イエス・キリストの裁判

2017年4月2 日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>ヨハネによる福音書18章28~40節

18:28 さて、彼らはイエスを、カヤパのところから総督官邸に連れて行った。時は明け方であった。彼らは、過越の食事が食べられなくなることのないように、汚れを受けまいとして、官邸に入らなかった。
18:29 そこで、ピラトは彼らのところに出て来て言った。「あなたがたは、この人に対して何を告発するのですか。」
18:30 彼らはピラトに答えた。「もしこの人が悪いことをしていなかったら、私たちはこの人をあなたに引き渡しはしなかったでしょう。」
18:31 そこでピラトは彼らに言った。「あなたがたがこの人を引き取り、自分たちの律法に従ってさばきなさい。」ユダヤ人たちは彼に言った。「私たちには、だれを死刑にすることも許されてはいません。」
18:32 これは、ご自分がどのような死に方をされるのかを示して話されたイエスのことばが成就するためであった。
18:33 そこで、ピラトはもう一度官邸に入って、イエスを呼んで言った。「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」
18:34 イエスは答えられた。「あなたは、自分でそのことを言っているのですか。それともほかの人が、あなたにわたしのことを話したのですか。」
18:35 ピラトは答えた。「私はユダヤ人ではないでしょう。あなたの同国人と祭司長たちが、あなたを私に引き渡したのです。あなたは何をしたのですか。」
18:36 イエスは答えられた。「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったなら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように、戦ったことでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません。」
18:37 そこでピラトはイエスに言った。「それでは、あなたは王なのですか。」イエスは答えられた。「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。」
18:38 ピラトはイエスに言った。「真理とは何ですか。」彼はこう言ってから、またユダヤ人たちのところに出て行って、彼らに言った。「私は、あの人には罪を認めません。
18:39 しかし、過越の祭りに、私があなたがたのためにひとりの者を釈放するのがならわしになっています。それで、あなたがたのために、ユダヤ人の王を釈放することにしましょうか。」
18:40 すると彼らはみな、また大声をあげて、「この人ではない。バラバだ」と言った。このバラバは強盗であった。
<要約>

全世界がキリストを裁く:

実に、ユダヤ人たちは石打の刑ではなく十字架刑を求めていたということです。一民族規模ではなく世界規模の処刑を求めていたのです。なぜ、石打ではだめで十字架でなければならなかったのか。石打はユダヤ国内の刑です。しかし、この場合は、当時の全世界を代表とするローマの刑でなければならなかったからです。これはまた、イエス様の預言の通りでした。すなわち、全世界の代表となるローマによって処刑されることが、神のご計画でした。つまり、全世界がキリストを裁くことになったのです。それは、すべての人を罪の呪いから救うためでした。キリストは、罪から来る呪いをすべての人の代りに受けて十字架で呪われたものとなったということです。イエス様がユダヤ民族という一つの民のためではなく、全世界の国民のためにいのちを捨てたということを表しています。その動機は愛です。「神はこの世界を愛された、実にそのひとり子をお与えになったほどに」と言うみことばの通りです。ユダヤ人指導者たちの陰謀にかかわらず、神の摂理が働いていたのです。結果的に、すべての人の救いのために、イエス様は十字架で贖いの死を遂げることになるのです。ですからそれは、あなたの救いのためなのです。

天の王国と地上の王国:

イエス様は答えられました。「わたしの王国は、この世に属するものではありません」と。すなわち、イエス様の王国は、ローマ帝国、ユダヤの国などこの世界に属するものではないというのです。それは、まったく別の世界、真理の王国とでもいいましょうか。イエス様は、ピラトに「わたしは真理を証するために来た」と言われました。イエス様は、地上の王国ではなく、天の王国の王であることを示されたのです。キリストの王国は、天の御国と言えます。それは、彼岸のかなたにあるのではなく、この地上にあるのです。神が主権を取っておられる国です。また、イエス様を信じる者、イエス様を王として崇める者の中に御国は存在しています。御国の国民である信者は普遍的な教会に属しています。キリストが主、王として治めておられます。時代や地域を超えて存在する目に見えない教会です。そして、この地上の教会は天国の出張所です。教会はキリストの法が治めています。キリストご自身が十字架の愛と赦しによって治めていると言ってもいいでしょう。キリストを王とした御国は拡大し続けています。世界人口の三分に一はキリスト教です。聖書には、すべての国民に福音が述べ伝えられて終わりが来ると書いています。では、地上の国と天の御国の接点は何でしょうか。地上の国と天の御国との接点はキリストの十字架です。十字架を通して出なければ誰も天の御国に属することはできません。ですから、私たちも十字架以外に誇りはないし、十字架以外に天に至る方法はないということです。イエス様を信じて、もう一度、イエス様の十字架は自分のためにあったことを確認しましょう。また、福音である十字架のことばは全世界に述べ伝えられて、すべての人々は天の御国ヘ招かれています。条件はただ一つ、福音を信じることです。人間の努力や行いには関係ありません。すべての人がもれなく招かれています。イエス様が、「真理を証するために来た、真理に属するものはイエス様の声に聞き従う」と聞いて、ピラトは「真理とは何ですか」とイエス様に聞き返します。聖書によるとこの真理は、イエス・キリストを指します。また、真理とは福音を指します。また、真理はみことばを指します。また、真理は聖霊を指します。ですから、聖書にある「真理」とは、父なる神の正義と愛を明らかにしたイエス・キリストだということです。

ピラトの判断の悲劇:

すぐに、ピラトは門で待っていたユダヤ人たちのところに出て行って、「あの人に罪を認めません」と言いました。ピラトには、イエス様にはローマの法律に抵触する罪を認めなかったのです。直感的にイエス様が正義と愛の人であるとわかったのかもしれません。ピラトはこの裁判において、三回キリストの無罪を主張することになります。そして、ピラトは何とかしてイエス様を無罪放免にしようと努力をしました。しかし、どうしても無罪放免にすることができなかったのです。その理由は、まず、ピラトは民衆を恐れていました。そして、騒動が起こることを恐れていました。さらには、ユダヤ人たちが激しく叫んで、「もしこの人を釈放するなら、あなたはカイザルの見方ではない」と言いました。そのときには、ピラトは自分の政治生命に危害が加わることを恐れました。そして、臆病にも、イエス様が罪のない神の人であると知りながらも、十字架に渡してしまうことになったのです。ピラトの正義は、自分にとっての利害の上に立った正義でした。それは神の正義とは大きくかけ離れたものです。ピラトは自分が恐れていた通り、それから三年の後にローマに召喚されて、流刑となりそこで自殺したと言われています。そして、彼は歴史が続く限りいつまでも、無実のイエス・キリストを裁いたものとして、悲しいかな、永遠に語り継がれるものとなったのです。ピラトは悲劇の人生を送った人物です。それはイエス・キリストと面と向かったのに、真理を求めなかったからです。イエス・キリストによって、人類の歴史を紀元前と紀元後に分けられました。キリスト以来、「真理とは何か?」「イエス・キリストは誰か?」という問いが二千年来問われ続けています。ここにおられる方々に対してもそれは例外ではありません。解答は聖書にあります。イエス・キリストこそ真理です。

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