十字架上でのイエスのことば

2026年3月29日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
十字架で完成した救いの道:

イエス様は、十字架の上でいくつかのことばを残されました。最後のことばは「完了した」です。完了したと言って息を引き取られたのです。「完了した」は、「成し遂げられた」という意味です。これは「イエス様の生涯はこの十字架にかかるためにあった」ということの証言です。キリストの十字架の意味がそこにあります。何が完了したのでしょうか?何が成し遂げられたのでしょうか?それは、すべての人を覆っている罪と死と悪魔からの救出です。

その前に、罪について知らなければなりません。聖書に、すべての人は罪を犯したから神の栄光を受けることができない。そして、罪の報酬は死です、と書いています。聖書によると、あなたも私も例外なく生まれながらの罪人です。このままでは罪によって罰せられて滅んでしまう存在です。イエス様は、すべての人をそこから救って下さったのです。すなわち救いの道を完成してくださったのです。全人類の罪を背負って身代わりとなって罰を受けてくださった。人間を罪と死の原理から解放しました。あるいは罪と死と滅びの縄目を解き、人類に救いの道を開いてくださったのです。そして、地上では神の祝福の生涯を送るためです。

救いを受け復活の希望に生きる:

イエス様の十字架はあなたを赦すためでした。イエス様の十字架は、無実の神がすべての人の罪を負い、罪の罰をあなたに代わって受けたのです。その身代わりの死によって、すべての人の罪を赦し、罪と死から救ってくださったのです。そして、信者には決してしぼむことのない希望があります。それは、復活です。聖書に繰り返し書いています。失望に終わらない希望です。復活のいのちを与えられて、永遠の安息、祝福に入るのです。イエス様が救いの道を完全に備えてくださいました。それを無代価で差し出してくださっているのです。よく道を歩いていると、ティッシュを配っている人が、私の目の前にそれを差し出されたら反射的に受け取ります。救いの福音もそれと同じでただ受け取ればいいのです。受け取ればあなたのものとなる、それが信仰です。何もかもわかってから救われるのではありません。ただ、単純に、神が提供する救いを空の手で受け取ればいいのです。こちらで差し出すものは何もいりません。受け取ればよいのです。どんな時も、差し出されたものを受け取らなければそれはその人のものとなりません。神の提供する救いを受け取らなければあなたのものとなりません。ぜひ、受け取って、あなたのものとしてください。そして、罪の赦しと復活のいのちを自分のものとしてください。

<聖書>ヨハネによる福音書19章17~30節
【新改訳2017】
19:17 イエスは自分で十字架を負って、「どくろの場所」と呼ばれるところに出て行かれた。そこは、ヘブル語ではゴルゴタと呼ばれている。
19:18 彼らはその場所でイエスを十字架につけた。また、イエスを真ん中にして、こちら側とあちら側に、ほかの二人の者を一緒に十字架につけた。
19:19 ピラトは罪状書きも書いて、十字架の上に掲げた。それには「ユダヤ人の王、ナザレ人イエス」と書かれていた。
19:20 イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がこの罪状書きを読んだ。それはヘブル語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。
19:21 そこで、ユダヤ人の祭司長たちはピラトに、「ユダヤ人の王と書かないで、この者はユダヤ人の王と自称したと書いてください」と言った。
19:22 ピラトは答えた。「私が書いたものは、書いたままにしておけ。」
19:23 さて、兵士たちはイエスを十字架につけると、その衣を取って四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。また下着も取ったが、それは上から全部一つに織った、縫い目のないものであった。
19:24 そのため、彼らは互いに言った。「これは裂かないで、だれの物になるか、くじを引こう。」これは、「彼らは私の衣服を分け合い、私の衣をくじ引きにします」とある聖書が成就するためであった。それで、兵士たちはそのように行った。
19:25 イエスの十字架のそばには、イエスの母とその姉妹、そしてクロパの妻マリアとマグダラのマリアが立っていた。
19:26 イエスは、母とそばに立っている愛する弟子を見て、母に「女の方、ご覧なさい。あなたの息子です」と言われた。
19:27 それから、その弟子に「ご覧なさい。あなたの母です」と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分のところに引き取った。
19:28 それから、イエスはすべてのことが完了したのを知ると、聖書が成就するために、「わたしは渇く」と言われた。
19:29 酸いぶどう酒がいっぱい入った器がそこに置いてあったので、兵士たちは、酸いぶどう酒を含んだ海綿をヒソプの枝に付けて、イエスの口もとに差し出した。
19:30 イエスは酸いぶどう酒を受けると、「完了した」と言われた。そして、頭を垂れて霊をお渡しになった。

赦すため、主の十字架

2026年3月22日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
誰がイエスを十字架につけたの?:

創世記にバベルの塔の事件があります。人類が一つになって天に届く高い塔を建てて神を超えようともくろんだのです。ここにも、神に挑戦する人間の姿が見えます。人間の罪です。神より自分を上において神を超えていくことを願っている。神が人間の上に君臨することを許せない人類の姿です。かくして、神中心であった世界は、神を無視して人間中心主義によって歩んできました。人間本位の世界は、神を認めず、神を信ぜず、神から遠く離れています。私たち人間と創りいのちを与え、それを保っておられる神をないがしろにしているのです。それが、現代における人間の姿です。最初の愛は失われ、それに代わって、争いと分断の歴史を刻んできたのです。皆さんお一人お一人にお訊ねしますが、イエスキリストを十字架につけたのはあなたですか?とんでもない。2000年前の出来事にどうして自分に責任があるというのか。もしあなたが、自分とは関係の無いことであると考えているなら、聖書にあるとおり、神の力を体験することはできないし、イエス様の十字架はあなたとなんの関係もありません。

全能の力であなたを愛し赦す神:

人々は、神の子なら十字架から降りてこいと言いました。神は全能です。イエス様は、その全能の力で、十字架を耐え忍んだのです。そればかりでなく、迫害する者たちを赦しました。イエス様は十字架の上で何と言われましたか?「父よ。この人たちを赦してください、彼らは自分が何をしているのかわからないからです。」全能の力を使って十字架から降りることをしませんでした。むしろ、イエス様を侮辱しあざける人々を愛し赦すためにその力を用いたのです。イエス様は弟子からも裏切られて、人々からあざけられてののしられて悲しみの極みにいました。イエス様は、人間を愛し、赦すためにどうしてもこの十字架が必要であるとわかっていました。ですから、神の子は侮辱しあざける者たち、そして敵対する人類のすべての罪を代りに受けました。神からの呪いである十字架刑を受けたのです。神は、御子イエス・キリストの十字架と復活によって大いなる祝福と恵みを与えてくださいます。十字架のことばとは、イエス・キリストの十字架がもたらしたことです。それは罪の赦しと永遠のいのちです。神の怒りが取り除かれて、神の愛と祝福が注がれるというのです。

<聖書>マタイによる福音書27章27~44節
【新改訳2017】
27:27 それから、総督の兵士たちはイエスを総督官邸の中に連れて行き、イエスの周りに全部隊を集めた。
27:28 そしてイエスが着ていた物を脱がせて、緋色のマントを着せた。
27:29 それから彼らは茨で冠を編んでイエスの頭に置き、右手に葦の棒を持たせた。そしてイエスの前にひざまずき、「ユダヤ人の王様、万歳」と言って、からかった。
27:30 またイエスに唾をかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたいた。
27:31 こうしてイエスをからかってから、マントを脱がせて元の衣を着せ、十字架につけるために連れ出した。
27:32 兵士たちが出て行くと、シモンという名のクレネ人に出会った。彼らはこの人に、イエスの十字架を無理やり背負わせた。
27:33 ゴルゴタと呼ばれている場所、すなわち「どくろの場所」に来ると、
27:34 彼らはイエスに、苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとした。イエスはそれをなめただけで、飲もうとはされなかった。
27:35 彼らはイエスを十字架につけてから、くじを引いてその衣を分けた。
27:36 それから腰を下ろし、そこでイエスを見張っていた。
27:37 彼らは、「これはユダヤ人の王イエスである」と書かれた罪状書きをイエスの頭の上に掲げた。
27:38 そのとき、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右に、一人は左に、十字架につけられていた。
27:39 通りすがりの人たちは、頭を振りながらイエスをののしった。
27:40 「神殿を壊して三日で建てる人よ、もしおまえが神の子なら自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」
27:41 同じように祭司長たちも、律法学者たち、長老たちと一緒にイエスを嘲って言った。
27:42 「他人は救ったが、自分は救えない。彼はイスラエルの王だ。今、十字架から降りてもらおう。そうすれば信じよう。
27:43 彼は神に拠り頼んでいる。神のお気に入りなら、今、救い出してもらえ。『わたしは神の子だ』と言っているのだから。」
27:44 イエスと一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。

受難と復活の予告

2026年3月1日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
自分の思いからみことばに耳を閉ざす人間:

弟子たちには、イエス様が十字架で殺されるということが受け入れることができませんでした。彼らにとっては、イエス様が、自分はエルサレムで殺されるのだというお話は絶望に近い内容であったのではないでしょうか。ここでの弟子たちの気持ちは理解できます。しかし、人間の思い込みと固定観念によって、神のみこころがわからなくなるのです。自分の思いを後において、素直になって、イエス様に、あるいは聖霊に心を開くことが大切です。聖霊の御声は、ささやき声のように小さくて、わからないことがあります。それは、自分の思い込みが強いために聖霊の御声を消してしまうからです。私たちも、心の耳をふさいでいることはないでしょうか。また、世のことで心がいっぱいで、神の小さな声に耳を傾けることができないことはないでしょうか。ですから、毎日、聖霊様に心を開き素直になって、みことばから聞きましょう。聖書は心の食物です。身体は食物を食べなければその命を失うのと同じで、聖書のことばを食物として聞かなければ、霊のいのちを失います。毎日少しでも良いので、聖書を読みましょう。聖書愛読こよみ2026も是非、利用してください。

受難と復活により全世界に届く祝福:

キリストの受難は、キリストが復活したことにより勝利にのまれました。これは、イエス・キリストにある者には、信仰からくる苦しみは勝利につながることを示唆しています。そして、私たちの肉体の死も勝利であります。黙示録には、「書き記せ。今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。」を書いています。復活は個人の救いの完成といえます。ですから、イエス様を信じている私たち信者は、復活と永遠のいのちに希望を置いて今を前向きに生きるのです。聖書の預言は確実に成就しています。ついこの100年は激動の時代でした。そして、聖書の預言が大進展する時代に入っています。イエス・キリストの十字架と復活がもたらした罪の赦しと永遠のいのちの福音は、全世界に届けられようとしています。再臨に至る前には「まず福音が、すべての民族に宣べ伝えられなければなりません。」と書いています。神のご計画は急速に成就しつつあります。私たちはこれまで人生において、神の御業と計画の中に置かれておりました。それは、隣人の救いのために、そして、神の祝福の伝達者として立てられているということです。私たちはこのところに遣わされていることを信じます。私たちは滝沢にある小さな教会の一員ですけれども、神のご計画とみわざに参加するように召されているのではないでしょうか。それは、まず、私たちは身近な人々に福音を届けるのです。そして、日々、みことばに耳を傾け、みこころを伺い、自分の置かれたところで、賜物を用いて、最善を尽くすのです。それが、神を愛し、隣人を愛する実践です。

<聖書>ルカによる福音書18章31~34節
【新改訳2017】

18:31 さて、イエスは十二人をそばに呼んで、彼らに話された。「ご覧なさい。わたしたちはエルサレムに上って行きます。人の子について、預言者たちを通して書き記されているすべてのことが実現するのです。
18:32 人の子は異邦人に引き渡され、彼らに嘲られ、辱められ、唾をかけられます。
18:33 彼らは人の子をむちで打ってから殺します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」
18:34 弟子たちには、これらのことが何一つ分からなかった。彼らにはこのことばが隠されていて、話されたことが理解できなかった。