2025年6月1日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明
<聖書>ヨシュア記1章1~11、16~18節
【新改訳2017】
1:1 【主】のしもべモーセの死後、【主】はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに告げられた。
1:2 「わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこの民はみな、立ってこのヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの子らに与えようとしている地に行け。
1:3 わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたが足の裏で踏む場所はことごとく、すでにあなたがたに与えている。
1:4 あなたがたの領土は荒野からあのレバノン、そしてあの大河ユーフラテス川まで、ヒッタイト人の全土、日の入る方の大海までとなる。
1:5 あなたの一生の間、だれ一人としてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしはモーセとともにいたように、あなたとともにいる。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。
1:6 強くあれ。雄々しくあれ。あなたはわたしが父祖たちに与えると誓った地を、この民に受け継がせなければならないからだ。
1:7 ただ強くあれ。雄々しくあれ。わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法のすべてを守り行うためである。これを離れて、右にも左にもそれてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたが栄えるためである。
1:8 このみおしえの書をあなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさめ。そのうちに記されていることすべてを守り行うためである。そのとき、あなたは自分がすることで繁栄し、そのとき、あなたは栄えるからである。
1:9 わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたの神、【主】があなたとともにおられるのだから。」
1:10 ヨシュアは民のつかさたちに命じた。
1:11 「宿営の中を巡って、民に命じなさい。『食糧を準備しなさい。三日のうちに、あなたがたはこのヨルダン川を渡るからだ。あなたがたの神、【主】があなたがたに与えて所有させようとしておられる地を占領するために、あなたがたは進むのだ。』」
1:16 彼らはヨシュアに答えた。「あなたが私たちに命じたことは、何でも行います。あなたが遣わすところには、どこでも参ります。
1:17 私たちは、あらゆる点でモーセに聞き従ったように、あなたに聞き従います。どうかあなたの神、【主】が、モーセとともにおられたように、あなたとともにおられますように。
1:18 あなたの命令に逆らい、あなたが私たちに命じることばに聞き従わない者はみな、殺されなければなりません。あなたは、ただ強く雄々しくあってください。」
<要約>
悔い改めるのを待っておられる神:
聖書に照らすと、人間の罪による腐敗は悪臭を放つほど甚だしいと言えます。私たち人間は普段罪がわからず、自分が罪人であると気付くこともありません。一般には、やってはいけないことをすることを罪と言います。泥棒、殺人、姦淫などです。しかし、罪は行いばかりでなく、思いとことばの領域のことも含んでいます。人を憎らしいと思ったら殺人罪、妻以外の女性に情欲を抱いたなら姦淫罪です。やってはいけないことをするのが罪と言いましたが、やらなくてはいけないことをしないのも罪です。困っている人を見ても助けないのも聖書では殺人罪です。心の領域まで見通すと、神の目には私たちはどんなに積み深いかがわかります。神は義なる方ですから、どんな小さな罪をも見逃すことはできません。必ず裁かなければなりません。しかし、神は待っておられます。何を、でしょうか。そうです、悔い改めです。思いを変えて神を見上げることです。こころを低くして救いを求める信仰です。
呪いを祝福に変える神:
神は、信仰を問うています。信じて生きるか、信じないで滅びるかということです。神を信じるものに、無条件に与えられるのが罪の赦しです。父なる神は裁きを与える代わりに赦すために、罪のないご自身のひとり子を与えてくださいました。神は正しい方ですので、罪に対しては必ずさばきを下します。しかし、人が裁かれ滅ぶのを惜しまれて、身代わりにご自身の子を十字架で裁いたのです。人は誰もが、死を恐れています。霊魂は無に帰するのではなく、神の前に立たされて、生きていた時の様々な罪に対して裁かれるのです。その得体のしれない裁きを恐れるので、死を恐れるのです。死はさばきであり呪いと言えます。決して渇くことのない、永遠のいのちへの水は、みことばと礼拝の中でいつも頂くことができます。それはイエス様を信じることです。今朝も、自分の罪を告白して、もう一度信仰に立つことです。これは何と大きな励ましのことばでしょうか。勝利に勝利を約束しています。決してあなたを見捨てず、あなたとともにいよう。心を強くして、勇敢であれ、勝利はあなたのものだ、と。信仰によって受け止めましょう。祝福の原則に立って、日々、熱心にみことばを聴き、礼拝に出席し説教を聞き、神を求めましょう。神の命令を守ることです。必ず祝福されます。