「未分類」カテゴリーアーカイブ

死んでも生きるのです

2024年4月14日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>

神に条件を付ける人間:

マルタはイエス様を出迎えて言いました。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」と。人は自分の経験の範囲内でしか信じることができないのです。人は神を全面的に信じることができずに、これができれば、あれができれば、ああであれば、こうであればと言って、自分の条件に合えば信じるというのです。奇跡を見たらしるしを見たら信じるというのです。自分の思い通りにしてくれたら信じるというのです。それは信仰ではありません。不信仰は、全世界を覆っています。個人レベルでも社会レベルでも、世界レベルでも、人間社会は不信仰に閉じ込められています。神を信ぜず、神を下において、人間中心で世の中は動いています。世界をつくり、あなたにいのちを与え保っておられる神を無視して、人間中心の世界ができています。神から離れているため人は無用のものとなっているとまで、パウロは言います。真の神を信じる信仰は、生まれながらの私たち人間にはありません。信仰は、神がお与えくださるものです。もし私たちがへりくだり、真の神を仰ぎ見て求めれば与えられます。

信仰を与え栄光を見せる神:

マルタは、イエス様のことばを信じ、神の栄光を見ました。ラザロは、よみがえり墓から出てきました。イエス様のみことばは、ラザロの墓の前に集まっていた多くの人々ばかりでなく、この聖書のことばを聞いて信じる者に成就します。それが神のことばの力です。「神の子のイエス様の十字架と復活は、人間にとって最後の敵である死を打ち破り、死の向こうにある復活のいのち、永遠のいのちを勝ち得てくださいました。死は敗北ではなく、永遠のいのちの入り口、勝利の入り口となりました。恵子姉は、2019年3月に繁兄と共に、当教会で洗礼を受けました。しかし、その年の11月に突然脳梗塞を起こし県立中央病院に入院しました。その時ベッドの中で、心に「勝利をのぞみ」という賛美歌が響き、それをずっと繰り返し歌っていたとのことです。後遺症もほとんどなく退院できました。恵子姉は、やがて勝利が来ることを信じて心の内に何度も賛美していたのでしょう。そして誰も迎える死を迎えました。しかし、勝利を得たのです。今、イエス様の十字架による罪の赦しを得て、永遠のいのちに生きています。文字通り、死んでも生きているのです。

<聖書>ヨハネによる福音書11章17~27,38~48節

【新改訳2017】
ヨハ
11:17 イエスがおいでになると、ラザロは墓の中に入れられて、すでに四日たっていた。
11:18 ベタニアはエルサレムに近く、十五スタディオンほど離れたところにあった。
11:19 マルタとマリアのところには、兄弟のことで慰めようと、大勢のユダヤ人が来ていた。
11:20 マルタは、イエスが来られたと聞いて、出迎えに行った。マリアは家で座っていた。
11:21 マルタはイエスに言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。
11:22 しかし、あなたが神にお求めになることは何でも、神があなたにお与えになることを、私は今でも知っています。」
11:23 イエスは彼女に言われた。「あなたの兄弟はよみがえります。」
11:24 マルタはイエスに言った。「終わりの日のよみがえりの時に、私の兄弟がよみがえることは知っています。」
11:25 イエスは彼女に言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。
11:26 また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。あなたは、このことを信じますか。」
11:27 彼女はイエスに言った。「はい、主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストであると信じております。」
中略
11:38 イエスは再び心のうちに憤りを覚えながら、墓に来られた。墓は洞穴で、石が置かれてふさがれていた。
11:39 イエスは言われた。「その石を取りのけなさい。」死んだラザロの姉妹マルタは言った。「主よ、もう臭くなっています。四日になりますから。」
11:40 イエスは彼女に言われた。「信じるなら神の栄光を見る、とあなたに言ったではありませんか。」
11:41 そこで、彼らは石を取りのけた。イエスは目を上げて言われた。「父よ、わたしの願いを聞いてくださったことを感謝します。
11:42 あなたはいつでもわたしの願いを聞いてくださると、わたしは知っておりましたが、周りにいる人たちのために、こう申し上げました。あなたがわたしを遣わされたことを、彼らが信じるようになるために。」
11:43 そう言ってから、イエスは大声で叫ばれた。「ラザロよ、出て来なさい。」
11:44 すると、死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたまま出て来た。彼の顔は布で包まれていた。イエスは彼らに言われた。「ほどいてやって、帰らせなさい。」
11:45 マリアのところに来ていて、イエスがなさったことを見たユダヤ人の多くが、イエスを信じた。

復活信仰は確かな希望

2024年3月31日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>

復活のない空しい人生:

ここでパウロは、キリストの復活とともに私たち信者の復活について述べています。もしキリストの復活がなければクリスチャンも復活する事はないでしょう。そして復活がなければ私たちの信仰はむなしいものとなります。ある人たちは言います。「イエス・キリストの言った言葉、行ったことを学んで、キリストを模範として生きていくことが大切なんだ」と。しかし、パウロはその考えを否定するかの如く、それだけでは信仰も宣教もむなしいと言うのです。すなわち、キリストの復活と言う事実がなかったらキリスト信仰は全く空虚なものになると言うのです。復活のないむなしい人生と題してお話ししています。仏教も他の宗教も復活の信仰はありません。この世の中の営みが人生の全てです。復活がないので、永遠のいのちの希望もなく、依然、罪と死と滅びに縛られています。聖書は、人間の現状について述べています。すべての人は罪と死の問題を持っていると。そして、罪と死と悪魔が人を苦しめ、人間社会を混乱させています。聖書はそこからの救いを説いています。それは、キリストの復活により、すべての人は死からいのちへ移されるという希望のメッセージです。

復活の希望に生きる人生:

ある時、サタンの誘惑によりアダムは神の戒めを破り、罪を犯しました。それ以来、この世界には罪が入り、死が入り、病が入りました。そのような罪の中でむなしく滅んでしまう私たち人間に対して、神は何をなしてくださったのでしょうか。キリストは聖霊によって身ごもった乙女マリヤより生まれました。私たちと同じ身体を持った全き人間でありました。完全な人間であり、神であるその方は全く罪のない方でした。そのキリストが全人類の罪をその身に背負って私達の身代わりとなって十字架で、罪のさばき受けて下さったのです。題してお話ししています。私たちの人生はこの世だけで終わりません。復活の希望に生きる人生は、永遠に続く命と祝福に溢れた人生です。キリストは人間の最後の敵である死を打ち破り、復活し、私たちに永遠の命を与えてくださいます。それは無条件で提供された神の恵みです。あなたが信じて受けとめればいいのです。霊的に死んでいたあなたは神の命につながったのです。まだ、この決してしぼまない確かな希望を知らない知人友人家族へ伝えていきましょう。

<聖書>Ⅰコリント15章12~24節
【新改訳2017】
15:12 ところで、キリストは死者の中からよみがえられたと宣べ伝えられているのに、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はないと言う人たちがいるのですか。
15:13 もし死者の復活がないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。
15:14 そして、キリストがよみがえらなかったとしたら、私たちの宣教は空しく、あなたがたの信仰も空しいものとなります。
15:15 私たちは神についての偽証人ということにさえなります。なぜなら、かりに死者がよみがえらないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずなのに、私たちは神がキリストをよみがえらせたと言って、神に逆らう証言をしたことになるからです。
15:16 もし死者がよみがえらないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。
15:17 そして、もしキリストがよみがえらなかったとしたら、あなたがたの信仰は空しく、あなたがたは今もなお自分の罪の中にいます。
15:18 そうだとしたら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったことになります。
15:19 もし私たちが、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。
15:20 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
15:21 死が一人の人を通して来たのですから、死者の復活も一人の人を通して来るのです。
15:22 アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストにあってすべての人が生かされるのです。
15:23 しかし、それぞれに順序があります。まず初穂であるキリスト、次にその来臨のときにキリストに属している人たちです。
15:24 それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、王国を父である神に渡されます。

あなたの罪を赦す十字架

2024年3月24日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
自分が何者なのかわからない人間:

イエス様は、彼らをおゆるし下さい、彼らは自分が何をしているのか分かっていないのです、とおっしゃいました。救い主であり神であるキリスト十字架につけた、と言うとんでもないことをしてしまっていることに気づかない。この人たちは盲目で、失われているのだ、と。この人たちは真の神もわからず、自分自身が何者であるかも分からずにいるのだ、と。わからないでしたことなのでおゆるし下さい、とイエス様は祈ったのです。聖書は、すべての読者に向けて語りかけています。そうです。ここに集う、あなたや私にも語りかけています。ですから、イエス様は、あなたや私の罪もおゆるしくださいと、父に祈ったのです。自分が何者なのかわからない人間、と題してお話ししています。神の目からすべての人は失われています。神が分からない、自分が分からないのです。そのために神の目からは、とんでもない道を歩んでいるのです。それは罪と死と滅びの道です。イエス様はそのような人間を神の前にとりなしました。「彼らの罪をおゆるし下さい、彼らは何をしているかわかってないのです」と。

天の御国へ招かれる条件:

神はすでに罪の赦しをすべての人に提供しておられます。それを受け止めるか、受け止めないか、自分のものとするかしないかはすべてあなたにかかっています。十字架上でのイエス様の祈りに肯定的な応答した人のことが書かれています。もう一人の犯罪人です。彼は十字架上でのイエス様のお姿を見て、お言葉を聞いていました。そして、かれは、自分が赦されなければならない罪人であることがわかったのです。彼は神を恐れて、心から悔い改めました。そして、「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください」と、イエス様に向かって、信仰告白したのです。「御国に入られるときには、私を思い出してください」と。へりくだった謙遜な言葉ではないでしょうか。イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます」と。イエス様は彼の信仰を見て、良しとしてくださいました。イエス様は彼の過去のことは何も触れずに、ただ、あなたは今日、パラダイスにいます、と宣言しました。この男は身体の命は失いました。しかし、彼の霊は天国で永遠の命を得たのです。これがキリストの福音であり、無条件の罪の赦しです。

<聖書>ルカの福音書23章33~43節

【新改訳2017】
23:33 「どくろ」と呼ばれている場所に来ると、そこで彼らはイエスを十字架につけた。また犯罪人たちを、一人は右に、もう一人は左に十字架につけた。
23:34 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」彼らはイエスの衣を分けるために、くじを引いた。
23:35 民衆は立って眺めていた。議員たちもあざ笑って言った。「あれは他人を救った。もし神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ったらよい。」
23:36 兵士たちも近くに来て、酸いぶどう酒を差し出し、
23:37 「おまえがユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ」と言ってイエスを嘲った。
23:38 「これはユダヤ人の王」と書いた札も、イエスの頭の上に掲げてあった。
23:39 十字架にかけられていた犯罪人の一人は、イエスをののしり、「おまえはキリストではないか。自分とおれたちを救え」と言った。
23:40 すると、もう一人が彼をたしなめて言った。「おまえは神を恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。
23:41 おれたちは、自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。だがこの方は、悪いことを何もしていない。」
23:42 そして言った。「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」
23:43 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」

ノアの洪水とバプテスマ

2024年3月17日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>創世記6章1~22節
【新改訳2017】
6:1 さて、人が大地の面に増え始め、娘たちが彼らに生まれたとき、
6:2 神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、それぞれ自分が選んだ者を妻とした。
6:3 そこで、【主】は言われた。「わたしの霊は、人のうちに永久にとどまることはない。人は肉にすぎないからだ。だから、人の齢は百二十年にしよう。」
6:4 神の子らが人の娘たちのところに入り、彼らに子ができたそのころ、またその後も、ネフィリムが地にいた。彼らは昔からの勇士であり、名のある者たちであった。
6:5 【主】は、地上に人の悪が増大し、その心に図ることがみな、いつも悪に傾くのをご覧になった。
6:6 それで【主】は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。
6:7 そして【主】は言われた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜や這うもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを悔やむ。」
6:8 しかし、ノアは【主】の心にかなっていた。
6:9 これはノアの歴史である。ノアは正しい人で、彼の世代の中にあって全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。
6:10 ノアは三人の息子、セム、ハム、ヤフェテを生んだ。
6:11 地は神の前に堕落し、地は暴虐で満ちていた。
6:12 神が地をご覧になると、見よ、それは堕落していた。すべての肉なるものが、地上で自分の道を乱していたからである。
6:13 神はノアに仰せられた。「すべての肉なるものの終わりが、わたしの前に来ようとしている。地は、彼らのゆえに、暴虐で満ちているからだ。見よ、わたしは彼らを地とともに滅ぼし去る。
6:14 あなたは自分のために、ゴフェルの木で箱舟を造りなさい。箱舟に部屋を作り、内と外にタールを塗りなさい。
6:15 それを次のようにして造りなさい。箱舟の長さは三百キュビト。幅は五十キュビト。高さは三十キュビト。
6:16 箱舟に天窓を作り、上部から一キュビト以内に天窓を仕上げなさい。また、箱舟の戸口をその側面に設け、箱舟を一階と二階と三階に分けなさい。
6:17 わたしは、今、いのちの息のあるすべての肉なるものを天の下から滅ぼし去るために、地上に大水を、大洪水をもたらそうとしている。地上のすべてのものは死に絶える。
6:18 しかし、わたしはあなたと契約を結ぶ。あなたは、息子たち、妻、それに息子たちの妻とともに箱舟に入りなさい。
6:19 また、すべての生き物、すべての肉なるものの中から、それぞれ二匹ずつを箱舟に連れて入り、あなたとともに生き残るようにしなさい。それらは雄と雌でなければならない。
6:20 鳥は種類ごとに、動物も種類ごとに、また地面を這うすべてのものも種類ごとに、それぞれ二匹ずつが生き残れるよう、あなたのところに来なければならない。
6:21 あなたは、食べられるあらゆるものから採って、自分のところに集め、あなたとそれらの動物のための食物としなさい。」
6:22 ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行った。

<要約>

罪の力と悪の増大;

人間は御霊に聞き従うより、肉、すなわち罪の性質に従うことを選択して生きるようになりました。いつしか、神の存在を認めなくなったのです。ついには、神の存在すらわからなくなったのです。それが罪のもたらす結果です。私たちクリスチャンは、聖霊をいただいた者たちですが、肉といわれる罪の性質が残っています。もし、御霊によって生きなければ肉によって生きることになります。ついには、聖霊を追い出してしまうのです。日本では、洗礼を受けてクリスチャンになっても、信仰の破船に会い、教会から離れて行く人々が多くあります。聖霊に聞き従うより、自分の肉に従う人々です。ついに神は、地上に人を造られたことを悔やみ、心を痛められました。そして全人類すべての動植物を地上から消し去ろうと神は決意なさったのです。何度も神は悔い改めを迫ったでしょう。実際、箱舟を建造する数十年の期間を用いて、ノアは宣教したことがうかがわれます。しかし、聞く耳を持たなかった人類に、ついに裁きの時が来たのです。雨が降り始めたその日にノアとその家族は箱舟に入りました。あらゆる動物たちも中に入りました。その時も、箱舟の扉は空いていたのです。人々は招かれていたのです。最後に神が後ろの戸を閉められたのです。

水をくぐり救われるバプテスマ;

ノアは箱舟で水を潜り抜けて救われました。そして、信仰によって義とされました。彼は、箱舟をつくって、人々をそこに入るように招いたものの、世の人々は不信仰になり、神の警告を聞きませんでした。その事により世は罪に定められたのです。また、この箱舟は、水を潜り救われるバプテスマを象徴しています。ノアの時代に、神が忍耐して待っておられたにもかかわらず、ノアの宣教によっても従わなかった人たちは救われることなく滅びました。ノアの家族8人だけが水をくぐって救われたのです。これは、救われるための水によるバプテスマをあらかじめ示しています。信じてバプテスマを受ける者は救われると書いてある通りです。バプテスマはキリストの十字架と復活を信じる信仰と共に働き、あなたを救うのです。神はノアを選び、契約を結び、彼に人類救済を託しました。神の愛と恵を決して無にしてはいけません。戸が閉じられてでは遅いのです。今日が悔い改めの日です。イエス様を心に受け入れて新しい人生を歩みましょう。

困難の中で前向きに生きる

2024年3月3日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>ネヘミヤ記1章1~11節
【新改訳2017】
1:1 ハカルヤの子ネヘミヤのことば。第二十年のキスレウの月に、私がスサの城にいたときのことであった。
1:2 私の兄弟の一人ハナニが、ユダから来た数人の者と一緒にやって来た。私は、捕囚されずに残された逃れの者であるユダヤ人たちについて、またエルサレムのことについて、彼らに尋ねた。
1:3 彼らは私に答えた。「あの州で捕囚を生き残った者たちは、大きな困難と恥辱の中にあります。そのうえ、エルサレムの城壁は崩され、その門は火で焼き払われたままです。」
1:4 このことばを聞いたとき、私は座り込んで泣き、数日の間嘆き悲しみ、断食して天の神の前に祈った。
1:5 「ああ、天の神、【主】よ。大いなる恐るべき神よ。主を愛し、主の命令を守る者に対して、契約を守り、恵みを下さる方よ。
1:6 どうか、あなたの耳を傾け、あなたの目を開いて、このしもべの祈りを聞いてください。私は今、あなたのしもべイスラエルの子らのために、昼も夜も御前に祈り、私たちがあなたに対して犯した、イスラエルの子らの罪を告白しています。まことに、私も私の父の家も罪を犯しました。
1:7 私たちはあなたに対して非常に悪いことをして、あなたのしもべモーセにお命じになった、命令も掟も定めも守りませんでした。
1:8 どうか、あなたのしもべモーセにお命じになったことばを思い起こしてください。『あなたがたが信頼を裏切るなら、わたしはあなたがたを諸国の民の間に散らす。
1:9 あなたがたがわたしに立ち返り、わたしの命令を守り行うなら、たとえ、あなたがたのうちの散らされた者が天の果てにいても、わたしは彼らをそこから集め、わたしの名を住まわせるためにわたしが選んだ場所に連れて来る。』
1:10 これらの者たちこそ、あなたがその偉大な力と力強い御手をもって贖い出された、あなたのしもべ、あなたの民です。
1:11 ああ、主よ。どうかこのしもべの祈りと、喜んであなたの名を恐れるあなたのしもべたちの祈りに耳を傾けてください。どうか今日、このしもべに幸いを見させ、この人の前で、あわれみを受けさせてくださいますように。」そのとき、私は王の献酌官であった。

<要約>

神から離れた人間社会の悲惨:

現代、多くの人々は真の神を認めず、神のみこころを求めず、神から遠く離れています。人の良心は曇り、利己的な願いを優先するので、戦争はやみません。世界は壊されて、がれきとなりつつあります。この地球も壊れてきていると言えます。聖書の預言通り終わりに向かって進んでいます。神から離れ、神のいのちを失っている人間は、罪と死と滅びの法則に乗っかって終わりに向かっていると言えます。神を無視している人間社会では、人間がいくら努力しても悪魔の力、そして、誰もが持つ罪の力に勝つことはできません。しかし、神はそのような人間社会を諦めていません。忍耐をもって救おうと決めたおられます。イスラエルを周辺諸国から救うためにネヘミアは必至で祈りました。そして、行動しました。主はそれに答えてくださいました。私たちクリスチャンの祈りも神は待っておられます。人々が真の神に立ち返るために始めに私たちがする行動は祈りです。私たちの周辺の社会のために、世界を破滅に向かわせているイスラエルとハマス、ロシアとウクライナの戦争の終結、平和と救いのために祈りたいと思います。

祈りに応え回復に導く神:

イスラエルは国を失い、困難と苦難の中にありました。ネヘミヤは、神の約束をにぎり、大胆にみ前で祈りました。神は、私たちの願いに耳を傾け、それを否定するのではなく、それをかなえようとなさる方です。神は祝福の神です。神は私たちが悔い改めて、真の神に立ち返ることを望んでおられます。そして、困難にもめげず、前を向いて歩んでいくことを求めておられるのです。聖書には肯定的な言葉にあふれています。マタイ25章にあるように、5タラント、2タラント、1タラントを預けられたしもべのたとえ話のようです。5タラントと2タラント任された人は積極的に用いてそれぞれさらに5タラント、2タラント儲けました。1タラントの人は、それを地に埋めておいたというのです。失敗を恐れず前向きに生きた2人には、神からの賞賛が届きました。それは、困難の中でも前向きに生きる人生です。神はそのようにあわれみに富んでおられます。なぜなら、御子を身代わりに十字架にかけることも惜しまずあなたを愛しておられるからです。ましてや神は私たちが滅びに行ってしまうのを決して望んでいません。忍耐を持って、神に立ち返るのを待っておられます。

みことばを宣べ伝えなさい

2024年2月25日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>Ⅱテモテ4章1~8節

【新改訳2017】
Ⅱテモ
4:1 神の御前で、また、生きている人と死んだ人をさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思いながら、私は厳かに命じます。
4:2 みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。
4:3 というのは、人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地よい話を聞こうと、自分の好みにしたがって自分たちのために教師を寄せ集め、
4:4 真理から耳を背け、作り話にそれて行くような時代になるからです。
4:5 けれども、あなたはどんな場合にも慎んで、苦難に耐え、伝道者の働きをなし、自分の務めを十分に果たしなさい。
4:6 私はすでに注ぎのささげ物となっています。私が世を去る時が来ました。
4:7 私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。
4:8 あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。その日には、正しいさばき主である主が、それを私に授けてくださいます。私だけでなく、主の現れを慕い求めている人には、だれにでも授けてくださるのです。

<要約>

クリスチャンへの厳かな命令

イエス様はそのご生涯の中で、人に伝道し救う事を最も重要な仕事とされていました、いや、伝道するために一生を使われたといえます。弟子たちの生涯も福音宣教ということにすべてを費やされていました。もう一度、私たちクリスチャンの最も大きな使命は何でしょう。それは福音宣教です。すべての人は、死を迎えます。死はそれぞれにとって重大な事件と言えます。あなたの死に関わる話なので、厳かになるのです。死について、是非知ってほしいことです。聖書によると、人は死んですべてが無になるのではないからです。ある人は、自らの罪のためにその霊は永遠に滅びます。神の愛から完全に断絶された暗黒の世界に落とされます。また、別の人は、罪赦されて永遠のいのちをいただき、霊は復活のいのちを頂き、永遠の祝福に入ります。福音宣教は、人々に永遠のいのちに至らせるキリストの救いを伝えることです。これは、決して軽々しく扱うことのできない重大な働きであることをパウロは心に刻み込もうとしているのです。

死と滅びからあなたを救う福音:

さて、皆さんは、やがて来る死ということに対しての準備ができていますか。死と滅びからあなたを救う福音と題してお話ししています。イエス・キリストの十字架と復活それが福音です。十字架で、すべての人の罪を赦しました。そして、復活で、すべての人に死に代えて永遠のいのちをお与えくださいます。それは、すべての人が直面している罪と死と滅びの連鎖を解き放つためです。無代価で提供される罪と死と滅びからの解放です。私たちは、空の両手で、罪に対してはゆるしを、死に対してはいのちを受け取るのです。これが福音です。あなたがもし、真の神を信じキリストの十字架の贖いを信じれば、あなたは、神のいのちとつながります。すべての罪が赦され、永遠のいのちが与えられます。帰るべきところが分かるのです。それは命を与えあなたを生かしあなたに生きる意味を与えてくださった天の神です。身体の死は、永遠のいのちの門です。死に対する恐れはありません。死は永遠のいのちに至る門口だからです。まだ、あなたの死に対する準備ができていないならば、今すぐに、悔い改めて、イエスキリストをあなたの罪の贖い主、救い主として信じましょう。

行いと信仰

2022年2月18日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>ヤコブ書2章14~26節

【新改訳2017】
ヤコブ
2:14 私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立つでしょうか。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。
2:15 兄弟か姉妹に着る物がなく、毎日の食べ物にも事欠いているようなときに、
2:16 あなたがたのうちのだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹になるまで食べなさい」と言っても、からだに必要な物を与えなければ、何の役に立つでしょう。
2:17 同じように、信仰も行いが伴わないなら、それだけでは死んだものです。
2:18 しかし、「ある人には信仰があるが、ほかの人には行いがあります」と言う人がいるでしょう。行いのないあなたの信仰を私に見せてください。私は行いによって、自分の信仰をあなたに見せてあげます。
2:19 あなたは、神は唯一だと信じています。立派なことです。ですが、悪霊どもも信じて、身震いしています。
2:20 ああ愚かな人よ。あなたは、行いのない信仰が無益なことを知りたいのですか。
2:21 私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇に献げたとき、行いによって義と認められたではありませんか。
2:22 あなたが見ているとおり、信仰がその行いとともに働き、信仰は行いによって完成されました。
2:23 「アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。
2:24 人は行いによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことが分かるでしょう。
2:25 同じように遊女ラハブも、使者たちを招き入れ、別の道から送り出したので、その行いによって義と認められたではありませんか。
2:26 からだが霊を欠いては死んでいるのと同じように、信仰も行いを欠いては死んでいるのです。

<要約>

一歩踏み出す信仰:

私たちは誰でも、イエス様をわたしの救い主と信じることにより、神との正しい関係に入り、義と認められて救われます。行いは要りません。ただ、イエス・キリストを救い主と信じ、神を恐れ、愛し、信頼することです。行いは救いの条件ではありません。行いは信仰の結果です。また、行いと信仰を切り離すことはできません。車の両輪のように信仰と行いによって前進するのです。信じて一歩踏み出していくのが信仰生活です。信仰生活は前向きです。信じて一歩踏み出すからです。その時、道が開けます。見えないものが見えてきます。完全に先が見えなくても、神の御心を伺いながら、一歩前に踏み出すことです。神はあなたを用いたいと願っておられます。あなたを用いて、神のご計画を進めたいと願っておられます。すべてのことを不平を言わず、疑わずに行いなさいとも書いています。

生きて働く信仰:

キリスト教の信仰とは、簡単に言えば、「イエス・キリストを救い主と信じる。そして、唯一真の神を恐れ、愛し、信頼する」ことです。あなたはイエス様を信じています。しかし、神を恐れ、愛し、信頼するということについてはどうでしょうか。また、イエス様はマタイ、マルコ、ルカの三つの福音書で、最も大切な戒めとしてこのように言われました。「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くしてあなたの神を愛しなさい」と。これは、十戒のまとめと言えます。簡単に言えば、一生懸命に神を愛しなさい、と言うことです。そして、十戒の一番基本にあることは、思いと言葉と行いで神を愛しなさいです。私たちはこの地上で、生きています。すなわち、いろいろな考えや思いがあって、そして言葉があって、行動して、生活しています。すなわち、私たちの生活は思いとことばと行いの表れであると言えます。その生活自体があなたの信仰と結びついていますか?何をするにも信仰で行っていますか?何を語るのも信仰によって語っていますか?私たちはイエス様を救い主と信じています。また、唯一の神を恐れ、愛し、信頼しています。そして、思いとことばと行いで神を愛しています。それはあなたの生活全体が信仰と結びついていることです。あなたの内に住んでくださるイエス様と共に歩む人生です。イエス様におまかせしていく人生です。それはとても楽な生き方です。

終わりのときを前にして

2024年2月4日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>Ⅰペテロの手紙1章13~25節
【新改訳2017】
1:13 ですから、あなたがたは心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。
1:14 従順な子どもとなり、以前、無知であったときの欲望に従わず、
1:15 むしろ、あなたがたを召された聖なる方に倣い、あなたがた自身、生活のすべてにおいて聖なる者となりなさい。
1:16 「あなたがたは聖なる者でなければならない。わたしが聖だからである」と書いてあるからです。
1:17 また、人をそれぞれのわざにしたがって公平にさばかれる方を父と呼んでいるのなら、この世に寄留している時を、恐れつつ過ごしなさい。
1:18 ご存じのように、あなたがたが先祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、
1:19 傷もなく汚れもない子羊のようなキリストの、尊い血によったのです。
1:20 キリストは、世界の基が据えられる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために現れてくださいました。
1:21 あなたがたは、キリストを死者の中からよみがえらせて栄光を与えられた神を、キリストによって信じる者です。ですから、あなたがたの信仰と希望は神にかかっています。
1:22 あなたがたは真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、きよい心で互いに熱く愛し合いなさい。
1:23 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく朽ちない種からであり、生きた、いつまでも残る、神のことばによるのです。
1:24 「人はみな草のよう。その栄えはみな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。
1:25 しかし、主のことばは永遠に立つ」とあるからです。これが、あなたがたに福音として宣べ伝えられたことばです。

<要約>

苦難と困難のときを前にしての勧め:

13節から1章の終わりまでをまとめてみますと、救いの恵にしっかりとどまりキリストを待ち望みなさい。従順な子どもとなり、聖なる方であるキリストに倣い、聖なるものとなりなさい。正しく裁かれる神を恐れなさい。クリスチャンは、この世に身を寄せている旅人で、天の故郷を目指しているので、心を引き締め、身を慎んで過ごしなさい。そして、罪のない神の御子キリストがあなたの罪のために十字架で身代わりとなって裁かれ血を流されたのです。ですから、あなた方は小羊キリストの貴い血によって神の聖なる者とされました。あなた方は、信仰により、キリストが復活した栄光を目にしています。人の栄は草花のように消え去る、しかし、神のことばは永遠に朽ちることはないのです。みことばにしっかり立って歩みなさい。当時と比べると、現在の私たちは、いかに恵まれているかと言うことができます。信教の自由が保証されています。大きな迫害もありません。そのような時代に生きている私たちですが、真剣に信仰に生きようとするならば人生において試練を経験します。クリスチャンライフは平穏であるだけではありません。苦難も伴うのです。

キリストにならうクリスチャンライフ:

私たちはキリストに従うものとして、主が歩まれた後を歩んでいくのです。そこにはさまざまな試練や苦しみが伴うことがあるということが言えます。イエス様を信じていくと試練が来ます。しかし、思いがけないことが起こったかのように驚き怪しんではいけません。むしろ感謝して喜びなさい、と言うのです。イエス様の御生涯は苦しみと悲しみで終わったのではありません。そうです。イエス・キリストは十字架で殺され、墓に葬られ、よみにくだり、3日目によみがえられました。復活しました。私たち信者は信仰の結果である、罪の赦しからくる救いを得ています。人生は死んで終わりではありません。やがて、信仰の報いである天での栄えに満ちた喜び踊る生活があなたを待っています。私たちは天国を先取りして今、喜んでいます。この救いはことばだけのむなしいものではありません。私たちは信仰により確信しています。キリストの福音は決して失望に終わらない希望であることを。

本来の姿を取り戻すために

2024年1月28日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>申命記6章1~15節
【新改訳2017】
6:1 これは、あなたがたの神、【主】があなたがたに教えよと命じられた命令、すなわち掟と定めである。あなたがたが渡って行って所有しようとしている地で、それらを行うようにするためである。
6:2 それは、あなたの一生の間、あなたも、そしてあなたの子も孫も、あなたの神、【主】を恐れて、私が命じるすべての主の掟と命令を守るため、またあなたの日々が長く続くためである。
6:3 イスラエルよ、聞いて守り行いなさい。そうすれば、あなたは幸せになり、あなたの父祖の神、【主】があなたに告げられたように、あなたは乳と蜜の流れる地で大いに増えるであろう。
6:4 聞け、イスラエルよ。【主】は私たちの神。【主】は唯一である。
6:5 あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、【主】を愛しなさい。
6:6 私が今日あなたに命じるこれらのことばを心にとどめなさい。
6:7 これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家で座っているときも道を歩くときも、寝るときも起きるときも、これを彼らに語りなさい。
6:8 これをしるしとして自分の手に結び付け、記章として額の上に置きなさい。
6:9 これをあなたの家の戸口の柱と門に書き記しなさい。
6:10 あなたの神、【主】は、あなたの父祖、アブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地にあなたを導き入れ、あなたが建てたのではない、大きくてすばらしい町々、
6:11 あなたが満たしたのではない、あらゆる良い物で満ちた家々、あなたが掘ったのではない掘り井戸、あなたが植えたのではない、ぶどう畑とオリーブ畑、これらをあなたに与えてくださる。それであなたは、食べて満ち足りるとき、
6:12 気をつけて、エジプトの地、奴隷の家からあなたを導き出された【主】を忘れないようにしなさい。
6:13 あなたの神、【主】を恐れ、主に仕えなさい。また御名によって誓いなさい。
6:14 ほかの神々に、すなわち、あなたがたの周りにいる諸国の民の神々に従って行ってはならない。
6:15 あなたのうちにおられるあなたの神、【主】はねたみの神であるから、あなたの神、【主】の怒りがあなたに向かって燃え上がり、主があなたを大地の面から根絶やしにされることのないようにしなさい。

<要約>

的外れの人生からの回復:

アダムの罪により、善しかなかった人間社会に悪が入りました。すべての人は本来のあるべき姿から外れてしまいました。結果として、人間社会に災いと死が入りました。そこで、あわれみ深い神は、人を救うために、イスラエルを選びました。それは、彼らに、的外れの生き方から本来の生き方を取り戻させ、さらにすべての国民への手本として十戒をお与えになりました。モーセは、イスラエルの民に神から頂いた十戒を中心に律法を語りました。今後、約束の地で律法を守るように、そして平和と繁栄と長寿を受けることができるように、すなわち幸福になることができるように、主の命令に従うように勧めました。「それは、あなたが心といのちと力を尽くして神を愛することです。これを本気で守れば、あなたは必ず幸せになります。これは勧めであり、命令です。全うすることは困難ですが、イエス様が一緒に成し遂げてくださいます。心といのちと力を尽くして神を愛することを。イエス様を信じて従いましょう。そのことによってあなたの人生は的外れから本来の姿を取り戻します。それは、神のもとで、愛と喜びの関係を回復して、永遠のいのちとしぼまない希望に生きるのです。

真の神を恐れ愛し感謝する人生:

アウグスチヌスは言いました。人は神にしか満たすことのできない魂の空洞を持っている、と。すべての人は、その空洞を満たす何かを求めています。しかし、そこは、真の神しか満たすことはできません。真の神から遠く離れている人間は、代わりに代用の神を持とうとします。その代用の神が偶像です。イスラエルの民は、残念なことに、このあと歴史を通して偶像礼拝に陥り、神から離れていってしまいました。ここに私たち人間の罪の姿を見ることができると思います。私たちは、「天地を作り私たちに命を与え、私たちをご自身の命に代えて愛してくださる神だけが本当の意味で私たちの信頼と期待に応えることができる唯一の方である」ことを確認しましょう。多くの人々は、そのことがわからなくなり、迷い出てしまっているのです。これまで罪の呪いからすべての人は死と災いに定められていましたが、今は、キリストの十字架と復活により、呪いは祝福に、死はいのちに、災いは幸いに代えられました。真の神を恐れ、愛するとき、あなたは本来の人としての姿を取り戻し、感謝と喜びの人生に入るのです。

万事を益と替える恵の神

2024年1月21日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>申命記1章26~40節

【新改訳2017】
1:26 しかし、あなたがたは上って行こうとせず、あなたがたの神、【主】の命令に逆らった。
1:27 そして天幕の中で不平を言った。「【主】は私たちを憎んでおられるので、私たちをエジプトの地から連れ出して、アモリ人の手に渡し、私たちを根絶やしにしようとしておられるのだ。
1:28 私たちはどこへ上って行くのか。私たちの兄弟たちは、『その民は私たちよりも大きくて背が高い。町々は大きく、城壁は高く天にそびえている。しかも、そこでアナク人を見た』と言って、私たちの心を萎えさせた。」
1:29 それで私はあなたがたに言った。「おののいてはならない。彼らを恐れてはならない。
1:30 あなたがたに先立って行かれるあなたがたの神、【主】があなたがたのために戦われる。エジプトで、あなたがたの目の前で、あなたがたのためにしてくださったのと同じように。
1:31 また荒野では、この場所に来るまでの全道中、あなたの神、【主】が、人が自分の子を抱くようにあなたを抱いてくださったのを、あなたがたは見ているのだ。
1:32 このようなことによっても、まだあなたがたはあなたがたの神、【主】を信じていない。
1:33 主はあなたがたが宿営する場所を探すために、道中あなたがたの先に立って行き、夜は火の中、昼は雲の中にあって、あなたがたが行くべき道を示されるのだ。」
1:34 【主】はあなたがたの不平の声を聞いて怒り、誓って言われた。
1:35 「この悪い世代の者たちのうちには、わたしがあなたがたの父祖たちに与えると誓った、あの良い地を見る者は一人もいない。
1:36 ただエフンネの子カレブだけがそれを見ることができる。彼が踏んだ地を、わたしは彼とその子孫に与える。彼が【主】に従い通したからだ。」
1:37 【主】はあなたがたのゆえに、この私に対しても怒って言われた。「あなたも、そこに入れない。
1:38 あなたに仕えているヌンの子ヨシュアは、そこに入ることができる。彼を力づけよ。彼がそこをイスラエルに受け継がせるからだ。
1:39 あなたがたが略奪されるだろうと言ったあなたがたの幼子たちや、今はまだ善悪をわきまえないあなたがたの子どもたちが、そこに入る。わたしが彼らにそこを与えるので、彼らはそこを所有するようになる。
1:40 あなたがたは向きを変え、葦の海の道を通って荒野に向かって旅立て。」

<要約>

失敗の回顧:

イスラエルの民は、エジプトを出て約束の地に入ろうとしましたがくじけました。それは神を信じなかったからです。不信仰の結果です。罪の結果です。不信仰の度合いはいかばかりでしょう。自分たちには無理だという思いから、神は「自分たちを憎んで根絶やしにしようと思っている」と、神に対して逆恨みしています。ひどい言葉を投げかけています。神は、どんなに悲しまれ、また、怒られたことでしょうか。実は、それが私たち人間の罪の性質です。自分に都合が悪いことが起こると他人のせいにする。自分の責任を他者に転嫁する。イスラエルの民はこれまで目に見えないが生きて働かれている神を体験してきました。今、民は、過去40年間の負の歴史を振り返り、モーセの言葉に耳を傾けました。私達もこれまでの真実な神を見ながら、目の前にある困難から逃げていないでしょうか。神の命令に従っていますか。御心と知っていながら従おうとしないことはないでしょうか。マイナスと見えることが前に現われても神は最善をしてくださることを信じて従うのです。神に従うことはあなたの信仰の証です。もし、あなたが一歩前に踏み出せば、神は道を備えてくださるのです。

恵みの回顧:

振り返ってみるとイスラエルの民にとって、その40年間は恵みに満ちた年月でした。失敗も益に変えてくださる神です。不信仰の結果、失敗し、それでも神は、罪を赦し、愛をもって導かれます。私たちのすることは、自分の罪を認めて、キリストの十字架が私の罪の贖いだと信じることです。そのことにより、私の罪は赦され、そればかりでなく神の命とつながるのです、すなわちそれは永遠に続く命と祝福です。神は私たちの上に様々な病や苦しみが起こるのを許されています。あなたの周りで起こるすべてのことは神に覚えられており、終にはあなたを幸せにするためなのです。私たち信者がすべきことは恵の回顧です。今日の日を振り返り、神の恵を思い出し、感謝するのです。そして、自分にとってマイナスであったことの意味を探るのです。そうすれば、そのような試練や失敗の只中に共にいてくださる主を認めることができます。もう一度、十字架により罪赦されて、すべてのマイナスをプラスに変えてくださるイエス様を信じ続けましょう。過去の失敗や罪に攻められることなく、前を向いて進もうではありませんか。