病気も死も神の栄光

2020年2月2日
説教者:ハレルヤチャペル滝沢牧師  森田友明

<聖書>ヨハネの福音書11章1~17節
11:1 さて、ある人が病気にかかっていた。ベタニアのラザロである。ベタニアはマリアとその姉妹マルタの村であった。
11:2 このマリアは、主に香油を塗り、自分の髪で主の足をぬぐったマリアで、彼女の兄弟ラザロが病んでいたのである。
11:3 姉妹たちは、イエスのところに使いを送って言った。「主よ、ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です。」
11:4 これを聞いて、イエスは言われた。「この病気は死で終わるものではなく、神の栄光のためのものです。それによって神の子が栄光を受けることになります。」
11:5 イエスはマルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。
11:6 しかし、イエスはラザロが病んでいると聞いてからも、そのときいた場所に二日とどまられた。
11:7 それからイエスは、「もう一度ユダヤに行こう」と弟子たちに言われた。
11:8 弟子たちはイエスに言った。「先生。ついこの間ユダヤ人たちがあなたを石打ちにしようとしたのに、またそこにおいでになるのですか。」
11:9 イエスは答えられた。「昼間は十二時間あるではありませんか。だれでも昼間歩けば、つまずくことはありません。この世の光を見ているからです。
11:10 しかし、夜歩けばつまずきます。その人のうちに光がないからです。」
11:11 イエスはこのように話し、それから弟子たちに言われた。「わたしたちの友ラザロは眠ってしまいました。わたしは彼を起こしに行きます。」
11:12 弟子たちはイエスに言った。「主よ。眠っているのなら、助かるでしょう。」
11:13 イエスは、ラザロの死のことを言われたのだが、彼らは睡眠の意味での眠りを言われたものと思ったのである。
11:14 そこで、イエスは弟子たちに、今度ははっきりと言われた。「ラザロは死にました。
11:15 あなたがたのため、あなたがたが信じるためには、わたしがその場に居合わせなかったことを喜んでいます。さあ、彼のところへ行きましょう。」
11:16 そこで、デドモと呼ばれるトマスが仲間の弟子たちに言った。「私たちも行って、主と一緒に死のうではないか。」
11:17 イエスがおいでになると、ラザロは墓の中に入れられて、すでに四日たっていた。

<要約>

神のいのちに生きる者は病気も死で終わらない:

  • 私たちは人との交わりの中で、生きる喜びや生きる力が与えられる。
  • 人との交わりの中でいのちは育つ
  • 人は神との交わりの中で永遠に続く喜びと希望に生きる
  • 神のプレゼントは、病気と死に代えて、復活による永遠のいのち

病気と死はもともと、人の罪の結果です。アダムの罪以来、罪はすべての人を支配しています。アダムの罪以来、病が人に入り、人は死ぬものとなりました。しかし、神のプレゼントは、すべての人の罪と死に代えて、永遠のいのちを備えてくださった事です。すなわち、復活の希望です。イエス・キリストが十字架ですべての人の罪を背負い代わりに死んでくださった。そして、3日目に復活されたことによります。その復活にすべての人は与れるのです。自らの罪を悔い改めてイエス様を信じる者は誰でも永遠のいのちをいただくことができるのです。

聖霊とみことばの光の中を歩く:

  • 人は「聖霊とみことば」の光の中を歩くときつまずく事は無い。

イエス様は「誰も働くことができない夜が来ます」と言っています。また、「自分に光があるうちに、光の子どもとなれるように、光を信じなさい」と言われています。すなわち、聖霊とみことばが届いているこの地上の生涯の中に、神の命令に耳を傾けなさい、というのです。光を信じなさい、すなわち、イエス様を信じなさいというのです。

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