あふれる喜びを得るために

2019年11月24日
説教者:ハレルヤチャペル滝沢牧師  森田友明

<聖書>ルカの福音書1章5~23節
1:5 ユダヤの王ヘロデの時代に、アビヤの組の者でザカリヤという名の祭司がいた。彼の妻はアロンの子孫で、名をエリサベツといった。
1:6 二人とも神の前に正しい人で、主のすべての命令と掟を落度なく行っていた。
1:7 しかし、彼らには子がいなかった。エリサベツが不妊だったからである。また、二人ともすでに年をとっていた。
1:8 さてザカリヤは、自分の組が当番で、神の前で祭司の務めをしていたとき、
1:9 祭司職の慣習によってくじを引いたところ、主の神殿に入って香をたくことになった。
1:10 彼が香をたく間、外では大勢の民がみな祈っていた。
1:11 すると、主の使いが彼に現れて、香の祭壇の右に立った。
1:12 これを見たザカリヤは取り乱し、恐怖に襲われた。
1:13 御使いは彼に言った。「恐れることはありません、ザカリヤ。あなたの願いが聞き入れられたのです。あなたの妻エリサベツは、あなたに男の子を産みます。その名をヨハネとつけなさい。
1:14 その子はあなたにとって、あふれるばかりの喜びとなり、多くの人もその誕生を喜びます。
1:15 その子は主の御前に大いなる者となるからです。彼はぶどう酒や強い酒を決して飲まず、まだ母の胎にいるときから聖霊に満たされ、
1:16 イスラエルの子らの多くを、彼らの神である主に立ち返らせます。
1:17 彼はエリヤの霊と力で、主に先立って歩みます。父たちの心を子どもたちに向けさせ、不従順な者たちを義人の思いに立ち返らせて、主のために、整えられた民を用意します。」
1:18 ザカリヤは御使いに言った。「私はそのようなことを、何によって知ることができるでしょうか。この私は年寄りですし、妻ももう年をとっています。」
1:19 御使いは彼に答えた。「この私は神の前に立つガブリエルです。あなたに話をし、この良い知らせを伝えるために遣わされたのです。
1:20 見なさい。これらのことが起こる日まで、あなたは口がきけなくなり、話せなくなります。その時が来れば実現する私のことばを、あなたが信じなかったからです。」
1:21 民はザカリヤを待っていたが、神殿で手間取っているので、不思議に思っていた。
1:22 やがて彼は出て来たが、彼らに話をすることができなかった。それで、彼が神殿で幻を見たことが分かった。ザカリヤは彼らに合図をするだけで、口がきけないままであった。
1:23 やがて務めの期間が終わり、彼は自分の家に帰った。

<要約>

神はあなたを特別に選び愛しておられる:

ゼカリヤ夫妻は、高齢になっており、エリザベツは不妊の女性でした。神はゼカリヤ夫妻の願いをかなえ彼らを祝福する時を待っておられたと言えます。神の人類救済のご計画を発動するこの時のために。神はゼカリヤ夫妻を前もって選んでおられました。そして、彼らを愛しておられました。彼らを祝福しようと待っておられたのです。同様に、キリストを愛しキリストに来るものを必ず祝福してくださいます。それが、私たち信者の確信です。神は愛であるといわれているとおりです。皆さん、一人ひとりを愛してくださっています。どのくらいかというと、あなたのためならご自身のいのちを捨てても惜しくないほどにです。その愛は、選びの愛であります。選びの愛、それは独占的な愛です。神はその他大勢の一人としてあなたを愛しているのではありません。神は信じるものに最善を用意していてくださいます。今は分からなくても忍耐を持って神を信じていきましょう。

神の確かな約束を待ち望む喜び:

ザカリヤ夫妻に、一生に一度しか与えられない光栄がやってきました。主の神殿の聖所に入って朝夕に香をたくという任務です。すると、予期しないことが起こりました。香壇の右に誰かが立っていたのです。天使ガブリエルは祝福のことばをかけました。「あなたの願いが聞き入れられたのです。エリサベツは男の子を生みます。」しかし、ザカリヤはガブリエルの告知を素直に受け入れる事ができなかったようです。子どもが与えられる、それも将来エリヤの霊と力を帯びてイスラエルの民に悔い改めを起こす偉大な人物。その親となる祝福です。信仰によって受け止めることができずに、神の大いなる恵と哀れみと祝福に気付かないのです。信仰が硬直化していたのです。人生の変化を求めず、つつがなく過ごすことに執着していた彼に、予期しなかったことが起こったのです。話せなくなったのは、呪いではなく祝福でした。ザカリヤは、その後数カ月間黙想の時を過ごすのです。神の約束を待ち望むとき、彼にとって忍耐をもって待ち望む幸いな時であったと思います。私たちも、マイナスと思える状況にあるとき、それは忍耐の訓練の時です。神の約束は変わりません。神の確かな約束を待ち望むとき、それは幸いな時なのです。そして、その約束は、あふれるばかりの喜びとなるのです。

悔い改めてイエスを信じる

2019年11月17日
説教者:ハレルヤチャペル滝沢牧師  森田友明

<聖書>マルコの福音書1章1~11節
1:1 神の子、イエス・キリストの福音のはじめ。
1:2 預言者イザヤの書にこのように書かれている。「見よ。わたしは、わたしの使いをあなたの前に遣わす。彼はあなたの道を備える。
1:3 荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ。』」そのとおりに、
1:4 バプテスマのヨハネが荒野に現れ、罪の赦しに導く悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた。
1:5 ユダヤ地方の全域とエルサレムの住民はみな、ヨハネのもとにやって来て、自分の罪を告白し、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けていた。
1:6 ヨハネはらくだの毛の衣を着て、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。
1:7 ヨハネはこう宣べ伝えた。「私よりも力のある方が私の後に来られます。私には、かがんでその方の履き物のひもを解く資格もありません。
1:8 私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、この方は聖霊によってバプテスマをお授けになります。」
1:9 そのころ、イエスはガリラヤのナザレからやって来て、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けられた。
1:10 イエスは、水の中から上がるとすぐに、天が裂けて御霊が鳩のようにご自分に降って来るのをご覧になった。
1:11 すると天から声がした。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」

<要約>

罪を悔いてへりくだる:

多くのイスラエルの民がヨルダン川に来て、ヨハネから洗礼を受けました。ヨハネは、人々に罪を呼び起こして、それに気づかせます。そして、罪を悔いて、心に救い主を受け入れる準備をするのです。ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出て来た群衆に言いました。「まむしの末たち。だれが、迫り来る怒りを逃れるようにと教えたのか。それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木はすべて切り倒されて、火に投げ込まれます。」と。ヨハネが叫んでいたのは律法による罪の指摘でした。素直にヨハネのことばを聞いた人々は、自らの罪に気づき、神の怒りに気づき、神を恐れ、このままではいけないと思うのです。もう少し、心が清くなってから信仰しようというのは間違いです。人は自分で努力しても清くなれません。身体の中にできた癌を自分で取り除けないのと同じです。外科医によって、取り除いてもらうのです。人の罪も、自分で取り除くことできません。医者であるキリストがあなたの罪をすっかり取り除いてくださるのです。

キリストを仰いで罪赦される;

もし、あなたが、神の前に自らの罪を認めて、へりくだるなら、あなたがこれまでの人生で積み重ねてきたすべての罪はイエス・キリストによって赦されます。なぜなら、神は罪のない御子キリストに人のすべての罪を背負わせて、十字架で断罪しました。それは、あなたが罪の刑罰を受ける代わりにキリストが刑罰を受けてくださったことです。あなたは、思いを変えて、神を見上げるのです。そうすれば、イエス様は罪の赦しをあなたにお与えになります。ヨハネはこう宣べ伝えました。「私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、この方キリストは聖霊によってバプテスマをお授けになります。」人が、洗礼を受ける時に聖霊を受けるのです。聖霊は生ける神です。生ける神が私たち一人ひとりの中に入り住んでくださるというのです。その時、古い人は死んで新しい人に生きるのです。私たちは生まれ変わるのです。今日、バプテスマのヨハネは皆さん一人ひとりの心に当時のように呼び掛けています。「悔い改めなさい」そして、「キリストを信じなさい」と。

メシヤ来臨の預言

2019年11月10日
説教者:ハレルヤチャペル滝沢牧師  森田友明

<聖書>ミカ書5章1~9節
5:1 今、軍勢をなす娘よ、勢ぞろいせよ。包囲網が私たちに対して設けられた。彼らは、イスラエルをさばく者の頬を杖で打つ。
5:2 「ベツレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。」
5:3 それゆえ、彼らはそのままにしておかれる。産婦が子を産む時まで。そのとき、彼の兄弟のほかの者はイスラエルの子らのもとに帰る。
5:4 彼は立って、【主】の力と、彼の神、【主】の御名の威光によって群れを飼う。そして彼らは安らかに住まう。今や彼の威力が、地の果ての果てまで及ぶからだ。
5:5 平和は次のようにして来る。アッシリアが私たちの国に来て、私たちの宮殿を踏みにじるとき、私たちはこれに対抗して七人の牧者、八人の指導者を立てる。
5:6 彼らはアッシリアの地を剣で、ニムロデの地を抜き身の剣で飼いならす。アッシリアが私たちの国に来て、私たちの領土に踏み込んで来るとき、彼は、私たちをアッシリアから救い出す。
5:7 そのとき、ヤコブの残りの者は、多くの国々の民のただ中で、【主】のもとから降りる露、青草に降り注ぐ夕立のようだ。彼らは人に望みを置かず、人の子らに期待をかけない。
5:8 ヤコブの残りの者は異邦の民の中、多くの国々の民のただ中で、森の獣の中の獅子、羊の群れの中の若い獅子のようだ。通り過ぎるときには、踏みにじり、かみ裂けば、助け出す者はいない。
5:9 あなたが敵対する者に向けて御手を上げると、あなたの敵はみな絶ち滅ぼされる。

<要約>

平和を勝ち取り与えてくださる救い主:

「イスラエルを治める者が出る」とは、まさしくメシヤの預言です。イエス様がお生まれになった時代も、イスラエルの民はローマの圧政のもとに非情な困難の中にありました。イザヤの預言の通り、民は闇の中を歩んでいたと言えます。このように、救い主は、混迷とやみが覆う時代に来られました。個人レベルでも民族レベルでも国家レベルでも、困難や試練で絶望することはあるかもしれません。しかし、その中でこそ、私たちは救い主をお迎えするにふさわしく整えられるのです。イエス・キリストは主の威光を帯びて、彼の民を羊飼いが羊を飼うように養い、今も信じる私たちに平安を与えつづけておられます。現在の私たちにとって、敵対する勢力、アッシリヤとは何でしょうか。病気や困難や死を象徴しているかもしれません。あるいは、不破や仲たがい、分裂、分派であるかもしれません。あるいは、自分の内側にある利己的な思い、支配欲なども敵と言えるでしょう。私たちはそれに立ち向かおうと戦います。しかし、その時にこそ、救い主キリストは信じる者を救ってくださるのです。

勝利と祝福の伝達者;

最後まで忠実な信仰者は二つのものを持っています。一つは、周囲の人々を潤し、神の祝福を届ける働きです。それは、神の祝福の器であると言えます。周りの人々に祝福を届ける働きです。簡単に言えば、あなたによってあなたの周りの人々家族も祝福されるということです。もう一つは、圧倒的な勝利者であるということです。ヤコブの残りの者は、信仰者は森の獣の中の獅子、百獣の王ライオンです。圧倒的な勝利です。サタンも踏みにじられます。教会の勝利と言えます。聖書によると神には二通りのお姿があります。一つは怒りの神です。罪に対する怒りです。その怒りはどこから来ているのでしょうか。それは神が聖い正義の神であるところから来ています。もう一つのお姿は、愛の神です。人が自らの罪で滅びてしまうことを惜しまれております。そして、人の罪を何とか赦したいと思っておられます。この二つの矛盾するお姿に筋を通したのが御子イエス様の十字架です。ですから、御子を信じる者は、十字架のゆえにすべての罪が赦されます。そして代わりに死んで三日目に復活したキリストの勝利と祝福を受け継ぐのです。