永遠のいのちを得るために

2025年9月28日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>ルカによる福音書10章25~37節
【新改訳2017】
10:25 さて、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試みようとして言った。「先生。何をしたら、永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか。」
10:26 イエスは彼に言われた。「律法には何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」
10:27 すると彼は答えた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい』、また『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』とあります。」
10:28 イエスは言われた。「あなたの答えは正しい。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」
10:29 しかし彼は、自分が正しいことを示そうとしてイエスに言った。「では、私の隣人とはだれですか。」
10:30 イエスは答えられた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下って行ったが、強盗に襲われた。強盗たちはその人の着ている物をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。
10:31 たまたま祭司が一人、その道を下って来たが、彼を見ると反対側を通り過ぎて行った。
10:32 同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
10:33 ところが、旅をしていた一人のサマリア人は、その人のところに来ると、見てかわいそうに思った。
10:34 そして近寄って、傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで包帯をし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行って介抱した。
10:35 次の日、彼はデナリ二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』
10:36 この三人の中でだれが、強盗に襲われた人の隣人になったと思いますか。」
10:37 彼は言った。「その人にあわれみ深い行いをした人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って、同じようにしなさい。」

<要約>
永遠のいのちを失っている人間:

この律法学者の隣人理解では、異邦人は含まれず、罪人と言われていた取税人、遊女なども隣人には含まれませんでした。イエス様の説く隣人はユダヤ人ばかりでなく異邦人も含まれます。また、同胞ばかりでなく敵をも含んでいるのです。イエス様は良きサマリヤ人の例話を示されました。イエス様は、隣人とは、だれかをお示しになりました。自分と同様に隣人を愛しなさい、これは隣人愛の実践ということがいえるでしょう。しかし、その前に、「全身全霊を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」との勧めがあります。いのちの源である神を全身全霊を尽くして、愛しなさいということです。永遠のいのちを失っている人間と題してお話しています。あなたを造りあなたにいのちを与えておられる神のいのちとつながっていないならば、霊や魂のいのちは死んでいるといえます。すなわち神のいのちとつながっていないならば、わたしたちのいのちはこの肉体のいのちだけで永遠のいのちはありません。最初の人間は神を知り、神を愛していました。ですから神のいのちとつながり永遠のいのちに生きる者でした。しかし、すべての人は、神の戒めを破り、神と向き合うことをやめ、自ら神のいのちから離れました。死ぬものとなったのです。

信仰を通して受ける永遠のいのち

イエスさまは、そのように本来の姿を失い、死と滅びに定められている私たち人間に向き合って下さるのです。生まれながら私たちは神から遠く離れていて、神の命を失っているものたちです。創造主である神をみとめないこと自体、罪です。そしてその罪のために本当の命を失って人間は滅びに向かっていると聖書は主張しています。私たち人間がそのままでは自らの罪によって滅んでしまうのを惜しみ、罪のない神の独り子であるイエス・キリストを私たちの身代わりに十字架で断罪したのです。その起こりえないことを父なる神は、してくださったのです。キリストがすべての人の罪を贖ってくださったのです。その神が、ここにおられる皆さん一人一人と向き合ってくださいます。私たちのすべての罪を十字架の上で赦し信じる者に永遠のいのちをお与えくださいます。あなたは信仰によってそれを受け取り自分のものとするのです。神が無代価、無料で提供してくださっている永遠のいのちをぜひ自分のものとして受け取ってください。

天国はイエス様の祝宴

2025年9月21日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
神との関係を無視する人間:

神は最初にイスラエルを選ばれました。イスラエル民族を通して、すべての民族を祝福し、人類を罪から救おうとしました。それに対して、民の指導者たちは神を拒絶し続けました。そのことがこのたとえ話です。これは一見イスラエル民族だけの問題のようですが、私たちすべての人間の問題でもあります。私たちは目先のことに心を奪われて、心で見えるはずの神を見ることができなくなっています。そして、神の存在を心で否定しています。今日の個所では、神が選んで聖なる国民としたイスラエル、ユダヤ民族について、歴史の中で、彼らが、真の神を無視し、捨てたことをイエス様は怒られました。その間、真の神に立ち返るように何度も預言者を送りましたが、彼らは無視し、殺してしまいました。そして、最後に神の御子、王国の王子であるイエス・キリストをお送りになりましが、十字架で殺してしまったのです。しかし、そのようなイスラエルに対して、神は最初の約束を忘れることはありません。これは、神のあわれみと約束によりメシヤ、キリストによる十字架の贖いがなされること。それにより、イスラエルの罪を消し去ってくださることの預言です。あなたに関心をもって心配しておられる神を無視することはやめましょう。

礼服(キリスト)を着て御国に入る:

神の救いに与る条件は、良い人間、悪い人間など、その人の人格は関係ありません。ただ、神が提供してくださった礼服であるイエス・キリストを着るということだけでよいのです。これは、イエス・キリストを救い主として信じることでよいのです。これが神の恵みです。想像するに、招かれた人々は大通にいた人々です。ですから、礼服の下は普段着で汚れていたでしょう。内側はどんなに汚れていても礼服を着ていたのでそれでオーケーということです。私たちも自分の内側を見ると、罪、けがれでいっぱい、王子の祝宴にふさわしくないと感じる人もいるかもしれません。しかし、キリストを着ていればそれでオーケーということです。それは、キリストを信じて心の内にお迎えすることです。すべての人にイエス・キリストの救いが提供されています。しかし、洗礼を受けてキリストを着る、すなわち救われる人は少ないと言えます。あなたの神がお与えくださる祝福を味わい、また、それを知らない人々に伝えていきましょう。

<聖書>マタイによる福音書22章1~14節
【新改訳2017】
22:1 イエスは彼らに対し、再びたとえをもって話された。
22:2 「天の御国は、自分の息子のために、結婚の披露宴を催した王にたとえることができます。
22:3 王は披露宴に招待した客を呼びにしもべたちを遣わしたが、彼らは来ようとしなかった。
22:4 それで再び、次のように言って別のしもべたちを遣わした。『招待した客にこう言いなさい。「私は食事を用意しました。私の雄牛や肥えた家畜を屠り、何もかも整いました。どうぞ披露宴においでください」と。』
22:5 ところが彼らは気にもかけず、ある者は自分の畑に、別の者は自分の商売に出て行き、
22:6 残りの者たちは、王のしもべたちを捕まえて侮辱し、殺してしまった。
22:7 王は怒って軍隊を送り、その人殺しどもを滅ぼして、彼らの町を焼き払った。
22:8 それから王はしもべたちに言った。『披露宴の用意はできているが、招待した人たちはふさわしくなかった。
22:9 だから大通りに行って、出会った人をみな披露宴に招きなさい。』
22:10 しもべたちは通りに出て行って、良い人でも悪い人でも出会った人をみな集めたので、披露宴は客でいっぱいになった。
22:11 王が客たちを見ようとして入って来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない人が一人いた。
22:12 王はその人に言った。『友よ。どうして婚礼の礼服を着ないで、ここに入って来たのか。』しかし、彼は黙っていた。
22:13 そこで、王は召使いたちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇に放り出せ。この男はそこで泣いて歯ぎしりすることになる。』
22:14 招かれる人は多いが、選ばれる人は少ないのです。」

プリムの祭り

2025年9月7日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>エステル記4章1~17節
【新改訳2017】
4:1 モルデカイは、なされたすべてのことを知った。モルデカイは衣を引き裂き、粗布をまとい、灰をかぶり、大声で激しくわめき叫びながら都の真ん中に出て行った。
4:2 そして王の門の前のところまで来た。王の門の中には、粗布をまとったままでは入ることができなかったのである。
4:3 王の命令とその法令が届いたどの州においても、ユダヤ人の間には大きな悲しみがあり、断食と泣き声と嘆きが起こり、多くの人たちは粗布をまとって灰の上に座った。
4:4 エステルの侍女たちとその宦官たちが入って来て、彼女にこのことを告げたので、王妃は非常に痛み苦しんだ。彼女はモルデカイに衣服を送り、それを着せて、粗布を脱がせようとしたが、彼はそれを受け取らなかった。
4:5 エステルは、王の宦官の一人で、王が彼女に仕えさせるために任命していたハタクを呼び寄せ、モルデカイのところへ行って、これはどういうわけか、また何のためかと聞いて来るように命じた。
4:6 ハタクは王の門の前の、町の広場にいるモルデカイのところに出て行った。
4:7 モルデカイは自分の身に起こったことをすべて彼に告げ、ハマンがユダヤ人を滅ぼすために王の宝物庫に納めると約束した、正確な金額も告げた。
4:8 また、ユダヤ人を根絶やしにするためにスサで発布された法令の文書の写しを彼に渡した。それは、エステルに見せて事情を知らせ、そして彼女が王のところに行って、自分の民族のために王からのあわれみを乞い求めるように、彼女に命じるためであった。
4:9 ハタクは帰って来て、モルデカイの伝言をエステルに告げた。
4:10 エステルはハタクに命じて、モルデカイにこう伝えた。
4:11 「王の家臣たちも王の諸州の民も、だれでも知っているように、召されないのに奥の中庭に入って王のところに行く者は、男でも女でも死刑に処せられるという法令があります。ただし、王がその人に金の笏を差し伸ばせば、その人は生きながらえます。私はこの三十日間、まだ王のところへ行くようにと召されていません。」
4:12 彼がエステルのことばをモルデカイに告げると、
4:13 モルデカイはエステルに返事を送って言った。「あなたは、すべてのユダヤ人から離れて王宮にいるので助かるだろう、と考えてはいけない。
4:14 もし、あなたがこのようなときに沈黙を守るなら、別のところから助けと救いがユダヤ人のために起こるだろう。しかし、あなたも、あなたの父の家も滅びるだろう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このような時のためかもしれない。」
4:15 エステルはモルデカイに返事を送って言った。
4:16 「行って、スサにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食してください。三日三晩、食べたり飲んだりしないようにしてください。私も私の侍女たちも、同じように断食します。そのようにしたうえで、法令に背くことですが、私は王のところへ参ります。私は、死ななければならないのでしたら死にます。」
4:17 モルデカイは出て行って、エステルが彼に頼んだとおりにした。

<要約>
悩み不安を通して神に近づく:

エステルには、召されていないのに王の前に出るのはとても不安なことだったでしょう。エステルの決心は、次のみことばに現れています。「たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」信仰の決断は、先がわかってするものではありません。先は見えないが、神は最善をなしてくださる。だから、エステルも死ななければならなくても自分に与えられた最善の決断をしたのです。私たちが、不安になるのは、実は、みこころです。なぜなら、その時に、神に叫び求めるからです。そうして、もう一度、神の約束を再確認して生きていくのです。これがクリスチャンライフです。そして、み言葉の約束を確認します。そして脱出の道が備えられます。復活の希望をいただいて、永遠の御国を目指して進んでいくのです。このようにして、信仰者は神に近づき、神と親しくなります。

マイナスをプラスに代えてくださるキリスト:

その日の宴会の席上でも王はエステルに尋ねます。「あなたは何を願っているのか。それを授けてやろう。何を望んでいるのか。王国の半分でも、それをかなえてやろう。」エステルは丁重に応えます。もう一度明日に宴会においでください。王は、その夜はなかなか眠れませんでした。そして、過去の記録である年代記を読ませて、モルデカイの功績に気付くのです。モルデカイが以前、王の暗殺計画を未然に察知して王をその危機から救ったことに対して、王はモルデカイにまだ、報いを与えていなかったのです。その日の夕に二晩目のエステルの宴会があり、ハマンはせかされて宴席に出ました。そこではじめて、エステルは、民族の救いを願い、ハマンの策略を王に述べるのです。ハマンはモルデカイを木にかけて処刑するために準備したその木に自らかけられて殺されてしまいました。その日は、ユダヤ人にとって、悲しみが喜びに変わった日、喪が祝いの日に変わった月として、祝宴と喜びを祝う日となりました。過去を見ると苦しく大変だったことであるかもしれませんが、その時も神は動けなくなったあなたを背負い運んでくださり、また、ともにいて助けてくださったのです。神はあわれみ深く素晴らしい、と賛美せずにはいられないのではないでしょうか。信じて歩むなら、神は、マイナスと思えることもプラスに代えてくださるのです。