苦難は栄光の先駆け

2026年5月24日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>エペソ書3章1~13節
【新改訳2017】
3:1 こういうわけで、あなたがた異邦人のために、私パウロはキリスト・イエスの囚人となっています。
3:2 あなたがたのために私に与えられた神の恵みの務めについては、あなたがたはすでに聞いたことでしょう。
3:3 先に短く書いたとおり、奥義が啓示によって私に知らされました。
3:4 それを読めば、私がキリストの奥義をどう理解しているかがよく分かるはずです。
3:5 この奥義は、前の時代には、今のように人の子らに知らされていませんでしたが、今は御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されています。
3:6 それは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人も共同の相続人になり、ともに同じからだに連なって、ともに約束にあずかる者になるということです。
3:7 私は、神の力の働きによって私に与えられた神の恵みの賜物により、この福音に仕える者になりました。
3:8 すべての聖徒たちのうちで最も小さな私に、この恵みが与えられたのは、キリストの測り知れない富を福音として異邦人に宣べ伝えるためであり、
3:9 また、万物を創造した神のうちに世々隠されていた奥義の実現がどのようなものなのかを、すべての人に明らかにするためです。
3:10 これは、今、天上にある支配と権威に、教会を通して神のきわめて豊かな知恵が知らされるためであり、
3:11 私たちの主キリスト・イエスにおいて成し遂げられた、永遠のご計画によるものです。
3:12 私たちはこのキリストにあって、キリストに対する信仰により、確信をもって大胆に神に近づくことができます。
3:13 ですから、私があなたがたのために苦難にあっていることで、落胆することのないようお願いします。私が受けている苦難は、あなたがたの栄光なのです。

<要約>
「罪と死と悪魔」に束縛されている人間:

生まれながらの人はすべて、この「罪と死と悪魔」の束縛の中にあると聖書は言います。私たち人間は、生まれながらの罪の性質をもって生まれてきました。現に、都合が悪いとすぐにうそをつきます。善と行いたいと思っても悪に傾いてしまします。罪には、心と言葉と行いの罪があります。行いの罪は、現に心の罪から発しています。憎しみがあって、それが、言葉となり行いとなって現れます。そして、「生まれながら御怒りを受けるべき子らでした」、とあります。私たちすべての人間は生まれながらの罪びとであり、神の怒りを受けてもしょうがない存在です。キリストの福音は、そこからあなたを救いだしてくださるのです。自分では気づかないのですが、私たちはみな自分中心に生きていました。あるいは、生きています。本来、人は隣人を自分と同じくらい愛する生き方ができたのです。実に、私たちは神の作品であり、良い行いをするためにつくられたとある通りです。本来、私たちは神を愛し、人を愛する人生に喜びと価値をもって歩んでいました。しかし、アダムの罪以来、私たちは本来の私たち人間の姿から大きく外れ、的外れの人生、罪の人生を送っています。それは、自分中心の人生です。

神は教会を通して救われる:

聖霊があなたに信仰の確信を与えます。聖霊はみ言葉と共に働いて、人の心に信仰を与えてくださいます。十字架をこの上もなく誇りなさい、十字架は神の力だから。だから、苦難をも誇りなさい、やがて神の栄光を見るから。私たちはこの地上に生きている限り、様々な困難、苦難を経験します。しかし、それを通して、背後におられる神を拝し、神の栄光に与ることができるのです。私たち信者の希望や喜びはどこから来ているのか。それは福音から来ています。試練が来た時、私たちは神に祈るでしょう。聖霊がみことばと共に働いて私たちは神の愛に触れるのです。神の支配と権威は教会を通して働かれます。私たちが聖霊に心を開くとき、みことばがわかり、信仰の確信に至ります。私たちは信仰を持って大胆に神に近づくのです。この救いは神が一方的に用意してくださった私たちへの憐れみと愛です。私たちはただ信仰によってそれを受け取るものです。そうすれば、さまざまな苦難や困難があってもそれを神の永遠のご計画のうちにあることだと確信し、平安が与えられるからです。

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