神と人と教会に仕える生活

2023年12月31日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>士師記6章1~14節
【新改訳2017】
6:1 イスラエルの子らは、【主】の目に悪であることを行った。そこで、【主】は七年の間、彼らをミディアン人の手に渡された。
6:2 ミディアン人の勢力がイスラエルに対して強くなったので、イスラエル人はミディアン人を避けて、山々にある洞窟や洞穴や要害を自分たちのものとした。
6:3 イスラエルが種を蒔くと、いつもミディアン人、アマレク人、そして東方の人々が上って来て、彼らを襲った。
6:4 彼らはイスラエル人に向かって陣を敷き、その地の産物をガザに至るまで荒らして、いのちをつなぐ糧も、羊も牛もろばもイスラエルに残さなかった。
6:5 実に、彼らは自分たちの家畜と天幕を持って上り、いなごの大群のように押しかけて来た。彼らとそのらくだは数えきれないほどであった。彼らは国を荒らそうと入って来たのであった。
6:6 こうして、イスラエルはミディアン人の前で非常に弱くなった。すると、イスラエルの子らは【主】に叫び求めた。
6:7 イスラエルの子らがミディアン人のゆえに【主】に叫び求めたとき、
6:8 【主】は一人の預言者をイスラエルの子らに遣わされた。預言者は彼らに言った。「イスラエルの神、【主】はこう言われる。わたしはあなたがたをエジプトから上らせ、奴隷の家から導き出し、
6:9 エジプト人の手と、圧迫するすべての者の手から助け出し、あなたがたの前から彼らを追い出して、その地をあなたがたに与えた。
6:10 わたしはあなたがたに言った。『わたしが【主】、あなたがたの神である。あなたがたが住んでいる地のアモリ人の神々を恐れてはならない』と。ところが、あなたがたはわたしの声に聞き従わなかった。」
6:11 さて【主】の使いが来て、アビエゼル人ヨアシュに属するオフラにある樫の木の下に座った。このとき、ヨアシュの子ギデオンは、ぶどうの踏み場で小麦を打っていた。ミディアン人から隠れるためであった。
6:12 【主】の使いが彼に現れて言った。「力ある勇士よ、【主】があなたとともにおられる。」
6:13 ギデオンは御使いに言った。「ああ、主よ。もし【主】が私たちとともにおられるなら、なぜこれらすべてのことが、私たちに起こったのですか。『【主】は私たちをエジプトから上らせたではないか』と言って、先祖が伝えたあの驚くべきみわざはみな、どこにあるのですか。今、【主】は私たちを捨てて、ミディアン人の手に渡されたのです。」
6:14 すると、【主】は彼の方を向いて言われた。「行け、あなたのその力で。あなたはイスラエルをミディアン人の手から救うのだ。わたしがあなたを遣わすのではないか。」

<要約>

敗北のサイクル(妥協と埋没):

イスラエルの民は妥協したために、彼らは敗北のサイクルに入っていきました。パウロは「あなた方は、この世と調子を合わせてはいけません」と言いました。具体的には、遊興や放蕩の仲間に入ってはいけません。また、低劣な話やうわさ話の輪に入ってはいけません。会社や組織で働く人々は、不正やごまかしに加担してはいけません。むしろ神は、「彼らの中から出て行って、彼らと分離せよ」と言っておられます。しかし、信者はこの世で孤立してはいけません。この世から遊離してはならないのです。この世の人々との付き合いを断ち切ってはいけません。この世の人々から遠ざかって孤立するのではなく、人々に感化を与えていくのです。この世の人々に影響力をもって行くのです。積極的に世の人々の中に入っていくのです。イスラエルの民のように敗北のサイクルに入ってはいけません。敗北のサイクルは、神のみことばを無視すること、そして、神に信頼を置かないことから始まるのです。それは罪であり行き着くところは死であり滅びです。

勝利のサイクル(分離と感化):

勝利のサイクルにいつもとどまる秘訣は、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」です。旧約の神の民のようにリーダーを見失うのではなく、私たちのリーダーであり贖い主であるキリストから目を離さないことなのです。キリストを信じ続けることなのです。イエス様は、言われました。「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。また、あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」と。この世にあっては、私たちはそれぞれに与えられた賜物を用いて人々に仕えます。隣人愛の実践です。また、キリストの身体である教会の一員として、神の国を知らしめていくのです。つまり、神の救いを世に届けていくのです、つまり福音伝えていくのです。クリスチャンになれば苦難や困難はなくなるということはありません。しかし、そのときに叫び求める方がおられるのです。それは、勝利者であるキリストです。そして、勝利のサイクルに入れられて、嘆きは、感謝と喜びと賛美に変えられるのです。信仰の創始者であり完成者であるキリストから目を離さないでいなさい。そして、神に仕え、人に仕え、教会に仕えるのです。そうすれば、あなたを通して神の国は広がっていきます。

クリスマス、救いと喜びへの招き

2023年12月24日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>ルカの福音書2章1~14節
【新改訳2017】
2:1 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。
2:2 これは、キリニウスがシリアの総督であったときの、最初の住民登録であった。
2:3 人々はみな登録のために、それぞれ自分の町に帰って行った。
2:4 ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
2:5 身重になっていた、いいなずけの妻マリアとともに登録するためであった。
2:6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、
2:7 男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
2:8 さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。
2:9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
2:10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。
2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」
2:13 すると突然、その御使いと一緒におびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。
2:14 「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」

<要約>

神の救いのご計画と私たちの応答:

メシヤ、救い主は誰で、どこに生まれ、どのような生涯を送るか、というところまで、キリストの降誕前、すなわち紀元前約700年から1000年も前に、旧約聖書に預言されていました。イエス・キリストの処女降誕。ベツレヘムで生まれたこと。そして、父親となるヨセフはダビデの子孫であったこと。すべてが偶然の出来事ではなく神のご計画によるものでした。神のご計画は確実に進んでいます。そして、やがて御国の完成の時まで、この世界は変化していきます。「すべての国民に福音が宣べ伝えられて、終わりの時が来る」と書いています。現代は、地球の裏側まで全世界に教会ができ、福音はすべての国民に宣べ伝えられつつあります。ですから現代は終末の時代です。私たちの応答はどうあるべきでしょうか。聖書にはたくさんの警告が書いています。「目を覚ましていなさい」「わたしは盗人のように来る」とイエス様は言っておられます。いつ来られてもよいように心を備えておかなければなりません。そして、みことばにある通り、救いは、「御子キリストを信じるか信じないか」の一点にかかっています。このクリスマスに是非、イエス・キリストをあなたの救い主と信じて救われていただきたいと思います。

万民の救いと大きな喜び:

神はこの素晴らしい喜びの知らせを羊飼いと異邦人の博士たちに伝えました。当時、羊飼いは、ユダヤ人としては一般に最も貧しい最下層の人々でした。神は、謙遜でただ受けることしかできないような人々に神の救いを届けました。救いは心低くへりくだった人に届くのです。またもう1つは異邦人です。当時、異邦人は、汚れた国民とされていました。そして、異邦人の博士たちに救い主の誕生が届けられたのは、イエス・キリストの救いがユダヤ人ばかりでなく、万民の救いであることを物語っています。羊飼いたちはベツレヘムに着き、家畜小屋を見て回って、ついに、マリヤとヨセフとイエス様を探し当てました。キリストとお会いしたのです。羊飼いたちは喜びで満たされたでしょう。救いの喜びで神を賛美しました。彼らは、素直に信じました。素直に信じた人は人生が変わるのです。

偉大な光イエス・キリスト

2023年12月17日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>マタイによる福音書4章12~17節
【新改訳2017】
4:12 イエスはヨハネが捕らえられたと聞いて、ガリラヤに退かれた。
4:13 そしてナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある、湖のほとりの町カペナウムに来て住まわれた。
4:14 これは、預言者イザヤを通して語られたことが成就するためであった。
4:15 「ゼブルンの地とナフタリの地、海沿いの道、ヨルダンの川向こう、異邦人のガリラヤ。
4:16 闇の中に住んでいた民は大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が昇る。」
4:17 この時からイエスは宣教を開始し、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と言われた。

<要約>

信仰者の立ち位置:

ヨハネはイエス様の現れを喜んだのです。そして、ヨハネは公言しました。「あの方は盛んになり私は衰えなければなりません」と。これは、主の使命に生きる我々クリスチャンのモデルと言うこともできるでしょう。これが私たち主に救われた者、主に贖われた者、主に選ばれた者の立ち位置です。私たちの人生は、自分の栄誉の為ではなく、主の栄光のためにあるのです。すなわち私たちは使命に生きるのです。使命と言うと何か大きなことのように響きますが、そうではありません。私たちはそれぞれ、職場に、家庭に、学校に遣わされています。そこで、自分にできる最善をすることです。そのことによりあなたの背後におられる神が崇められるのです。それが、信仰者の立ち位置です。

闇と死を打ち破る光:

「闇の中に住んでいた民は大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が昇る」というのは、ガリラヤ地方を代表として、深い闇と死の恐怖が最も強いところに大きな光が照り輝いたということです。すなわち、キリストは、私たち人間の悩み、苦しみ、死の恐怖が最も深いところに来てくださったということです。これは、個人的にも民族的にも国家的にも同様です。現代は、全世界が闇と死の蔭に覆われていると言えるのではないでしょうか。希望が見えない、将来に光が見えない。そこに光となって来てくださったのが、イエス・キリストです。大きな光を見る、とあります。私たちにはこの偉大な光が与えられているのです。神はどんなに悪い状況をもよい方向へと変えることができるのです。最終的には天の御国が来ます。偉大な光はその名のとおり私たちを死の恐怖からも完全に救うことができます。イエス様が私たちの一切の罪を十字架で贖い、取り除いてくださいました。ですから、罪の責めから解放されて、平安と喜びがついてきます。聖書の世界観は肯定的世界観です。結果オーライです。たとえ途中曲がりくねっても神はすべてのことを働かせて万事を益と変えてくださいます。たとえ死の影の谷を歩くような苦しい状況の中にあっても、です。私たちが、天の御国を待ち望んで歩むときすべてのマイナスはプラスに変えられます。

祝福と希望のクリスチャンライフ

2023年12月3日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>テトスへの手紙2章11~15節
【新改訳2017】
2:11 実に、すべての人に救いをもたらす神の恵みが現れたのです。
2:12 その恵みは、私たちが不敬虔とこの世の欲を捨て、今の世にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活し、
2:13 祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるイエス・キリストの、栄光ある現れを待ち望むように教えています。
2:14 キリストは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心な選びの民をご自分のものとしてきよめるため、私たちのためにご自分を献げられたのです。
2:15 あなたは、これらのことを十分な権威をもって語り、勧め、戒めなさい。だれにも軽んじられてはいけません。

<要約>

不敬虔とこの世の欲を捨てる:

イエス様にお会いする前までの私たちの人生は、不敬虔とこの世の欲と生まれながら持つ罪の力に縛られていました。この世は不敬虔であると言えます。神を敬わず、神を認めない社会です。世は、神なんかいない、あるいは神なんか信頼するに足りないというメッセージを一人一人に送っています。そして、サタンがこの世の君として、君臨しています。世の支配者です。それが、人間社会を悪い方へ引っ張っています。また、「不敬虔とこの世と欲」の欲は、私たちすべての人が持っている罪の性質です。それは、ねたみ、不満、憤り、怒り、そしり、など、私たち人間の内側の悪い思いです。そのため、私たちは平和を求め、いたわりや愛を求めていますが、反対に、怒りには怒り、復讐には復習と悪の連鎖に陥ってしまいます。そのような不敬虔とこの世の欲を捨てるということはどういうことでしょうか。第一に、この世の価値観に捕らわれてはいけないということです。世の価値観は、神が教える健全な教えとはかけ離れています。また、第二に、この世と調子を合わせてはいけないということです。それでは、今の世にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活するためには、どうすればよいのでしょうか。それは、キリストの再臨を待ち望むことです。

キリストを待ち望む人生:

信者はキリストにより、不法から贖いだされています。つまり、罪から贖いだされている、と言うこと。もう少し詳しく言うと、キリストの十字架により罪の代価が支払われたということです。罪の刑罰はキリストが代わって受けて下さったので、無罪とされました。さらに罪の束縛から解放され自由になりました。このように、キリストはご自身を私たちのために捧げられたのです。そして、私たちは神に選ばれて、良いわざに熱心なものとされました。再臨を待ち望むことは、祝福に満ちた希望です。それは、私たちが現在、困難や苦難の中にいて希望が見えないようでもやがて、この生涯の終わりには、祝福に満ちた希望があるということです。人生の最後のときは、すべてのマイナスはプラスに変えられるということです。やがて、信じて贖われた者たちは約束された御国に入り、永遠のいのちを神と共に送るのです。キリストを待ち望む人生は、祝福に満ちた希望の人生です。そして、神の栄光を見続ける人生です。