勝利に帰する戦い

2017年2月12日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>Ⅰ列王記18章20~40節
18:20 そこで、アハブはイスラエルのすべての人に使いをやり、預言者たちをカルメル山に集めた。
18:21 エリヤはみなの前に進み出て言った。「あなたがたは、いつまでどっちつかずによろめいているのか。もし、【主】が神であれば、それに従い、もし、バアルが神であれば、それに従え。」しかし、民は一言も彼に答えなかった。
18:22 そこで、エリヤは民に向かって言った。「私ひとりが【主】の預言者として残っている。しかし、バアルの預言者は四百五十人だ。
18:23 彼らは、私たちのために、二頭の雄牛を用意せよ。彼らは自分たちで一頭の雄牛を選び、それを切り裂き、たきぎの上に載せよ。彼らは火をつけてはならない。私は、もう一頭の雄牛を同じようにして、たきぎの上に載せ、火をつけないでおく。
18:24 あなたがたは自分たちの神の名を呼べ。私は【主】の名を呼ぼう。そのとき、火をもって答える神、その方が神である。」民はみな答えて、「それがよい」と言った。
18:25 エリヤはバアルの預言者たちに言った。「あなたがたで一頭の雄牛を選び、あなたがたのほうからまず始めよ。人数が多いのだから。あなたがたの神の名を呼べ。ただし、火をつけてはならない。」
18:26 そこで、彼らは与えられた雄牛を取ってそれを整え、朝から真昼までバアルの名を呼んで言った。「バアルよ。私たちに答えてください。」しかし、何の声もなく、答える者もなかった。そこで彼らは、自分たちの造った祭壇のあたりを、踊り回った。
18:27 真昼になると、エリヤは彼らをあざけって言った。「もっと大きな声で呼んでみよ。彼は神なのだから。きっと何かに没頭しているか、席をはずしているか、旅に出ているのだろう。もしかすると、寝ているのかもしれないから、起こしたらよかろう。」
18:28 彼らはますます大きな声で呼ばわり、彼らのならわしに従って、剣や槍で血を流すまで自分たちの身を傷つけた。
18:29 このようにして、昼も過ぎ、ささげ物をささげる時まで騒ぎ立てたが、何の声もなく、答える者もなく、注意を払う者もなかった。
18:30 エリヤが民全体に、「私のそばに近寄りなさい」と言ったので、民はみな彼に近寄った。それから、彼はこわれていた【主】の祭壇を建て直した。
18:31 エリヤは、【主】がかつて、「あなたの名はイスラエルとなる」と言われたヤコブの子らの部族の数にしたがって十二の石を取った。
18:32 その石で彼は【主】の名によって一つの祭壇を築き、その祭壇の回りに、二セアの種を入れるほどのみぞを掘った。
18:33 ついで彼は、たきぎを並べ、一頭の雄牛を切り裂き、それをたきぎの上に載せ、
18:34 「四つのかめに水を満たし、この全焼のいけにえと、このたきぎの上に注げ」と命じた。ついで「それを二度せよ」と言ったので、彼らは二度そうした。そのうえに、彼は、「三度せよ」と言ったので、彼らは三度そうした。
18:35 水は祭壇の回りに流れ出した。彼はみぞにも水を満たした。
18:36 ささげ物をささげるころになると、預言者エリヤは進み出て言った。「アブラハム、イサク、イスラエルの神、【主】よ。あなたがイスラエルにおいて神であり、私があなたのしもべであり、あなたのみことばによって私がこれらのすべての事を行ったということが、きょう、明らかになりますように。
18:37 私に答えてください。【主】よ。私に答えてください。この民が、あなたこそ、【主】よ、神であり、あなたが彼らの心を翻してくださることを知るようにしてください。」
18:38 すると、【主】の火が降って来て、全焼のいけにえと、たきぎと、石と、ちりとを焼き尽くし、みぞの水もなめ尽くしてしまった。
18:39 民はみな、これを見て、ひれ伏し、「【主】こそ神です。【主】こそ神です」と言った。
18:40 そこでエリヤは彼らに命じた。「バアルの預言者たちを捕らえよ。ひとりものがすな。」彼らがバアルの預言者たちを捕らえると、エリヤは彼らをキション川に連れて下り、そこで彼らを殺した。

<要約>

信仰者の戦い:

カルメル山に大勢の人が集まりました。エリヤはイスラエルの全家に向かって話します。「いつまで、どっちつかずでよろめいているのか。もし、主が神であれば、それに従え。もし、バアルが神であるならそれに従え」と。「どっちつかずの信仰」。イスラエルの民は、真の神を全く捨ててしまったわけではないが、不徹底な信仰だったのです。私たちクリスチャンも不徹底な信仰ではいけません。時には偶像と対決しなければなりません。一番、試されるのは、冠婚葬祭です。偶像はいっぱいあります。お葬式に出席することは良いと思います。しかし、焼香は礼拝行為ですから、辞退します。神棚に手を合わせることも辞退します。なぜなら、聖書によるとこれは姦淫だからです。神は、このようにどっちつかずのイスラエルの民に対して、「あなた方は姦淫をしている」と言いました。つまりこれは、夫、あるいは妻がいるのに、他の女性や男性と床を共にすることと同じだというのです。現代のクリスチャンにとって、偶像とは、刻んだ像ばかりではないと言いました。神以上に私たちの心を占領しているものです。神をいつも選び取っていくことが戦いであると言えます。信仰者の戦いとは何でしょうか。それは、第一に、自分の罪の性質との戦いです。信仰は目に見えないものを目に見えるがごとく確信していくことです。また、どうしても神中心の生き方より、自分中心の生き方に傾きやすいのです。神の国と神の義を第一として選び取っていくのがクリスチャンライフです。信仰者の戦いの第二は、この世との戦いです。世の本質は不遜です。神がおられるのに神を認めません。この世の君はサタンです。福音は輝きでないように覆われています。信者も教会に足を運ばなくなり、聖書も読まなくなれば、確実にこの世に流されていきます。この世は流れの強い川のようです。しっかり信仰に立っていなければ足をすくわれ流されていくのです。信仰者の戦いの第三は何でしょうか。サタンです。目に見えない霊的存在です。人格を持っています。知恵があります。肉体を持っていませんので、疲れることがありません。聖書にサタンは人殺しであると書いています。殺人犯は人間の肉体のいのちを奪います。しかし、サタンは、肉体の死の後に来る永遠の死に誘うのです。福音の内容は非常に簡単です。「イエス・キリストはあなたの罪を負ってあなたの代わりに十字架で死んでくださった。そして、あなたのいのちのために復活してくださった。」「イエス様を救い主と信じる者は罪赦されて永遠のいのちが与えられるのです」。罪の赦しと永遠の命です。死は怖くないのです。神の一方的な恵みです。しかし、サタンは光の天使を装って、あなたにささやきます。「あなたには罪はない。これまでまじめに頑張ってきた。罪人などと呼ばれることはない。あなたには救いは必要ない。」「死後裁かれる、そんなことはない。今の生活を楽しむことだ」など。また、信者に対しては、「あなたはイエス様を信じたのに、罪赦されたと言いながら、また、同じ罪を犯しているではないか。神の赦しはもう適用されない。あなたは神の前に出る資格はない。」と言って、信者を責めて教会から離れさせます。では、サタンに勝利するためにどうすればよいでしょうか。そのためには、福音を繰り返し聞くことです。毎週説教で同じことを話しています。皆さんが福音を思い起こして、もう一度、救いの恵みを得ていただきたいからです。あなたの罪が赦されていることイエス様があなたの代わりに十字架で死んで復活されたこと、そして、あなたは神の子とされ、永遠の命に与っていることです。

御名による勝利の戦い:

最初はバアルの預言者たちから始めます。牛を祭壇でたきぎの上に切り刻んで載せます。火をつけないで置きます。バアルの預言者たちは祭壇の周りで朝から真昼まで、バアルを呼ばわっていました。が、火はつきませんでした。次に、エリヤは、民全体に声をかけて、「わたしのそばに近寄りなさい」と言って、民を自分の近くに集めました。それから、主の祭壇をイスラエルの十二部族を象徴する十二の石で祭壇を立て直しました。これは、私たちクリスチャンも主の前に出る時は必ず、祭壇を築きなおさなければなりません。エリヤが整えた祭壇とは、現代では何を指すのでしょうか。旧訳の時代は、民は祭壇にいけにえを携え持っていき、罪を贖うためにその動物を殺し血を流し、そして燃やして灰にしました。そのことによって、神に近づくことができたのです。いけにえの動物は、すべて人の罪の贖いとなって十字架で死んでくださったイエス・キリストの予表です。動物と祭壇は、現在では、十字架のイエス・キリストとその御名です。現代の私たちクリスチャンにとって、祭壇を築きなおすというのは、悔い改めと言えます。打ち砕かれた悔いた心を神はさげすまれません。そのような心で神に向かうのです。エリヤは、民がもう一度、真の神に心の目を向け、思いを変えることを期待していました。イスラエルの民が悔い改めて主に立ち返ることを願っていたのです。民の前で、エリヤは神に祈りをささげます。エリヤはこの戦いは主の戦いであると知っていました。エリヤは、主が戦いに勝利してくださると確信していました。なぜなら、真の神は全能の神、不可能を可能にしてくださる神で、このお方以外には神はいない、と確信していました。バアル神との戦いで、主が勝利することは当然のことでした。現在でも、イエス・キリストは勝利者です。聖書にある通りを信じましょう。私たちはイエス様にある限り負けないのです。圧倒的な勝利者です。イエス様にしがみついている限り、私たちクリスチャンはどんなことがあっても大丈夫なのです。

心を翻す回復の戦い:

エリヤは、自分の力を見せつけたのではありません。神をも動かす自分の信仰を見せびらかしたのではありません。ただ、神の栄光が表れることを願ったのです。そして、イスラエルがないがしろにしてきた神への恐れと信頼を回復させたかったのです。その時、「主の火が降ってきて、全焼のいけにえを焼き尽くしました。民は皆、これを見て、「主こそ神。主こそ神です。」と叫んだのです。そして、エリヤの命令で、バアルの預言者たちを残らずとらえて、殺したのです。民は、皆、主こそ神であることを目で見て信じました。そして、信仰を回復しました。現代、サタンはキリストのすばらしい福音に覆いをかけて、輝かないようにしています。しかし、エリヤのように、勇気をもって主の勝利を信じて立ち上がるものと一緒に働いてくださいます。福音の輝きを取り戻してくださいます。黙っていては、このエリヤの力を体験できないでしょう。身近な人に福音を伝えましょう。

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