いのちの川の水

018年12月23日(日) 礼拝説教 森田友明牧師

<聖書>エゼキエル書47章1~12節

47:1 彼は私を神殿の入口に連れ戻した。見ると、水が神殿の敷居の下から東のほうへと流れ出ていた。神殿が東に向いていたからである。その水は祭壇の南、宮の右側の下から流れていた。
47:2 ついで、彼は私を北の門から連れ出し、外を回らせ、東向きの外の門に行かせた。見ると、水は右側から流れ出ていた。
47:3 その人は手に測りなわを持って東へ出て行き、一千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、それは足首まであった。
47:4 彼がさらに一千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、水はひざに達した。彼がさらに一千キュビトを測り、私を渡らせると、水は腰に達した。
47:5 彼がさらに一千キュビトを測ると、渡ることのできない川となった。水かさは増し、泳げるほどの水となり、渡ることのできない川となった。
47:6 彼は私に、「人の子よ。あなたはこれを見たか」と言って、私を川の岸に沿って連れ帰った。
47:7 私が帰って来て見ると、川の両岸に非常に多くの木があった。
47:8 彼は私に言った。「この水は東の地域に流れ、アラバに下り、海に入る。海に注ぎ込むとそこの水は良くなる。
47:9 この川が流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水が入ると、そこの水が良くなるからである。この川が入る所では、すべてのものが生きる。
47:10 漁師たちはそのほとりに住みつき、エン・ゲディからエン・エグライムまで網を引く場所となる。そこの魚は大海の魚のように種類も数も非常に多くなる。
47:11 しかし、その沢と沼とはその水が良くならないで、塩のままで残る。
47:12 川のほとり、その両岸には、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。その水が聖所から流れ出ているからである。その実は食物となり、その葉は薬となる。

<要約>

キリストはあなたを生かし豊かにする:

エゼキエルが見た幻です。神殿の敷居の南の角から東に向かって水が流れ出し、川となります。川の岸に沿って生えていた非常に多くの木は、繁栄と豊かさを象徴しています。今度はその川が海に入り、死海の水が良くなり、生物は生き、魚は非常に多くの群れをつくるというのです。そして、この水によってすべてが生きると書いています。しかし、死海の一部の沢と沼は水が良くならないで塩のまま残ると書いています。いのちの水であるイエス・キリストを信じて歩む人には、いのちの回復と豊かな祝福と繁栄が約束されています。しかし、イエスを受け取らない人は依然、死の状態でやがて滅ぶというメッセージを読むことができます。

水と御霊による新しい創造:

イエス様はご自身を神殿と見立てて、「この神殿をこわしてみなさい。私はそれを三日で建てよう」と言われました。イエス様は十字架で死んでから三日目に復活したのです。すなわち、イエス様は復活して生ける神殿となってくださったのです。イエス様を信じて、洗礼を受けた人の内側で起こることをこの幻は示しています。この幻は、聖霊による新創造を表しています。イエス様を信じて洗礼を受けると聖霊が与えられます。そして新しいいのちに生きるのです。次に、罪によりいのちを失っていた霊は、聖霊によりいのちを得ます。それは、死海の水のようにいのちのないところに聖い水が注ぎこまれていのちを得るのと同じです。

イスラエルの回復と救いの完成:

イスラエルの回復と救いについて、聖書はどのように説明しているのでしょうか。神のご計画によると、福音はまず、異邦人に受け入れられて、次にユダヤ人に至るというのです。神は最終的には約束により、イスラエルをあわれみ救いに導いてくださるのです。すなわち、ユダヤ民族の中に救いが成就します。エゼキエルの幻に戻って、その川の水によって、両岸の果実は成長して、葉も枯れず、実も絶えるがことなくなるとあります。実は食物となり葉は薬となるというのです。今日のところが、世の終わりの時の預言であることは、黙示録22章の記事を読むとわかります。世の終わりの時に起こることです。そこは神のみ座です。苦しみ、悲しみ、涙もない、完全な平安と喜びが待っています。



クリスマスは喜びの人生への招き

2018年12月23日(日) 礼拝説教 森田友明牧師

<聖書>ルカの福音書2:1~14


2:1 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。
2:2 これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。
2:3 それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。
2:4 ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、
2:5 身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。
2:6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、
2:7 男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
2:8 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。
2:9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。
2:10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
2:11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
2:13 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。
2:14 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」

<要約>

世に拒絶された罪からの救い主:

マリヤとヨセフはダビデの町ベツレヘムへ到着しましたが、「宿屋には彼らのいる場所がなかった」と書いています。救い主は世の人々から拒絶されて、隅に追いやられて、家畜小屋でお生まれになりました。最も弱く貧しく小さな者たちの救い主として来て下さったのです。ユダヤ人たちは救い主を待ち望んでいたのです。それは、イスラエルをローマの圧政下から解放してくれるユダヤ人の王、すなわち政治的なメシヤを待ち望んでいたのです。しかし、神は私たち人間にある根源的な問題の解決のために来られました。それは、罪の問題です。神は罪に苦しむ人間を放っておくことができずに来てくださったのです。イエス様は、罪という病で滅びに向かう人々を、罪と死と悪魔から救ってくださる救い主なのです。

救い主が与える栄光と平安:

私たち人間の罪の代価を神がご自身のひとり子の命で払ってくださったのです。すなわち、あなたが罪によって永遠の滅びにいたることのないように、逆に永遠のいのちにいたるために御子のいのちを与えてくださったのです。あなたはそれをただ信じて受け取ればよいのです。最初のクリスマスの夜、救い主が来られた時、羊飼いたちはひどく恐れたとあります。その場で羊飼いたちは主の栄光の中に包まれたのです。み使いは、彼らに「恐れることはありません」「すばらしい喜びを知らせます」と声をかけます。クリスチャンは、神からの栄光と喜びと平和を持っています。それは、救い主を信じる信仰によって与えられるものです。

救い主と出会い喜びの人生へ:

羊飼いたちはベツレヘムに着き、ついに、マリヤとヨセフとイエス様を探し当てました。羊飼いたちは喜びで満たされたでしょう。イエス様は、親切で、心優しく、忍耐深く、温和で、同情心にあふれる方でありました。イエス様は人々を愛されました。人の悩み苦しみを見過ごしになりませんでした。イエス様は人のかたちをとられた真の神でした。そして、すべての人の罪をあがなうために身代わりとなって十字架で命を落としてくださいました。さらに、人類の最後の敵である死を打ち破り、三日目に復活なさいました。クリスマスは救い主イエス・キリストとの出会いです。それは、喜びの人生への招きです。

イエス・キリストの系図

2018年12月16日(日) 礼拝説教 森田友明牧師

<聖書>マタイの福音書1章1~21節

1:1 アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。
1:2 アブラハムにイサクが生まれ、イサクにヤコブが生まれ、ヤコブにユダとその兄弟たちが生まれ、
1:3 ユダに、タマルによってパレスとザラが生まれ、パレスにエスロンが生まれ、エスロンにアラムが生まれ、
1:4 アラムにアミナダブが生まれ、アミナダブにナアソンが生まれ、ナアソンにサルモンが生まれ、
1:5 サルモンに、ラハブによってボアズが生まれ、ボアズに、ルツによってオベデが生まれ、オベデにエッサイが生まれ、
1:6 エッサイにダビデ王が生まれた。ダビデに、ウリヤの妻によってソロモンが生まれ、
1:7 ソロモンにレハブアムが生まれ、レハブアムにアビヤが生まれ、アビヤにアサが生まれ、
1:8 アサにヨサパテが生まれ、ヨサパテにヨラムが生まれ、ヨラムにウジヤが生まれ、
1:9 ウジヤにヨタムが生まれ、ヨタムにアハズが生まれ、アハズにヒゼキヤが生まれ、
1:10 ヒゼキヤにマナセが生まれ、マナセにアモンが生まれ、アモンにヨシヤが生まれ、
1:11 ヨシヤに、バビロン移住のころエコニヤとその兄弟たちが生まれた。
1:12 バビロン移住の後、エコニヤにサラテルが生まれ、サラテルにゾロバベルが生まれ、
1:13 ゾロバベルにアビウデが生まれ、アビウデにエリヤキムが生まれ、エリヤキムにアゾルが生まれ、
1:14 アゾルにサドクが生まれ、サドクにアキムが生まれ、アキムにエリウデが生まれ、
1:15 エリウデにエレアザルが生まれ、エレアザルにマタンが生まれ、マタンにヤコブが生まれ、
1:16 ヤコブにマリヤの夫ヨセフが生まれた。キリストと呼ばれるイエスはこのマリヤからお生まれになった。
1:17 それで、アブラハムからダビデまでの代が全部で十四代、ダビデからバビロン移住までが十四代、バビロン移住からキリストまでが十四代になる。
1:18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。
1:19 夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。
1:20 彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。
1:21 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」

<要約>

罪人をありのまま受け入れてくださる神;

アブラハムは、イスラエル民族の祖であるばかりでなく、信仰の父として、すべての神を信じる者の祖でもあります。アブラハムからダビデに至る系図までに、四人の女性が出てきます。タマルとラハブとルツとウリヤの妻です。このように、キリストの系図に異邦人の女性が出てきます。ラハブは遊女でした。つまり、売春婦です。このように、ありのままの罪びとが登場しているイエス・キリストの系図は、何を物語っているのでしょうか。それは、イスラエルの民ばかりでなく、異邦人や罪人と言われている人々の救い主であることを示しています。神はありのままのあなたを受け入れているということです。

困難と苦難の中に共にいてくださる救い主;

イスラエルの真の神、力ある全能の神、愛とあわれみの富む神を信頼できず、イスラエルの民は人の知恵や偶像に頼りました。ユダヤの王ゾロバベルは、祖国に帰還しました。そして神殿の再建に取り掛かったのです。しかし周辺の国々からは絶えず妨害されて困難を極めました。祭司エズラは、宗教改革を断行します。エズラの後、宗教指導者たちは、律法に厳格であろうとして、さらに細則を儲けて規則に規則を作るようになりました。そして律法主義が生まれました。ますます、彼らは行いを追求していきました。打ち砕かれた謙遜な心を失うのです。イスラエル民族にとって、そのようなどん底と言われる状況にキリストがお生まれになりました。苦しみと困難の中に、もうすでに救い主は来てくださっています。

救い主が与える喜びと感謝の人生:

神は人間を罪の裁きから救うために、神の一人子であるイエス・キリストを十字架につけ、その十字架の血によって私たちの罪を赦すという驚くべき救いの道を備えてくださったのです。それが、キリストが世にこられた目的です。キリストの十字架の犠牲、あれほどの苦しみの目的は、この私たち人間を罪から救うという事のためだったのです。キリストはあなたを罪の呪いから解放し、喜びと感謝に溢れるようにして下さるのです。あなたのために十字架で苦しみ、あなたのいのちのために復活してくださった主キリストが、あなたを喜びと感謝で引き上げてくださるのです。 rence;\lsdqfo


みどりごの救い主

2018年12月9日(日)礼拝説教 牧師 森田友明


<聖書>イザヤ書9章1~7節
9:1 しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。
9:2 やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。
9:3 あなたはその国民をふやし、その喜びを増し加えられた。彼らは刈り入れ時に喜ぶように、分捕り物を分けるときに楽しむように、あなたの御前で喜んだ。
9:4 あなたが彼の重荷のくびきと、肩のむち、彼をしいたげる者の杖を、ミデヤンの日になされたように粉々に砕かれたからだ。
9:5 戦場ではいたすべてのくつ、血にまみれた着物は、焼かれて、火のえじきとなる。
9:6 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
9:7 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の【主】の熱心がこれを成し遂げる。


<要約>

キリストがもたらした光の世界;

ガリラヤははずかしめを受けたが、後には栄光を受けた、とあります。その預言は、キリストの来臨によって成就しました。救い主、メシヤは闇を打ち破る光であり、死を打ち破る復活の力であると言えます。悪魔が支配する闇の世界から神がご支配する光の世界へと私たちを招いておられます。キリストの光は決して消えることのない永遠の神のご支配です。イエス様はあなたに光であるイエス様を信じなさいと言われます。光の子どもとなりなさいと招いておられるのです。

救い主が与える喜びの約束;

イスラエルは北と南に分裂してから、王も民も指導者たちも堕落し、真の神を離れ偶像に身をやつしてしまったのです。その様に、恵みから離れた民は、悪の力に押しつぶされてしまうのです。実に、自分たちで闇の世界を選んで歩くことになったのです。そこには申命記的史観があります。私たちは誰でも選択の自由が与えられています。神を信じて祝福と恵みの世界に入るか、あるいは、神から離れて呪いと裁きを受けるかです。それでも神は、イスラエルの民に対するご自身の繁栄と祝福の約束を忘れることはありません。民をあわれみ続けておられます。信じる者に与えられているのは、繁栄と祝福の約束です。キリストをあなたの救い主と信じるならば、あなたのすべての領域に祝福が及ぶのです。

救い主の熱心と愛;

「ひとりの男の子」、それはイエス・キリストを指しています。「主権はその肩にあり」の「主権」は統治を意味します。そして、その名には、4つの名称があります。いずれも神ご自身であることを示しています。「不思議な助言者」です。万物の支配者であり、王の王、主の主であられる神が、私たちと共にいてくださる、いやさらに、しもべとなっていのちを捨ててくださった、それこそ最大の不思議であると言えます。つぎに、「力ある神」です。これは神宣言です。次に「永遠の父」です。父は保護者です。永遠にイスラエルの保護者です。次に、「平和の君」です。この男の子が完全な和解となります。そして、「万軍の主の熱心がこれを成し遂げる」とあります。救い主のあなたに対する愛の熱心は今も変わることはありません。それは、今、あなたに向けて注がれています。


裁きと回復の預言

2018年12月 02日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>ミカ書5章1~9節
5:1 今、軍隊の娘よ。勢ぞろいせよ。とりでが私たちに対して設けられ、彼らは、イスラエルのさばきつかさの頬を杖で打つ。
5:2 ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。
5:3 それゆえ、産婦が子を産む時まで、彼らはそのままにしておかれる。彼の兄弟のほかの者はイスラエルの子らのもとに帰るようになる。
5:4 彼は立って、【主】の力と、彼の神、【主】の御名の威光によって群れを飼い、彼らは安らかに住まう。今や、彼の威力が地の果てまで及ぶからだ。
5:5 平和は次のようにして来る。アッシリヤが私たちの国に来て、私たちの宮殿を踏みにじるとき、私たちはこれに対して七人の牧者と八人の指導者を立てる。
5:6 彼らはアッシリヤの地を剣で、ニムロデの地を抜き身の剣で飼いならす。アッシリヤが私たちの国に来、私たちの領土に踏み込んで来たとき、彼は、私たちをアッシリヤから救う。
5:7 そのとき、ヤコブの残りの者は、多くの国々の民のただ中で、【主】から降りる露、青草に降り注ぐ夕立のようだ。彼らは人に望みをおかず、人の子らに期待をかけない。
5:8 ヤコブの残りの者は異邦の民の中、多くの国々の民のただ中で、森の獣の中の獅子、羊の群れの中の若い獅子のようだ。通り過ぎては踏みにじり、引き裂いては、一つも、のがさない。
5:9 あなたの手を仇に向けて上げると、あなたの敵はみな、断ち滅ぼされる。

<要約>
絶望の中に来られる救い主;
当時の状況を見ると、大国アッシリヤが目前に迫り、イスラエルの民にとって脅威が最高潮に達していた時であります。絶望と思われている時代背景の中で救い主の登場が預言されています。イエス様がお生まれになった時代も、イスラエルの民はローマの圧政のもとに非常な困難の中にあったということです。救い主は、混迷とやみが覆う時代に来られたのです。個人レベルでも民族レベルでも国家レベルでも、困難や試練で絶望することはあるかもしれません。しかし、その中でこそ、私たち人間は救い主をお迎えするにふさわしく整えられるのです。その時にこそ、救い主があなたに近づいていることに気付くことです。
救い主が与える平安;
アッシリヤの王セナケリブが南ユダ王国に攻め入ろうとしました。その時、ユダの王ヒゼキヤが主に祈ったのです。主は大いなる御手により、主の使いが一夜にして、アッシリヤの軍隊、十八万五千人を打ち殺しました。そのようにして、主が戦ってくださったのです。一般の人々にとって敵対する勢力とは何でしょうか。仕事上の反対勢力、こちらを好意的に思っていない人々、わなを仕掛けて陥れようとしている人々、悪い友人、悪い噂、分裂もあるかもしれません。あるいは、自分の内側にある利己的な思い、支配欲など。しかし、クリスチャンは、それらの背後にある敵を知っています。あらゆる悪とその背後にある敵です。救い主キリストはそれらから信じる者を救ってくださるのです。そして、真の平安をお与えくださいます。
最後まで忠実な信仰者の姿;
ヤコブの残りの者は、最後まで信仰により神とつながっている人々を指します。一つは、彼らは多くの国民の中でも主から降りるつゆ、青草に注ぐ夕立の様だというのです。彼らは人を恐れないで、神を畏れます。人間に期待をしないで、神に期待します。これこそ、真の信仰者と言えます。もう一つは、圧倒的な勝利者であるということです。ヤコブの残りの者は、信仰者は森の獣の中の獅子、百獣の王ライオンです。圧倒的な勝利です。サタンも踏みにじられます。教会の勝利と言えます。それは、終末的な勝利とともに、現在においてもしかりです。