聖霊降臨、終わりの時代の始まり

2023年5月28日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>使徒の働き2章1~21節
【新改訳2017】
2:1 五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。
2:2 すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。
2:3 また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。
2:4 すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。
2:5 さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国々から来て住んでいたが、
2:6 この物音がしたため、大勢の人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、呆気にとられてしまった。
2:7 彼らは驚き、不思議に思って言った。「見なさい。話しているこの人たちはみな、ガリラヤの人ではないか。
2:8 それなのに、私たちそれぞれが生まれた国のことばで話を聞くとは、いったいどうしたことか。
2:9 私たちは、パルティア人、メディア人、エラム人、またメソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントスとアジア、
2:10 フリュギアとパンフィリア、エジプト、クレネに近いリビア地方などに住む者、また滞在中のローマ人で、
2:11 ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレタ人とアラビア人もいる。それなのに、あの人たちが、私たちのことばで神の大きなみわざを語るのを聞くとは。」
2:12 人々はみな驚き当惑して、「いったい、これはどうしたことか」と言い合った。
2:13 だが、「彼らは新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、嘲る者たちもいた。
2:14 ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々に語りかけた。「ユダヤの皆さん、ならびにエルサレムに住むすべての皆さん、あなたがたにこのことを知っていただきたい。私のことばに耳を傾けていただきたい。
2:15 今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが思っているように酔っているのではありません。
2:16 これは、預言者ヨエルによって語られたことです。
2:17 『神は言われる。終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
2:18 その日わたしは、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると彼らは預言する。
2:19 また、わたしは上は天に不思議を、下は地にしるしを現れさせる。それは血と火と立ち上る煙。
2:20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。
2:21 しかし、主の御名を呼び求める者はみな救われる。』

<要約>

神のいのちを失い途方にくれる人間:

イエス様は、神を信ぜず、神のいのちを失っている人を指して、失われた人、さらに死人と呼んでいます。イエス様はそういう人を捜して、いのちを得させるために来られたのです。世界は人間中心に動いています。そのような中で、国際社会は、混迷を深め、途方に暮れているという状態であると思います。国の内部を見ても、分断、対立は深刻になっています。日本はもう超高齢化社会に入っています。もっと高齢化が進めば、日本人は、介護される人と介護する人ばかりとなってしまうのではと考えます。私たちは現状を見ると、途方に暮れてしまいます。神から離れているので神のご計画が分からない、考えたこともない、人生のゴールが分からない、死んで終わりの人生なのか。人生には様々な困難や苦難があり、私たちは有限な存在者として、先のことがわからず、途方に暮れる状況の中に生きています。しかし、神のいのちにつながり、神の救いのご計画の一部を担わせていただいているとすれば、私たちの人生には、明確な使命があり、死んで終わらない永遠のいのちがあるのです。

キリストの御名を呼ぶものを救う神:

聖霊はあなたを無条件で受容し、あなたを生かします。それが神の愛です。そして、神との関係回復、隣人との関係回復、そして親子関係の回復をもたらしてくださいます。あなたの内側に働き、キリストによる罪の赦しを提供して、あなたを癒し救います。何にも勝るプレゼント、聖霊。それは、この世のどんなものも決して消すことのできない、喜びといつまでも続く希望を与えてくれるからです。聖霊はご人格を持った神であります。聖霊は、信じる人を復活のいのちであるキリストに結び付けてくださいます。聖霊は聖書の言葉で私たちに語り、御心を教えてくださいます。そして、最後に至るまで、あなたを希望と喜びの人生に導いてくださいます。先ほど述べたように、ペンテコステの時に教会が始まりました。それ以来教会時代が続いています。やがてイエス様の再臨により終わりが来ます。ですからペンテコステ、聖霊降臨は終わりの時代の始まりであるといえます。再臨、それは悔い改めない人々にとっては、裁きのときであり、悲しみのときでしょう。しかし、信者にとっては、称賛と喜びの時、神の栄光を拝するときとなるのです。「主の御名を呼び求める者はみな救われるのです。