10月30日宗教改革記念礼拝ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明
<聖書>ローマ人への手紙1章1~7,16,17節
【新改訳2017】
1:1 キリスト・イエスのしもべ、神の福音のために選び出され、使徒として召されたパウロから。
1:2 ──この福音は、神がご自分の預言者たちを通して、聖書にあらかじめ約束されたもので、
1:3 御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、
1:4 聖なる霊によれば、死者の中からの復活により、力ある神の子として公に示された方、私たちの主イエス・キリストです。
1:5 この方によって、私たちは恵みと使徒の務めを受けました。御名のために、すべての異邦人の中に信仰の従順をもたらすためです。
1:6 その異邦人たちの中にあって、あなたがたも召されてイエス・キリストのものとなりました──
1:7 ローマにいるすべての、神に愛され、召された聖徒たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。
1:16 私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。
1:17 福音には神の義が啓示されていて、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。
<要約>
神の義というプレゼント:
当時、神の義、神の正しさは一点の罪も赦さない恐ろしいものと解釈されていました。人の罪に対して、容赦のない神の裁きがあります。これが神の持っている義です。ルターは詩篇71篇2節の「あなたの義によって私を救い、助け出してください。」を読んで、繰り返しこのみことばを黙想しているとき、彼の心に光が差し込んだのです。神の義、この「の」と言う助詞に別の働きを見たのです。「義の神」と言われる、神の属性を表す義ではなく、「神の下さる義」と読み替えることができたのです。それが、福音の再発見につながりました。神の義は神のプレゼント、賜物であることが分かったのです。神はどうしようもない罪人を値なしに義と認めてくださるのです。それは素晴らしい神のプレゼントで、福音の中心です。神が与える義は、キリストの十字架に表される神の愛と言えます。この発見をしたルターは、自分は全く新しく生まれ変わった。聖書の戸が開かれた、と告白しています。これが福音の再発見でした。
信仰によって働く神の力:
ルターの95箇条の論題は、当時のカソリック教会へ、一修道士が起こした大批判とみなされました。ルターの意見に賛同する人々も多くいたようです。そのことによって、ルターは時の人となり、最終的に教皇から破門されました。さらに95か条の事件の4年後には、ドイツのヴォルムスで行われた国会にルターは呼ばれて、尋問されることになりました。ルターは答えた。「閣下と陛下の皆さん。私はありのままに答えましょう。私の良心は神のことばに捕えられています。私は聖書に反して何も言うことはできません。私は、法王と教会会議の権威を認めません。なぜなら、彼らは互いに矛盾しているからです。私は何も取り消すことができないし、取り消そうとも思わない。なぜなら良心に背くことは正しくないし安全でもないからです。神よ、私を助けたまえ。アーメン 私はここに立つ。私はこうするより他にない。」福音は、全ての人に救いをもたらす神の力です。ここでパウロが強調したいのは「信じる」という行為です。信じる全ての人には福音は神の力となるのです。その神の力をもって、どんな状況の中にあるあなたをも救うことができるのです。