ソロモンの願いと神の応答

2021年1月24日(日)礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>Ⅰ列王記3章1~14節
3:1 ソロモンはエジプトの王ファラオと姻戚の関係を結んだ。彼はファラオの娘をめとり、ダビデの町に連れて来て、自分の家と【主】の家、およびエルサレムの周りの城壁を築き終えるまで、そこにとどまらせた。
3:2 当時はまだ、【主】の御名のために家が建てられていなかったので、民はただ、高き所でいけにえを献げていた。
3:3 ソロモンは【主】を愛し、父ダビデの掟に歩んでいた。ただし、彼は高き所でいけにえを献げ、香をたいていた。
3:4 王はいけにえを献げようとギブオンへ行った。そこが最も重要な高き所だったからである。ソロモンはそこの祭壇の上で千匹の全焼のささげ物を献げた。
3:5 ギブオンで【主】は夜の夢のうちにソロモンに現れた。神は仰せられた。「あなたに何を与えようか。願え。」
3:6 ソロモンは言った。「あなたは、あなたのしもべ、私の父ダビデに大いなる恵みを施されました。父があなたに対し真実と正義と真心をもって、あなたの御前に歩んだからです。あなたはこの大いなる恵みを父のために保ち、今日のように、その王座に着いている子を彼にお与えになりました。
3:7 わが神、【主】よ。今あなたは私の父ダビデに代わって、このしもべを王とされました。しかし私は小さな子どもで、出入りする術を知りません。
3:8 そのうえ、しもべは、あなたが選んだあなたの民の中にいます。あまりにも多くて、数えることも調べることもできないほど大勢の民です。
3:9 善悪を判断してあなたの民をさばくために、聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、この大勢のあなたの民をさばくことができるでしょうか。」
3:10 これは主のみこころにかなった。ソロモンがこのことを願ったからである。
3:11 神は彼に仰せられた。「あなたがこのことを願い、自分のために長寿を願わず、自分のために富を願わず、あなたの敵のいのちさえ願わず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を願ったので、
3:12 見よ、わたしはあなたが言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに、知恵と判断の心を与える。あなたより前に、あなたのような者はなく、あなたの後に、あなたのような者は起こらない。
3:13 そのうえ、あなたが願わなかったもの、富と誉れもあなたに与える。あなたが生きているかぎり、王たちの中であなたに並ぶ者は一人もいない。
3:14 また、あなたの父ダビデが歩んだように、あなたもわたしの掟と命令を守ってわたしの道に歩むなら、あなたの日々を長くしよう。」

<要約>
神を動かす祈りと願い:

神は、ソロモンに「あなたに何を与えようか。願え。」と言われました。神はソロモンの神への愛と献身に動かされたのです。神を動かす祈りと願いは何でしょうか。ソロモンの願いは富や敵の首ではなく、人民を正しく導くことでした。ソロモンは王として人民を治め、正しくさばくことが王の使命であると自覚していました。その使命を果たしていけるように願い祈ったのです。イエス様は、人にとって最も大切な戒めを何かを教えてくださいました。『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい』、また『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』と。私たちはそれぞれ違った賜物が与えられ、使命が与えられています。その使命が向かう先は、神を愛することと、隣人を愛することです。それが、神の十戒を包括する教えです。ソロモンの祈りと願いは、御心に適うものでした。そして、それは、神を動かすものでした。私たちの祈りと願いもそのようでありたいと思います。

願った以上の神の応答:

神は、神を愛する者の願いを聞き上げ、それ以上の祝福で満たしてくださるのです。神は、王たちの中でソロモンに並ぶものはないと言われるくらい彼を高く引き上げました。神は、私たちがみ心にかなう祈りをするときに、願った以上のことをしてくださることを知っています。クリスチャンはイエス・キリストを信じ、罪赦され、神の子とされ、御国の世継ぎとされた者たちです。神は世継ぎとされたソロモンに対してと同じように、クリスチャンに声をかけてくださっています。「何をしてあげよう。願え」と。私たちは日々、神に願い求めていますか?神はソロモンが願った民を正しく裁くため、知恵、理解力、判断力をお与えになりました。さらにそればかりでなく、それに添えて、富も力も戦力も与えてくださいました。それがクリスチャンの祈りと願いに対する神の応答です。

敗北が勝利に変わる人生

2021年1月17日(日)ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>士師記16章15~31節
16:15 彼女はサムソンに言った。「あなたの心が私にはないのに、どうして『おまえを愛している』と言えるのでしょう。あなたはこれで三回も私をだまして、あなたの強い力がどこにあるのか教えてくださいませんでした。」
16:16 こうして、毎日彼女が同じことばでしきりにせがみ、責め立てたので、彼は死ぬほど辛かった。
16:17 ついにサムソンは、自分の心をすべて彼女に明かして言った。「私の頭には、かみそりが当てられたことがない。私は母の胎にいるときから神に献げられたナジル人だからだ。もし私の髪の毛が剃り落とされたら、私の力は私から去り、私は弱くなって普通の人のようになるだろう。」
16:18 デリラは、サムソンが自分の心をすべて明かしたことが分かったので、こう言って、人を遣わし、ペリシテ人の領主たちを呼び寄せた。「今度こそ上って来てください。サムソンは心をすべて私に明かしました。」ペリシテ人の領主たちは、彼女のところに上って来たとき、その手に銀を持って来た。
16:19 彼女は膝の上でサムソンを眠らせ、人を呼んで彼の髪の毛七房を剃り落とさせた。彼女は彼を苦しめ始め、彼の力は彼を離れた。
16:20 彼女が「サムソン、ペリシテ人があなたを襲って来ます」と言ったとき、彼は眠りから覚めて、「今度も前のように出て行って、からだをひとゆすりしてやろう」と言った。彼は、【主】が自分から離れられたことを知らなかった。
16:21 ペリシテ人は彼を捕らえ、その両目をえぐり出した。そして彼をガザに引き立てて行って、青銅の足かせを掛けてつないだ。こうしてサムソンは牢の中で臼をひいていた。
16:22 しかし、サムソンの髪の毛は、剃り落とされてからまた伸び始めた。
16:23 さて、ペリシテ人の領主たちは、自分たちの神ダゴンに盛大ないけにえを献げて楽しもうと集まり、そして言った。「われわれの神は、敵サムソンをわれわれの手に渡してくださった。」
16:24 民はサムソンを見たとき、自分たちの神をほめたたえて言った。「われわれの神は、われわれの敵を、われわれの手に渡してくださった。この国を荒らして、われわれ大勢を殺した者を。」
16:25 彼らは上機嫌になったとき、「サムソンを呼んで来い。見せ物にしよう」と言って、サムソンを牢から呼び出した。彼は彼らの前で笑いものになった。彼らがサムソンを柱の間に立たせたとき、
16:26 サムソンは自分の手を固く握っている若者に言った。「私の手を放して、この神殿を支えている柱にさわらせ、それに寄りかからせてくれ。」
16:27 神殿は男や女でいっぱいであった。ペリシテ人の領主たちもみなそこにいた。屋上にも約三千人の男女がいて、見せ物にされたサムソンを見ていた。
16:28 サムソンは【主】を呼び求めて言った。「【神】、主よ、どうか私を心に留めてください。ああ神よ、どうか、もう一度だけ私を強めてください。私の二つの目のために、一度にペリシテ人に復讐したいのです。」
16:29 サムソンは、神殿を支えている二本の中柱を探り当て、一本に右手を、もう一本に左手を当てて、それで自らを支えた。
16:30 サムソンは、「ペリシテ人と一緒に死のう」と言って、力を込めてそれを押し広げた。すると神殿は、その中にいた領主たちとすべての民の上に落ちた。こうして、サムソンが死ぬときに殺した者は、彼が生きている間に殺した者よりも多かった。
16:31 彼の身内の者や父の家の者たちがみな下って来て、彼を引き取り、ツォルアとエシュタオルの間にある父マノアの墓に運び上げて葬った。サムソンは二十年間イスラエルをさばいた。

<要約>
欲望のままに生きる悲惨な人生

サムソンは本来、選ばれた者の道をまっすぐに歩めば、いのちの祝福をもたらす太陽となれたのです。ところが、ナジル人の請願を無視して、サムソンは異国人の女に心惹かれて、不品行、好色に走りました。最後には、デリラという女性に騙されて、自分の力の秘密を漏らすのです。クリスチャンが主のために自分の才能、賜物を用いないで、自分の欲望のために用いて、サタンの誘惑に負けてそれらを失うのなら、大変残念なことです。サムソンからは反面教師的な学びができるでしょう。「サムソンは眠りからさめて、今度も前のように出て行って、からだをひとゆすりしてやろう、と言った。彼は主が自分から去られたことを知らなかった。」この節は、ティンデル聖書注解書には「これ以上に悲しい節は、旧約聖書に存在しないだろう」と書いていました。そして、力を失ったサムソンは難なく、ペリシテ人の手に落ちたのです。

信仰者には信仰による勝利がある

サムソンは最後に悔い改めて、神に祈ります。彼は神殿を支えている二本の柱によりかかり最後の力を振り絞って両手で柱を引き倒したのです。宮の二階にいた領主たちや集まっていた民全体と書いてあるように大勢のペリシテ人がそれにより死んだのです。これは、サムソンが生きている間に殺したものより多かった、と記載されています。そして、イスラエルをペリシテ人から救ったのです。サムソンは欲望に振り回された敗北の人生でした。悲惨な最期とも言えます。しかし、サムソンは、最後のところで悔い改めその信仰により救われました。私たちの人生においても、状況は困難を極め、敗北と思われることも多々あるかもしれません。でも、私たちは思いを変える必要があります。すなわち悔い改めです。自分の内側を見つめるのではなく神を仰ぐのです。あなたが、十字架を仰ぐなら、キリストにより、神はあなたのどんな過去の罪も拭い去り、まったく新しくしてくださいます。そして、サムソンと同じように、天では信仰者の一人として数え上げられるのです。

いつも喜んでいるために

2021年1月3日(日)ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>ピリピ人への手紙4章1~7節
4:1 ですから、私の愛し慕う兄弟たち、私の喜び、冠よ。このように主にあって堅く立ってください。愛する者たち。
4:2 ユウオディアに勧め、シンティケに勧めます。あなたがたは、主にあって同じ思いになってください。
4:3 そうです、真の協力者よ、あなたにもお願いします。彼女たちを助けてあげてください。この人たちは、いのちの書に名が記されているクレメンスやそのほかの私の同労者たちとともに、福音のために私と一緒に戦ったのです。
4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。
4:5 あなたがたの寛容な心が、すべての人に知られるようにしなさい。主は近いのです。
4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
4:7 そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

<要約>

喜びを奪うものへの対処法:

教会も罪赦された罪人の集まりですので、仲たがいが起こります。愛し合いなさい。赦しあいなさい。和解しなさい。そして、一致しなさい。あなた方は、いのちの書に名前が記されているからです、と言われても、不一致を解くのは簡単な事ではありません。パウロは、教会の知恵を駆使して、真の一致を得るよう努力することを進めています。心にわだかまりが生じたときは、なるべく早く、話し合うことが必要です。お互いの誤解を解くことです。どちらも一方的であっては良くありません。また、お互いに話し合うことにも抵抗があるようであれば、第3者を立てて、双方の意見交換をする必要があります。不一致という喜べない問題を解決して、心は喜ぶのです。いのちの書に名が記されていることを心から喜ぶのです。

喜びを取り戻す祈り:

多くの日本人は悩みがあると神仏、偶像に祈ります。真の神を知らないので、みんなが神として拝んでいるものに祈ります。しかし、私たち信者は誰に祈ったらいいか、ちゃんと知っています。それは、天地万物を造られた全能の神です。神に不可能なことはありません。そして、神は愛の神です。御子イエスをくださったほどに世を愛された、というように、私たち一人ひとりをかけがえのない者として愛し、また心配しておられます。ですから、私たちは真の神に祈るのです。感謝できない状況の中にあっても、感謝できることを探します。そして、神に感謝します。そして、あなたの願い事を神に知っていただく、心にある思い煩いをすべて神に申し上げるのです。そこからは、神がしてくださることです。神はあなたに平安を与えてくださいます。それは、全て人の思いを超えた、理解を超えた神の平安です。

勝利の秘訣

2020年12月27日(日)礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>士師記6章1~14節
6:1 イスラエルの子らは、【主】の目に悪であることを行った。そこで、【主】は七年の間、彼らをミディアン人の手に渡された。
6:2 ミディアン人の勢力がイスラエルに対して強くなったので、イスラエル人はミディアン人を避けて、山々にある洞窟や洞穴や要害を自分たちのものとした。
6:3 イスラエルが種を蒔くと、いつもミディアン人、アマレク人、そして東方の人々が上って来て、彼らを襲った。
6:4 彼らはイスラエル人に向かって陣を敷き、その地の産物をガザに至るまで荒らして、いのちをつなぐ糧も、羊も牛もろばもイスラエルに残さなかった。
6:5 実に、彼らは自分たちの家畜と天幕を持って上り、いなごの大群のように押しかけて来た。彼らとそのらくだは数えきれないほどであった。彼らは国を荒らそうと入って来たのであった。
6:6 こうして、イスラエルはミディアン人の前で非常に弱くなった。すると、イスラエルの子らは【主】に叫び求めた。
6:7 イスラエルの子らがミディアン人のゆえに【主】に叫び求めたとき、
6:8 【主】は一人の預言者をイスラエルの子らに遣わされた。預言者は彼らに言った。「イスラエルの神、【主】はこう言われる。わたしはあなたがたをエジプトから上らせ、奴隷の家から導き出し、
6:9 エジプト人の手と、圧迫するすべての者の手から助け出し、あなたがたの前から彼らを追い出して、その地をあなたがたに与えた。
6:10 わたしはあなたがたに言った。『わたしが【主】、あなたがたの神である。あなたがたが住んでいる地のアモリ人の神々を恐れてはならない』と。ところが、あなたがたはわたしの声に聞き従わなかった。」
6:11 さて【主】の使いが来て、アビエゼル人ヨアシュに属するオフラにある樫の木の下に座った。このとき、ヨアシュの子ギデオンは、ぶどうの踏み場で小麦を打っていた。ミディアン人から隠れるためであった。
6:12 【主】の使いが彼に現れて言った。「力ある勇士よ、【主】があなたとともにおられる。」
6:13 ギデオンは御使いに言った。「ああ、主よ。もし【主】が私たちとともにおられるなら、なぜこれらすべてのことが、私たちに起こったのですか。『【主】は私たちをエジプトから上らせたではないか』と言って、先祖が伝えたあの驚くべきみわざはみな、どこにあるのですか。今、【主】は私たちを捨てて、ミディアン人の手に渡されたのです。」
6:14 すると、【主】は彼の方を向いて言われた。「行け、あなたのその力で。あなたはイスラエルをミディアン人の手から救うのだ。わたしがあなたを遣わすのではないか。」

<要約>

神から離れ敗北する人間(敗北のサイクル)

イスラエルの民は世に妥協したために、彼らは敗北のサイクルに入っていきました。それは、現代の私たちに当てはめると、神にすべてをあけ渡すことなく、この世の流れに流されている人の姿を表しています。この世と妥協して、この世の生活に合わせるならばその人は敗北します。パウロは「あなた方は、この世と調子を合わせてはいけません」と言いました。むしろ神は、「彼らの中から出て行って、彼らと分離せよ」と言っておられます。イスラエルの民のように敗北のサイクルに入ってはいけません。敗北のサイクルは、神のみことばを無視すること、そして、神に信頼を置かないことから始まるのです。それは罪であり行き着くところは死であり滅びです。

神は叫び求める者を世に遣わす(勝利のサイクル)

主の臨在と栄光を仰ぐ時、救い主、解放者であるイエス・キリストは私たちと共にいてくださいます。キリストは私たちの罪をご自身に負われて十字架の上で死んで罪を取り除いてくださいました。キリストは私たちを罪の呪いから救い解放してくださったのです。私たちはキリストにより勝利のサイクルに入れられるのです。勝利は私たちが得るのではなく、すでにキリストが世と悪魔と死に勝利されていますので、私たちはただその勝利にあやかるだけです。私たちに必要なのは信仰です。勝利の結果、嘆きは賛美と感謝と献身の思いに変えられるのです。勝利のサイクルにとどまる秘訣は、旧約の神の民のようにリーダーを見失うのではなく、私たちのリーダーであり贖い主であるキリストから目を離さないことです。キリストを信じ続けることです。

救い主への期待

2020年12月20日(日)礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>ルカによる福音書2章22~38
2:22 そして、モーセの律法による彼らのきよめの期間が満ちたとき、両親は幼子をエルサレムに連れて行った。
2:23 それは、主の律法に「最初に胎を開く男子はみな、主のために聖別された者と呼ばれる」と書いてあるとおり、幼子を主に献げるためであった。
2:24 また、主の律法に「山鳩一つがい、あるいは家鳩のひな二羽」と言われていることにしたがって、いけにえを献げるためであった。
2:25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルが慰められるのを待ち望んでいた。また、聖霊が彼の上におられた。
2:26 そして、主のキリストを見るまでは決して死を見ることはないと、聖霊によって告げられていた。
2:27 シメオンが御霊に導かれて宮に入ると、律法の慣習を守るために、両親が幼子イエスを連れて入って来た。
2:28 シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。
2:29 「主よ。今こそあなたは、おことばどおり、しもべを安らかに去らせてくださいます。
2:30 私の目があなたの御救いを見たからです。
2:31 あなたが万民の前に備えられた救いを。
2:32 異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの栄光を。」
2:33 父と母は、幼子について語られる様々なことに驚いた。
2:34 シメオンは両親を祝福し、母マリアに言った。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れたり立ち上がったりするために定められ、また、人々の反対にあうしるしとして定められています。
2:35 あなた自身の心さえも、剣が刺し貫くことになります。それは多くの人の心のうちの思いが、あらわになるためです。」
2:36 また、アシェル族のペヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。この人は非常に年をとっていた。処女の時代の後、七年間夫とともに暮らしたが、
2:37 やもめとなり、八十四歳になっていた。彼女は宮を離れず、断食と祈りをもって、夜も昼も神に仕えていた。
2:38 ちょうどそのとき彼女も近寄って来て、神に感謝をささげ、エルサレムの贖いを待ち望んでいたすべての人に、この幼子のことを語った。

<要約>

平安な死を得るために

三浦綾子さんが人間には最後に「死ぬ」という仕事があると、言われたのを思い出します。自分の地上での生涯を総括し、心はばかることなく神のもとに帰ることが出来れば、平安であり祝福でしょう。でも人は最後に、心に残しているものがあり、平安が無いことがあります。それは、罪の責めであったり、人に伝えておかなければならないことであったりします。そして、聖書によると、人は天国に行くには、罪が赦されていることが必要と成ります。罪赦され永遠の御国に入る恵は、キリストから与えられるのです。この後シメオンは、御救いを見たことから、すべての重荷や罪は取り除かれ、平安のうちに約束された永遠の御国の民に加えられたことでしょう。私たちも、イエス様を信じて、救いを自分のものと確信しましょう。やがて来る肉体の死は、永遠のいのちへの門です。そのことを信じて平安を得ましょう。

キリストへの応答で永遠が決まる

イエス様の生涯を見ると、神はどういうお方かを知ることができます。また、シメオンが慰めを得たように、イエス様は、待ち望む者に慰めと平安をくださいます。イエス様は光となって多くの人々の心の中を照らし、隠された思いをあらわにします。人々はイエス様に対する態度によって自らの立場を表明することになります。私たちには究極的には中立の立場ではありえないのです。人々は、キリストのみ苦しみを見て、どのように応答するかによって、どちらの側に立っているかが明らかになるのです。クリスマスはイエス様との出会いです。神は あなたに応答を求めておられます。イエス様を通してあなたは神に近づくか、遠ざかるか。神を信じ、イエス様にある永遠のいただくのか、そのまま通り過ぎて自らの罪のために滅びに向かうのか。神はあなたに、重大な応答を求めておられるのです。

神が人となって世に来られた

2020年12月13日礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>ヨハネによる福音書1章1~18節、20章31節

1:1 初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
1:2 この方は、初めに神とともにおられた。
1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。
1:4 この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。
1:5 光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。
1:6 神から遣わされた一人の人が現れた。その名はヨハネであった。
1:7 この人は証しのために来た。光について証しするためであり、彼によってすべての人が信じるためであった。
1:8 彼は光ではなかった。ただ光について証しするために来たのである。
1:9 すべての人を照らすそのまことの光が、世に来ようとしていた。
1:10 この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。
1:11 この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。
1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。
1:13 この人々は、血によってではなく、肉の望むところでも人の意志によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。
1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
1:15 ヨハネはこの方について証しして、こう叫んだ。「『私の後に来られる方は、私にまさる方です。私より先におられたからです』と私が言ったのは、この方のことです。」
1:16 私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けた。
1:17 律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。
1:18 いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。

20:31 これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。

<説教メモ>
光のキリストが与える永遠のいのち

あなたが、光であるキリストを心の目で見ることができないのは、あなたの霊の目が罪で曇っているからです。罪というと、犯罪をイメージするかもしれませんが、聖書のいう罪は、思いの罪です。言葉や行動に表れる前に心に浮かぶ罪です。その最大の罪は、神を知らない、神を認めない、神よりも自分の考えを優先するという心の罪です。霊の目が曇っているので神を見ることができません。低くなって、悔い改め、すなわち、罪を離れ、思いを変えて、天を見上げて、神を呼び求めることです。必ず神はあなたにこたえてくださいます。真理といのちの源であるキリストを、是非、心の目ではっきり見ることができるようにお祈りします。神の子キリストを信じ、滅びから救われ永遠の命を得ていただきたいと思います。

キリストが与える恵とまこと

キリストはあなたの罪のために十字架で死んで、あなたの命のために復活したのです。恵みとまことはイエスキリストによって実現したと書いています。恵とは、受けるに値しない者に注がれる神の愛です。まことは神の与える真実です。神の真実は不動の真実、揺らぐことのない真実、相手によって影響されることはない一方的な真実と言えます。キリストの恵とまことは、キリストがあなたのためにご自身の命を捨てることをよしとしたその愛。そして不動の真実。それはあなたに対し揺らぐことない誠実を尽くすことを意味します。ですから、恵とまことの主に、素直に自分を明け渡して、あなたの心とを開いて、外で叩いておられる主を受け入れてください。神の約束は必ずあなたのうちに成就します。 あなたは、神の子となり、豊かな神の祝福に満ちた人生を歩むことになります。

聖霊により処女マリヤから生まれた主

2020年12月6日主日礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>イザヤ書7章1~16節、マタイの福音書1章18~20節

7:1 ウジヤの子のヨタムの子、ユダの王アハズの時代、アラムの王レツィンと、イスラエルの王レマルヤの子ペカが、戦いのためにエルサレムに上って来たが、これを攻めきれなかった時のことである。
7:2 ダビデの家に「アラムがエフライムと組んだ」という知らせがもたらされた。王の心も民の心も、林の木々が風に揺らぐように揺らいだ。
7:3 そのとき、【主】はイザヤに言われた。「あなたと、あなたの子シェアル・ヤシュブは、上の池の水道の端、布さらしの野への大路に出向いて行ってアハズに会い、
7:4 彼に言え。『気を確かに持ち、落ち着いていなさい。恐れてはならない。あなたは、これら二つの煙る木切れの燃えさし、アラムのレツィンとレマルヤの子の燃える怒りに、心を弱らせてはならない。
7:5 アラムは、エフライムすなわちレマルヤの子とともに、あなたに対して悪事を企てて、
7:6 「われわれはユダに上ってこれを脅かし、これに攻め入ってわがものとし、タベアルの子をその王にしよう」と言っているが、
7:7 【神】である主はこう言われる。それは起こらない。それはあり得ない。
7:8 アラムのかしらはダマスコ、そのダマスコのかしらがレツィンだから。──エフライムは六十五年のうちに、打ちのめされて、一つの民ではなくなる──
7:9 エフライムのかしらはサマリア、そのサマリアのかしらがレマルヤの子だから。あなたがたは、信じなければ堅く立つことはできない。』」
7:10 【主】はさらにアハズに告げられた。
7:11 「あなたの神、【主】に、しるしを求めよ。よみの深みにでも、天の高みにでも。」
7:12 アハズは言った。「私は求めません。【主】を試みません。」
7:13 イザヤは言った。「さあ、聞け、ダビデの家よ。あなたがたは人々を煩わすことで足りず、私の神までも煩わすのか。
7:14 それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。
7:15 この子は、悪を退けて善を選ぶことを知るころまで、凝乳と蜂蜜を食べる。
7:16 それは、その子が悪を退けて善を選ぶことを知る前に、あなたが恐怖を抱いている二人の王の土地が見捨てられるからだ。

1:18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった。
1:19 夫のヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った。
1:20 彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。

<要約>
危機の中で主のみことばと約束を握る

神はあわれみの神です。私たちの罪がいくら大きくても、悔い改めるなら完全に赦し日々新しくしてくださるのです。聖書の言葉は必ず成就します。神の言葉は一つも地に落ちない、とある通りです。 神は一人も滅びることを良しとせず、御子キリストの命に代えて、あなたが、残りの民に加わるように招いておられます。クリスチャンになると試練や苦しみや困難がなくなるということではありません。常にそれらはつきものです。しかし、私たちは静まって神の約束に心を注ぎ、目に見えない、しかし、生きて働かれる神を信じなければなりません。「恐れてはならない」のみことばをしっかり握り、私たちは 堅く立つのです。

危機の中であなたと共におられる主:

アハズ王は、真の神に信頼するより、アッシリア王に信頼を置きました。このように 神が共におられるのにも気付くことがなく、自らの罪を悔い改めることのない王であったようです。私たちもアハズ王を反面教師として、み言葉に親しみ、不信仰を悔い改めて、霊の目で共におられるイエス様をいつも覚えることができますようお祈りします。どんな危機の中にあっても、神の約束は変わりません。そして、堅固です。イエス様を信じるあなたと、主はどこまでも一緒にいてくださるからです。

暗黒の世界に神が人となって来られた

キリストはあなたの苦しみと困難のただ中に来てくださいます。いな、これまでもキリストはあなたのところへ来て下さっていたのです。でも、あなたはそれに気付かなかったのです。あなたのすべての思い煩いをキリストに委ねてみませんか。キリストは喜んであなたの思い煩い、マイナスを受け取ってくださいます。あなたのために十字架で苦しみ、あなたのいのちのために復活してくださった主キリストが、あなたを喜びと感謝で引き上げてくださるのです。これが、クリスマスの祝福です。

ダビデの子孫キリストの王国

2020年11月29日礼拝説教 森田友明 牧師

<聖書>Ⅱサムエル記7:5~17
7:5 「行って、わたしのしもべダビデに言え。『【主】はこう言われる。あなたがわたしのために、わたしの住む家を建てようというのか。
7:6 わたしは、エジプトからイスラエルの子らを連れ上った日から今日まで、家に住んだことはなく、天幕、幕屋にいて、歩んできたのだ。
7:7 わたしがイスラエルの子らのすべてと歩んだところどこででも、わたしが、わたしの民イスラエルを牧せよと命じたイスラエル部族の一つにでも、「なぜ、あなたがたはわたしのために杉材の家を建てなかったのか」と、一度でも言ったことがあっただろうか。』
7:8 今、わたしのしもべダビデにこう言え。『万軍の【主】はこう言われる。わたしはあなたを、羊の群れを追う牧場から取り、わが民イスラエルの君主とした。
7:9 そして、あなたがどこに行っても、あなたとともにいて、あなたの前であなたのすべての敵を絶ち滅ぼした。わたしは地の大いなる者たちの名に等しい、大いなる名をあなたに与えてきた。
7:10 わが民イスラエルのために、わたしは一つの場所を定め、民を住まわせてきた。それは、民がそこに住み、もはや恐れおののくことのないように、不正な者たちも、初めのころのように、重ねて民を苦しめることのないようにするためであった。
7:11 それは、わたしが、わが民イスラエルの上にさばきつかさを任命して以来のことである。こうして、わたしはあなたにすべての敵からの安息を与えたのである。【主】はあなたに告げる。【主】があなたのために一つの家を造る、と。
7:12 あなたの日数が満ち、あなたが先祖とともに眠りにつくとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。
7:13 彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。
7:14 わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。彼が不義を行ったときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。
7:15 しかしわたしの恵みは、わたしが、あなたの前から取り除いたサウルからそれを取り去ったように、彼から取り去られることはない。
7:16 あなたの家とあなたの王国は、あなたの前にとこしえまでも確かなものとなり、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。』」
7:17 ナタンはこれらすべてのことばを、この幻のすべてを、そのままダビデに告げた。

<要約>

神が用意された天国へ行く道:

聖書は、イエス・キリスト通して、罪赦されて永遠のいのちに生きる、と教えています。それが、「わたしは道であり、真理であり、いのちです。私を通してでなければ、だれも父のもとに行くことはできません。」と言われたイエス・キリストです。人が天国へ行くための唯一の道です。それを無視して、神に近づくことはできません。人が天国に行けるかどうかについて、人はジャッジできません。それは、神が決めることです。イエス・キリストこそが、神が用意してくださった天国への道だからです。

みことばにより神のしもべに徹して生きる:

ダビデが、「神のしもべである」ことを確認させられたようにあなたは神との関係を正さなければなりません。人間が神との関係を修正すると主の祝福と恵みが流れていきます。水が高いところから低いところへ流れていくように、神の祝福はへりくだった者へ流れるのです。これは霊的法則です。それゆえ、人間は最初に低くされる必要があります。その時、神の驚くべき恩寵がその人に流れていくのです。神の恵みと祝福の人生を歩みたいと願うなら、神のしもべに徹して生きることです

とこしえまでも続くキリストの王国:

聖書にある神の約束は、遠い昔の話ではありません。神の約束は変わりません。そして、必ず成就します。ダビデの時代から三千年が経ちましたが、ダビデへの約束は見事に成就しています。私たちキリスト信者はキリストによって打ち立てられた王国の国民です。神は、あなたが神との関係を取り戻すように、今日もあなたを招いています。

ダビデの信仰に学ぶ

2020年11月22日
説教者:ハレルヤチャペル滝沢牧師  森田友明

<聖書>Ⅰサムエル26:8~21
26:8 アビシャイはダビデに言った。「神は今日、あなたの敵をあなたの手に渡されました。どうか私に、槍で一気に彼を地面に突き刺させてください。二度することはしません。」
26:9 ダビデはアビシャイに言った。「殺してはならない。【主】に油注がれた方に手を下して、だれが罰を免れるだろうか。」
26:10 ダビデは言った。「【主】は生きておられる。【主】は必ず彼を打たれる。時が来て死ぬか、戦いに下ったときに滅びるかだ。
26:11 私が【主】に逆らって、【主】に油注がれた方に手を下すなど、絶対にあり得ないことだ。さあ、今は、枕もとにある槍と水差しを取って、ここから出て行こう。」
26:12 ダビデはサウルの枕もとの槍と水差しを取り、二人は立ち去ったが、だれ一人としてこれを見た者も、気づいた者も、目を覚ました者もいなかった。【主】が彼らを深い眠りに陥れられたので、みな眠り込んでいたのである。
26:13 ダビデは向こう側へ渡って行き、遠く離れた山の頂上に立った。彼らの間には、大きな隔たりがあった。
26:14 ダビデは、兵たちとネルの子アブネルに呼びかけて言った。「アブネル、返事をしないのか。」アブネルは答えて言った。「王を呼びつけるおまえはだれだ。」
26:15 ダビデはアブネルに言った。「おまえは男ではないか。イスラエル中で、おまえに並ぶ者があるだろうか。おまえはなぜ、自分の主君である王を護衛していなかったのか。兵の一人が、おまえの主君である王を殺しに入り込んだのだ。
26:16 おまえのやったことは良くない。【主】に誓って言うが、おまえたちは死に値する。おまえたちの主君、【主】に油注がれた方を護衛していなかったのだから。今、王の枕もとにあった槍と水差しが、どこにあるか見てみよ。」
26:17 サウルはダビデの声と気づいて、言った。「わが子ダビデよ、これはおまえの声ではないか。」ダビデは答えた。「わが君、王様。私の声です。」
26:18 そして言った。「なぜ、わが君はこのしもべの後を追われるのですか。私が何をしたというのですか。私の手に、どんな悪があるというのですか。
26:19 わが君、王様。どうか今、しもべのことばを聞いてください。もし私に敵対するようあなたに誘いかけたのが【主】であれば、主がささげ物を受け入れられますように。しかし、それが人によるのであれば、その人たちが【主】の前でのろわれますように。彼らは今日、私を追い払って、【主】のゆずりの地にあずからせず、『行って、ほかの神々に仕えよ』と言っているからです。
26:20 どうか今、私の血が【主】の御顔から離れた地に流されることがありませんように。イスラエルの王が、山でしゃこを追うように、一匹の蚤を狙って出て来ておられるのですから。」
26:21 サウルは言った。「私が間違っていた。わが子ダビデよ、帰って来なさい。もう、おまえに害を加えない。今日、おまえが私のいのちを尊んでくれたのだから。本当に私は愚かなことをして、大変な間違いを犯した。」

とこしえの恵みを受け取る

2020年11月15日 ハレルヤチャペル滝沢牧師
            森田友明

<聖書>Ⅰサムエル記20:3~17
20:3 ダビデはなおも誓って言った。「父上は、私があなたのご好意を受けていることを、よくご存じです。『ヨナタンが悲しまないように、このことを知らせないでおこう』と思っておられるのです。けれども、【主】は生きておられます。あなたのたましいも生きておられます。私と死の間には、ほんの一歩の隔たりしかありません。」
20:4 ヨナタンはダビデに言った。「あなたの言われることは、何でもあなたのためにします。」
20:5 ダビデはヨナタンに言った。「明日はちょうど新月祭で、私は王と一緒に食事の席に着かなければなりません。でも、私を行かせて、三日目の夕方まで、野に隠れさせてください。
20:6 もし、父上が私のことをとがめたら、おっしゃってください。『ダビデは自分の町ベツレヘムへ急いで行きたいと、しきりに頼みました。あそこで彼の氏族全体のために、年ごとのいけにえを献げることになっているからです』と。
20:7 もし父上が『良し』とおっしゃれば、あなたのしもべは安全です。もし激しくお怒りになれば、私に害を加える決心をしておられると思ってください。
20:8 どうか、このしもべに真実を尽くしてください。【主】に誓って、しもべと契約を結んでくださったのですから。もし私に咎があれば、あなたが私を殺してください。どうして父上のところにまで、私を連れ出す必要があるでしょうか。」
20:9 ヨナタンは言った。「とんでもないことです。父があなたに害を加える決心をしていることが確かに分かったら、あなたに知らせないでおくはずはありません。」
20:10 ダビデはヨナタンに言った。「もし父上が厳しい返事をなさったら、だれが私に知らせてくださいますか。」
20:11 ヨナタンはダビデに言った。「野に出ましょう。」それで、二人は野に出た。
20:12 ヨナタンはダビデに言った。「イスラエルの神、【主】にかけて誓います。明日かあさっての今ごろまでに、父がダビデに対して寛大であるかを探ってみます。寛大でなければ、必ず人を遣わして、あなたの耳に入れます。
20:13 もし父が、あなたに害を加えようと思っているのに、それをあなたの耳に入れず、あなたを無事に逃がさなかったなら、【主】がこのヨナタンを幾重にも罰せられますように。【主】が父とともにおられたように、あなたとともにおられますように。
20:14 もし私がこれ以上生きるべきではないのなら、あなたは、【主】の恵みを私に施して、私が死ぬことのないようにする必要はありません。
20:15 しかし、あなたの恵みを私の家からとこしえに断たないでください。【主】がダビデの敵を地の面から一人残らず断たれるときにも。」
20:16 ヨナタンはダビデの家と契約を結んだ。「【主】がダビデの敵に血の責めを問われますように。」
20:17 ヨナタンは、ダビデに対する愛のゆえに、もう一度ダビデに誓わせた。ヨナタンは、自分を愛するほどにダビデを愛していたからである。