炎のような分かれた舌

2018年04月 29日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>使徒の働き2章1~13節
2:1 五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。
2:2 すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。
2:3 また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。
2:4 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
2:5 さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、
2:6 この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。
2:7 彼らは驚き怪しんで言った。「どうでしょう。いま話しているこの人たちは、みなガリラヤの人ではありませんか。
2:8 それなのに、私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう。
2:9 私たちは、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人、またメソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、
2:10 フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者たち、また滞在中のローマ人たちで、
2:11 ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレテ人とアラビヤ人なのに、あの人たちが、私たちのいろいろな国ことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。」
2:12 人々はみな、驚き惑って、互いに「いったいこれはどうしたことか」と言った。
2:13 しかし、ほかに「彼らは甘いぶどう酒に酔っているのだ」と言ってあざける者たちもいた。

<要約>

聖霊は舌としてみことばを用いる:

五旬節に、天からの激しい風が吹いてくるような響き、ゴーという暴風が迫ってくるような音だったのでしょう。家全体が振動したのです。また、「炎のような分かれた舌」がひとりひとりの上に留まったというのです。この舌という言葉は「言語」を表しています。また、舌はことばを発する器官です。舌はことばを司っているともいえます。ですから、ここの「炎のような分かれた舌」は、聖霊の激しい言葉を表しています。彼らは聖霊に満たされて、聖霊が話させてくださる通りに、それぞれが他国語で語り出したというのです。現代も聖霊は、ことばを用いて、ひとり一人にお語りになってくださいます。聖書のみことばを用いて、語ってくださいます。毎日語ってくださっています。先日のことです。わたしは病院を移転しました。それにつけ、お金の問題が出てきます。当然のことです。銀行からも借金をしました。そうしたら、銀行がある事業の話を持ち掛けてきたのです。今の私にとってできない事業ではなかったのです。そこで、私は神の御心を求めました。そうしたら、聖書通読の時にⅠコリ7:31「世の富を用いる者は用いすぎないようにしなさい。この世の有様は過ぎ去るからです。」というみことばを示されました。お金を用いすぎてはいけない、とはっきり示されました。そして、すぐにその話はお断りしました。その様に、聖霊は日々、あなたの求めに応えてくださいます。すぐにみことばが与えられなくても、聖霊に聞き思いめぐらし、祈りつつ決断する時に、神は私たちの思いを通して答えを用意してくださるのです。

聖霊は火として人を清め新たにする:

また、聖霊は「火のような分かれた舌」というように火として表されています。聖霊は悪を滅ぼしつくされます。聖霊は聖いがゆえに、私たち人間の一点の不正も罪も赦すことができないのです。その罪の裁きを免れさせるために「十字架を見なさい、あなたの罪は赦された」と人の心を十字架に向けさせておられるのです。素直な心で聖霊の導きにゆだねるとき、人はキリストの十字架に向かうのです。そして、人の心に火をともします。その火は心の虚栄を焼き尽くし、人を清め新たにします。人にはプライドがあります。自分を尊ぶ気持ち、自尊心は大切ですが、プライドが強すぎると虚栄になります。それは、アダム以来の罪の問題です。世の中は本来すべてつくり主である神が中心であるべきなのに、そこに人間は、自分を中心に持ってきました。それは、個人的にも民族的にも国家的にもその通りです。聖霊は、人のプライド、虚栄、自分中心の思いを火で焼き尽くし、神中心の思い、キリストの思いを思いとしていく生き方に転換してくださるのです。創造当初の世界は神中心でした。人の罪により人間中心の世界になったのです。ある姉妹の証しです。彼女の中学生の次男が教会のキャンプでイエス様を信じて洗礼を受けました。その時以来、聖霊が彼のうちにお住まいになりました。洗礼を受けてしばらくした時のことです。次男が夕方、息をハアハアさせながら帰ってきて、「今、小学校の近くで殴られてお金をとられた。」「自転車を置いて逃げてきた。」というのです。もう少し詳しく話させると、「小学校の近くの本屋に行ったら別の中学校の生徒に外に出ろと言われ、外に出ると何人かに取り囲まれ代わる代わる殴られた。」「お腹は腕組みをして守った。」「お金をとられたが、隙を見て逃げてきた。」と言うのです。車で現場に行ってみましたが自転車がありませんでした。警察に届けを出しに行きました。事情聴取に時間がかかって夜の10時過ぎになってしまいました。帰りの車の中、「お母さん、ぼく洗礼を受けていてよかったよ。聖霊様が助けてくれたよ。信じるって楽だね。憎らしいとか、悔しいという思いが出なくて。殴られているときずっと「父よ。彼らを赦してください。彼らは何をしているか分らずにいるのです。」と言う言葉がずっと心に沸いていたよ」と言うのです。びっくりしました。なぜ洗礼受けたのに神様守ってくださらなかったの、と言ってもおかしくないのに。恐ろしくも痛くもあったでしょうに。神様がこの子の心を守ってくださったことを本当に感謝いたしました。この少年は、洗礼を受けて神様からのプレゼントである聖霊をいただきました。聖霊はこのように幼い少年にもキリストの心をお与えになるのです。そこには、これまで自分がしっかりしなければならない、自分がやらなければならないという考えから、神が導いてくださる神がなさせてくださるというスタンスに移されたのです。自分中心の生き方から神中心の生き方に変えられたのです。

聖霊は分かれ分かれを一つにする:

もう一つの聖霊の働きは、バラバラになった人の思いと心を回復して、一致を与えてくださることです。ノアの洪水の後、ノアの子孫は一つの国民、一つの言葉を語っていました。しかし、彼らが、一致して高慢になり、神の位に自分の名を挙げようとたくらんで、天に届く塔を建て始めました。神は一致して高慢になり、自らの思いを悪に傾けていく人間社会をご覧になりました。悪に急速に走っていく人間を押しとどめようと、彼らの言葉を混乱させました。それ以来、神を離れた人間の思いと意思は不統一、不一致、混乱へと進みます。世界には多くの国々がありますが、一つになることができません。人の言葉は幾多もありますが、福音の言葉は一つであることを示しています。すべての国語、国民に通じる神の大いなるみわざを語る方は一つです。また、すべての人を救いに導くに神のみわざは、キリストによる以外にないと明言しています。当時、このエルサレムには世界の国民を代表する人々が集められていました。一つの神のことばをめいめいが自分の国の言葉で聞いたのです。これは福音の世界宣教の序章と言えます。それは、キリストによる救いの福音です。聖霊が分裂して分かれ分かれになった人々の魂を一つにするのです。すべての人にとって必要な救いの御手が神から届いたのです。それは、罪と死と悪魔からの救いです。現在、この神の救いの福音は全世界に届けられようとしています。イエス様が復活して、天に昇っていく前に、この福音はあらゆる国民、国語の民に届けられてそのあとに終わりが来ます、と言いました。現在、何度もお話ししましたが、全世界に届けられつつあります。キリストの再臨が誓いと言えます。かつて、バベルの塔を建て天に届こうと高慢になった人間の力や知恵を滅ぼして、神の主権と神のご意志によって、神は一つの民、一つの国民として全世界を集めようとなさっています。それは、神を中心に据える人々を用いてこの救いをその家族知人と周りの人々に届けようとなさっておられるのです。

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