2024年12月15日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明
<要約>
闇にとどまる人間社会;
多くのユダヤ人は、救い主がユダヤ人の王として来られ、社会が不安定になるのを恐れていました。現状にあまんじ、変化を恐れていたのです。そこに当時のユダヤ人を含めて人間の罪の姿があります。教会やキリスト教に深入りしたくない、私にはキリストは必要がないという声を聞くのです。結果的に、私たちの罪を取り除いてくださるキリストを拒むのです。正しいことを実行し、正しいことを信じる力がない人間の姿があるのです。闇にとどまる人間社会と題して話しました。多くの人々は、闇にとどまることを良しとして、その罪ゆえに、死と滅びに定められている、と聖書は警告しています。しかし、神は憐れみの神です。人が滅びに向かっていくことを惜しんで悲しんでおられます。そのために、罪のない神の独り子イエス様は十字架で私たちのすべての罪を背負い身代わりとなって死んでくださったのです。そればかりでなく、3日目に復活し死を打ち破り復活のいのちを与えてくださいました。もう死の苦しみは過ぎ去りました。死はいのちに至る門となり、永遠に続く希望と喜びの人生が待っています。
クリスマスはこの上もない良い知らせ:
キリストはご自分の民に拒絶されました。しかし、異邦人に歓迎されました。彼らは、この幼子を人類の救い主、神の子、キリストとして認識したのです。そのお姿は、最も低くなってこられたキリストです。私たちを支配するのではなく、人々に仕えるものの姿で来られました。軍隊に守られた王ではなく、貧しい無防備な幼子でした。それは、力を持って力のある人々を救うのではなく、貧しいものとなって心の貧しい人々を救うために来られたのです。それとは反対に、ご自身を拒絶する人々、「救いはいらない」、「私にはキリストは必要がない」、と言う人々に対しても、忍耐を持って待っておられるのです。それは、ご自身を害するもののために祈られたことからもわかります。キリストは私たちを赦し生かすために来られました。最も貧しい姿で、しかも、私たちの罪を背負って十字架に付けられるために来て下さったのです。東方の博士たちは、幼子イエスに会って、この上も無く非常に激しく喜んだのです。私たちもキリストをこのように歓迎しているでしょうか。私たちもキリストの証人として使命をいただいて自分の使わされている場所で主を証いたしましょう。
<聖書>マタイによる福音書2章1~12節
【新改訳2017】
2:1 イエスがヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東の方から博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
2:2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。」
2:3 これを聞いてヘロデ王は動揺した。エルサレム中の人々も王と同じであった。
2:4 王は民の祭司長たち、律法学者たちをみな集め、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。
2:5 彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれています。
2:6 『ユダの地、ベツレヘムよ、あなたはユダを治める者たちの中で決して一番小さくはない。あなたから治める者が出て、わたしの民イスラエルを牧するからである。』」
2:7 そこでヘロデは博士たちをひそかに呼んで、彼らから、星が現れた時期について詳しく聞いた。
2:8 そして、「行って幼子について詳しく調べ、見つけたら知らせてもらいたい。私も行って拝むから」と言って、彼らをベツレヘムに送り出した。
2:9 博士たちは、王の言ったことを聞いて出て行った。すると見よ。かつて昇るのを見たあの星が、彼らの先に立って進み、ついに幼子のいるところまで来て、その上にとどまった。
2:10 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
2:11 それから家に入り、母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
2:12 彼らは夢で、ヘロデのところへ戻らないようにと警告されたので、別の道から自分の国に帰って行った。