2025年10月19日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明
<要約>
幻の神殿は復活のキリスト:
この幻の神殿は復活したイエス・キリストを指しているといえます。この象徴的なエゼキエルの幻は、私たちの罪を贖うために十字架で死んだイエス・キリストが、復活して、生ける神殿となったことで成就したと言えます。死海の水が良くなり、この川が流れゆくところはどこでも、生物は生き、魚は非常に多くの群れをつくるというのです。そして、この水によってすべてが生きると書いています。その神殿から流れるいのちの水は聖霊ということができます。イエス様を信じる人は、その人の心の奥に生ける水の川が流れ出るようになるのです。しかし、死海の一部の沢と沼は水が良くならないで塩のまま残ると書いています。これは、何を意味しているのでしょうか。神殿から流れるいのちの水を引かないところは、依然、塩のまま残る、つまり、いのちを得ていないというのです。いのちの水であるイエス・キリストを信じて歩む人には、いのちの回復と豊かな祝福と繁栄が約束されています。しかし、イエスを受け取らない人は依然、死の状態でやがて滅ぶというメッセージを読むことができます。ここにある死海は私たち人間社会を暗示しています。神なき世界、それは人間中心主義の世界、罪と死と悪魔に支配されたこの世です。神はそこにいのちをお与えになります。
回復と救いの完成:
この幻はイスラエルの回復と救いについて預言です。神のご計画によると、キリストの福音は、イスラエルが拒んだために、異邦人に届けられました。異邦人に受け入れられて、最終的には約束により、ユダヤ人に至るというのです。イスラエルをあわれみ救いに導いてくださいます。すなわち、ユダヤ民族に救いが成就します。今は、異邦人の時代です。福音がユダヤ人以外のすべての民族に伝えられています。この時代が通過すると再び、イスラエル人に救済が戻ってきます。そして、世の終わりの時に起こることは、完全な神のご支配です。世の終わりは、キリストの再臨の後に起こります。神のみ座が現れ、苦しみ、悲しみ、涙もない、完全な平安と喜びが待っています。イエス様を信じて、神との和解をいただき、今は、赦しといのちに生きるものとされました。やがては天の御国に招かれています。先に救われた私たちはその祝福を家族知人に届ける器とされています。そのために皆さんお一人ひとりが豊かに用いられますようお祈りいたします。
<聖書>エゼキエル書47章1~12節
【新改訳2017】
47:1 彼は私を神殿の入り口に連れ戻した。見ると、水が神殿の敷居の下から東の方へと流れ出ていた。神殿が東に向いていたからである。その水は祭壇の南、神殿の右側の下から流れていた。
47:2 次に、彼は私を北の門から連れ出し、外を回らせ、東向きの外門に行かせた。見ると、水は右側から流れ出ていた。
47:3 その人は手に測り縄を持って東の方に出て行き、千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、それは足首まであった。
47:4 彼がさらに千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、水は膝に達した。彼がさらに千キュビトを測り、私を渡らせると、水は腰に達した。
47:5 彼がさらに千キュビトを測ると、水かさが増して渡ることのできない川となった。川は泳げるほどになり、渡ることのできない川となった。
47:6 彼は私に「人の子よ、あなたはこれを見たか」と言って、私を川の岸に連れ帰った。
47:7 私が帰って来て見ると、川の両岸に非常に多くの木があった。
47:8 彼は私に言った。「この水は東の地域に流れて行き、アラバに下って海に入る。海に注ぎ込まれると、そこの水は良くなる。
47:9 この川が流れて行くどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水が入ると、そこの水が良くなるからである。この川が入るところでは、すべてのものが生きる。
47:10 漁師たちは、そのほとりに立つ。エン・ゲディからエン・エグライムまでが網を干す場所になる。そこの魚は大海の魚のように、種類が非常に多くなる。
47:11 しかし、その沢と沼は水が良くならず、塩を取るのに使われる。
47:12 川のほとりには、こちら側にもあちら側にも、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。その水が聖所から流れ出ているからである。その実は食物となり、その葉は薬となる。」