罪の贖いによる和解

2019年09月15日
説教者:ハレルヤチャペル滝沢牧師  森田友明

<聖書>創世記45章1~15節
45:1 ヨセフは、そばに立っているすべての人の前で、自分を制することができなくなって、「皆を私のところから出しなさい」と叫んだ。ヨセフが兄弟たちに自分のことを明かしたとき、彼のそばに立っている者はだれもいなかった。
45:2 ヨセフは声をあげて泣いた。エジプト人はその声を聞き、ファラオの家の者もそれを聞いた。
45:3 ヨセフは兄弟たちに言った。「私はヨセフです。父上はお元気ですか。」兄弟たちはヨセフを前にして、驚きのあまり、答えることができなかった。
45:4 ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか私に近寄ってください。」彼らが近寄ると、ヨセフは言った。「私は、あなたがたがエジプトに売った弟のヨセフです。
45:5 私をここに売ったことで、今、心を痛めたり自分を責めたりしないでください。神はあなたがたより先に私を遣わし、いのちを救うようにしてくださいました。
45:6 というのは、この二年の間、国中に飢饉が起きていますが、まだあと五年は、耕すことも刈り入れることもないからです。
45:7 神が私をあなたがたより先にお遣わしになったのは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによって、あなたがたを生き延びさせるためだったのです。
45:8 ですから、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、神なのです。神は私を、ファラオには父とし、その全家には主人とし、またエジプト全土の統治者とされました。
45:9 どうか、急いで父上のところに上って行き、言ってください。『息子のヨセフがこう言いました。「神は私をエジプト全土の主とされました。ためらうことなく私のところに下って来てください。
45:10 ゴシェンの地に住んで、私の近くにいてください。父上も、子と孫、羊と牛、また父上に属するすべてのものも。
45:11 飢饉はあと五年続きますから、父上も家族も、また父上に属するすべてのものも、困ることのないように、私が父上をそこで養いましょう」と。』
45:12 さあ、あなたがたも、弟のベニヤミンも、自分の目でしっかり見てください。あなたがたに話しているのは、この私の口です。
45:13 あなたがたは、エジプトでの私のすべての栄誉と、あなたがたが見た一切のことを父上に告げ、急いで父上をここに連れて来てください。」
45:14 彼は弟ベニヤミンの首を抱いて泣いた。ベニヤミンも彼の首を抱いて泣いた。
45:15 彼はまた、兄弟みなに口づけし、彼らを抱いて泣いた。それから兄弟たちは彼と語り合った。

<要約>

罪の負債を清算できない人間:

彼らは、過去の自分たちが行った悪に対して後悔しておりました。一人の人の人生を奪った罪は大きいのです。長男ルベンの説得で殺人は犯さなかったにせよ、兄弟であるヨセフにあわれみをかけることなく奴隷として売り飛ばしました。罪は呪いとなって帰ってきます。これは、壁に向かって投げたボールが跳ね返って帰ってくるのと同じくらい確かな法則です。蒔いた罪の種のために災いを刈り取りらなければなりません。ヨセフの兄弟たちを見ると、罪の負債を返すことのできない人間の姿が描き出されています。「彼の血の報いを受けているのだ」とルベンは言っています。これは、罪の呪いを恐れる人間の姿です。罪の結果は刈りとらなければならないのです。盗んだら返さなければならない、損害を与えたら弁償しなければならないのです。心の罪が行いになると実害が生じます。憎しみは十戒に照らすと殺人罪です。兄弟に向かって腹を立てる者は燃えるゲヘナに投げ込まれる、また、情欲を抱いて女性を見たら姦淫罪であるとイエス様は言われました。十戒を中心とした律法は私たちの罪を指摘し絶えず責め立てます。律法は天地が滅び失せない限り消えません。つまり、罪も消えないのです。罪を消す唯一の方法を神はお与えくださいました。それがキリストの十字架の血です。罪はその代価を払うことによってのみ取り除くことができるからです。それが、キリストの十字架の贖いです。罪のない神のひとり子が人間のすべての罪を背負い身代わりとなってすべての罪の罰を受けてくださったことによるのです。それ以外、人間の罪は消せません。キリストの十字架の贖いを受け取らない限り、罪に対する容赦のない神のさばきがあるのです。

代わって罪を清算されたキリスト:

しかし、四男のユダがヤコブを説得しついに兄たちはベニヤミンを連れて食料の買い出しにエジプトに出発するのです。弟ベニヤミンに再会したヨセフは高ぶる気持ちを何とか抑え兄弟たちと食事をしました。しかし、まだ、兄たちを信用しきれないヨセフは、もう一度彼らを試みることにしました。彼らに食料を持たせて帰らせたのですが、ベニヤミンの袋にヨセフ所有の盃を入れておいたのです。兄弟たちの帰り道にヨセフのしもべが彼らに追いつきました。ヨセフのしもべは盃をベニヤミンの袋の中に発見したのです。ヨセフは、ベニヤミンを泥棒としてエジプトの奴隷とすることを命じました。その時、ユダがひれ伏して弁明するのです。ユダは、ヨセフに言います。ベニヤミンの代わりに自分をエジプトの奴隷としてほしいということです。ユダのこの言葉が、ヨセフの心を溶かしたのです。なぜ、ヨセフのこころは溶けたのでしょうか。兄たちはヨセフの命をエジプトに売り飛ばしたという罪がありました。ヨセフはその自分の命を兄弟たちに買い戻してもらいたいと思っていたのです。すなわち、二十数年前に戻って、エジプト人の奴隷とされている自分の命を買い戻してもらいたいと願ったのです。しかし、過去に戻れませんのでそれは無理なことです。そこで、ヨセフは同じ母の兄弟である自分の分身ともいえるベニヤミンを自分の代わりにしたのです。エジプトの奴隷にしたのです。そして、兄弟たちを試したのです。もし、昔と同じで悔い改めていないのなら、ベニヤミンをエジプトに残して彼らはカナンに帰るでしょう。しかし、そうではありませんでした。ユダが悔い改めたのです。ユダが自分の命を身代わりとしてベニヤミンの命を救おうとしたのです。これにより、ヨセフも救われたのです。ここに、イエス・キリストの贖いの意味が見事に説明されています。このユダの決意は、神の目にも喜ばれました。また、神はユダに特別な祝福をお与えになりました。それは、ユダの子孫にダビデ王が出て、さらにその子孫にイエス・キリストがお生まれになったのです。ユダは、ヨセフと兄弟たちの和解のための身代わりとなったのです。ユダの子孫、そしてダビデの子孫であるイエス・キリストも神と人類の和解のために身代わりとなったのです。もう一度、この単純な真実「キリストは私の代わりに死んでくださった。そして、私の命のために復活なさった。」ことを覚えたいと思います。ヨセフをエジプトに遣わしたのは神であるとヨセフは述べます。それは、節理の中にイスラエル一族に大いなる救いを与えるためでありました。神は、兄たちの失敗やヨセフの苦難もすべてを益に変える力を持っておられます。私たちにとって絶対絶命と思える状況にあってもキリストの大いなる救いがあるのです。その救いは確固たる救いです。その救いは根底からの救いです。何物も奪うことのできない救いです。キリストの十字架による救いは罪と死と悪魔からの救いです。この救いをいただくにはどうしたらよいのでしょうか。それはただイエス・キリストを信じて受けることです。

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