人間中心VS神中心の人生

2017年11月 05日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>創世記19章1~29節
19:1 そのふたりの御使いは夕暮れにソドムに着いた。ロトはソドムの門のところにすわっていた。ロトは彼らを見るなり、立ち上がって彼らを迎え、顔を地につけて伏し拝んだ。
19:2 そして言った。「さあ、ご主人。どうか、あなたがたのしもべの家に立ち寄り、足を洗って、お泊まりください。そして、朝早く旅を続けてください。」すると彼らは言った。「いや、わたしたちは広場に泊まろう。」
19:3 しかし、彼がしきりに勧めたので、彼らは彼のところに向かい、彼の家の中に入った。ロトは彼らのためにごちそうを作り、パン種を入れないパンを焼いた。こうして彼らは食事をした。
19:4 彼らが床につかないうちに、町の者たち、ソドムの人々が、若い者から年寄りまで、すべての人が、町の隅々から来て、その家を取り囲んだ。
19:5 そしてロトに向かって叫んで言った。「今夜おまえのところにやって来た男たちはどこにいるのか。ここに連れ出せ。彼らをよく知りたいのだ。」
19:6 ロトは戸口にいる彼らのところに出て、うしろの戸をしめた。
19:7 そして言った。「兄弟たちよ。どうか悪いことはしないでください。
19:8 お願いですから。私にはまだ男を知らないふたりの娘があります。娘たちをみなの前に連れて来ますから、あなたがたの好きなようにしてください。ただ、あの人たちには何もしないでください。あの人たちは私の屋根の下に身を寄せたのですから。」
19:9 しかし彼らは言った。「引っ込んでいろ。」そしてまた言った。「こいつはよそ者として来たくせに、さばきつかさのようにふるまっている。さあ、おまえを、あいつらよりもひどいめに会わせてやろう。」彼らはロトのからだを激しく押しつけ、戸を破ろうと近づいて来た。
19:10 すると、あの人たちが手を差し伸べて、ロトを自分たちのいる家の中に連れ込んで、戸をしめた。
19:11 家の戸口にいた者たちは、小さい者も大きい者もみな、目つぶしをくらったので、彼らは戸口を見つけるのに疲れ果てた。
19:12 ふたりはロトに言った。「ほかにあなたの身内の者がここにいますか。あなたの婿やあなたの息子、娘、あるいはこの町にいるあなたの身内の者をみな、この場所から連れ出しなさい。
19:13 わたしたちはこの場所を滅ぼそうとしているからです。彼らに対する叫びが【主】の前で大きくなったので、【主】はこの町を滅ぼすために、わたしたちを遣わされたのです。」
19:14 そこでロトは出て行き、娘たちをめとった婿たちに告げて言った。「立ってこの場所から出て行きなさい。【主】がこの町を滅ぼそうとしておられるから。」しかし、彼の婿たちには、それは冗談のように思われた。
19:15 夜が明けるころ、御使いたちはロトを促して言った。「さあ立って、あなたの妻と、ここにいるふたりの娘たちを連れて行きなさい。さもないと、あなたはこの町の咎のために滅ぼし尽くされてしまおう。」
19:16 しかし彼はためらっていた。すると、その人たちは彼の手と彼の妻の手と、ふたりの娘の手をつかんだ。──【主】の彼に対するあわれみによる。そして彼らを連れ出し、町の外に置いた。
19:17 彼らを外のほうに連れ出したとき、そのひとりは言った。「いのちがけで逃げなさい。うしろを振り返ってはいけない。この低地のどこででも立ち止まってはならない。山に逃げなさい。さもないと滅ぼされてしまう。」
19:18 ロトは彼らに言った。「主よ。どうか、そんなことになりませんように。
19:19 ご覧ください。このしもべはあなたの心にかない、あなたは私のいのちを救って大きな恵みを与えてくださいました。しかし、私は、山に逃げることができません。わざわいが追いついて、たぶん私は死ぬでしょう。
19:20 ご覧ください。あそこの町は、のがれるのに近いのです。しかもあんなに小さいのです。どうか、あそこに逃げさせてください。あんなに小さいではありませんか。私のいのちを生かしてください。」
19:21 その人は彼に言った。「よろしい。わたしはこのことでも、あなたの願いを入れ、あなたの言うその町を滅ぼすまい。
19:22 急いでそこへのがれなさい。あなたがあそこに入るまでは、わたしは何もできないから。」それゆえ、その町の名はツォアルと呼ばれた。
19:23 太陽が地上に上ったころ、ロトはツォアルに着いた。
19:24 そのとき、【主】はソドムとゴモラの上に、硫黄の火を天の【主】のところから降らせ、
19:25 これらの町々と低地全体と、その町々の住民と、その地の植物をみな滅ぼされた。
19:26 ロトのうしろにいた彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまった。
19:27 翌朝早く、アブラハムは、かつて【主】の前に立ったあの場所に行った。
19:28 彼がソドムとゴモラのほう、それに低地の全地方を見おろすと、見よ、まるでかまどの煙のようにその地の煙が立ち上っていた。
19:29 こうして、神が低地の町々を滅ぼされたとき、神はアブラハムを覚えておられた。それで、ロトが住んでいた町々を滅ぼされたとき、神はロトをその破壊の中からのがれさせた。

<要約>

三通りの生き方:

最初に、「アブラハムの生き方」は、信仰の父と言われるように、信仰者の良いモデルです。アブラハムは失敗もしましたが、神を信じ崇め、信仰に堅くたった人です。アブラハムの生き方は、神を人生の中心に置く生き方です。どんなに望みが見えなくなっても信じ続ける生き方です。神の全能を疑わない生き方です。神の約束を疑わない生き方です。アブラハムは何を見て喜んでいたのでしょうか。そうです、天の故郷を見ていたのです。ここに、信仰者として生きる者が見定めるゴールが見えます。次に、ロトの生き方を見てみましょう。彼の心にはむなしさがあったと考えます。魂に空洞があったのです。世の罪に流されてここまで来てしまったのです。門のところに座って、夕陽を見ながら、取り返しのつかない過去を回想していたと想像します。アブラハムと別れて目で見て良い場所選んで生活してきました。しかしそこには幸福はなく、心満たされることがなかったのです。かえって心を痛めることを多く見てきました。しかし、ロトは、自ら真剣に神様を求め、神様に近づこうとしたことは一度もなかったのです。ロトは、そこで、二人の旅人を見つけ、何かを直感したのでしょうか。「彼らを見るなり、立ち上がって、彼らを迎え、顔を地につけて伏し拝んだ」とあります。そして、彼らにロトの家で食事をして泊まるように誘いました。ロトはそれまで得た資産を手にしてソドムの街に住むようになったのです。しかし、ロトはソドムの住人の無節操な好色な振る舞いに悩まされていました。しかし、そこでの生活には経済的な面など外面的な豊かさもあって、ロトはそこで安逸をむさぼっていたのです。ロトは神様を頭では知っていました。しかし、彼はアブラハムの様に神様と出会っていなかったのです。ロトの一家はソドムとの罪の関係を深めて、滅びの道を歩んでいたと言えるでしょう。心が神から離れると、罪の世界に引き寄せられて、世の中の不道徳や悪の流れに流されてどこまでもいくのです。ロトは、神より地上の生活を優先し、自分の考えを中心して生きる生き方の例です。もう一つの生き方の例は、ソドムとゴモラの人々です。ソドムは性的倒錯、罪に汚れた町でした。ソドムの住人はよこしまで、主に対して非常な罪人であった、と書かれています。ソドムは不道徳で悪が満っていた町でありました。しかし、そこでの人々の意識としては、悪に慣れて、悪を悪とも思わない、それが日常となっていました。しかし、彼らには真の神を礼拝し崇める生活はありませんでした。すなわち、神から離れた人間は、人間中心の日常生活を送っているということです。現代社会人の生き方の原動力となっているのは、人間中心主義です。ヒューマニズムです。これははっきり言って悪魔の考えです。人間を中心に持ってきて神を蚊帳の外に置こうとする意図がこのことばにあるからです。聖書によると、福音を拒み続けるならば、現代社会の人々はソドムやゴモラの人々より裁きの日には罰が重いといえます。現代社会を考えると、神から離れた人類の歩みの姿が見えてきます。人間は罪の性質を変えることができないのです。世界中に憎しみが増強しています。人類は教育によっても、憎しみの連鎖を断ち切ることはできません。ソドムとゴモラは特別な街ではなく、創り主から離れた人間の姿を表しているのです。

神の愛と怒り:

聖書を読むと、神の二つのお姿に出会います。一つは、愛とあわれみの神です。神は、哀れみ深く、情け深く、怒るのに遅く、恵みと真に富んでおられる。また、罪びとをすぐに滅ぼそうとしないで、忍耐と寛容をもって悔い改めるのを待っておられるということです。

それでは、もう一つの神のお姿は、怒りの神です。この二つのお姿はどちらも神の真実なお姿です。神は聖いお方です。聖なるお方です。神の聖さからくるのが神の正義です。それは、どんな小さな罪をも赦すことができません。必ず裁きます。すなわち、裁きの神は焼き尽くす火です。もう一つは、神は愛とあわれみの神です。人を愛し亡んでしまうのを惜しんで、どんな罪をも赦す神です。

赦すため主の十字架:

では、愛し赦す神、怒り赦さない神の相矛盾している二つのお姿にどのように神は筋を通されたのでしょうか?それが十字架です。罪のない神が人となって、人の罪の身代わりとなって神の怒りをひとえに受けてくださったのです。信じる者は神の怒りを免れて、救われて神の愛の中に生きることができるのです。聖書は救いの書です。同時に聖書は警告の書です。ロトの娘たちの婿はソドムの裁きと救いの警告を聞いて、彼らは「冗談のように思われた」と書いています。そこに悲惨があります。警告を無視しました。恐ろしい落とし穴に落ちたのです。また、聖書は救いの書です。ここに救いの道があらわされています。家族、友人、知人に警告と救いを知っている私たち信者はもっと伝えるべきではないでしょうか。ロトは優柔不断で世に流されていく人間でした。しかし神はアブラハムのとりなしの祈りにこたえて、神様は彼を滅びの中から救い出してくださいました。同様に、わたしたちも、周りのこのままでは滅んでしまう方々に、福音を伝え、とりなしていきたいと思います。

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