救い主への期待

2020年12月20日(日)礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>ルカによる福音書2章22~38
2:22 そして、モーセの律法による彼らのきよめの期間が満ちたとき、両親は幼子をエルサレムに連れて行った。
2:23 それは、主の律法に「最初に胎を開く男子はみな、主のために聖別された者と呼ばれる」と書いてあるとおり、幼子を主に献げるためであった。
2:24 また、主の律法に「山鳩一つがい、あるいは家鳩のひな二羽」と言われていることにしたがって、いけにえを献げるためであった。
2:25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルが慰められるのを待ち望んでいた。また、聖霊が彼の上におられた。
2:26 そして、主のキリストを見るまでは決して死を見ることはないと、聖霊によって告げられていた。
2:27 シメオンが御霊に導かれて宮に入ると、律法の慣習を守るために、両親が幼子イエスを連れて入って来た。
2:28 シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。
2:29 「主よ。今こそあなたは、おことばどおり、しもべを安らかに去らせてくださいます。
2:30 私の目があなたの御救いを見たからです。
2:31 あなたが万民の前に備えられた救いを。
2:32 異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの栄光を。」
2:33 父と母は、幼子について語られる様々なことに驚いた。
2:34 シメオンは両親を祝福し、母マリアに言った。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れたり立ち上がったりするために定められ、また、人々の反対にあうしるしとして定められています。
2:35 あなた自身の心さえも、剣が刺し貫くことになります。それは多くの人の心のうちの思いが、あらわになるためです。」
2:36 また、アシェル族のペヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。この人は非常に年をとっていた。処女の時代の後、七年間夫とともに暮らしたが、
2:37 やもめとなり、八十四歳になっていた。彼女は宮を離れず、断食と祈りをもって、夜も昼も神に仕えていた。
2:38 ちょうどそのとき彼女も近寄って来て、神に感謝をささげ、エルサレムの贖いを待ち望んでいたすべての人に、この幼子のことを語った。

<要約>

平安な死を得るために

三浦綾子さんが人間には最後に「死ぬ」という仕事があると、言われたのを思い出します。自分の地上での生涯を総括し、心はばかることなく神のもとに帰ることが出来れば、平安であり祝福でしょう。でも人は最後に、心に残しているものがあり、平安が無いことがあります。それは、罪の責めであったり、人に伝えておかなければならないことであったりします。そして、聖書によると、人は天国に行くには、罪が赦されていることが必要と成ります。罪赦され永遠の御国に入る恵は、キリストから与えられるのです。この後シメオンは、御救いを見たことから、すべての重荷や罪は取り除かれ、平安のうちに約束された永遠の御国の民に加えられたことでしょう。私たちも、イエス様を信じて、救いを自分のものと確信しましょう。やがて来る肉体の死は、永遠のいのちへの門です。そのことを信じて平安を得ましょう。

キリストへの応答で永遠が決まる

イエス様の生涯を見ると、神はどういうお方かを知ることができます。また、シメオンが慰めを得たように、イエス様は、待ち望む者に慰めと平安をくださいます。イエス様は光となって多くの人々の心の中を照らし、隠された思いをあらわにします。人々はイエス様に対する態度によって自らの立場を表明することになります。私たちには究極的には中立の立場ではありえないのです。人々は、キリストのみ苦しみを見て、どのように応答するかによって、どちらの側に立っているかが明らかになるのです。クリスマスはイエス様との出会いです。神は あなたに応答を求めておられます。イエス様を通してあなたは神に近づくか、遠ざかるか。神を信じ、イエス様にある永遠のいただくのか、そのまま通り過ぎて自らの罪のために滅びに向かうのか。神はあなたに、重大な応答を求めておられるのです。