キリストに希望を置く人生

2026年9月27日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>テトスへの手紙2章11~15節
【新改訳2017】
2:11 実に、すべての人に救いをもたらす神の恵みが現れたのです。
2:12 その恵みは、私たちが不敬虔とこの世の欲を捨て、今の世にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活し、
2:13 祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるイエス・キリストの、栄光ある現れを待ち望むように教えています。
2:14 キリストは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心な選びの民をご自分のものとしてきよめるため、私たちのためにご自分を献げられたのです。
2:15 あなたは、これらのことを十分な権威をもって語り、勧め、戒めなさい。だれにも軽んじられてはいけません。

<要約>
不敬虔とこの世の欲:

イエス様にお会いする前までの私たちの人生は、不敬虔とこの世の欲と生まれながら持つ罪の力に縛られていました。この世は不敬虔であると言えます。神を敬わず、神を認めない社会です。世は、神なんかいない、あるいは神なんか信頼するに足りないというメッセージを一人一人に送っています。そして、サタンがこの世の君として、君臨しています。世の支配者です。それが、人間社会を悪い方へ引っ張っています。また、「不敬虔とこの世と欲」の欲は、私たちすべての人が持っている罪の性質です。それは、ねたみ、不満、憤り、怒り、そしり、など、私たち人間の内側には悪い思いです。そのため、私たちは平和を求め、いたわりや愛を求めていますが、反対に、怒りには怒り、復讐には復習と悪の連鎖に陥ってしまいます。そのような不敬虔とこの世の欲を捨てるということはどういうことでしょうか。第一に、この世の価値観に捕らわれてはいけないということです。また、第二に、この世と調子を合わせてはいけないということです。今の世にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活するためには、どうすればよいのでしょうか。それは、キリストの再臨を待ち望むことです。*Ⅰヨハネ2:16 ロマ12:2

再臨のキリストを待ち望む:

私たちが再臨を待ち望む理由はどこにあるのでしょうか。信者はキリストにより、不法から贖いだされています。つまり、罪から贖いだされている、と言うこと。もう少し詳しく言うと、キリストの十字架により罪の代価が支払われたということです。罪の刑罰はキリストが代わって受けて下さったので、無罪とされたことです。さらに罪の束縛から解放され自由になったということです。このように、キリストはご自身を私たちのために捧げられたのです。そして、私たちは神に選ばれて、良いわざに熱心なものとされました。再臨を待ち望むことは、祝福に満ちた希望です。それは、私たちが現在、困難や苦難の中にいて希望が見えないようでもやがて、この生涯の終わりには、祝福に満ちた希望があるということです。人生の最後のときは、すべてのマイナスはプラスに変えられるということです。やがて、信じて贖われた者たちは約束された御国に入り、永遠のいのちを神と共に送るのです。それは、決してしぼまない希望と言えます。キリストを待ち望む人生は、祝福に満ちた希望の人生です。*ロマ8:18  Ⅱテモテ4:7.8

キリストによる創造と和解

2026年9月20日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>コロサイ人への手紙1章13~23節
【新改訳2017】
1:13 御父は、私たちを暗闇の力から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。
1:14 この御子にあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。
1:15 御子は、見えない神のかたちであり、すべての造られたものより先に生まれた方です。
1:16 なぜなら、天と地にあるすべてのものは、見えるものも見えないものも、王座であれ主権であれ、支配であれ権威であれ、御子にあって造られたからです。万物は御子によって造られ、御子のために造られました。
1:17 御子は万物に先立って存在し、万物は御子にあって成り立っています。
1:18 また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられました。
1:19 なぜなら神は、ご自分の満ち満ちたものをすべて御子のうちに宿らせ、
1:20 その十字架の血によって平和をもたらし、御子によって、御子のために万物を和解させること、すなわち、地にあるものも天にあるものも、御子によって和解させることを良しとしてくださったからです。
1:21 あなたがたも、かつては神から離れ、敵意を抱き、悪い行いの中にありましたが、
1:22 今は、神が御子の肉のからだにおいて、その死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。あなたがたを聖なる者、傷のない者、責められるところのない者として御前に立たせるためです。
1:23 ただし、あなたがたは信仰に土台を据え、堅く立ち、聞いている福音の望みから外れることなく、信仰にとどまらなければなりません。この福音は、天の下のすべての造られたものに宣べ伝えられており、私パウロはそれに仕える者となりました。

<要約>
暗闇の力から御子の支配への移動:

私たちはイエス・キリストを信じて、罪と死と悪魔から救われました。それは、神の一方的な御業で、私たちの功績や努力ではありません。そして、この救いとは悪魔の支配からキリストの支配への移動です。イエス様を信じておらず、いまだに悪魔の支配下にある人々は滅びへの道を歩んでいると言えます。しかし、イエス・キリストの十字架の死は、自分の罪のためであった、罪を贖うためであった、悔い改めてイエスを信じる者は罪赦されて、御子キリストのご支配に移されます。そして、キリストが復活したように復活のいのちをいただくのです。罪は赦しに、罪の呪いは祝福に、死は永遠のいのちに、変えられたのです。

和解と赦しの福音:

十字架は平和と和解の象徴です。二者の間に和解と平和をもたらすものは何でしょうか。それは、赦しと言えます。十字架は私たちすべての人の罪を赦すために罪のない神の子が身代わりとなって罪の罰を受けてくださったことによります。私たち人間はキリストの十字架によって、神と和解を得ています。つまり、罪に定められて裁かれることなく永遠のいのちを持つのです。すべての罪を赦していただき永遠のいのちを自分のものとするためにはどうしたらよいのでしょうか。それは、信仰によっていただくことができます。悔い改めてイエス・キリストがあなたのためになしてくださった十字架の贖いを信じて洗礼を受けることです。神は天国への道、救いの道を無条件で用意してくださいました。何の行いも条件ではありません。救いを受け取るか受け取らないかは、あなたにかかっています。神は、信仰によって受け止めることを求めておられます。キリストを信じる者は、神との和解を得て、もはや罪に責められることはありません。キリストのうち傷によって癒されています。さらに、御前で聖なる者として立たせてくださるのです。今は和解の時です。イエス様を信じて神との和解を受けてください。

キリストの王国は永遠

2026年9月6日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
神への恐れと愛:

ダビデは、神の箱を良かれと考えて、車に乗せ牛にひかせて運びました。しかし、それは神の定めて方法ではなかったのです。その不敬の罪により、ウザが死にました。ダビデは非常に神を恐れました。そして、今度は律法に定められた方法でレビ人が棒で担いでエルサレムに運びました。しかし、神の箱はテントの中に収められていました。ダビデは、自分は立派な王宮に住んでいるのに神の臨在はテントに納められている。ダビデは、神のために立派な神殿を建て喜んでいただきたいという思うようになりました。神への恐れと同時に神への愛を抱いていたのです。私たちも神を恐れなければなりません。神を侮ってはいけません。神の律法を守らなければなりません。十戒の一点一画も崩れることはないのです。行いの罪ばかりでなく、言葉と思いの罪も含まれます。人に対するねたみや悪意、貪欲やむさぼりの罪は大きのです。どんなに小さく見える罪に対しても、神は必ずさばきます。ですから、私たちは神を恐れ、罪から離れなければなりません。心を見張らなければなりません。悪い欲望が浮かんだときは、思いを変える、悔い改めて、神を見上げます。そして、イエス様の十字架と復活に表わされて、完全な罪の赦しをいただくのです。イエス様の赦しは完全で、神の恵みです。私たちを全き白きものとみなしてくださっています。赦された者として、今度は、ダビデのように神を愛します。神を愛しているなら、神の喜ばれることをします。神から託された使命に最善を尽くします。赦されているので、失敗を恐れずに前向きに人生を歩んでいくのです。

神の恵みは取り去られることはない:

聖書にある神の約束は、遠い昔の話ではありません。神の約束は変わりません。そして、必ず成就します。ダビデの時代から三千年が経ちましたが、ダビデへの約束は見事に成就しています。イエス・キリストは主の主、王の王です。天の御国の王です。私たちキリスト信者はキリストによって打ち立てられた王国の国民です。そしてその王国はとこしえの王国として、全世界に及んでいます。キリストの王国の民は、キリスト信者として全世界に及んでいます。神の恵み、それは、神の一方的に降り注がれる神の愛です。何も悪いことがない無実の神が、私たち全人類の罪を背負って十字架で身代わりとなって裁きを受けて下しました。それは想像も絶する苦難に続く死です。それは一方的な愛です。イエス様の方で私たちに近づいてくださり、ご自身のいのちを差し出してくださったのです。そして、すべての罪を赦してくださいました。私たちは、ただそれを空の手で受け取るだけでよいのです。罪が赦されると、罪の結果である呪いと死は、祝福と永遠のいのちに代わります。そればかりでなく、イエス様は3日目に復活しました。つまり、私たちも復活のいのちを与えられて、神の国に招かれているのです。この預言にあるように、ソロモンの時代になって、ソロモンは彼のところに来た多くの外国のお后を通して、偶像礼拝の罪に陥りました。その罪を悔い改めることがありませんでした。そのため、ソロモンの次の王レハベアムの時代に王国は北と南に分裂しました。その後、イスラエルは、周辺諸国の国々から懲らしめを受け続けることになりました。しかし、神はダビデに与えた約束を決して反故になさいませんでした。イエス・キリストによって、成就したのです。さらに、約束によると世の終わりに、イスラエル民族は、最後に悔い改めて救われるのです。私たちも、様々な失敗あるいは罪も犯します。しかし、神は、わたしたちへの恵みを取り去ることはないのです。

<聖書>サムエル記第二7章4~17節
【新改訳2017】
7:4 その夜のことである。次のような【主】のことばがナタンにあった。
7:5 「行って、わたしのしもべダビデに言え。『【主】はこう言われる。あなたがわたしのために、わたしの住む家を建てようというのか。
7:6 わたしは、エジプトからイスラエルの子らを連れ上った日から今日まで、家に住んだことはなく、天幕、幕屋にいて、歩んできたのだ。
7:7 わたしがイスラエルの子らのすべてと歩んだところどこででも、わたしが、わたしの民イスラエルを牧せよと命じたイスラエル部族の一つにでも、「なぜ、あなたがたはわたしのために杉材の家を建てなかったのか」と、一度でも言ったことがあっただろうか。』
7:8 今、わたしのしもべダビデにこう言え。『万軍の【主】はこう言われる。わたしはあなたを、羊の群れを追う牧場から取り、わが民イスラエルの君主とした。
7:9 そして、あなたがどこに行っても、あなたとともにいて、あなたの前であなたのすべての敵を絶ち滅ぼした。わたしは地の大いなる者たちの名に等しい、大いなる名をあなたに与えてきた。
7:10 わが民イスラエルのために、わたしは一つの場所を定め、民を住まわせてきた。それは、民がそこに住み、もはや恐れおののくことのないように、不正な者たちも、初めのころのように、重ねて民を苦しめることのないようにするためであった。
7:11 それは、わたしが、わが民イスラエルの上にさばきつかさを任命して以来のことである。こうして、わたしはあなたにすべての敵からの安息を与えたのである。【主】はあなたに告げる。【主】があなたのために一つの家を造る、と。
7:12 あなたの日数が満ち、あなたが先祖とともに眠りにつくとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。
7:13 彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。
7:14 わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。彼が不義を行ったときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。
7:15 しかしわたしの恵みは、わたしが、あなたの前から取り除いたサウルからそれを取り去ったように、彼から取り去られることはない。
7:16 あなたの家とあなたの王国は、あなたの前にとこしえまでも確かなものとなり、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。』」
7:17 ナタンはこれらすべてのことばを、この幻のすべてを、そのままダビデに告げた。