最善の人生はどこにあるか?

2021年6月13日主日礼拝説教 ハレルヤチャペル牧師 森田友明

<聖書>マタイの福音書11章2~11節
11:2 さて、牢獄でキリストのみわざについて聞いたヨハネは、自分の弟子たちを通じて
11:3 イエスにこう言い送った。「おいでになるはずの方はあなたですか。それとも、別の方を待つべきでしょうか。」
11:4 イエスは彼らに答えられた。「あなたがたは行って、自分たちが見たり聞いたりしていることをヨハネに伝えなさい。
11:5 目の見えない者たちが見、足の不自由な者たちが歩き、ツァラアトに冒された者たちがきよめられ、耳の聞こえない者たちが聞き、死人たちが生き返り、貧しい者たちに福音が伝えられています。
11:6 だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。」
11:7 この人たちが行ってしまうと、イエスはヨハネについて群衆に話し始められた。「あなたがたは何を見に荒野に出て行ったのですか。風に揺れる葦ですか。
11:8 そうでなければ、何を見に行ったのですか。柔らかな衣をまとった人ですか。ご覧なさい。柔らかな衣を着た人なら王の宮殿にいます。
11:9 そうでなければ、何を見に行ったのですか。預言者ですか。そうです。わたしはあなたがたに言います。預言者よりもすぐれた者を見に行ったのです。
11:10 この人こそ、『見よ、わたしはわたしの使いをあなたの前に遣わす。彼は、あなたの前にあなたの道を備える』と書かれているその人です。
11:11 まことに、あなたがたに言います。女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネより偉大な者は現れませんでした。しかし、天の御国で一番小さい者でさえ、彼より偉大です。
11:12 バプテスマのヨハネの日から今に至るまで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。
11:13 すべての預言者たちと律法が預言したのは、ヨハネの時まででした。

<要約>

人が人生に疑念を持つとき

ヨハネはイエス・キリストに会って、そのとき確信を持って言いました。「見よ。世の罪を取り除く神の子羊」と。その後、ヨハネはヘロデ・アンティパスの行状を批判し、ヘロデの恨みを買い投獄されたのです。しかし、獄中で彼は、イエス様がメシアであるということに関して疑問を抱いたようです。なぜならば、イエス様のお姿は彼の抱いていたメシア像とは違っていたからです。イエスさまは「世を裁く方、義の王」として来られるとヨハネは考えていたようです。しかし、現実には制裁や裁きと思われるようなことは何も起こっていなかったのです。ヨハネほどの人物が、確信を失ったのです。ある意味では、ヨハネはとんでもない疑念をいだいたと言えます。しかし、ヨハネはそれを自分のうちにしまいこんで、悩み苦しむばかりでなく、はっきりと、イエス様にその疑問をお尋ねになったのです。そうです。私たちは時として、信仰に躓き、疑問を持つことはあっても良いのです。でもその時に、イエス様の所にもう一度出て、自分の悩みや疑問をはっきりと申し上げることが大切であることを覚えたいと思います。

人間の考えに勝る神の最善

ヨハネの弟子たちに、イエス様は言われました。現実に起こっているキリストの御業に目をとめなさいと。イエス様は、なぜヨハネを救出しなかったのでしょうか。人間の考えに勝る神の御思いがあるのです。私たち信者は周りで起こる様々な事象について、明白な回答を得ることは難しいと言えるでしょう。すべてのことは、神の主権の下で起こっています。天変地異も災害も神のみ許しの下で起こっています。時に、神に対して文句を言いたいということもあるかもしれません。しかし、神の私たちにお示しになった神の愛は、歴史の中ではっきりと示されました。それは十字架です。神は、その独り子をお与えくださるほどに、あなたや私、そしてすべての人を愛してくださっているということです。それは、神がご自身のいのちを捨てて、あなたを滅びの呪いから救い出し、永遠の祝福に招いてくださっているのです。私たちには十字架で十分なのです。最善の、人生はどこにあるのか?それは、神のみ旨にあると思います。そのような神の愛を信じる時に、神に対する絶対的な信頼が生まれてきます。ヨハネはイエス様がメシヤであることを再確認し、牢獄にあっても最後は感謝と喜びで生き抜いたのです。

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