行いと信仰

2022年2月18日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>ヤコブ書2章14~26節

【新改訳2017】
ヤコブ
2:14 私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立つでしょうか。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。
2:15 兄弟か姉妹に着る物がなく、毎日の食べ物にも事欠いているようなときに、
2:16 あなたがたのうちのだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹になるまで食べなさい」と言っても、からだに必要な物を与えなければ、何の役に立つでしょう。
2:17 同じように、信仰も行いが伴わないなら、それだけでは死んだものです。
2:18 しかし、「ある人には信仰があるが、ほかの人には行いがあります」と言う人がいるでしょう。行いのないあなたの信仰を私に見せてください。私は行いによって、自分の信仰をあなたに見せてあげます。
2:19 あなたは、神は唯一だと信じています。立派なことです。ですが、悪霊どもも信じて、身震いしています。
2:20 ああ愚かな人よ。あなたは、行いのない信仰が無益なことを知りたいのですか。
2:21 私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇に献げたとき、行いによって義と認められたではありませんか。
2:22 あなたが見ているとおり、信仰がその行いとともに働き、信仰は行いによって完成されました。
2:23 「アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。
2:24 人は行いによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことが分かるでしょう。
2:25 同じように遊女ラハブも、使者たちを招き入れ、別の道から送り出したので、その行いによって義と認められたではありませんか。
2:26 からだが霊を欠いては死んでいるのと同じように、信仰も行いを欠いては死んでいるのです。

<要約>

一歩踏み出す信仰:

私たちは誰でも、イエス様をわたしの救い主と信じることにより、神との正しい関係に入り、義と認められて救われます。行いは要りません。ただ、イエス・キリストを救い主と信じ、神を恐れ、愛し、信頼することです。行いは救いの条件ではありません。行いは信仰の結果です。また、行いと信仰を切り離すことはできません。車の両輪のように信仰と行いによって前進するのです。信じて一歩踏み出していくのが信仰生活です。信仰生活は前向きです。信じて一歩踏み出すからです。その時、道が開けます。見えないものが見えてきます。完全に先が見えなくても、神の御心を伺いながら、一歩前に踏み出すことです。神はあなたを用いたいと願っておられます。あなたを用いて、神のご計画を進めたいと願っておられます。すべてのことを不平を言わず、疑わずに行いなさいとも書いています。

生きて働く信仰:

キリスト教の信仰とは、簡単に言えば、「イエス・キリストを救い主と信じる。そして、唯一真の神を恐れ、愛し、信頼する」ことです。あなたはイエス様を信じています。しかし、神を恐れ、愛し、信頼するということについてはどうでしょうか。また、イエス様はマタイ、マルコ、ルカの三つの福音書で、最も大切な戒めとしてこのように言われました。「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くしてあなたの神を愛しなさい」と。これは、十戒のまとめと言えます。簡単に言えば、一生懸命に神を愛しなさい、と言うことです。そして、十戒の一番基本にあることは、思いと言葉と行いで神を愛しなさいです。私たちはこの地上で、生きています。すなわち、いろいろな考えや思いがあって、そして言葉があって、行動して、生活しています。すなわち、私たちの生活は思いとことばと行いの表れであると言えます。その生活自体があなたの信仰と結びついていますか?何をするにも信仰で行っていますか?何を語るのも信仰によって語っていますか?私たちはイエス様を救い主と信じています。また、唯一の神を恐れ、愛し、信頼しています。そして、思いとことばと行いで神を愛しています。それはあなたの生活全体が信仰と結びついていることです。あなたの内に住んでくださるイエス様と共に歩む人生です。イエス様におまかせしていく人生です。それはとても楽な生き方です。

終わりのときを前にして

2024年2月4日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>Ⅰペテロの手紙1章13~25節
【新改訳2017】
1:13 ですから、あなたがたは心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。
1:14 従順な子どもとなり、以前、無知であったときの欲望に従わず、
1:15 むしろ、あなたがたを召された聖なる方に倣い、あなたがた自身、生活のすべてにおいて聖なる者となりなさい。
1:16 「あなたがたは聖なる者でなければならない。わたしが聖だからである」と書いてあるからです。
1:17 また、人をそれぞれのわざにしたがって公平にさばかれる方を父と呼んでいるのなら、この世に寄留している時を、恐れつつ過ごしなさい。
1:18 ご存じのように、あなたがたが先祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、
1:19 傷もなく汚れもない子羊のようなキリストの、尊い血によったのです。
1:20 キリストは、世界の基が据えられる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために現れてくださいました。
1:21 あなたがたは、キリストを死者の中からよみがえらせて栄光を与えられた神を、キリストによって信じる者です。ですから、あなたがたの信仰と希望は神にかかっています。
1:22 あなたがたは真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、きよい心で互いに熱く愛し合いなさい。
1:23 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく朽ちない種からであり、生きた、いつまでも残る、神のことばによるのです。
1:24 「人はみな草のよう。その栄えはみな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。
1:25 しかし、主のことばは永遠に立つ」とあるからです。これが、あなたがたに福音として宣べ伝えられたことばです。

<要約>

苦難と困難のときを前にしての勧め:

13節から1章の終わりまでをまとめてみますと、救いの恵にしっかりとどまりキリストを待ち望みなさい。従順な子どもとなり、聖なる方であるキリストに倣い、聖なるものとなりなさい。正しく裁かれる神を恐れなさい。クリスチャンは、この世に身を寄せている旅人で、天の故郷を目指しているので、心を引き締め、身を慎んで過ごしなさい。そして、罪のない神の御子キリストがあなたの罪のために十字架で身代わりとなって裁かれ血を流されたのです。ですから、あなた方は小羊キリストの貴い血によって神の聖なる者とされました。あなた方は、信仰により、キリストが復活した栄光を目にしています。人の栄は草花のように消え去る、しかし、神のことばは永遠に朽ちることはないのです。みことばにしっかり立って歩みなさい。当時と比べると、現在の私たちは、いかに恵まれているかと言うことができます。信教の自由が保証されています。大きな迫害もありません。そのような時代に生きている私たちですが、真剣に信仰に生きようとするならば人生において試練を経験します。クリスチャンライフは平穏であるだけではありません。苦難も伴うのです。

キリストにならうクリスチャンライフ:

私たちはキリストに従うものとして、主が歩まれた後を歩んでいくのです。そこにはさまざまな試練や苦しみが伴うことがあるということが言えます。イエス様を信じていくと試練が来ます。しかし、思いがけないことが起こったかのように驚き怪しんではいけません。むしろ感謝して喜びなさい、と言うのです。イエス様の御生涯は苦しみと悲しみで終わったのではありません。そうです。イエス・キリストは十字架で殺され、墓に葬られ、よみにくだり、3日目によみがえられました。復活しました。私たち信者は信仰の結果である、罪の赦しからくる救いを得ています。人生は死んで終わりではありません。やがて、信仰の報いである天での栄えに満ちた喜び踊る生活があなたを待っています。私たちは天国を先取りして今、喜んでいます。この救いはことばだけのむなしいものではありません。私たちは信仰により確信しています。キリストの福音は決して失望に終わらない希望であることを。