなさ」によって、神の言葉を受け入れることができません。神から聞こうとしないのです。そして人は、神から離れて命を失い自らの罪のために永遠の安息を得ることができない。

私たちを召し、聖めてくださるキリスト:

そのような「かたくなさ」にもかかわらず、神は私たち人間を救うためにイエス様を与えてくださいました。神はそのひとり子であるイエス・キリストが十字架で苦しんでその命を失うことも良しとされました。さらに、そのような私たちを神は、呼び出してくださったのです。私たちを通して聖なる神の教会を建てあげ、キリストを長子として神の家族としてくださるのです。私たちを天の教会の一員として永遠の安息、永遠のいのちに生かしてくださるのです。さらにイエス・キリストは死んで墓に葬られ3日目に復活しました。そのように、神は一方的にあなたを罪から救い、復活のいのちに生かしてくださいます。そして、神はあなたを祝福しようと近付いてくださっています。あなたは現在の困難苦難のために先が見えないと思っているかもしれません。しかし、その先に決してしぼむことのない希望を備えておられます。ご安心ください。み言葉は約束しています。あなたに新しい心、新しい志を与えてくださいます。それは近い未来かもしれません。あるいは、ずっと先のことかもしれません。しかし、「あの時の苦しみは、今の幸せを考えれば取るに足りないことだった」と思えるときが必ずきます。

<聖書>へブル人への手紙3章1~14節
【新改訳2017】
3:1 ですから、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち。私たちが告白する、使徒であり大祭司であるイエスのことを考えなさい。
3:2 モーセが神の家全体の中で忠実であったのと同様に、イエスはご自分を立てた方に対して忠実でした。
3:3 家よりも、家を建てる人が大いなる栄誉を持つのと同じように、イエスはモーセよりも大いなる栄光を受けるにふさわしいとされました。
3:4 家はそれぞれだれかが建てるのですが、すべてのものを造られたのは神です。
3:5 モーセは、後に語られることを証しするために、神の家全体の中でしもべとして忠実でした。
3:6 しかしキリストは、御子として神の家を治めることに忠実でした。そして、私たちが神の家です。もし確信と、希望による誇りを持ち続けさえすれば、そうなのです。
3:7 ですから、聖霊が言われるとおりです。「今日、もし御声を聞くなら、
3:8 あなたがたの心を頑なにしてはならない。荒野での試みの日に神に逆らったときのように。
3:9 あなたがたの先祖はそこでわたしを試み、わたしを試し、四十年の間、わたしのわざを見た。
3:10 だから、わたしはその世代に憤って言った。 『彼らは常に心が迷っている。彼らはわたしの道を知らない。』
3:11 わたしは怒りをもって誓った。『彼らは決して、わたしの安息に入れない。』」
3:12 兄弟たち。あなたがたのうちに、不信仰な悪い心になって、生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。
3:13 「今日」と言われている間、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされて頑なにならないようにしなさい。
3:14 私たちはキリストにあずかる者となっているのです。もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、です。

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