ヨセフの生涯からキリストを見る

2022年6月26日主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>創世記39:1~8、20~23、41:1~16、25~32

【新改訳2017】
39:1 一方、ヨセフはエジプトへ連れて行かれた。ファラオの廷臣で侍従長のポティファルという一人のエジプト人が、ヨセフを連れ下ったイシュマエル人の手からヨセフを買い取った。
39:2 【主】がヨセフとともにおられたので、彼は成功する者となり、そのエジプト人の主人の家に住んだ。
39:3 彼の主人は、【主】が彼とともにおられ、【主】が彼のすることすべてを彼に成功させてくださるのを見た。
39:4 それでヨセフは主人の好意を得て、彼のそば近くで仕えることになった。主人は彼にその家を管理させ、自分の全財産を彼に委ねた。
39:5 主人が彼にその家と全財産を管理させたときから、【主】はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を祝福された。それで、【主】の祝福が、家や野にある全財産の上にあった。
39:6 主人はヨセフの手に全財産を任せ、自分が食べる食物のこと以外は、何も気を使わなかった。しかもヨセフは体格も良く、顔だちも美しかった。
39:7 これらのことの後、主人の妻はヨセフに目をつけて、「一緒に寝ましょう」と言った。
39:8 しかし彼は拒んで、主人の妻に言った。「ご覧ください。ご主人は、家の中のことは何でも私に任せ、心配せずに全財産を私に委ねられました。

39:20 ヨセフの主人は彼を捕らえ、王の囚人が監禁されている監獄に彼を入れた。こうして彼は監獄に置かれた。
39:21 しかし、【主】はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。
39:22 監獄の長は、その監獄にいるすべての囚人をヨセフの手に委ねた。ヨセフは、そこで行われるすべてのことを管理するようになった。
39:23 監獄の長は、ヨセフの手に委ねたことには何も干渉しなかった。それは、【主】が彼とともにおられ、彼が何をしても、【主】がそれを成功させてくださったからである。


41:1 それから二年後、ファラオは夢を見た。見ると、彼はナイル川のほとりに立っていた。
41:2 すると、ナイル川から、つやつやした、肉づきの良い雌牛が七頭、上がって来て、葦の中で草をはんだ。
41:3 するとまた、その後を追って、醜く痩せ細った別の雌牛が七頭、ナイル川から上がって来て、その川岸にいた雌牛のそばに立った。
41:4 そして、醜く痩せ細った雌牛が、つやつやした、よく肥えた七頭の雌牛を食い尽くしてしまった。そのとき、ファラオは目が覚めた。
41:5 彼はまた眠り、再び夢を見た。見ると、一本の茎に、よく実った七つの良い穂が出て来た。
41:6 すると、その後を追って、しなびた、東風に焼けた七つの穂が出て来た。
41:7 そして、しなびた穂が、よく実った七つの穂を?み込んでしまった。そのとき、ファラオは目が覚めた。それは夢だった。
41:8 朝になって、ファラオは心が騒ぎ、人を遣わして、エジプトのすべての呪法師とすべての知恵のある者たちを呼び寄せた。ファラオは彼らに夢のことを話したが、解き明かすことのできる者はいなかった。
41:9 そのとき、献酌官長がファラオに告げた。「私は今日、私の過ちを申し上げなければなりません。
41:10 かつて、ファラオがしもべらに対して怒って、私と料理官長を侍従長の家に拘留されました。
41:11 私と彼は、同じ夜に夢を見ました。それぞれ意味のある夢でした。
41:12 そこには、私たちと一緒に、侍従長のしもべで、ヘブル人の若者がいました。私たちが彼に話しましたところ、彼は私たちの夢を解き明かしてくれました。それぞれの夢に応じて、解き明かしてくれたのです。
41:13 そして、彼が私たちに解き明かしたとおりになり、ファラオは私を元の地位に戻され、料理官長は木につるされました。」
41:14 ファラオは人を遣わして、ヨセフを呼び寄せた。人々は急いで彼を地下牢から連れ出した。ヨセフはひげを剃り、着替えをして、ファラオの前に出た。
41:15 ファラオはヨセフに言った。「私は夢を見たが、それを解き明かす者がいない。おまえは夢を聞いて、それを解き明かすと聞いたのだが。」
41:16 ヨセフはファラオに答えた。「私ではありません。神がファラオの繁栄を知らせてくださるのです。」

41:25 ヨセフはファラオに言った。「ファラオの夢は一つです。神が、なさろうとしていることをファラオにお告げになったのです。
41:26 七頭の立派な雌牛は七年のことで、七つの立派な穂も七年のことです。それは一つの夢なのです。
41:27 その後から上がって来た七頭の痩せた醜い雌牛は七年のことで、痩せ細り東風に焼けた七つの穂も同様です。それは飢饉の七年です。
41:28 これは、私がファラオに申し上げたとおり、神が、なさろうとしていることをファラオに示されたのです。
41:29 今すぐ、エジプト全土に七年間の大豊作が訪れようとしています。
41:30 その後、七年間の飢饉が起こり、エジプトの地で豊作のことはすべて忘れられます。飢饉が地を荒れ果てさせ、
41:31 この地の豊作は、後に来る飢饉のため、跡も分からなくなります。その飢饉が非常に激しいからです。
41:32 夢が二度ファラオに繰り返されたのは、このことが神によって定められ、神が速やかにこれをなさるからです。

<要約>

イエスが共にいてくださる人生:

家の主人ポティファルはヨセフには主がついておられてすべてのことを主が成功させておられるのを見ていました。これはクリスチャンの証といえます。主イエス様の約束は何でしょうか。「見よ。私は世の終わりまでいつも、あなた方と共にいます」です。「主よ。お助け下さい。私とともにいてください」とヨセフは何百回、何千回も祈っていたと思います。その度に、父祖から伝えられた神の約束を思い出していたことでしょう。あるいは夢で神の御声を聞いていたことでしょう。その度に、彼は、信仰を強めたのです。主がともにいてくださるということを信じて疑わない、ことは何と幸いなことでしょうか。ジョン・ウエスレーは臨終のとき、「自分の人生で一番幸いだったことは、神がともにいてくださったことだ」と証を残しています。なぜなら神がともにいてくださることほどすばらしい祝福はないからです。

すべてのことを益と変え救ってくださる神:

ファラオは夢を見ました。それは、七年の豊作のあと七年の飢きんが来るという意味でした。ファラオの夢を解き明かしたヨセフは、そのことにより徴用され、ファラオに次ぐ第二の権威をあたえられました。ヨセフは七年間の豊作の間にできる限りの蓄えをしました。倉を各地にたてました。それぞれの町々に食糧を蓄えさせました。七年間の食糧備蓄という大事業を推進したのです。そのようなヨセフの資質はどこで身についたのでしょうか。それは、ポティファルの家で主人の家財や土地や資産を管理運用し、使用人の労務など扱った経験が生かされたのです。神は信じる者に最善な道を備えて下さるということです。神は苦しみ重荷を一緒に、担って下さっているということです。ヨセフはエジプトを救いました。イスラエル民族を救いました。ここにもキリストのひな型としてのヨセフがあります。ヨセフは不当に扱われ、無実の罪を着せられて、苦難の道を歩かせられました。そして、エジプトを救いに導いたのです。イエスさまは十字架で私たちの罪をになって苦しみ私たちを救い出してくださいました。イエス様の救いは、罪と死と悪魔からの救いです。人間の最後の敵である死からもお救いくださるのです。その救いのもたらすものは永遠のいのちです。

神の祝福を受け継ぐ

2022年6月19日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>創世記27章1~10、26~31節
【新改訳2017】
27:1 イサクが年をとり、目がかすんでよく見えなくなったときのことである。彼は上の息子エサウを呼び寄せて、「わが子よ」と言った。すると彼は「はい、ここにおります」と答えた。
27:2 イサクは言った。「見なさい。私は年老いて、いつ死ぬか分からない。
27:3 さあ今、おまえの道具の矢筒と弓を取って野に出て行き、私のために獲物をしとめて来てくれないか。
27:4 そして私のために私の好きなおいしい料理を作り、ここに持って来て、私に食べさせてくれ。私が死ぬ前に、私自ら、おまえを祝福できるように。」
27:5 リベカは、イサクがその子エサウに話しているのを聞いていた。それで、エサウが獲物をしとめて父のところに持って来ようと野に出かけたとき、
27:6 リベカは息子のヤコブに言った。「今私は、父上があなたの兄エサウにこう言っておられるのを聞きました。
27:7 『獲物を捕って来て、私においしい料理を作ってくれ。食べて、死ぬ前に、【主】の前でおまえを祝福しよう。』
27:8 さあ今、子よ、私があなたに命じることを、よく聞きなさい。
27:9 さあ、群れのところに行って、そこから最上の子やぎを二匹取って私のところに来なさい。私はそれで、あなたの父上の好きな、おいしい料理を作りましょう。
27:10 あなたが父上のところに持って行けば、食べて、死ぬ前にあなたを祝福してくださるでしょう。」

27:25 そこでイサクは言った。「私のところに持って来なさい。わが子の獲物を食べたい。そうして私自ら、おまえを祝福しよう。」そこでヤコブが持って来ると、イサクはそれを食べた。またぶどう酒を持って来ると、それも飲んだ。
27:26 父イサクはヤコブに、「近寄って私に口づけしてくれ、わが子よ」と言ったので、
27:27 ヤコブは近づいて、彼に口づけした。イサクはヤコブの衣の香りを嗅ぎ、彼を祝福して言った。「ああ、わが子の香り。【主】が祝福された野の香りのようだ。
27:28 神がおまえに天の露と地の肥沃、豊かな穀物と新しいぶどう酒を与えてくださるように。
27:29 諸国の民がおまえに仕え、もろもろの国民がおまえを伏し拝むように。おまえは兄弟たちの主となり、おまえの母の子がおまえを伏し拝むように。おまえを呪う者がのろわれ、おまえを祝福する者が祝福されるように。」
27:30 イサクがヤコブを祝福し終わり、ヤコブが父イサクの前から出て行くとすぐに、兄のエサウが猟から戻って来た。
27:31 彼もまた、おいしい料理を作って、父のところに持って来た。そして父に言った。「お父さん。起きて、息子の獲物を召し上がってください。あなた自ら、私を祝福してくださるために。」

<要約>

みことばと祈りを軽視する悲惨:

イサクは年を取り、目がよく見えなくなったときに長男エソウを呼びました。自分が死ぬ前にエソウを祝福し、後継ぎにしようとしました。しかし、それに気づいたリベカはそれを阻止しようとします。リベカとヤコブは共謀して父イサクをだますのです。これは、十戒の4戒「あなたの父母を敬いなさい」と第8戒「うそをついてはいけません」の律法違反ですね。悲しいことに、イサク家の誰も、どうすべきかを神に祈り、知恵を求めることはなかったのです。その結果、父の祝福を横取りされたエソウは、ヤコブに対して殺意を抱くようになりました。イサク家は分裂してしまったのです。ここに家族の人間関係のもろさが見えます。それぞれが、神に窺うこともなく自分の考えをそのまま通すことで、主のみ心を排除してしまったのです。家族の危機はどのような家庭にも起こりうるのです。大切なことは、私たちの家庭に神様をお迎えして常に祈りみ心を求めることです。

神と祈りの格闘をして前進する:

ヤコブは、失敗や苦しみを通して、神に祈り、神と格闘して、神の約束を握り進んでいきました。また、ヤコブにはイスラエルと言う名前が与えられました。イスラエルと言うのは、「神と戦う」と言う意味です。ヤコブは、祝福をもらうまで神の人を離さなかったからです。それは、熱心であきらめない祈りです。また、イスラエルという名前には「神の王子」という意味があります。この「お前を呪うものは呪われ、お前を祝福するものは祝福される。」という言葉の背後にある思いは、丁度、王様がその最愛のこどもである王子を愛する愛と似ています。王は王子に悪さをする者を赦しません。逆に王子に良いことをする者を王は喜び宮廷に招きごちそうします。そして、この言葉は、アブラハム、イサク、ヤコブの信仰による子孫の私たちクリスチャンに与えられています。ヤコブは、執拗な祈りで神と戦ったのです。また、長子の権利をめぐってヤコブは兄エソウと戦って勝利を得ました。ヤコブは目に見えない神との関係を第一に求めました。私たちも、神との関係を第一として歩みたいと思います。受け継いだものは次に渡さなければなりません。私たちは隣人にこの祝福を伝達する役目も与えられているのです。また、ヤコブのように神に執拗な祈りをして、前進したいと願います。

アブラハムの信仰に倣う

2022年6月12日主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>創世記13章1~18節
【新改訳2017】
13:1 そこで、アブラムはエジプトを出て、ネゲブに上った。妻と、所有するすべてのものと、ロトも一緒であった。
13:2 アブラムは家畜と銀と金を非常に豊かに持っていた。
13:3 彼はネゲブからベテルまで旅を続けて、ベテルとアイの間にある、最初に天幕を張った場所まで来た。
13:4 そこは、彼が以前に築いた祭壇の場所であった。アブラムはそこで【主】の御名を呼び求めた。
13:5 アブラムと一緒に来たロトも、羊の群れや牛の群れ、天幕を所有していた。
13:6 その地は、彼らが一緒に住むのに十分ではなかった。所有するものが多すぎて、一緒に住めなかったのである。
13:7 そのため、争いが、アブラムの家畜の牧者たちと、ロトの家畜の牧者たちの間に起こった。そのころ、その地にはカナン人とペリジ人が住んでいた。
13:8 アブラムはロトに言った。「私とあなたの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちの間に、争いがないようにしよう。私たちは親類同士なのだから。
13:9 全地はあなたの前にあるではないか。私から別れて行ってくれないか。あなたが左なら、私は右に行こう。あなたが右なら、私は左に行こう。」
13:10 ロトが目を上げてヨルダンの低地全体を見渡すと、【主】がソドムとゴモラを滅ぼされる前であったので、その地はツォアルに至るまで、【主】の園のように、またエジプトの地のように、どこもよく潤っていた。
13:11 ロトは、自分のためにヨルダンの低地全体を選んだ。そしてロトは東へ移動した。こうして彼らは互いに別れた。
13:12 アブラムはカナンの地に住んだ。一方、ロトは低地の町々に住み、ソドムに天幕を移した。
13:13 ところが、ソドムの人々は邪悪で、【主】に対して甚だしく罪深い者たちであった。
13:14 ロトがアブラムから別れて行った後、【主】はアブラムに言われた。「さあ、目を上げて、あなたがいるその場所から北、南、東、西を見渡しなさい。
13:15 わたしは、あなたが見渡しているこの地をすべて、あなたに、そしてあなたの子孫に永久に与えるからだ。
13:16 わたしは、あなたの子孫を地のちりのように増やす。もし人が、地のちりを数えることができるなら、あなたの子孫も数えることができる。
13:17 立って、この地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに与えるのだから。」
13:18 そこで、アブラムは天幕を移して、ヘブロンにあるマムレの樫の木のそばに来て住んだ。そして、そこに【主】のための祭壇を築いた。

<要約>

信仰の正のサイクルに生きる:

信仰者はすべての事柄において、礼拝で始まり礼拝で終わるサイクルに生きます。毎週の礼拝で神に立ち返り、また、みことばをいただいて出発します。それが、クリスチャンが成長していくサイクルです。エジプトでの失敗は、神のアブラハムに対する信仰の訓練でした。罪を犯したことのない人はいないのと同じように失敗したことのない人はいません。そのたびに、反省したり、苦しんだりするのが人間です。しかし、どんな時でも、クリスチャンは神の前に出るのです。祭壇を築き、神を礼拝するのです。私たちは最終的には神の身元しか逃れる場所はありません。そしてそこにこそ平安といのちの約束があるのです。悔い改めて信仰の原点に戻るのです。み心を信じて従うのです。そして、みことばの約束をいただきます。そして、信仰によって歩み出すのです。試練、祈り、礼拝、みことば、従順、約束、前進と進むのです。アブラハムは、その成長のサイクルに乗って進んでいきました。そして、アブラハムの信仰を受け継いでいる現代のクリスチャンも、復活を信じ永遠のいのちを信じています。これは、なんと大きな慰めであり希望であることでしょうか。

天の都を目指し旅人として生きる:

カナンの地は、アブラハムには、子孫への相続の地となるとの神の約束をいただきましたが、そこではアブラハムは寄留者でした。アブラハムは、カナンで他国人のように彼の子孫とともに住みました。すなわち彼は、「カナン人の間にあってカナン人ではない。」それは神の民の姿です。アブラハムの信仰の子孫であるクリスチャンも「世にあって、世のものではない」のです。また、「アブラハムは堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいた。」とあります。クリスチャンは、イエス・キリストが土台となって築かれた神の国に属しています。アブラハムのカナンの地での寄留者としての歩みは、私たち信者の歩みでもあります。約束のものをはるかに待ち望んで地上では旅人であり寄留者である一生を過ごしたのです。私たちも、この世にあっては旅人であり寄留者です。天の都を目指して今を生きるのです。