2024年7月7日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明
<要約>
人間の知恵に頼る生き方:
人間の知恵に頼る生き方は、死ねば終わりと言う生き方です。この世にいる間だけがいのちであると考えます。死んで自分の存在が無くなれば、すなわち自分が意識できない世界は否定します。他の動植物の死を見て、死ねば無に帰すと想像しています。しかし、それで納得できないのが、人間です。人間には実存の悩みがあります。難しい言葉ですが、簡単に言えば、なぜ、自分は生きているのだろうか?自分がこの世に生きている意味は何だろうか?人間は意味を問う動物です。他の動物は本能、あるいは、決められたプログラムの中でしか生きません。霊がありません。しかし、人間は鼻から神の霊を吹き込まれて生まれました。神に似せて創られました。ですから、永遠を意識します。正義を愛し、不正を憎みます。文明文化をつくりだします。そして、無数の宗教が生まれました。真の神を求めているからです。そこに人間は霊的存在者であることが分かります。人生は死んで終わりではありません。死後すべての人は罪の裁きを受けなければなりません。罪の報酬は死とあるように、神の怒りは罪に対して燃え上がり、罪人は永遠の滅び、容赦のない裁きに会うのです。人間の知恵は人生に希望を与えない。
神の知恵に生きる希望の人生:
神の知恵は、聖書の中に掲示されています。神の知恵はイエス・キリストによる十字架と復活と言う神の行為によって明らかにしてくださいました。神の知恵は、御霊によってしかわきまえることはできません。私たち信者は、信じてバプテスマを受け聖霊をいただきました。聖霊がすべてのことを明らかにしてくださるのです。聖霊は、イエス様の十字架と復活により私たちを新しいいのちに生かしてくださいます。神は、イエス様の十字架により、あなたの過去、現在、未来までの全ての罪を既に赦してくださいました。それは、古い自分がイエス様と一緒に十字架で既に死んだ、ということです。そして、イエス様は復活しました。イエス様と一緒に十字架で死んだ私たちは、新しいいのちに生きる者となったのです。それは、神を愛し、人を愛する生き方です。失敗を恐れず、前向きに、喜んで神のみこころを選んでいく人生です。感謝と喜びと希望の人生です。永遠のいのちに生きる言葉で言いつくせない素晴らしい人生です。それがクリスチャンライフです。
<聖書>Ⅰコリント2章1~12節
【新改訳2017】
2:1 兄弟たち。私があなたがたのところに行ったとき、私は、すぐれたことばや知恵を用いて神の奥義を宣べ伝えることはしませんでした。
2:2 なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリストのほかには、何も知るまいと決心していたからです。
2:3 あなたがたのところに行ったときの私は、弱く、恐れおののいていました。
2:4 そして、私のことばと私の宣教は、説得力のある知恵のことばによるものではなく、御霊と御力の現れによるものでした。
2:5 それは、あなたがたの信仰が、人間の知恵によらず、神の力によるものとなるためだったのです。
2:6 しかし私たちは、成熟した人たちの間では知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でも、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。
2:7 私たちは、奥義のうちにある、隠された神の知恵を語るのであって、その知恵は、神が私たちの栄光のために、世界の始まる前から定めておられたものです。
2:8 この知恵を、この世の支配者たちは、だれ一人知りませんでした。もし知っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。
2:9 しかし、このことは、「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことがないものを、神は、神を愛する者たちに備えてくださった」と書いてあるとおりでした。
2:10 それを、神は私たちに御霊によって啓示してくださいました。御霊はすべてのことを、神の深みさえも探られるからです。
2:11 人間のことは、その人のうちにある人間の霊のほかに、いったいだれが知っているでしょう。同じように、神のことは、神の霊のほかにはだれも知りません。
2:12 しかし私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神からの霊を受けました。それで私たちは、神が私たちに恵みとして与えてくださったものを知るのです。