神の日を心に据えて今を生きる

2024年10月20日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
神を認めない人間と神の忍耐:

世の中の人々は、キリストが神であることを認めず生きています。そして、その人生観、生き方は歴史を通して、ずっと人間社会を支配してきました。あざける者たちが、敬虔に生きようとしている信者たちをあざけっていました。それに対して、ペテロは、こう述べています。主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。ここに主のみこころがあります。キリストは、そのように神を認めず、神を知らず、神から遠く離れている人々、そして自らの罪のために死と滅びに定められている人々を救うために、世に来てくださったのです。さばきと滅びの日来る前に、すべての人を天の御国に招くために、罪びとを招くために来てくださったのです。「私を信じて、罪と死と滅びから救われなさい」と、今日も招いてくださっております。まだ、キリストを信じて洗礼を受けてない方は、是非、信じて救われてください。

終わりを見据えて希望に生きる:

最終的には世界は滅びます。しかし、この世界は「義と愛の神」が創られ、そして保っておられる世界です。神は義であるということは、神は正しくさばかれるということです。罪を放置しておくことは神にはできません。すなわち神の裁きは必ず起こるということです。また、愛の面では、神はすべての人を愛し、滅んでしまうのを惜しんでおられます。そして、すべての人が幸せになってもらいたいと考えておられます。私たちは、生まれながらの罪人です。しかし、イエス様の十字架により過去現在未来に至るまでの罪は赦されています。ですから赦された罪人です。罪が許されたものとして、これからは、どのように生きて行けばよいのでしょうか。罪が赦され、復活のいのちが与えられています。そして、やがて、新しい天と新しい地を相続する者たちです。神は、この地上にあって、一人一人に使命と目的を与えて神の民として、決してしぼまない、希望と喜びの人生を歩んでほしいと願っておられます。イエス様が命じているように、神を愛し、人を愛することです。具体的にはそれぞれに与えられた場所で与えられた職務や身分を通して、最善を尽くすことです。

<聖書>ペテロ第2の手紙3章1~14節
【新改訳2017】
3:1 愛する者たち、私はすでに二通目となる手紙を、あなたがたに書いています。これらの手紙により、私はあなたがたの記憶を呼び覚まして、純真な心を奮い立たせたいのです。
3:2 それは、聖なる預言者たちにより前もって語られたみことばと、あなたがたの使徒たちにより伝えられた、主であり救い主である方の命令を思い出させるためです。
3:3 まず第一に、心得ておきなさい。終わりの時に、嘲る者たちが現れて嘲り、自分たちの欲望に従いながら、
3:4 こう言います。「彼の来臨の約束はどこにあるのか。父たちが眠りについた後も、すべてが創造のはじめからのままではないか。」
3:5 こう主張する彼らは、次のことを見落としています。天は大昔からあり、地は神のことばによって、水から出て、水を通して成ったのであり、
3:6 そのみことばのゆえに、当時の世界は水におおわれて滅びました。
3:7 しかし、今ある天と地は、同じみことばによって、火で焼かれるために取っておかれ、不敬虔な者たちのさばきと滅びの日まで保たれているのです。
3:8 しかし、愛する人たち、あなたがたはこの一つのことを見落としてはいけません。主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。
3:9 主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
3:10 しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は大きな響きを立てて消え去り、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地にある働きはなくなってしまいます。
3:11 このように、これらすべてのものが崩れ去るのだとすれば、あなたがたは、どれほど聖なる敬虔な生き方をしなければならないことでしょう。
3:12 そのようにして、神の日が来るのを待ち望み、到来を早めなければなりません。その日の到来によって、天は燃え崩れ、天の万象は焼け溶けてしまいます。
3:13 しかし私たちは、神の約束にしたがって、義の宿る新しい天と新しい地を待ち望んでいます。
3:14 ですから、愛する者たち。これらのことを待ち望んでいるのなら、しみも傷もない者として平安のうちに神に見出していただけるように努力しなさい。

赦された罪人と赦し

2024年10月6日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>マタイの福音書18章21~35節
【新改訳2017】
18:21 そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何回赦すべきでしょうか。七回まででしょうか。」
18:22 イエスは言われた。「わたしは七回までとは言いません。七回を七十倍するまでです。
18:23 ですから、天の御国は、王である一人の人にたとえることができます。その人は自分の家来たちと清算をしたいと思った。
18:24 清算が始まると、まず一万タラントの負債のある者が、王のところに連れて来られた。
18:25 彼は返済することができなかったので、その主君は彼に、自分自身も妻子も、持っている物もすべて売って返済するように命じた。
18:26 それで、家来はひれ伏して主君を拝し、『もう少し待ってください。そうすればすべてお返しします』と言った。
18:27 家来の主君はかわいそうに思って彼を赦し、負債を免除してやった。
18:28 ところが、その家来が出て行くと、自分に百デナリの借りがある仲間の一人に出会った。彼はその人を捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。
18:29 彼の仲間はひれ伏して、『もう少し待ってください。そうすればお返しします』と嘆願した。
18:30 しかし彼は承知せず、その人を引いて行って、負債を返すまで牢に放り込んだ。
18:31 彼の仲間たちは事の成り行きを見て非常に心を痛め、行って一部始終を主君に話した。
18:32 そこで主君は彼を呼びつけて言った。『悪い家来だ。おまえが私に懇願したから、私はおまえの負債をすべて免除してやったのだ。
18:33 私がおまえをあわれんでやったように、おまえも自分の仲間をあわれんでやるべきではなかったのか。』
18:34 こうして、主君は怒って、負債をすべて返すまで彼を獄吏たちに引き渡した。
18:35 あなたがたもそれぞれ自分の兄弟を心から赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに、このようになさるのです。」

<要約>
罪がわからない人間:

自分が罪びとであるということが自覚できなければ、自分がどんなに赦されているかもわかりません。自分には赦される必要があることもわかりません。私たちが神の赦しを実感するためにはまず、自分の罪がわからなければなりません。アウグスブルク信仰告白に以下のように記述されています。「実に、人は母の胎内にいるときから悪への傾向と欲とに満ちており、生まれながら神への恐れもない」と。さらに、この原罪というものは、遺伝的罪であり、真の罪であると書いています。そのままでは、すべての人は、神の永遠の怒りのもとにあり、罪の裁きを受け滅びに至るのです。しかし、神は怒りの神である以上に憐みの神です。この例話の主君は家来をかわいそうに思って、家来の負債をご自身が担い帳消しとされたのです。イエス・キリストが、すべての人の罪を担い十字架で死んでくださり、そればかりでなく、三日目に今度は信じるすべての人のいのちのために復活してくださった。その事実を信じて、罪と死と滅びから救われるのです。王から「悪い家来だ」と言われたその男は、自分に百デナリ借金のあるしもべ仲間を牢獄に入れました。その結果、自分も牢獄に入れられたのです。これは、赦さない人は結果的に自分を牢獄につないでしまうということです。赦さない人はそれが自分にかえってきて自分を束縛し心の自由を失うのです。

赦された罪びととして人を赦し愛する:

人はそのままでは死と滅びに定められています。神は、人が滅びに向かうのを惜しんでおられます。そこで神は、すべての人の罪を赦すという決断をなされました。それは、罪のない神の一人子イエス・キリストに人類のすべての人の罪を着せて、すべての人の身代わりとして十字架で断罪し、死に至らせました。そのことにより、過去現在未来に至るまでのあなたの罪は赦されました。キリストは十字架で死んだばかりでなく、三日目に復活しました。それにより、信じる者は、罪赦されるばかりでなく、キリストが復活して生きておられるように、復活のいのちをいただき永遠のいのちに生きるのです。これからは、私たちは罪赦された罪びととして、隣人の罪を赦し、隣人を愛する人生を選び取っていくのです。それは、決してしぼむことのない自由と希望と喜びの人生です。ぜひそのことを受け止めて歩んでいただきたいと思います。

クリスチャンの身分と職務

2024年9月29日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明


<要約>
古い自分に死にみことばに生きる:

クリスチャンになるということは、古い自分に死んでみことばにより新しい人に生きることです。私たちは、バプテスマにより、腐敗していく古い人を脱ぎ捨てたのです。私たちは、生まれながらの罪びとです。その行き着く先は、死と滅びです。そのような私たちが、神に選ばれ、新しく生まれさせられました。私たちの古い人は、バプテスマにより、イエス様と一緒に十字架につけられて死んだのです。そして、イエス様が復活されたように、私たちもやがて、尽きない永遠のいのちに復活します。生まれたばかりの乳飲み子のように貪欲に乳を慕い求める、それと同じように私たちも神のみことばを慕い求めることを生活の中心に置いていきたいと願います。私たちは古い自分に死んで生まれ変わり新しいいのちに生きるものとして、決してしぼまない希望といつまでも続く喜びに生きるのです。私たちは赦された罪びととして、新しいいのちにより、失敗を恐れず、前向きに歩んでいくのです。

聖なる国民、祭司としての新しい人生:

クリスチャンは、選び分かたれた聖なる国民で、神の民、王である祭司です。私たちは、祭司として神との和解の仲介者とされました。家族知人、友人のため、他の人々のために神にとりなし、栄光の神を証しするのです。この世の中にあって、私たちは三つの領域に生きています。家庭、職場、教会です。三つのそれぞれの場所で、身分と職務に最善を尽くすことが、ペテロが命じている「立派なふるまい、立派な行い」といえます。私たちは、全能の神の子どもとされ、素晴らしい身分と職務を与えられた者たちです。地上のあらゆる富や名誉にはるかに勝る御国を受け継ぐものとされたのです。ですから、神の子、御国の世継ぎの身分にふさわしい願いを神に申し上げましょう。それは、大胆に神に祈り求めることです。神は大胆に祈り求める祈りを喜ばれます。最後にペテロは「この方に信頼するものは決して失望させられることがない」と確信を持って述べています。ペテロは、苦難の死の向こうに栄光に輝く希望をもって生き抜いたのです。「この方に信頼するものは決して失望させられることがない」という言葉は、決して地に落ちることはありません。イエス・キリストに信頼して、決してしぼまない希望と喜びのいつまでも続く人生を自分のものとしていただきたいと思います。

<聖書>ペテロ第1の手紙2章1~12節
【新改訳2017】
2:1 ですからあなたがたは、すべての悪意、すべての偽り、偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、
2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。
2:3 あなたがたは、主がいつくしみ深い方であることを、確かに味わいました。
2:4 主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが神には選ばれた、尊い生ける石です。
2:5 あなたがた自身も生ける石として霊の家に築き上げられ、神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げる、聖なる祭司となります。
2:6 聖書にこう書いてあるからです。「見よ、わたしはシオンに、選ばれた石、尊い要石を据える。この方に信頼する者は決して失望させられることがない。」
2:7 したがってこの石は、信じているあなたがたには尊いものですが、信じていない人々にとっては、「家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった」のであり、
2:8 それは「つまずきの石、妨げの岩」なのです。彼らがつまずくのは、みことばに従わないからであり、また、そうなるように定められていたのです。
2:9 しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。
2:10 あなたがたは以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、あわれみを受けたことがなかったのに、今はあわれみを受けています。
2:11 愛する者たち、私は勧めます。あなたがたは旅人、寄留者なのですから、たましいに戦いを挑む肉の欲を避けなさい。
2:12 異邦人の中にあって立派にふるまいなさい。そうすれば、彼らがあなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたの立派な行いを目にして、神の訪れの日に神をあがめるようになります。

赦すためです主の十字架

2024年9月22日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
赦されない、赦せない苦しみ:

人を赦す、ということは、もともと人間には困難な課題です。しかし、聖書は赦しなさいと命令しています。赦さないというのは、「殺してはならない」という十戒の命令を破ることだからです。つまり、人に対する、怒り、わだかまり、うらみは、心の内で罪を犯していることだからです。罪を赦すという困難な課題に対して、主の祈りでは、「私たちの負い目、あるいは罪をおゆるしください。私たちも私たちに負い目、あるいは罪のある人たちを赦しました。」と祈ります。それは、主が教えてくださった祈りであり命令です。祈れば、神はその祈りを必ず聞いてくださるからです。もし、皆さんの中で、だれかを赦せないという思いがあるならば、その思いをそっくり正直に神に申し上げなければなりません。赦せない自分と格闘しなければなりません。その時、同時にあなたは、あなたがどんなにか神に赦されていることかに気付くのです。神の赦しには、期限があります。この世の命が終わった後、神に裁かれるからです。私たちがこの世にいる間に無題課で提供された神の赦しを受け取る必要があります。

赦された者の平安と喜びの人生:

イエス様の十字架により、私たちは赦された罪びとです。そして、イエス様の復活により、復活のいのち、永遠のいのち、新しいいのちに生きるものとされました。では、罪赦されて、新しいいのちをいただいたクリスチャンはどのように生きればよいのでしょうか。私たちは礼拝の民として、まず、礼拝を中心として神中心の生活をします。そして、私たちクリスチャンは主に三つの領域に遣わされています。家庭、社会、教会です。その三つの領域にベストを尽くすのです。それが、神を愛し人を愛する生き方です。家庭では、夫として、妻として、親として、子どもとしての身分が与えられています。お互いに支えあい最善を尽くします。社会や学校では、職業人、あるいは学生としてあなたの持てる技量を磨き、人々に最良のものを提供します。学生も一生懸命勉強することもそうです。それが、神と人を愛する生き方です。教会では、救いの福音が安定的に地域社会に提供するために活動しています。皆さんの家族知人友人に福音を届けるために教会は活動しています。この福音は期間限定です。光の届かない闇が来る前に、もう手遅れになる前に、教会にお連れして福音に触れていただきましょう。

<聖書>マタイの福音書5章21~26節
【新改訳2017】
5:21 昔の人々に対して、『殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。
5:22 しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に対して怒る者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に『ばか者』と言う者は最高法院でさばかれます。『愚か者』と言う者は火の燃えるゲヘナに投げ込まれます。
5:23 ですから、祭壇の上にささげ物を献げようとしているときに、兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、
5:24 ささげ物はそこに、祭壇の前に置き、行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから戻って、そのささげ物を献げなさい。
5:25 あなたを訴える人とは、一緒に行く途中で早く和解しなさい。そうでないと、訴える人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれることになります。
5:26 まことに、あなたに言います。最後の一コドラントを支払うまで、そこから決して出ることはできません。

バベルの塔の出来事

2024年9月15日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
神なき世界の悲惨;

バベルの塔は神亡き世界の象徴です。現代も、人類は神亡き世界を継承しています。「自分たちには神は必要がない。神がなくても、自分たちですべてをやっていける」という人間の傲慢から出ています。神のところへ行く必要はない、逆に神を見返してやろうではないか、と言い出すのです。実はこれは、サタンの策略です。アダムの失敗以来見事に人類はサタンの支配下で操られているのです。神なき世界、イコール、サタンの世界です。現在の人間社会は神なき世界を受け継いでいます。国々は敵対し、多くの人々が戦争で無駄に命を失っています。この地球上で戦争がどこにもなかった時代はないと言われているくらい、人間は互いに殺し合っています。そして、これは、人類滅亡の序曲といえるのではないでしょうか。自然界を見ても私たちの住処である地球は環境破壊が進んでいます。住みにくい住処となっています。人間の罪により地球温暖化はブレーキがききません。漁業は大きな打撃を受け、南極の氷が解けてこのままでは、水没する国も出てきています。それは文字通り神なき世界の悲惨と言えるのではないでしょうか。

あなたを救うために降りてこられた神;

人間中心の世界には救いはありません。神のご支配をこの世に及ぼすために、キリストは来られました。キリストは、人類が悪に向かって滅びていくのを妨げ、今度は神を中心として礼拝する民を起こしてくださいました。人を罪と死と滅びから救い、永遠のいのちに至る道を切り開いてくださいました。すべての人は、アダムの罪を引き継いでおり、生まれながらの罪人です。自らの罪により死と滅びに定められていました。しかし、イエス・キリストの十字架で、すべての人の罪を贖う義の行為によって、神はすべての人の罪を赦してくださいました。ですから、すべての人は、十字架により赦された罪人となったのです。あなたの過去、現在、未来の罪は過ぎ去りました。今度は赦された罪人として、新しい復活のいのちに生きるのです。罪に縛られない、失敗を恐れない、前向きに与えられた賜物を用いて、神と人に仕える人生です。そしてもう一つ、先に救われたあなたの役割は何でしょうか。そうです、この救いの福音をあなたの家族、友人、知人へ伝えていくことです。罪と死と滅びから解放されて、永遠に続く祝福と希望、喜びと感謝の人生を一人でも多くの人に知っていただきたいと切に願います。

<聖書>創世記11章1~9節
新改訳2017
11:1 さて、全地は一つの話しことば、一つの共通のことばであった。
11:2 人々が東の方へ移動したとき、彼らはシンアルの地に平地を見つけて、そこに住んだ。
11:3 彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作って、よく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを、漆喰の代わりに瀝青を用いた。
11:4 彼らは言った。「さあ、われわれは自分たちのために、町と、頂が天に届く塔を建てて、名をあげよう。われわれが地の全面に散らされるといけないから。」
11:5 そのとき【主】は、人間が建てた町と塔を見るために降りて来られた。
11:6 【主】は言われた。「見よ。彼らは一つの民で、みな同じ話しことばを持っている。このようなことをし始めたのなら、今や、彼らがしようと企てることで、不可能なことは何もない。
11:7 さあ、降りて行って、そこで彼らのことばを混乱させ、互いの話しことばが通じないようにしよう。」
11:8 【主】が彼らをそこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。
11:9 それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。そこで【主】が全地の話しことばを混乱させ、そこから【主】が人々を地の全面に散らされたからである。


虹の約束

2024年9月1日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
労苦の中で心を守ってくださる神;

神は、ノアと、家族と、動物たちを試練の中で彼らの心を守られました「労苦の中で心を守ってくださる神」と題してお話をしてきました。人生の歩みの中においても、多かれ少なかれ労苦は続きます。生活の労苦もそうです。また、こうだと思って行ったことが不本意な結果に終わったということもあるでしょう。しかし、その中にあっても神は私たちの心を守って下さいます。神があなたに、心を留めてくださっているからです。神が心を留めてくださるというのは、私たちのすべての領域で、全人格的にかかわっていてくださるということです。今ある状況で、家族間の不一致、仕事がうまくいかないなど、思い通りに行かないこともあるかもしれません。しかし、それも神様が必要として与えてくださることを覚えましょう。また、試練と思われることにもあっても神は、信じる者の心を守ってくださいます。私たちは、自分のすべての領域を神に明け渡してお取り扱いいただく必要があります。神に自分の正直な気持ちを申し上げましょう。心を守ってくださいます。そして、あなたを祝福してくださいます。

無条件で差し出された赦しといのち;

無条件で差し出された赦しといのちと題してお話ししています。私たちは、アダムの罪を引き継いでいる生まれながらの罪人です。裁かれ、滅びる存在でした。しかし、キリストの十字架と復活により、罪の赦しと永遠のいのちを無条件で受けました。それにより、私たちは赦された罪人となりました。これからは、過去、現在、未来の罪はすべて過ぎ去り、新しいいのちに生きる者とされました。神を愛し、人を愛する人生です。失敗を恐れず、前向きに生きる希望と喜びの人生です。それは、遣わされている、教会、家庭、職場や学校であなたの最善を尽くす生き方です。それがキリストに従う生き方です。私たちは、それぞれに、取り巻く状況は決して万全ではないでしょう。仕事の問題、家族の問題、など、心をすり減らしているのが現状でしょう。しかし、神様はノアの家族と同じように、心を留めてくださるのです。すべての領域を神のみ手に委ねましょう。まず、はじめにノアが礼拝したように、良い時も悪い時も、ノアのように、礼拝をささげ感謝しましょう。

創世記8:1~5,8:15~22,9:8~11
【新改訳2017】
8:1 神は、ノアと、彼とともに箱舟の中にいた、すべての獣およびすべての家畜を覚えておられた。神は地の上に風を吹き渡らせた。すると水は引き始めた。
8:2 大水の源と天の水門が閉ざされ、天からの大雨がとどめられた。
8:3 水は、しだいに地の上から引いていった。水は百五十日の終わりに減り始めた。
8:4 箱舟は、第七の月の十七日にアララテの山地にとどまった。
8:5 一方、水は第十の月まで減り続け、第十の月の一日に、山々の頂が現れた。

8:15 神はノアに告げられた。
8:16 「あなたは、妻と、息子たちと、息子たちの妻たちとともに箱舟から出なさい。
8:17 すべての肉なるもののうち、あなたとともにいる生き物すべて、鳥、家畜、地の上を這うすべてのものが、あなたとともに出るようにしなさい。それらが地に群がり、地の上で生み、そして増えるようにしなさい。」
8:18 そこでノアは、息子たち、彼の妻、息子たちの妻たちとともに外に出た。
8:19 すべての獣、すべての這うもの、すべての鳥、すべて地の上を動くものも、種類ごとに箱舟から出て来た。
8:20 ノアは【主】のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜から、また、すべてのきよい鳥からいくつかを取って、祭壇の上で全焼のささげ物を献げた。
8:21 【主】は、その芳ばしい香りをかがれた。そして、心の中で【主】はこう言われた。「わたしは、決して再び人のゆえに、大地にのろいをもたらしはしない。人の心が思い図ることは、幼いときから悪であるからだ。わたしは、再び、わたしがしたように、生き物すべてを打ち滅ぼすことは決してしない。
8:22 この地が続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜がやむことはない。」

9:8 神は、ノアと、彼とともにいる息子たちに仰せられた。
9:9 「見よ、わたしは、わたしの契約をあなたがたとの間に立てる。そして、あなたがたの後の子孫との間に。
9:10 また、あなたがたとともにいるすべての生き物との間に。鳥、家畜、それに、あなたがたとともにいるすべての地の獣、箱舟から出て来たすべてのものから、地のすべての生き物に至るまで。
9:11 わたしは、わたしの契約をあなたがたとの間に立てる。すべての肉なるものが、再び、大洪水の大水によって断ち切られることはない。大洪水が再び起こって地を滅ぼすようなことはない。」

礼拝する民に加えられて

2024年8月25日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
人間の力と増大する罪の力:

人類は、人間の知恵と力に頼り、鉄や青銅を用いて、工業技術を発展させて、文明文化を築いてきました。かたや権力を追い求め、人のいのちを自分の欲望のために支配する権力者も人類の歴史の中で、数多く出てきました。現代社会は神を締め出し、自分の力に頼り、高慢になり、罪の力も増大しています。大量破壊兵器である核爆弾も、全人類を何回も滅ぼしつくすくらいつくられていると聞きました。そして、現代、人類滅亡の危機を迎えています。原罪によって、人の内面は恐ろしいほどに腐敗しているといえます。生まれながらの人は、自分からは神を恐れることがなく、信頼することもできません。いくら頭がよくて教養のある人でも、自らの理性や知識では、福音を信じることはできません。聖霊によって照らされるまでは、キリストの福音は単なる愚かな話と考えるのです。罪は、原語では的外れという意味です。本来あるべき状態にないといえます。人は、創造主の下にあって幸せに生きることができる存在です。それが、逆転して、神の上に自分を置いたとたんに罪のどん底に落ちたのです。人は神を礼拝し、神に栄光を帰し、神のために人生を使う時にこそ、本当に幸せなのです。しかし、神から離れた人には、罪は圧倒的な力を持ち、その人を死に閉じ込めるのです。人を死から救い、真のいのちを与えるのは、復活のキリストです。イエス様は私たちの罪のために死んで、私たちのいのちのために復活してくださったからです。

神の恵みの世継ぎ:

私たちは、礼拝に招かれ、礼拝を捧げる民に入れられました。アベル、セツの恵みを受け継ぐ民の一員です。やがて、アダム、セツの子孫にイエス・キリストが与えられました。キリストは十字架の死と復活により、罪と死と悪魔のとりこになっている人類、そして、あなたを贖いだして、キリストの支配に移してくださいました。最初の人アダムが罪を犯し、死が入り、それに続くすべての人が罪を犯し死ぬべきものとなりました。神は、罪と死と滅びに定められたすべての人を救うために、すべての人の罪を赦す決断をなされました。そして、セツの子孫にすべての人の罪を贖う救い主を送るご計画を実行なさったのです。この地上では、恵みの世継として、神と人に仕える新しい人として、喜びと希望の人生に生きるのです。

<聖書>創世記4章16~26節
【新改訳2017】
4:16 カインは【主】の前から出て行って、エデンの東、ノデの地に住んだ。
4:17 カインはその妻を知った。彼女は身ごもってエノクを産んだ。カインは町を建てていたので、息子の名にちなんで、その町をエノクと名づけた。
4:18 エノクにはイラデが生まれた。イラデはメフヤエルを生み、メフヤエルはメトシャエルを生み、メトシャエルはレメクを生んだ。
4:19 レメクは二人の妻を迎えた。一人の名はアダ、もう一人の名はツィラであった。
4:20 アダはヤバルを産んだ。ヤバルは天幕に住む者、家畜を飼う者の先祖となった。
4:21 その弟の名はユバルであった。彼は竪琴と笛を奏でるすべての者の先祖となった。
4:22 一方、ツィラはトバル・カインを産んだ。彼は青銅と鉄のあらゆる道具を造る者であった。トバル・カインの妹はナアマであった。
4:23 レメクは妻たちに言った。「アダとツィラよ、私の声を聞け。レメクの妻たちよ、私の言うことに耳を傾けよ。私は一人の男を、私が受ける傷のために殺す。一人の子どもを、私が受ける打ち傷のために。
4:24 カインに七倍の復讐があるなら、レメクには七十七倍。」
4:25 アダムは再び妻を知った。彼女は男の子を産み、その子をセツと名づけた。カインがアベルを殺したので、彼女は「神が、アベルの代わりに別の子孫を私に授けてくださいました」と言った。
4:26 セツにもまた、男の子が生まれた。セツは彼の名をエノシュと呼んだ。そのこ

創造はあなたの幸せのため

2024年8月18日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
滅びゆく神なき世界:

人間はこの世界を発展させ、文明文化を築いてきました。人間社会は医療の発展、経済の発展により人間の寿命は延び、衛生的で住みやすい世界を目指してきました。しかし、一方、戦争、環境破壊、災害により滅びに向かっていると言えます。なぜ、そのようなことが起こったのでしょうか? 最初の人アダムは、悪魔の誘惑に会い、善悪の知識の木からは食べてはいけないというたった一つの戒めを破ってしまいました。アダムは罪を犯し死ぬべき存在となりました。そして、罪が全人類に広がり死が入りました。その時以来、人類は、罪により神と断絶状態にあります。人は、創り主であるいのちの源である神を無視して、神なき世界をつくってきました。全世界をおつくりになり、治めておられる神がおられるのに、人間社会は、神を認めていません。それが、人類を支配している世界観です。聖書には、天地は消え去ると書いています。人類は滅びに向かっていると言えます。今日も神はあなたを招いています。神なき世界から救われなさいと。あなたを幸福にするために神はイエス様を与えてくださいました。一方的な神の愛を信じて、神の提供される救いと永遠のいのちと決してしぼまない幸福を自分のものとしてください。

いのちと希望の新しい生き方:

私たちは、バプテスマによって、新しくつくられた人として生きるのです。それは、罪赦された罪人としての生き方です。もう罪に責められることはありません。失敗を恐れず、前向きに、信じて歩みだす生き方です。神はあなたに、志を与え、ことを行わせてくださるとあります。神はあなたに生きる目的と使命を与えておられます。皆さんにはそれぞれに、職務と身分が与えられています。家庭にあっては、父であり夫であり、母であり妻です。学校や職場では、学生であり、職業人です。それぞれのところに遣わされています。職務や身分を通して神と人に仕えているのです。それが、イエス様が命じる神と人を愛する生き方です。また、イエス様は、マタイの福音書の最後で、行ってすべての人に福音を伝えなさいと命じています。私たちが家族の中で最初に救われたのは、そのためです。神はあなたに使命を与えておられます。すべての罪が赦されて、決してしぼまない希望といのちを用いて、神を愛し、人を愛する生き方を選び取っていきましょう。

<聖書>創世記1章1~27節
【新改訳2017】
1:1 はじめに神が天と地を創造された。
1:2 地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた。
1:3 神は仰せられた。「光、あれ。」すると光があった。
1:4 神は光を良しと見られた。神は光と闇を分けられた。
1:5 神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。
1:6 神は仰せられた。「大空よ、水の真っただ中にあれ。水と水の間を分けるものとなれ。」
1:7 神は大空を造り、大空の下にある水と大空の上にある水を分けられた。すると、そのようになった。
1:8 神は大空を天と名づけられた。夕があり、朝があった。第二日。
1:9 神は仰せられた。「天の下の水は一つの所に集まれ。乾いた所が現れよ。」すると、そのようになった。
1:10 神は乾いた所を地と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神はそれを良しと見られた。
1:11 神は仰せられた。「地は植物を、種のできる草や、種の入った実を結ぶ果樹を、種類ごとに地の上に芽生えさせよ。」すると、そのようになった。
1:12 地は植物を、すなわち、種のできる草を種類ごとに、また種の入った実を結ぶ木を種類ごとに生じさせた。神はそれを良しと見られた。
1:13 夕があり、朝があった。第三日。
1:14 神は仰せられた。「光る物が天の大空にあれ。昼と夜を分けよ。定められた時々のため、日と年のためのしるしとなれ。
1:15 また天の大空で光る物となり、地の上を照らすようになれ。」すると、そのようになった。
1:16 神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼を治めさせ、小さいほうの光る物には夜を治めさせた。また星も造られた。
1:17 神はそれらを天の大空に置き、地の上を照らさせ、
1:18 また昼と夜を治めさせ、光と闇を分けるようにされた。神はそれを良しと見られた。
1:19 夕があり、朝があった。第四日。
1:20 神は仰せられた。「水には生き物が群がれ。鳥は地の上、天の大空を飛べ。」
1:21 神は、海の巨獣と、水に群がりうごめくすべての生き物を種類ごとに、また翼のあるすべての鳥を種類ごとに創造された。神はそれを良しと見られた。
1:22 神はそれらを祝福して、「生めよ。増えよ。海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ」と仰せられた。
1:23 夕があり、朝があった。第五日。
1:24 神は仰せられた。「地は生き物を種類ごとに、家畜や、這うもの、地の獣を種類ごとに生じよ。」すると、そのようになった。
1:25 神は、地の獣を種類ごとに、家畜を種類ごとに、地面を這うすべてのものを種類ごとに造られた。神はそれを良しと見られた。
1:26 神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」
1:27 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。

驚くべき力あるわざ

2024年7月28日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
目に見える聖霊の働き:

現代は、パウロの時代のような奇跡は見ないかもしれませんが、奇跡は常に起こっています。人が悔い改めてイエス様を信じるということは最大の奇跡です。なぜ、私が選ばれ救われたのだろうか?なぜ、あなたが選ばれ救われたのだろうか?不思議ではないですか。目に見える聖霊の働き、と題してお話ししています。祈って、手を置いたらすぐに病気が治り、悪霊も出ていくような肉眼で見える聖霊の働きは今の時代、耳にすることは少ないです。しかし、主は御心のままにそのようなわざを見せてくださいます。聖霊は、そしてイエス様は、生きて働かれています。ここに、クリスチャンになって間もない人も、長い人もおられます。皆さんが、過去を振り返って、今までの歩みを思い浮かべるとそこに聖霊が、あるいはイエス様があなたを助けておられたことが分かるのです。心の目を開いてみると必ず、あなたと共におられた主を見出すのです。必ずそこに主はおられ、あなたを守り導いてこられたことに気づきます。そうして、私たちは、主が守り導いておられることを信仰によって確信して強められるのです。

勢いをもって世界に届く福音:

人々に神への恐れに引き続き、悔い改めが起こりました。私たちも古い人がまだ、死に切れていないので、罪を犯します。しかし、その都度、悔い改めて、また、聖餐の恵みを受け、古い人を十字架で殺し、新しい人に生きるのです。罪に支配されません。なぜなら、イエス様があなたの過去現在未来までの罪をすべて赦しぬぐい取ってくださったからです。罪赦された私たちクリスチャンは、新しいいのちに生きるのです。それは、決してしぼむことのない、永遠のいのち、失敗を恐れない前向きの人生があるからです。勢いをもって世界に届く福音と題してお話ししています。現在、地球の裏側にまで、福音は届いています。神の方法は、人から人へと届けるということです。教会を通してみことばを聞き、信じてバプテスマを受けて救われました。私たちは、家族の中で、地域の中で、なぜ、最初に救われたのでしょうか。そうです。それは、あなたが、バプテスマによって新しい人として生きる生き方を通してあなたの家族や知人に福音が届き、家族知人がバプテスマにあずかり、希望と祝福に生きるためです。それこそが驚くべき神のわざです。

<聖書>使徒の働き19章8~20節
【新改訳2017】
19:8 パウロは会堂に入って、三か月の間大胆に語り、神の国について論じて、人々を説得しようと努めた。
19:9 しかし、ある者たちが心を頑なにして聞き入れず、会衆の前でこの道のことを悪く言ったので、パウロは彼らから離れ、弟子たちも退かせて、毎日ティラノの講堂で論じた。
19:10 これが二年続いたので、アジアに住む人々はみな、ユダヤ人もギリシア人も主のことばを聞いた。
19:11 神はパウロの手によって、驚くべき力あるわざを行われた。
19:12 彼が身に着けていた手ぬぐいや前掛けを、持って行って病人たちに当てると、病気が去り、悪霊も出て行くほどであった。
19:13 ところが、ユダヤ人の巡回祈祷師のうちの何人かが、悪霊につかれている人たちに向かって、試しに主イエスの名を唱え、「パウロの宣べ伝えているイエスによって、おまえたちに命じる」と言ってみた。
19:14 このようなことをしていたのは、ユダヤ人の祭司長スケワという人の七人の息子たちであった。
19:15 すると、悪霊が彼らに答えた。「イエスのことは知っているし、パウロのこともよく知っている。しかし、おまえたちは何者だ。」
19:16 そして、悪霊につかれている人が彼らに飛びかかり、皆を押さえつけ、打ち負かしたので、彼らは裸にされ、傷を負ってその家から逃げ出した。
19:17 このことが、エペソに住むユダヤ人とギリシア人のすべてに知れ渡ったので、みな恐れを抱き、主イエスの名をあがめるようになった。
19:18 そして、信仰に入った人たちが大勢やって来て、自分たちのしていた行為を告白し、明らかにした。
19:19 また魔術を行っていた者たちが多数、その書物を持って来て、皆の前で焼き捨てた。その値段を合計すると、銀貨五万枚になった。
19:20 こうして、主のことばは力強く広まり、勢いを得ていった。


全世界に届く聖霊の働き

2024年7月21日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
人間の思いをはるかに超える神のご計画

私たちがこの道だと思っても主によって閉ざされることがあります。私たち人間が立てる計画と神の思いと違っている事がよくあります。自由に働かれる聖霊が行くべき道を示してくださいます。まず、第一に神は志を与えてくださるというのです。一歩あゆみだすために目の前のことを示されるのです。その際、神はみ心の全貌を前もって示されないことがあります。なぜでしょうか。それは、私たちが神を信頼して歩むようにさせるためです。私たちは信仰のチャレンジを与えられます。次がわからない、でも目の前の一歩は示されているということです。それは、あなたが、信仰によって歩みだすことを願っておられるからです。みこころに従う道は、その時は苦労が多いと感じます。そこに至るまで、私たちは一歩一歩この地上の人生を歩んでいきます。そのときに、みことばが灯台のように、私の道の光として導いてくださいます。その都度、神を信頼して神の約束を握って進んでいくのです。勝利のゴールは約束されています。

福音はあなた、家族、地域社会へと届く:

リディアは、現代に生きる信徒の模範と言えます。まず、彼女は、神の国と神の義を第一としていました。祈り場にいつも出ていたのです。主日礼拝を第一としていたのです。また、神の賜物であるビジネスを神の栄光のために、宣教のために用いました。リディアは金持ちでしたが、お金がなくても私たちは与えられた賜物を主のために用いることができます。また、リディアは他の信徒と協力して教会を建てあげました。神は、パウロを用いて、ピリピの人々に福音を届けました。そして、その福音は信者を通して、家族や職場の人々へ、さらに地域社会へと広がっていったのです。神は、人を用いてこの素晴らしい福音を届けておられます。ですから、使徒の働きは28章で終わりではなく、今も続いているのです。神は、キリストの十字架と復活通して、死と滅びの人生から、新しいいのち、決して滅びない永遠のいのちの人生へとすべての人を招いています。リディアとその家族がバプテスマを受けたと書いています。リディアが最初に信じて、家族に伝えたからです。そこから、神は、あなたの家族を救うためにまず、あなたを選んだといえます。あなたが救われ、家族が救われ、地域社会が救われていく、そして、全世界に救いが届けられていくのが神の方法と言えます。

<聖書>使徒の働き16章6~15節

【新改訳2017】
16:6 それから彼らは、アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フリュギア・ガラテヤの地方を通って行った。
16:7 こうしてミシアの近くまで来たとき、ビティニアに進もうとしたが、イエスの御霊がそれを許されなかった。
16:8 それでミシアを通って、トロアスに下った。
16:9 その夜、パウロは幻を見た。一人のマケドニア人が立って、「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。
16:10 パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニアに渡ることにした。彼らに福音を宣べ伝えるために、神が私たちを召しておられるのだと確信したからである。
16:11 私たちはトロアスから船出して、サモトラケに直航し、翌日ネアポリスに着いた。
16:12 そこからピリピに行った。この町はマケドニアのこの地方の主要な町で、植民都市であった。私たちはこの町に数日滞在した。
16:13 そして安息日に、私たちは町の門の外に出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰を下ろして、集まって来た女たちに話をした。
16:14 リディアという名の女の人が聞いていた。ティアティラ市の紫布の商人で、神を敬う人であった。主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに心を留めるようにされた。
16:15 そして、彼女とその家族の者たちがバプテスマを受けたとき、彼女は「私が主を信じる者だとお思いでしたら、私の家に来てお泊まりください」と懇願し、無理やり私たちにそうさせた。