勝利の希望

2022年1月16日主日礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>ローマ書8章18~25節
【新改訳2017】
8:18 今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は考えます。
8:19 被造物は切実な思いで、神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます。
8:20 被造物が虚無に服したのは、自分の意志からではなく、服従させた方によるものなので、彼らには望みがあるのです。
8:21 被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。
8:22 私たちは知っています。被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています。
8:23 それだけでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだが贖われることを待ち望みながら、心の中でうめいています。
8:24 私たちは、この望みとともに救われたのです。目に見える望みは望みではありません。目で見ているものを、だれが望むでしょうか。
8:25 私たちはまだ見ていないものを望んでいるのですから、忍耐して待ち望みます。

<要約>

今の苦難は後の栄光にのまれる:

私たちの周りの見える世界、万物は本来の姿から大きく逸脱して空虚でむなしい状態にさせられて、滅ぶべきものとなって、今にいたるまで、うめき、苦しみを味わっています。最初の人アダムは、神の前で堕落し罪を犯し、呪われた者となりました。その結果、人に死が入りました。そして、すべての被造物も呪われました。やがて現在の世界は滅びるでしょう。罪によって人類も自然界も滅びに定められたのです。ところが、神は罪のない神の独り子キリストを送ってくださいました。神は彼に、あなたや私、そして人類の全ての罪の呪いを背負わせました。そして、身代わりとして十字架で裁いたのです。キリストは、罪の報酬である死を身代わりとなって味わい、死んでくださったのです。そして、三日後に復活し、キリストを信じる者に罪の赦しと復活のいのちをお与えくださるのです。イエス・キリストを信じるものは、死んでも生きるとある通り、復活のいのち、永遠のいのちが与えられます。ゆえに今の苦難は取るに足らないというのです。今の様々な苦難は驚くべき神の栄光の光の中に吞み込まれて跡形もなくなります。

忍耐して祈り、勝利を得る:

私たちが、イエス・キリスト信じて洗礼を受けたときに与えられた聖霊が保証してくださいます。やがて、完全にされて、完成の時を迎えることを。しかし、この地上にある間は、うめいており、生みの苦しみがあると言っています。そして、聖霊は信じるあなたの内に住んでくださり、うめきをもってあなたを神にとりなしておられます。自然界も含めて、被造物全体も、あなたが、やがて、この地上のいのちを終え、復活のいのちによみがえるのを待ち望んでいます。今目に見ることはできませんが 神が約束してくださった確かな希望です。まだ、その希望を受け取っていない方は、是非、その希望を自分のものにしてください。私たちの希望は、復活のいのち、永遠のいのち、それを今見ることができません。地上のさまざまなことがらに動揺することなく、神のみことばにしっかりたち、信仰の確信に忍耐し留まることです。そして御霊によって祈り、待ち望むのです。それが勝利の道です。