神は愛です

2026年6月28日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
イエスを告白するならば世に勝利する:

イエス・キリストを告白するというのは、具体的にはどういうことでしょうか?それは、使徒信条の第二条、子なる神、イエス・キリストを告白する部分です。この告白に立っているかどうかで、背後の霊を見分け、誤った教えであるかどうか判断しなさいということです。イエス様はすべての人の罪を背負い、十字架で身代わりとなって死んでくださったのです。私たち罪人に対する贖いの業が成されたのです。死んで墓に葬られました。神は、そのようなイエス様を復活させました。彼に、天においても地においても、すべての権威をお与えになりました。天に上られたイエス様は、今度は世を裁くためにもう一度来られます。これは、あなたや私を、罪と死と悪魔から救うために、神がご計画し実行なさったことです。そして、すべての人の救いの業は完了しました。そこには私たち人間の側でなすべきことは何もありません。ただ、信じて受け止めることです。受け止めて所有するのです。あなた方は、世に勝ったとあります。あなた方のうちにおられる方というのは、いうまでもなくサタンに勝利されたキリストです。私たちは信仰により、キリストの勝利をいただいています。

神を愛し、人を愛する生き方とは?:

ヨハネは、たがいに愛し合いましょう、と勧めています。神は愛です、それは、神の本質は愛であるという意味です。そして、神は全き愛を人に要求しています。人は表面的に愛の行いをすることができるかもしれません。しかし、真に愛に生きようとすると、悪い欲望が自分の中にあることに気付くのです。愛しても見返りがないと愛は憎しみに代わるのです。愛に生きようとすればするほど、自分には愛がないことに気付きます。罪によって神から遠く離れている自分に気付くのです。それでも、聖書は、愛に生きなさいと勧めています。それは、イエス様が、十字架ですべての罪を赦してくださった。そして、私たち人間の代表として、律法を完全に守ってくださったことによるのです。イエス様に赦されているが故に、失敗を恐れず、神を愛し、人を愛するのです。たとえ責められるような思いが生じても、善に励むのですそして、キリストが私たちの罪のために、十字架で身代わりに裁かれてくださったのです。ここに愛があるのです。無条件の、無償の愛です。さらに、敵をも愛する愛なのです。一方的な愛。それが神の愛です。

<聖書>Ⅰヨハネ4章1~16節
【新改訳2017】
4:1 愛する者たち、霊をすべて信じてはいけません。偽預言者がたくさん世に出て来たので、その霊が神からのものかどうか、吟味しなさい。
4:2 神からの霊は、このようにして分かります。人となって来られたイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。
4:3 イエスを告白しない霊はみな、神からのものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていましたが、今すでに世に来ているのです。
4:4 子どもたち。あなたがたは神から出た者であり、彼らに勝ちました。あなたがたのうちにおられる方は、この世にいる者よりも偉大だからです。
4:5 彼らはこの世の者です。ですから、世のことを話し、世も彼らの言うことを聞きます。
4:6 私たちは神から出た者です。神を知っている者は私たちの言うことを聞き、神から出ていない者は私たちの言うことを聞きません。それによって私たちは、真理の霊と偽りの霊を見分けます。
4:7 愛する者たち。私たちは互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛がある者はみな神から生まれ、神を知っています。
4:8 愛のない者は神を知りません。神は愛だからです。
4:9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。
4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
4:11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた、互いに愛し合うべきです。
4:12 いまだかつて神を見た者はいません。私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにとどまり、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。
4:13 神が私たちに御霊を与えてくださったことによって、私たちが神のうちにとどまり、神も私たちのうちにとどまっておられることが分かります。
4:14 私たちは、御父が御子を世の救い主として遣わされたのを見て、その証しをしています。
4:15 だれでも、イエスが神の御子であると告白するなら、神はその人のうちにとどまり、その人も神のうちにとどまっています。
4:16 私たちは自分たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにとどまる人は神のうちにとどまり、神もその人のうちにとどまっておられます。

イスラエルの救い

2026年6月21日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
神から発し神に至る救い:

神はどれほど深くイスラエル民族と関わってこられたことでしょうか。しかし、イスラエルは神を信頼し信仰によって追い求めることをしなかったために救い主であり神のひとり子キリストを十字架にかけて殺してしまいました。そのため、本来イスラエル民族に流れる祝福が野生種のオリーブの枝である異邦人へと流れていきました。キリストは人類の全ての罪を自ら背負って十字架で身代わりとなり、私が受けるべき罰を受けてくださいました。その事により、私たちのすべての罪を取り除いてくださいました。また、キリストは人として生まれ一点の罪を犯すことなく、父なる神に完全に従いとおしました。実に、十字架の死までも従い通しました。罪一つない完全な人の道を歩まれました。最初の人アダムは罪人の代表となって、すべての人が罪に閉じ込められました。しかし、キリストはすべての罪びとを義で覆うために義人の代表となられたのです。神から発し神に至る救い、と題してお話しています。神は御子キリストによって世界をお救いになります。キリストの救いはイスラエルから発して、イスラエル以外のすべての国民に届けられて、最後にイスラエルに至ります。

すべての人をあわれむ神の愛:

神の主権のうちに歴史は進められています。キリストの救いがイスラエルから発して、他の国民に及び最後にイスラエルに至るというのは、神から発し神に至ることです。ですから、絶対者であり、全き愛の神に私たちは絶対的な信頼を置いて神に従うことです。私たちの目の前にはだかるマイナスに答えは出ないことが多くあります。しかし、キリストと結合わされた私たちはどんなときにも神の恵みに支えられているのです。そして神は最善を成してくださるのです。それが私たち信じる者の確信です。私たちが自らの罪のために滅んでしまうのを惜しまれて、御子キリストの血によって代価を払って買い戻された者たちです。それは、神が一方的に行ってくださったことです。私たちが良い人間だから、私たちが神に奉仕したからでも献金したからでもありません。わたしたちには何の資格もないのです。神のあわれみと十字架に示された神の愛を受け取ったものとして、今度は、イエス様が命じておられる、神を愛し、隣人を愛することに最善を尽くすことです。それが、神があなたに求めておられることです。

<聖書>ローマ人への手紙11章17~36節
【新改訳2017】
11:17 枝の中のいくつかが折られ、野生のオリーブであるあなたがその枝の間に接ぎ木され、そのオリーブの根から豊かな養分をともに受けているのなら、
11:18 あなたはその枝に対して誇ってはいけません。たとえ誇るとしても、あなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているのです。
11:19 すると、あなたは「枝が折られたのは、私が接ぎ木されるためだった」と言うでしょう。
11:20 そのとおりです。彼らは不信仰によって折られましたが、あなたは信仰によって立っています。思い上がることなく、むしろ恐れなさい。
11:21 もし神が本来の枝を惜しまなかったとすれば、あなたをも惜しまれないでしょう。
11:22 ですから見なさい、神のいつくしみと厳しさを。倒れた者の上にあるのは厳しさですが、あなたの上にあるのは神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り取られます。
11:23 あの人たちも、もし不信仰の中に居続けないなら、接ぎ木されます。神は、彼らを再び接ぎ木することがおできになるのです。
11:24 あなたが、本来野生であるオリーブから切り取られ、元の性質に反して、栽培されたオリーブに接ぎ木されたのであれば、本来栽培された枝であった彼らは、もっとたやすく自分の元のオリーブに接ぎ木されるはずです。
11:25 兄弟たち。あなたがたが自分を知恵のある者と考えないようにするために、この奥義を知らずにいてほしくはありません。イスラエル人の一部が頑なになったのは異邦人の満ちる時が来るまでであり、
11:26 こうして、イスラエルはみな救われるのです。「救い出す者がシオンから現れ、ヤコブから不敬虔を除き去る。
11:27 これこそ、彼らと結ぶわたしの契約、すなわち、わたしが彼らの罪を取り除く時である」と書いてあるとおりです。
11:28 彼らは、福音に関して言えば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びに関して言えば、父祖たちのゆえに、神に愛されている者です。
11:29 神の賜物と召命は、取り消されることがないからです。
11:30 あなたがたは、かつては神に不従順でしたが、今は彼らの不従順のゆえに、あわれみを受けています。
11:31 それと同じように、彼らも今は、あなたがたの受けたあわれみのゆえに不従順になっていますが、それは、彼ら自身も今あわれみを受けるためです。
11:32 神は、すべての人を不従順のうちに閉じ込めましたが、それはすべての人をあわれむためだったのです。
11:33 ああ、神の知恵と知識の富は、なんと深いことでしょう。神のさばきはなんと知り尽くしがたく、神の道はなんと極めがたいことでしょう。
11:34 「だれが主の心を知っているのですか。だれが主の助言者になったのですか。
11:35 だれがまず主に与え、主から報いを受けるのですか。」
11:36 すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。

私たちは神の家

2026年6月7日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
かたくなで不信仰な人間社会:

聖書には、私たちが信仰の確信を持ち続けること、終わりまで信仰にとどまること、を勧めています。行いに励みなさい、あるいは功績を積みなさいとは書いていません。私たちは、ぶどうの木の枝にように、幹であるイエス様にとどまり続けなさいと勧めているのです。神を信じること、神に信頼しているだけでいいのです。もともと、人間は神の命につながり、罪のない聖よい存在として神との完全な信頼関係の中で生きていました。しかし、人は、自分には神は必要ないと言って、神から遠く離れてしまいました。そして、神とのいのちの関係が失われてしまいました。自らを神の上に置いて「神に頼るなんて、弱い人間のすることだ。」「神に頼るのではなくて、自分の力で生きていくのが人間らしい生き方である」と自分に言い聞かせているのです。そこに「かたくなさ」があります。人間はその「かたくなさ」によって、神の言葉を受け入れることができません。神から聞こうとしないのです。そして人は、神から離れて命を失い自らの罪のために永遠の安息を得ることができない。

私たちを召し、聖めてくださるキリスト:

そのような「かたくなさ」にもかかわらず、神は私たち人間を救うためにイエス様を与えてくださいました。神はそのひとり子であるイエス・キリストが十字架で苦しんでその命を失うことも良しとされました。さらに、そのような私たちを神は、呼び出してくださったのです。私たちを通して聖なる神の教会を建てあげ、キリストを長子として神の家族としてくださるのです。私たちを天の教会の一員として永遠の安息、永遠のいのちに生かしてくださるのです。さらにイエス・キリストは死んで墓に葬られ3日目に復活しました。そのように、神は一方的にあなたを罪から救い、復活のいのちに生かしてくださいます。そして、神はあなたを祝福しようと近付いてくださっています。あなたは現在の困難苦難のために先が見えないと思っているかもしれません。しかし、その先に決してしぼむことのない希望を備えておられます。ご安心ください。み言葉は約束しています。あなたに新しい心、新しい志を与えてくださいます。それは近い未来かもしれません。あるいは、ずっと先のことかもしれません。しかし、「あの時の苦しみは、今の幸せを考えれば取るに足りないことだった」と思えるときが必ずきます。

<聖書>へブル人への手紙3章1~14節
【新改訳2017】
3:1 ですから、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち。私たちが告白する、使徒であり大祭司であるイエスのことを考えなさい。
3:2 モーセが神の家全体の中で忠実であったのと同様に、イエスはご自分を立てた方に対して忠実でした。
3:3 家よりも、家を建てる人が大いなる栄誉を持つのと同じように、イエスはモーセよりも大いなる栄光を受けるにふさわしいとされました。
3:4 家はそれぞれだれかが建てるのですが、すべてのものを造られたのは神です。
3:5 モーセは、後に語られることを証しするために、神の家全体の中でしもべとして忠実でした。
3:6 しかしキリストは、御子として神の家を治めることに忠実でした。そして、私たちが神の家です。もし確信と、希望による誇りを持ち続けさえすれば、そうなのです。
3:7 ですから、聖霊が言われるとおりです。「今日、もし御声を聞くなら、
3:8 あなたがたの心を頑なにしてはならない。荒野での試みの日に神に逆らったときのように。
3:9 あなたがたの先祖はそこでわたしを試み、わたしを試し、四十年の間、わたしのわざを見た。
3:10 だから、わたしはその世代に憤って言った。 『彼らは常に心が迷っている。彼らはわたしの道を知らない。』
3:11 わたしは怒りをもって誓った。『彼らは決して、わたしの安息に入れない。』」
3:12 兄弟たち。あなたがたのうちに、不信仰な悪い心になって、生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。
3:13 「今日」と言われている間、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされて頑なにならないようにしなさい。
3:14 私たちはキリストにあずかる者となっているのです。もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、です。