信じていのちを得るために

2017年7月 2日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>ヨハネの福音書3章1~16節
3:1 さて、パリサイ人の中にニコデモという人がいた。ユダヤ人の指導者であった。
3:2 この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行うことができません。」
3:3 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
3:4 ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。」
3:5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。
3:6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
3:7 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
3:8 風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」
3:9 ニコデモは答えて言った。「どうして、そのようなことがありうるのでしょう。」
3:10 イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こういうことがわからないのですか。
3:11 まことに、まことに、あなたに告げます。わたしたちは、知っていることを話し、見たことをあかししているのに、あなたがたは、わたしたちのあかしを受け入れません。
3:12 あなたがたは、わたしが地上のことを話したとき、信じないくらいなら、天上のことを話したとて、どうして信じるでしょう。
3:13 だれも天に上った者はいません。しかし天から下った者はいます。すなわち人の子です。
3:14 モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。
3:15 それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」
3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

<要約>

天国に入るためには?:

ニコデモは「神の国に入るための資格はなにか」「あるいは永遠のいのちを持つためには人は何をしなければならないのか」というような問いを持っていました。これは、すべての人の問いです。人間は肉体のいのちが終わったらどうなるのか、天国に入れるのか、永遠のいのちはあるのか、などの問いです。ニコデモは老年になって人間存在の意味を問うたのです。そこで、イエス様は、「人は新しく生まれなければ、神の国に入ることはできない」と言われました。新しく生まれなければ救われないというのです。これはニコデモにとっても全く新しい考えです。これまで、正しい行いが正しい人間をつくる、と考えていました。そのためにニコデモは善行を積んで救いに到達するべく、努力してきました。貧しい人々に施しをしてきました。ニコデモはこれまでの自分の人生にプライドを持っていたでしょう。後ろ指さされるようなことは何もしていない、自分は正しい人生を歩んできたと自負していました。ですから、新しく生まれなおさなければ、天国に行けない、と言われて今までの人生を否定されたのです。ニコデモが積み上げてきたものが崩されたといえるでしょう。大方の日本人は正直で正しい人たちです。ニコデモとまでいかなくても、教育レベルも高く、まじめに生活をしています。隙があったら盗むようなことはしないし、正しい行いで生きていると思います。だから、聖書が「あなたは罪びとです」と言われても自分のこととしてとらえることができません。その点では、日本人の意識の中に、ニコデモと同じ気持ちがあるのではないかと思います。また、ニコデモと同様に、日本人の多くは、黙っていますが、この人生の問いを持っているのではないかと思います。そこで、ニコデモは、「新しく生まれなければ、」と言われて、頓珍漢な返答をしています。それで、「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度母の胎に入って生まれることができましょうか」というのです。イエス様は、肉によって生まれたものは肉です。御霊によって生まれたものは霊です。と結びます。これは、肉体から生まれたものは肉体のいのち、聖霊によって生まれたものは聖霊のいのちがあるというのです。すなわち、二つのいのちがあるのです。肉体のいのちと霊のいのちです。肉体のいのちは終わります。それはだれも否定しません。また、霊のいのちは神との関係の中で生きるいのちです。しかし、人は罪のために神から離れて真のいのちを失っています。だから、人は、聖霊をいただいて神のいのちにつながる必要があるのです。

水と聖霊によって新しく生まれる:

新しく生まれるためには、古い自分に死ななければなりません。古い自分というのは、真の神を認めず、自分の力に頼り自分中心に生きていた自分です。「水と御霊」の水は、洗礼、バプテスマのことです。信じて洗礼を受ける者は救われます、と書いています。洗礼で用いられる水は、イエス様のみことばが結びついた水です。罪を洗い清める働きがあります。みことばと結びついた水があなたのすべての罪を取り除きます。また、キリストの死にあずかるバプテスマという言葉があります。キリストにつくバプテスマという言葉もあります。すなわち、洗礼によって、古いあなたは、キリストとともに十字架につけられて死にます。そして、聖霊により新しい人に復活するというのです。すなわち、洗礼によって、聖霊があなたのうちに住まわれるというのです。それが、水と御霊によって生まれるということです。イエス様は、新しく生まれなければ神の国に入れないと繰り返し言いました。聖書は、あなたがよくなれば、努力をすれば、あなたは救われるとは言っていません。あなたは自分に死んで、新しく聖霊をいただいて生まれなければならないといいます。さらに、イエス様は、これから起こるキリストの受難を暗示します。誰も天に上った者はいません。しかし、天から下った者はいます。すなわち人の子です。イエス様はご自身を人の子と言いました。すなわちこれはご自分のことを指して、神が人となって地上に来られたというのです。それが、キリストであるというのです。今、あなたが聖霊をいただいて新しいいのちに生きるために決心しなければならないことがあります。

十字架を仰いで救われる:

人は自分の力や努力で天国に上ることはできないのです。神が上から下って、人となり人の身代わりとなったイエス・キリストが十字架にあげられなければならない、ということです。つまり十字架につけられなければならないというのです。すべての人は、十字架を仰ぎ見れば救われるということです。何の努力もいらない、ただ自らの罪を知ってイエス様の十字架を信じることで救われるというのです。これが福音です。神がその一人子であるイエス・キリストを世に送ってくださったその動機は、愛です。16節は、聖書の中の聖書と言われています。この中に、神のみ思い。神の目当て。神の取り組み。神が私たち人間に答えてもらいたいこと。それらが書かれています。すなわち、この聖句は聖書全体を一言で言っているといえます。その内容について見てみましょう。「神は実に、世を愛された」と書いています。神様のお心はこの世界に住むすべての人への愛です。あなたが滅びないでほしいという切実な愛なのです。「ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」神様はその愛のゆえに人間が罪のために滅んでしまうことを望まず、罪の責めである死と滅びから解放するために、神のひとり子であるイエス・キリストを世に送られました。神様の最大の関心は私たち一人ひとりの救いなのです。「そのひとり子をお与えになったほどに。」神様は、全く罪のないご自身のひとり子イエスに、滅ぶべき世の人の罪を背負わせて、十字架にかからせました。その御子の苦難と死によって、私たちは神様との和解の道が備えられたのです。「御子を信じる。」神様が私たち人間に求めておられることは、罪を悔い改めて、イエス・キリストが私の身代わりとなって十字架で私の罪を取り除いてくださったことを信じることです。

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