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永遠を見据えて今を生きる

2021年10月17日主日礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢 森田友明

<聖書>Ⅱペテロ3章1~18節
3:1 愛する者たち、私はすでに二通目となる手紙を、あなたがたに書いています。これらの手紙により、私はあなたがたの記憶を呼び覚まして、純真な心を奮い立たせたいのです。
3:2 それは、聖なる預言者たちにより前もって語られたみことばと、あなたがたの使徒たちにより伝えられた、主であり救い主である方の命令を思い出させるためです。
3:3 まず第一に、心得ておきなさい。終わりの時に、嘲る者たちが現れて嘲り、自分たちの欲望に従いながら、
3:4 こう言います。「彼の来臨の約束はどこにあるのか。父たちが眠りについた後も、すべてが創造のはじめからのままではないか。」
3:5 こう主張する彼らは、次のことを見落としています。天は大昔からあり、地は神のことばによって、水から出て、水を通して成ったのであり、
3:6 そのみことばのゆえに、当時の世界は水におおわれて滅びました。
3:7 しかし、今ある天と地は、同じみことばによって、火で焼かれるために取っておかれ、不敬虔な者たちのさばきと滅びの日まで保たれているのです。
3:8 しかし、愛する人たち、あなたがたはこの一つのことを見落としてはいけません。主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。
3:9 主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
3:10 しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は大きな響きを立てて消え去り、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地にある働きはなくなってしまいます。
3:11 このように、これらすべてのものが崩れ去るのだとすれば、あなたがたは、どれほど聖なる敬虔な生き方をしなければならないことでしょう。
3:12 そのようにして、神の日が来るのを待ち望み、到来を早めなければなりません。その日の到来によって、天は燃え崩れ、天の万象は焼け溶けてしまいます。
3:13 しかし私たちは、神の約束にしたがって、義の宿る新しい天と新しい地を待ち望んでいます。
3:14 ですから、愛する者たち。これらのことを待ち望んでいるのなら、しみも傷もない者として平安のうちに神に見出していただけるように努力しなさい。
3:15 また、私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。愛する、私たちの兄弟パウロも、自分に与えられた知恵にしたがって、あなたがたに書き送ったとおりです。
3:16 その手紙でパウロは、ほかのすべての手紙でもしているように、このことについて語っています。その中には理解しにくいところがあります。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の箇所と同様、それらを曲解して、自分自身に滅びを招きます。
3:17 ですから、愛する者たち。あなたがたは前もって分かっているのですから、不道徳な者たちの惑わしに誘い込まれて、自分自身の堅実さを失わないよう、よく気をつけなさい。
3:18 私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。イエス・キリストに栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。

<要約>

神を認めない人間中心主義の生き方

この世界は「義と愛の神」によって創られました。「義と愛の神」のご性質がこの世界、全宇宙に反映させられています。まったく正しく正義の神、つまり罪のない神、そして、私たち罪びとをご自身の独り子イエスの命に代えて、救おうとなさる愛の神であるということです。不敬虔な者たちとは、神を認めず、恐れず、神を無視し、嘲る人々のことを指します。 不敬虔な者は自らの罪により裁かれ滅びに落とされるのです。この宇宙万物は、神の創造によって始まり、そしてやがて終焉を迎えます。神のご計画が実行されていくのです。被造物である私達には、全てを理解することはできません。しかし、 神は人をご自身の目的のためにお造りになりました。ですから、だれでも人には、神から与えられた生きる目的があるのです。しかし、多くの人々は真の神を無視するためにこの目的を失っています。キリストは、そのような人々を救うために、神が人となって、世に来てくださったのです。さばきと滅びの日が来る前に、すべての人を天の御国に招くために、罪びとを招くために来てくださったのです。

神の日を待ち望む生き方

それに対してペテロは、「愛する者たち」と異邦人クリスチャンに向けて言います。そして、主は、ある人たちが遅れていると思っているように約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。神は、誰も滅びることがなく全ての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。天地は滅び、私たちの地上の命は失われるでしょう。しかし、神の約束に従って義の宿る新しい天と新しい地を待ち望んでいます。これは、神が約束される天のみ国です。これから試練の時代に入る異邦人クリスチャンに向けて、ペテロは、み言葉を慕い求めること、救い主キリストの教えにとどまること、しみも傷もない純真なものとして信仰と祈りによる堅実な生き方を勧めているのです。そのような恵を覚えて、忍耐深く、今の時を敬虔に生きることこそ、神の日を待ち望む生き方であると思います。その上で、イエス様が私たちに勧めています。神を愛し、人を愛しなさいと。

クリスチャン生活の中心

2021年10月10日ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>Ⅰペテロの手紙2章1~10節

【新改訳2017】
Ⅰペテ
2:1 ですからあなたがたは、すべての悪意、すべての偽り、偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、
2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。
2:3 あなたがたは、主がいつくしみ深い方であることを、確かに味わいました。
2:4 主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが神には選ばれた、尊い生ける石です。
2:5 あなたがた自身も生ける石として霊の家に築き上げられ、神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げる、聖なる祭司となります。
2:6 聖書にこう書いてあるからです。「見よ、わたしはシオンに、選ばれた石、尊い要石を据える。この方に信頼する者は決して失望させられることがない。」
2:7 したがってこの石は、信じているあなたがたには尊いものですが、信じていない人々にとっては、「家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった」のであり、
2:8 それは「つまずきの石、妨げの岩」なのです。彼らがつまずくのは、みことばに従わないからであり、また、そうなるように定められていたのです。
2:9 しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。
2:10 あなたがたは以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、あわれみを受けたことがなかったのに、今はあわれみを受けています。

<要約>

みことばを慕い求める生活

純粋な霊的な乳、それはみ言葉です。みことばを熱心にしたい求めること。クリスチャンはみことばを読むこと、みことばを聞くことにより、成長して救いを得るのです。生まれたばかりの乳飲み子は貪欲に乳を慕い求めます。それと同じように私たちも神のみことばを慕い求めることを生活の中心に置いていきたいと願います。3節では、「あなたがたは、主がいつくしみ深い方であることを、確かに味わいました」と書いています。赤ちゃんは自分の欲求に応えてくれる母親に対して愛と信頼の心を培っています。私たち生まれながらの人間が、もしみことばを熱心に慕い求めるならば、主は応えてくださいます。この味わうという言葉の中に繰り返し、繰り返し、何度も何度も、み言葉を読み説教を聞くという行為が含まれています。私たちはそれによって、主のいつくしみ深い養いのみ言葉を自らの心に受け取ることができます。

神の民とされている自覚に生きる

私たちクリスチャンは心も身体もすべてを主に捧げて、生きていくのです。それがクリスチャンライフです。自分の欲望を追求するのではなく、神のみこころを追求して行く生き方です。そう言うと何か堅苦しい、自由のない生き方のように聞こえるかもしれません。しかし、 そこにこそ本当の自由な生き方があるのです。人間の欲望は、限りがありません。「真理があなたがたを自由にする」とあります。真理はイエス・キリストを指します。今イエス様を信じる者は神の民であり、憐みを受けて、神の栄誉と祝福を約束された民であるということができます。ペテロは、そのように私たちに神の民としての生き方を示したのです。この方に信頼するものは決して失望されることはない。さまざまな困難苦難に出会うで会う事でありますが、私たちは、最後の勝利者です。そして私たちは、驚くべき光の中に召された者達です。この素晴らしい福音をあなた方が告げ知らせるためです、とある通り、私たちは周りの方々にこの素晴らしい救いの福音を宣べ伝えるのです。そのために召されているということができます。

イエス・キリストの系図

2021年9月26日主日礼拝 ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>マタイの福音書1章1~21節
1:1 アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。
1:2 アブラハムがイサクを生み、イサクがヤコブを生み、ヤコブがユダとその兄弟たちを生み、
1:3 ユダがタマルによってペレツとゼラフを生み、ペレツがヘツロンを生み、ヘツロンがアラムを生み、
1:4 アラムがアミナダブを生み、アミナダブがナフションを生み、ナフションがサルマを生み、
1:5 サルマがラハブによってボアズを生み、ボアズがルツによってオベデを生み、オベデがエッサイを生み、
1:6 エッサイがダビデ王を生んだ。ダビデがウリヤの妻によってソロモンを生み、
1:7 ソロモンがレハブアムを生み、レハブアムがアビヤを生み、アビヤがアサを生み、
1:8 アサがヨシャファテを生み、ヨシャファテがヨラムを生み、ヨラムがウジヤを生み、
1:9 ウジヤがヨタムを生み、ヨタムがアハズを生み、アハズがヒゼキヤを生み、
1:10 ヒゼキヤがマナセを生み、マナセがアモンを生み、アモンがヨシヤを生み、
1:11 バビロン捕囚のころ、ヨシヤがエコンヤとその兄弟たちを生んだ。
1:12 バビロン捕囚の後、エコンヤがシェアルティエルを生み、シェアルティエルがゼルバベルを生み、
1:13 ゼルバベルがアビウデを生み、アビウデがエルヤキムを生み、エルヤキムがアゾルを生み、
1:14 アゾルがツァドクを生み、ツァドクがアキムを生み、アキムがエリウデを生み、
1:15 エリウデがエレアザルを生み、エレアザルがマタンを生み、マタンがヤコブを生み、
1:16 ヤコブがマリアの夫ヨセフを生んだ。キリストと呼ばれるイエスは、このマリアからお生まれになった。
1:17 それで、アブラハムからダビデまでが全部で十四代、ダビデからバビロン捕囚までが十四代、バビロン捕囚からキリストまでが十四代となる。
1:18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった。
1:19 夫のヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った。
1:20 彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。
1:21 マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」

<要約>

罪人を救うために人となったキリスト

系図を通して、キリストはユダヤ人の王、そしてユダヤ人の救い主としてお生まれになりました。それと同時に、異邦人や罪人と言われている人々のために。すなわちすべての人々の救い主であることを物語っています。また、神はありのままの人間を受け入れているということです。そのような罪深い私たちの真ん中にご自身のひとり子イエス様を送ってくださったのです。罪人を救うために人となって来てくださったのです。イスラエルは真の神、力ある全能の神、愛とあわれみの富む神を信頼できず、イスラエルの民は人の知恵や偶像に頼りました。そのような中で、祭司エズラは、これまでのイスラエルの歴史を振り返り、宗教改革を断行します。律法に帰る運動です。エズラの後、宗教指導者たちは、律法に厳格であろうとして、さらに細則を儲けて規則に規則を作るようになりました。十戒をはじめとした律法をとにかく守ることを重要視したのです。 行きつくところ、律法を守ってさえいればよい、という考え方です。心はどうでもよい。それが律法主義です。そして、また、神のみ心から遠く離れるのです。

心砕かれ悔い改めてイエスを信じる

神は、ご自分が選んだイスラエル民族を宝の民としました。それに対してイスラエルは偶像に身をやつし、まことの神からはなれてしまいました。そこに、神の真実を見ると同時に人間の罪深さ、人間の不真実、不誠実を見ることができます。私たちは、自分を罪人と認めてへりくだった信仰こそが神に喜ばれるのです。私たちには目に見えない神を信じ続ける事は難しく、目に見えるものに心を奪われ信頼を置きやすい弱さを持っています。私たちの罪が赦されるためには誰かが身代わりとなって罪の刑罰を受けなければなりません。神は人間を罪の裁きから救うために、神の一人子であるイエス・キリストを十字架につけ、私たちの身代わりとして、その十字架の血によって私たちの罪を赦すという驚くべき救いの道を備えてくださったのです。それがキリストが世にこられた目的です。キリストはあなたの苦しみと困難のただ中に来てくださいます。否、これまでもキリストはあなたのところへ来て下さっていたのです。でも、あなたはそれに気付かなかったのです。 砕かれた、悔いた心を持って、イエス様を信じることです。

キリストを信じて従う喜び

2021年9月19日礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>Ⅰペテロの手紙1章1~9節
1:1 イエス・キリストの使徒ペテロから、ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアに散って寄留している選ばれた人たち、すなわち、
1:2 父なる神の予知のままに、御霊による聖別によって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人たちへ。恵みと平安が、あなたがたにますます豊かに与えられますように。
1:3 私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださいました。
1:4 また、朽ちることも、汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これらは、あなたがたのために天に蓄えられています。
1:5 あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりの時に現されるように用意されている救いをいただくのです。
1:6 そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。今しばらくの間、様々な試練の中で悲しまなければならないのですが、
1:7 試練で試されたあなたがたの信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエス・キリストが現れるとき、称賛と栄光と誉れをもたらします。
1:8 あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍っています。
1:9 あなたがたが、信仰の結果であるたましいの救いを得ているからです。

<要約>

信仰の故に苦難を受ける

誰でも真剣に信仰に生きようとするならば人生において試練を経験するものです。それは神ご自身が御子の十字架の死を通して 苦しみと悲しみを経験なさったことと関係します。私たちは、どんなときもイエス様に従うこと、そして、たとえつまずいたり失敗したりしても、キリストの十字架の赦しを受けて、前に進むことです。十字架の苦難は、無実の神の御子が、極悪人にしか適用されない十字架刑に処せられたことです。それは、すべての人、そしてあなたの罪を背負って身代わりとなって死刑を受けてくださったことによります。本来、人はそのままでは自らの罪によって永遠の滅びに至ります。しかし、神の恵みは、十字架を信じる者には誰にでも、無条件に罪を赦し、永遠のいのちを与えてくださいます。イエス様に従う私たちクリスチャンも、苦難と悲しみを経験するものとして召されている、ということができます。ペテロは 断言しております。信仰のゆえに生じる試練や困難は、後に称賛と栄光と誉をもたらすというのです。もし、クリスチャンであることのために悪口雑言を受けるなら幸いです。栄光の御霊があなたを見守っていてくださるからです。そして、あなたは神を崇めるようになるのです。そこに、信仰の故の苦難と悲しみの意義があるからです。

栄えに満ちた喜びに至る救い

イエス様の御生涯は苦しみと悲しみで終わったのではありません。復活により、生ける望みに、栄に満ちた喜びに、逆転勝利したのです。ですからここで、ペテロは勧めています。神はあなたを新しく生れさせ、生ける望みを持たせてくださったのだと。新しく生まれるためには、まず、死ななければなりません。それは、自分中心の古い自分に死ぬことです。つまり罪の自分に死んで聖霊に内に住んでいただくことです。イエス様は水と霊によって生まれなければ神の国を見る事ができないと、語りました。水は洗礼を意味します。洗礼により罪に死んで内に住まわれる聖霊によって生きるのです。キリストは命に至る道です。私たち信者は信仰の結果である、罪の赦しからくる救いを得ています。人生は死んで終わりではありません。やがて、信仰の報いである天での栄えに満ちた喜び踊る生活があなたを待っています。私たちは天国を先取りして今、喜んでいます。

復活の希望

2021年9月12日礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>創世記22章1~14節
22:1 これらの出来事の後、神がアブラハムを試練にあわせられた。神が彼に「アブラハムよ」と呼びかけられると、彼は「はい、ここにおります」と答えた。
22:2 神は仰せられた。「あなたの子、あなたが愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そして、わたしがあなたに告げる一つの山の上で、彼を全焼のささげ物として献げなさい。」
22:3 翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、二人の若い者と一緒に息子イサクを連れて行った。アブラハムは全焼のささげ物のための薪を割った。こうして彼は、神がお告げになった場所へ向かって行った。
22:4 三日目に、アブラハムが目を上げると、遠くの方にその場所が見えた。
22:5 それで、アブラハムは若い者たちに、「おまえたちは、ろばと一緒に、ここに残っていなさい。私と息子はあそこに行き、礼拝をして、おまえたちのところに戻って来る」と言った。
22:6 アブラハムは全焼のささげ物のための薪を取り、それを息子イサクに背負わせ、火と刃物を手に取った。二人は一緒に進んで行った。
22:7 イサクは父アブラハムに話しかけて言った。「お父さん。」彼は「何だ。わが子よ」と答えた。イサクは尋ねた。「火と薪はありますが、全焼のささげ物にする羊は、どこにいるのですか。」
22:8 アブラハムは答えた。「わが子よ、神ご自身が、全焼のささげ物の羊を備えてくださるのだ。」こうして二人は一緒に進んで行った。
22:9 神がアブラハムにお告げになった場所に彼らが着いたとき、アブラハムは、そこに祭壇を築いて薪を並べた。そして息子イサクを縛り、彼を祭壇の上の薪の上に載せた。
22:10 アブラハムは手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。
22:11 そのとき、【主】の使いが天から彼に呼びかけられた。「アブラハム、アブラハム。」彼は答えた。「はい、ここにおります。」
22:12 御使いは言われた。「その子に手を下してはならない。その子に何もしてはならない。今わたしは、あなたが神を恐れていることがよく分かった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しむことがなかった。」
22:13 アブラハムが目を上げて見ると、見よ、一匹の雄羊が角を藪に引っかけていた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の息子の代わりに、全焼のささげ物として献げた。
22:14 アブラハムは、その場所の名をアドナイ・イルエと呼んだ。今日も、「【主】の山には備えがある」と言われている。

<要約>

試練の先に備えあり:

アブラハムの信仰は、復活の信仰といえます。アブラハムは、イサクのいのちを神が死者の中から取り戻してくださると信じました。神もアブラハムを信頼していました。そして今、アブラハムに課そうとしている試練を、神は、ご自身にも課しておられたのです。それは、神の最愛のひとり子イエス様を、すべての人のために、つまり、愛するあなたのためになだめの供え物として十字架にかけることです。アブラハムは、刀を振り上げてイサクを屠ろうとしたその時、神様の「待った」が入ったのです。イサクの代わりとなる一頭の雄羊が藪に角をかけていました。アブラハムはそこを「アドナイ・イルエ」名付けました。「主の山には備えがある」という意味です。主の山には備えがある。試練の先にも、神は備え、すなわち準備をしていてくださるということです。私たちは、時には死に至るような試練に遭うかもしれません。しかし、驚き怪しむことなく、神の備えを期待し、信仰によって、すなわち、み言葉と祈りによって勝利することです。それが信仰者の試練の対処の仕方ということができます。

死を通していのちに至る:

聖書が教える死は、誰でもが迎える肉体の死だけでなく、肉体の死の後に来る魂、あるいは霊の死です。誰もが肉体の死を通らなければなりませんが、死後、やがて復活のからだをいただいて永遠に生きるものとされます。なぜ、神は地上にいる間、この肉体の死を残しておられたのでしょうか。もし、キリストの贖いにより、キリストを信じ洗礼を受けたとたんに罪赦されて永遠のいのちが与えられて、死が無くなったらどうでしょうか。私たちの周りは、死なない人と死ぬ人が混在することになります。洗礼を受けた人は死なない人、その逆は死ぬ人。それが一目瞭然であったらどうでしょうか。当然みな死にたくないので、とにかく洗礼を受けるでしょう。この世に信仰はいらなくなりますし、信仰はなくなります。神は、信仰を通して人を救おうとなさっています。神は信仰を最も大切なこととしておられるからです。信じた者にも地上で肉体の死が残されているわけは、クリスチャンが最後まで、信仰に生きるためです。死を迎えるまで、信仰の訓練は続きます。死がいのちの終わりではなく、死がいのちの始まりとなるからです。

祝福の約束

2021年9月5日主日礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>創世記11:31~12:7

【新改訳2017】
11:31 テラは、その息子アブラムと、ハランの子である孫のロトと、息子アブラムの妻である嫁のサライを伴い、カナンの地に行くために、一緒にカルデア人のウルを出発した。しかし、ハランまで来ると、彼らはそこに住んだ。
11:32 テラの生涯は二百五年であった。テラはハランで死んだ。

12:1 【主】はアブラムに言われた。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。
12:2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。
12:3 わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」
12:4 アブラムは、【主】が告げられたとおりに出て行った。ロトも彼と一緒であった。ハランを出たとき、アブラムは七十五歳であった。
12:5 アブラムは、妻のサライと甥のロト、また自分たちが蓄えたすべての財産と、ハランで得た人たちを伴って、カナンの地に向かって出発した。こうして彼らはカナンの地に入った。
12:6 アブラムはその地を通って、シェケムの場所、モレの樫の木のところまで行った。当時、その地にはカナン人がいた。
12:7 【主】はアブラムに現れて言われた。「わたしは、あなたの子孫にこの地を与える。」アブラムは、自分に現れてくださった【主】のために、そこに祭壇を築いた。

<要約>

神が与えてくださる祝福とは:

神はアブラムに土地を与える約束をします。そして、アブラムに子孫の約束を与えます。子孫が大いなる国民となることです。繁栄の約束です。アブラハムの祝福を受け継ぐクリスチャンである私たちにも、神は天にある豊かなあふれる富をお与えになります。そして、「わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。」と宣言されました。それは、神はどんな時もあなたの味方であること。そして、神がどんな時もあなたとともにいてくださる約束です。さらにそれは、繁栄と勝利の祝福と言えます。なぜなら、勝利の主がいつもあなたと共にいてくださるからです。次に、神の祝福は、罪の赦しと永遠のいのちです。それは、アブラハムの子孫イエス・キリストにより与えられるものです。すべての人には罪があるので、神の祝福を受けることはできません。そのあらゆる罪から私達を贖いとってくださったのが、イエス・キリストの十字架です。私たちクリスチャンもアブラハムのように地上では旅人で苦労の多い人生かもしれませんが、神を信頼して歩んでいきましょう。

神の祝福にとどまり続けるためには:

どのようにしたら神の祝福にとどまり続けることができるのでしょうか。それは、ずばり、あなたを造り、あなたを愛しておられる神を認め、信じることです。そして、神が送ってくださった神の独り子イエス・キリストをあなたの救い主として信じて洗礼を受けることです。アブラハムの祝福があなたのものとなります。なぜなら、神がアブラハムに約束してくださったこの祝福と救いは、イエス・キリストにおいて成就しました。現在、全世界の教会を通して、すべての人々に等しく提供されています。聖書は多くの箇所を通してイエス・キリストこそ、私たちすべての人を、罪と死と悪魔から救い出してくださる真の救い主であることを主張しております。イエス・キリストを信じる者は、罪赦されて、永遠のいのちをいただくのです。それが祝福です。アブラムは特別な人だったのでしょうか。否、アブラムは偉い人であったと思いますが、失敗も多くしました。普通の人であったと思います。そのアブラハムのように、神はあなたに目を留め、あなたを祝福の伝達者、祝福の基とするのです。

バベルの塔

2021年8月22日ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>創世記11章1~9節
【新改訳2017】
11:1 さて、全地は一つの話しことば、一つの共通のことばであった。
11:2 人々が東の方へ移動したとき、彼らはシンアルの地に平地を見つけて、そこに住んだ。
11:3 彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作って、よく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを、漆喰の代わりに瀝青を用いた。
11:4 彼らは言った。「さあ、われわれは自分たちのために、町と、頂が天に届く塔を建てて、名をあげよう。われわれが地の全面に散らされるといけないから。」
11:5 そのとき【主】は、人間が建てた町と塔を見るために降りて来られた。
11:6 【主】は言われた。「見よ。彼らは一つの民で、みな同じ話しことばを持っている。このようなことをし始めたのなら、今や、彼らがしようと企てることで、不可能なことは何もない。
11:7 さあ、降りて行って、そこで彼らのことばを混乱させ、互いの話しことばが通じないようにしよう。」
11:8 【主】が彼らをそこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。
11:9 それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。そこで【主】が全地の話しことばを混乱させ、そこから【主】が人々を地の全面に散らされたからである。

<要約>

神中心から人間中心になった社会;

バベルの塔は、人間こそが最高の存在であり、人間に栄光を帰する象徴でもあります。実はこれは、サタンの策略です。アダムの失敗以来見事に人類はサタンの支配下で操られているのです。最初の人、アダムは、「神のようになれる」というサタンの言葉で誘惑されて、神になろうとして罪を犯しました。人間は神に似せて作られたがゆえに、人間の知恵のすばらしさは今の科学や技術革新を見てもわかります。しかし、欲望が知性を後押しすると人間は自滅の道を進みます。ダイナマイトを発明したノーベルは平和利用を願っていましたが、人類はそれを戦争に使いました。問題点はどこにあるのでしょうか。特別に悪い人が人類を悪い方向へと導いているのでしょうか。そうではありません。聖書は、これらの原因は私たち一人ひとりの内にあると指摘します。罪の根が私たち誰にでもあるからです。ノアは箱舟から大地に立った時、すぐに祭壇を築き、神に全焼のいけにえをささげ、礼拝を捧げました。ノアは神中心で再出発しましたが、ここでニムロデの時代に至って人間中心に戻ってしまいました。自分達の為に塔を立てたのです。神の聖名を崇めるためではなく、自分たち人間の名を挙げるためです。ここに人間中心主義の始まりを見ることができます。

正すために降りてこられた神;

神は、悪に傾く人間をもう一度滅ぼし尽くすこともできたでしょう。しかし、神はあわれみによって、滅ぼさないで、ことばを混乱させることにより、分裂させたのです。人間中心の世界には救いはありません。かくして、言葉が通じなくなった人々は、地の全面に散らされたのです。次章では、セム族の中にアブラハムが登場します。神はアブラハムを通して、すべての国民を祝福すると約束されました。アブラハムから二千年の歳月を経て、アブラハムの子孫のイスラエル民族から救い主イエス・キリストがお生まれになりました。その約束通り、イエス・キリストにより、現代すべての国民は祝福されています。イエス・キリストは、あなたを罪と死と悪魔から救うために来られました。神は、言葉を混乱させて人々を散らされたのとは反対に、キリストにより全人類を一つの国民一つの民にしたいと願っています。サタンの支配からキリストの支配に取り戻そうと願っておられるのです。私たちはそのために先に救われたのです。

虹は再生と祝福の約束

2021年8月15日ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>創世記8:1~22、9:8~13
8:1 神は、ノアと、彼とともに箱舟の中にいた、すべての獣およびすべての家畜を覚えておられた。神は地の上に風を吹き渡らせた。すると水は引き始めた。
8:2 大水の源と天の水門が閉ざされ、天からの大雨がとどめられた。
8:3 水は、しだいに地の上から引いていった。水は百五十日の終わりに減り始めた。
8:4 箱舟は、第七の月の十七日にアララテの山地にとどまった。
8:5 一方、水は第十の月まで減り続け、第十の月の一日に、山々の頂が現れた。
8:6 四十日の終わりに、ノアは自分の造った箱舟の窓を開き、
8:7 烏を放った。すると烏は、水が地の上から乾くまで、出たり戻ったりした。
8:8 またノアは、水が地の面から引いたかどうかを見ようと、鳩を彼のもとから放った。
8:9 鳩は、その足を休める場所を見つけられなかったので、箱舟の彼のもとに帰って来た。水が全地の面にあったからである。彼は手を伸ばして鳩を捕らえ、自分がいる箱舟に入れた。
8:10 それからさらに七日待って、再び鳩を箱舟から放った。
8:11 鳩は夕方になって、彼のもとに帰って来た。すると見よ、取ったばかりのオリーブの若葉がそのくちばしにあるではないか。それで、ノアは水が地の上から引いたのを知った。
8:12 さらに、もう七日待って、彼は鳩を放った。鳩はもう彼のところに戻って来なかった。
8:13 六百一年目の第一の月の一日に、水は地の上から干上がった。ノアが箱舟の覆いを取り払って眺めると、見よ、地の面は乾いていた。
8:14 第二の月の二十七日には、地はすっかり乾いた。
8:15 神はノアに告げられた。
8:16 「あなたは、妻と、息子たちと、息子たちの妻たちとともに箱舟から出なさい。
8:17 すべての肉なるもののうち、あなたとともにいる生き物すべて、鳥、家畜、地の上を這うすべてのものが、あなたとともに出るようにしなさい。それらが地に群がり、地の上で生み、そして増えるようにしなさい。」
8:18 そこでノアは、息子たち、彼の妻、息子たちの妻たちとともに外に出た。
8:19 すべての獣、すべての這うもの、すべての鳥、すべて地の上を動くものも、種類ごとに箱舟から出て来た。
8:20 ノアは【主】のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜から、また、すべてのきよい鳥からいくつかを取って、祭壇の上で全焼のささげ物を献げた。
8:21 【主】は、その芳ばしい香りをかがれた。そして、心の中で【主】はこう言われた。「わたしは、決して再び人のゆえに、大地にのろいをもたらしはしない。人の心が思い図ることは、幼いときから悪であるからだ。わたしは、再び、わたしがしたように、生き物すべてを打ち滅ぼすことは決してしない。
8:22 この地が続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜がやむことはない。」
9:8 神は、ノアと、彼とともにいる息子たちに仰せられた。
9:9 「見よ、わたしは、わたしの契約をあなたがたとの間に立てる。そして、あなたがたの後の子孫との間に。
9:10 また、あなたがたとともにいるすべての生き物との間に。鳥、家畜、それに、あなたがたとともにいるすべての地の獣、箱舟から出て来たすべてのものから、地のすべての生き物に至るまで。
9:11 わたしは、わたしの契約をあなたがたとの間に立てる。すべての肉なるものが、再び、大洪水の大水によって断ち切られることはない。大洪水が再び起こって地を滅ぼすようなことはない。」
9:12 さらに神は仰せられた。「わたしとあなたがたとの間に、また、あなたがたとともにいるすべての生き物との間に、代々にわたり永遠にわたしが与えるその契約のしるしは、これである。
9:13 わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それが、わたしと地との間の契約のしるしである。

<要約>

終わることのない労苦;

雨が全地を覆う前に、ノアは、もうじき洪水によって神の裁きが起こることを同胞や隣人に伝えていたのです。しかし、当時の人々も、ノアの話は空想話のようで、聞く耳を持たなかったのです。現代も多くの人々は同じ反応をします。聖書の警告は空想話のように響くのです。神はノアの心を守ってくださいました。人生の歩みの中においても、多かれ少なかれ労苦は続きます。生活の労苦もそうです。また、信念を持って行ったことが思うようにならなかったこともあるでしょう。しかし、その中にあっても神は私たちの心を守って下さいます。神があなたに、心を留めてくださっているからです。試練と思われることにあっても神は、信じる者の心を守ってくださいます。最近、同じ開業医の仲間ですが、長男さんが心臓発作から脳に広範なダメージを受けて植物状態になったことを聞きました。 お電話をいただき祈っていたのですが、最近メールで、こう書いていました。「神の思し召しは大いなる愛によるもので、試練も乗り越えて行けるものと信じて参ります」と。私たちは、自分のすべての領域を神に明け渡してお取り扱いいただく必要があります。心を守り、あなたを祝福してくださいます。

再生と祝福の約束;

神は、土地を呪うことはないが、悪に走る人間の現実を覚えておられて、種蒔きと刈り入れ、暑さと寒さなど、人間の罪ゆえに、人間は生きるための苦しみや困難を経験していくということを示唆されました。そのうえで、神は、「生めよ。増えよ。地に満ちよ」とノアの家族を祝福しました。そして、もう世界を洪水で滅ぼすことはないと約束されました。聖書に映る神には、大きく分けて二つの御思いがあります。一つは、人の罪に対する怒りです。もう一つは、変わることのない神の愛です。聖書を通して見える神の二つのお姿ということもできます。矛盾するような二つの思い、怒りと愛、それに筋を通したのが、イエス・キリストの十架です。神は虹により、水によって世界を滅ぼさないと約束されました。神はひとりでも滅びることを望まず、全ての人が悔い改めに進むことを望んでおられます。最終的には天地は滅びます。しかし、イエス様の十字架により、神の怒りは過ぎ去って、愛が注がれています。赦されているがゆえに感謝と賛美をもって従っていきましょう。


断絶から回復への道

2021年8月8日ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>創世記3章16~24節
【新改訳2017】
3:16 女にはこう言われた。「わたしは、あなたの苦しみとうめきを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。また、あなたは夫を恋い慕うが、彼はあなたを支配することになる。」
3:17 また、人に言われた。「あなたが妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、大地は、あなたのゆえにのろわれる。あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる。
3:18 大地は、あなたに対して茨とあざみを生えさせ、あなたは野の草を食べる。
3:19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついにはその大地に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたは土のちりだから、土のちりに帰るのだ。」
3:20 人は妻の名をエバと呼んだ。彼女が、生きるものすべての母だからであった。
3:21 神である【主】は、アダムとその妻のために、皮の衣を作って彼らに着せられた。
3:22 神である【主】はこう言われた。「見よ。人はわれわれのうちのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、人がその手を伸ばして、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きることがないようにしよう。」
3:23 神である【主】は、人をエデンの園から追い出し、人が自分が取り出された大地を耕すようにされた。
3:24 こうして神は人を追放し、いのちの木への道を守るために、ケルビムと、輪を描いて回る炎の剣をエデンの園の東に置かれた。

<要約>

罪がもたらす断絶と呪いの人生

アダムの罪は、「人が、神を押しのけて、何事も自分で決めることにしたこと」です。それは越権行為です。ボーダー、境界線を越えたことの罪です。それに対しての対価は、エデンの園からの追放でした。どんな組織にも秩序があります。会社には社長がいます。社長の決裁に従って、会社は進んでいきます。もし、社員が社長を超えて会社で物事を決めて実行したならば、その会社は立ちゆくことができないでしょう。その社員には、その会社を辞めてもらわなければなりません。それは越権行為だからです。アダムの罪も越権行為です。同様に、人は神を押しのけて、神が決めることを人が自らの判断で決めていくことをしたのです。万物の主権は神にあります。宇宙の運行も私たち個人の寿命もお決めになるのは神です。ですから、自殺も越権行為です。しかし、人間が神を押しのけることはできません。いくら人間が高慢になって自らの力を豪語しようと、主権は神にあるのです。人は、やがて土に帰ります。そして、神と断絶された魂は、永遠の滅び、永遠の暗黒へと落とされるのです。これがアダムの罪によってもたらされ、すべての人々が受け継いだ罪です。人は、神の栄光を受けられず、代わりに罪の呪いの人生を歩まなければならなくなったのです。

神を恐れ愛し信頼する祝福の人生

神は、人が罪を犯して堕落してしまったすぐ後に、やがて来られるキリストを暗示されました。それは、壊れてしまった神との関係回復の道です。罪を犯す前にあった愛と信頼の関係です。神との関係回復は、やがて来られるキリストの十字架の贖いにより成就しました。皮の衣が与えられたのは、やがて来られるキリストの尊い犠牲を暗示しています。神から離れて神との交わりの外にある人は、どのようにしたら神との交わりに入ることができるのでしょうか。それは、ずばりイエス・キリストを信じることです。神との和解を得て、神のいのちにつながり、永遠のいのちに生きるのです。回復の希望は、神の愛への信頼、神のことばへの信頼、にあるのです。信仰者の歩は昔の人も今の人も同じです。神を恐れ、愛し、信頼し続けることです。そこに、老いても死を見ることがない、決してしぼむことのない希望に生きる祝福の人生があるのです。

天地創造の理由

2021年8月1日主日礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>創世記1章1~27節
1:1 はじめに神が天と地を創造された。
1:2 地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた。
1:3 神は仰せられた。「光、あれ。」すると光があった。
1:4 神は光を良しと見られた。神は光と闇を分けられた。
1:5 神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。
1:6 神は仰せられた。「大空よ、水の真っただ中にあれ。水と水の間を分けるものとなれ。」
1:7 神は大空を造り、大空の下にある水と大空の上にある水を分けられた。すると、そのようになった。
1:8 神は大空を天と名づけられた。夕があり、朝があった。第二日。
1:9 神は仰せられた。「天の下の水は一つの所に集まれ。乾いた所が現れよ。」すると、そのようになった。
1:10 神は乾いた所を地と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神はそれを良しと見られた。
1:11 神は仰せられた。「地は植物を、種のできる草や、種の入った実を結ぶ果樹を、種類ごとに地の上に芽生えさせよ。」すると、そのようになった。
1:12 地は植物を、すなわち、種のできる草を種類ごとに、また種の入った実を結ぶ木を種類ごとに生じさせた。神はそれを良しと見られた。
1:13 夕があり、朝があった。第三日。
1:14 神は仰せられた。「光る物が天の大空にあれ。昼と夜を分けよ。定められた時々のため、日と年のためのしるしとなれ。
1:15 また天の大空で光る物となり、地の上を照らすようになれ。」すると、そのようになった。
1:16 神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼を治めさせ、小さいほうの光る物には夜を治めさせた。また星も造られた。
1:17 神はそれらを天の大空に置き、地の上を照らさせ、
1:18 また昼と夜を治めさせ、光と闇を分けるようにされた。神はそれを良しと見られた。
1:19 夕があり、朝があった。第四日。
1:20 神は仰せられた。「水には生き物が群がれ。鳥は地の上、天の大空を飛べ。」
1:21 神は、海の巨獣と、水に群がりうごめくすべての生き物を種類ごとに、また翼のあるすべての鳥を種類ごとに創造された。神はそれを良しと見られた。
1:22 神はそれらを祝福して、「生めよ。増えよ。海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ」と仰せられた。
1:23 夕があり、朝があった。第五日。
1:24 神は仰せられた。「地は生き物を種類ごとに、家畜や、這うもの、地の獣を種類ごとに生じよ。」すると、そのようになった。
1:25 神は、地の獣を種類ごとに、家畜を種類ごとに、地面を這うすべてのものを種類ごとに造られた。神はそれを良しと見られた。
1:26 神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」
1:27 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。

<要約>

神なき世界の問題

神なき世界、それは、人間が神を無視している世界です。今まで述べてきた地球温暖化も、神なき世界の問題です。人間の利己的な欲求追求の結果であるということができるでしょう。地球資源を必要以上に使い、大気汚染や水の汚染をもたらし、この地球が住みにくい惑星としてしまったのも人間です。創世記によると、神は、地上のすべてのものを人が支配するように、すなわち人に管理させました。神に似せてつくられた人間は、神から管理の賜物をいただき、自然界を支配し管理してきたと言えます。しかし、人類は神から離れ、神を認めず、自分勝手な方法で自然界を管理してきたと言えるでしょう。ですから、被造物はうめいているとローマ書に書いてあります。人は、神を認めません。ですから創造主なる神の御心をへりくだって、求めることもありません。そのために、人類はさまざまな問題を抱えて来ていると言えます。「神なく世界」は全世界をおつくりになり、治めておられる神がおられるのに、神を認めない世界観です。人類を支配している世界観です。それが、「神なき世界の問題」です。

創造はあなたの幸福のため

人は意味を持たなければ生きることはできません。生活のために仕事をします。それを通して家族が幸せになるため、愛する人々のためにつらい仕事もこなします。その意味を失ったときに人間は生きていくことができなくなります。神は、私たちひとりひとりを大切な存在とし、栄光と誉れの冠がふさわしいものとみておられます。さらに、神に代わってすべての造られた被造物を管理するために、その役割をお与えくださいました。ですから人は世のため、人のために生きるということが言えるでしょう。そして、神に栄光を帰すのです。神の思いは、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」です。神が万物を創造した目的は、神がほめたたえられること。そして、神があなたを愛して、あなたが幸せになり、幸せなあなたによって神が崇められることなのです。今日も神はあなたを招いています。神なき世界から救われなさいと。あなたを幸福にするために神はイエス様を与えてくださいました。信じて、神の提供される救いと永遠のいのちと決してしぼまない幸福を自分のものとしてください。