天国に入る唯一の道

2026年2月1日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
人の普遍的な問い:

ニコデモの心にあった問いは、「神の国に入るための資格はなにか」「あるいは永遠のいのちを持つためには人は何をしなければならないのか」というようなものであったと想像します。私たちも永遠の命はあるのだろうか?天国ってあるのだろうか?人生で一番大切なことはなんだろうか?というような質問を誰もが持ってるのではないでしょうか。ニコデモは、イエス様の「人は新しく生まれなければ神の国を見ることができない」との言葉が理解できませんでした。老年になっていたニコデモは、新しく生まれるという言葉に引っかかったのでしょう。ニコデモは、神に選ばれたイスラエル人です。しかも、律法を守ることを指導し自らもそのことに努力してきたという自負もありました。でも、彼の心には、自分はこれでいいのだろうか。本当に救われているのだろうか?というぬぐえない疑問があったのです。イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。イエス様は、悔い改めて、イエス様に着くバプテスマを受けなければ、神の国に入ることはできないと言われたのです。私たちは、肉体をもって生まれたが、肉体のいのちには、真のいのちはないのです。御霊によって生まれなければ、真のいのちを持つことはできない、つまり、永遠のいのちを持つことはないということを言われたのです。私たちも永遠の命はあるのだろうか?天国ってあるのだろうか?人生で一番大切なことはなんだろうか?というような質問を誰もが持ってるのではないでしょうか。それに対して、天地をつくりあなたをおつくりになりいのちを与えておられる神は、永遠のいのち、天国への道を用意して招いてくださっているのです。

人は十字架を仰いで救われる:

ニコデモは、これまで、正しい行いが正しい人間をつくる、と考えていました。そのためにニコデモは善行を積んで救われようと努力してきました。貧しい人々に施しをしてきました。ニコデモはこれまでの自分の人生にプライドを持っていたでしょう。後ろ指さされるようなことは何もしていない、自分は正しい人生を歩んできたと自負していました。ですから、新しく生まれなおさなければ、今のままじゃ天国に行けない、と言われて動揺したのです。日本人も「自分は正しい人生を歩んできた」と自負している人は多いと思います。また、ニコデモと同様に、日本人の多くは、「天国に入るためには何をしたらよいのか」「あるいは死んだあと、本当に永遠のいのちはあるのか。」など。人生の問いを求めているのではないかと思います。洗礼によって、古いあなたは死に、聖霊により新しい人に復活するのです。そして、洗礼によって、聖霊があなたのうちに住まわれます。結果、罪から来る死と滅びから救われるのです。すべての人は、十字架を仰ぎ見れば救われます。何の努力もいらない、ただ自らの罪を知ってイエス様の十字架を信じることで救われるのです。これが福音です。

<聖書>ヨハネによる福音書3章1~16節
【新改訳2017】
3:1 さて、パリサイ人の一人で、ニコデモという名の人がいた。ユダヤ人の議員であった。
3:2 この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられなければ、あなたがなさっているこのようなしるしは、だれも行うことができません。」
3:3 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
3:4 ニコデモはイエスに言った。「人は、老いていながら、どうやって生まれることができますか。もう一度、母の胎に入って生まれることなどできるでしょうか。」
3:5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。
3:6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
3:7 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
3:8 風は思いのままに吹きます。その音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くのか分かりません。御霊によって生まれた者もみな、それと同じです。」
3:9 ニコデモは答えた。「どうして、そのようなことがあり得るでしょうか。」
3:10 イエスは答えられた。「あなたはイスラエルの教師なのに、そのことが分からないのですか。
3:11 まことに、まことに、あなたに言います。わたしたちは知っていることを話し、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れません。
3:12 わたしはあなたがたに地上のことを話しましたが、あなたがたは信じません。それなら、天上のことを話して、どうして信じるでしょうか。
3:13 だれも天に上った者はいません。しかし、天から下って来た者、人の子は別です。
3:14 モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません。
3:15 それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」
3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

神に召され福音の伝達者となる

2026年1月25日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
神の召しとは?:

福音は、神の怒りによる裁きからの救いです。福音は、御子キリストが十字架であなたや私のすべての罪を贖ってくださったことです。それは、罪の赦しです。そして、あなたを罪と死と悪魔のもとから救い出して、キリストの恵みの下に移してくださったことです。人間によらないことで、神が一方的にあなたや私に目を留めて、呼び出してくださったといえます。すなわち、私たちクリスチャンは召しだされたものたちです。パウロは、激しく神の教会を迫害して、それを滅ぼそうとしました。しかし、神はそのパウロを召し出して、聖別して、異邦人へ福音を届けるための器としたのです。すなわち、神の召しは、教会に敵対していたものにも及ぶことです。神の主権の中で導かれたことです。ですから、自分を誇ることは全くないのです。私たちクリスチャンは、救われて、罪赦されて、永遠のいのちをいただきました。そして、神の国の一員とされたのです。神の国の前味をいただく者です。召された者には、言葉で表せないような感謝と喜びが待っているのです。ですから、召された者たちは、現在の苦難や困難にあっても、前を向いて進んでいくのです。

神に召された者の使命:

復活のイエス様にお会いして、彼は地に倒れました。パウロはそれまでの人生を振り返って、「なぜ、教会を迫害して、イエス様を信じる者たちが殺されることに協力していた者に、声をかけて、召し出してくださったのだろうか?そのように敵である人間をもイエス様は愛してくださっている、と、実感しました。彼は、悔い改めて、イエス様の十字架による罪の赦しを信じました。すなわち福音を理解したのです。それは人間によるものではなく、明らかにイエス様の啓示によるものでした。イエス様はパウロに目を留めて、召し出して、福音を伝える者として、特に異邦人につたえる者として召し出したのです。私たちも、イエス様に召しだされた者たちです。一方的に注がれる神の愛、イエス様の十字架と復活によってもたらされた罪の赦しと永遠のいのちを無代価でいただきたものたちです。神に召された者の使命は何でしょうか。福音を伝える使命です。私たちも、教会へお連れしましょう。家族知人を教会へお連れして、イエス様に導いてもらうことです。

<聖書>ガラテヤ人への手紙1章11~17節
【新改訳2017】
1:11 兄弟たち、私はあなたがたに明らかにしておきたいのです。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。
1:12 私はそれを人間から受けたのではなく、また教えられたのでもありません。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。
1:13 ユダヤ教のうちにあった、かつての私の生き方を、あなたがたはすでに聞いています。私は激しく神の教会を迫害し、それを滅ぼそうとしました。
1:14 また私は、自分の同胞で同じ世代の多くの人に比べ、はるかにユダヤ教に進んでおり、先祖の伝承に人一倍熱心でした。
1:15 しかし、母の胎にあるときから私を選び出し、恵みをもって召してくださった神が、
1:16 異邦人の間に御子の福音を伝えるため、御子を私のうちに啓示することを良しとされたとき、私は血肉に相談することをせず、
1:17 私より先に使徒となった人たちに会うためにエルサレムに上ることもせず、すぐにアラビアに出て行き、再びダマスコに戻りました。

ガリラヤでの宣教開始

2026年1月18日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
イエスの口から出る恵のことば:

この「イエス様の恵みのことば」は福音、良きおとずれと言えます。罪にとらわれている罪人に自由と解放の日が来るとイエス様は宣言しているのです。ここに、主の恵みの三つの内容が書かれています。一つ目は、解放あるいは赦免です。二つ目は、目がみえない者が見えるようになること。三つめは、自由になるということです。イエス様を信じる者はすべてのおそれから解放されて自由になります。不幸と言われるような災害や死別、ガンなどの病気になることは誰でも嫌です。しかし、天地をつくられ私たちに命を与えておられる全能の神、三位一体の神が全霊をもって愛しておられるので心配いらないということです。神の愛は変わりません。決して動かされることのない神の真実、約束が信じる者には与えられているのです。イエスを信じる者はすべての恐れから解放されて自由になります。最後の敵である死からも自由になります。このように、イエス様を信じる者は、罪は赦され、心の目が開かれ、そして、自由になります。まだ、信じていない方は、是非この恵の福音を自分のものとしてください。

イエスのことばに対する二通りの応答:

イエス様のことばを聞いて、二通りの反応がありました。イエス様を救い主と信じて神を褒めたたえた人々と、「この人はヨセフの子ではないか」と言って、信じなかった人々です。郷里の人たちは、イエス様が自分たちと同じ貧しいナザレ人であるという固定観念から抜け出られませんでした。イエス様の恵みのことばを聞いた私たちにも二通りの応答が用意されています。十字架で死んで三日目に復活されたイエス様を信じようとしなかった弟子のトマスに対して、イエス様は「見ないで信じる者は幸いです」と言われました。見ないで信じる者は幸いであると言われます。私たちを真剣に求めておられる神は、忍耐をもって待っておられます。私たちも思いを変えて、方向転換して、神を真剣に求めたいと思います。神はいつでも答えてくださるのです。素直に信じて、罪の赦しと永遠のいのちを得ていただきたいと思います。信じて目が開かれて、様々な束縛から解放されて、死の恐れからも自由になり、神が備えてくださる祝福と希望の人生を歩んでいただきたいです。そして、神が備えてくださる人生は決して失望に終わらない人生です。何故なら、最終的なゴールは神の用意されている御国です。

<聖書>ルカによる福音書4章14~22節
【新改訳2017】
4:14 イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた。すると、その評判が周辺一帯に広まった。
4:15 イエスは彼らの会堂で教え、すべての人に称賛された。
4:16 それからイエスはご自分が育ったナザレに行き、いつもしているとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとして立たれた。
4:17 すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その巻物を開いて、こう書いてある箇所に目を留められた。
4:18 「主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、目の見えない人には目の開かれることを告げ、虐げられている人を自由の身とし、
4:19 主の恵みの年を告げるために。」
4:20 イエスは巻物を巻き、係りの者に渡して座られた。会堂にいた皆の目はイエスに注がれていた。
4:21 イエスは人々に向かって話し始められた。「あなたがたが耳にしたとおり、今日、この聖書のことばが実現しました。」
4:22 人々はみなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いて、「この人はヨセフの子ではないか」と言った。

キリストにより一つとなる

2026年1月4日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>エペソ人への手紙2章11~22節
【新改訳2017】
2:11 ですから、思い出してください。あなたがたはかつて、肉においては異邦人でした。人の手で肉に施された、いわゆる「割礼」を持つ人々からは、無割礼の者と呼ばれ、
2:12 そのころは、キリストから遠く離れ、イスラエルの民から除外され、約束の契約については他国人で、この世にあって望みもなく、神もない者たちでした。
2:13 しかし、かつては遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近い者となりました。
2:14 実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、
2:15 様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、この二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し、
2:16 二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。
2:17 また、キリストは来て、遠くにいたあなたがたに平和を、また近くにいた人々にも平和を、福音として伝えられました。
2:18 このキリストを通して、私たち二つのものが、一つの御霊によって御父に近づくことができるのです。
2:19 こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。
2:20 使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられていて、キリスト・イエスご自身がその要の石です。
2:21 このキリストにあって、建物の全体が組み合わされて成長し、主にある聖なる宮となります。

<要約>
十字架により敵意が和解に代えられた

世界がつくられた当初はそのように神を中心として、愛が循環していく社会で祝福と喜びの人生でした。ところが、人は、神の敵であるサタンの誘惑に会い、神の上に自分を置こうとしたのです。「善悪の知識の木の実」をとって食べてしまいました。神の戒めを破り罪が入りました。罪の結果、死も入りました。神との関係は断絶し、愛の関係が敵対関係に変わったのです。人は神から離れ、神を認めず、愛と信頼の世界が、憎しみと争いの世界に変わってしまったのです。ですから、それ以来世界には、対立や戦争が絶えません。人類の歴史は戦争の歴史であるといわれる通りです。サタンは人と神の関係を分断して、愛と信頼を敵意と争いに代えてしまいました。しかし、キリストの十字架により神と敵対関係にあった私たちは、神との和解を得ました。キリストが十字架で人の罪を取り除いて神と人の間の隔ての壁を打ち破ってくださったからです。罪により神の敵であった私たちは、キリストの十字架の死によって神と和解させられました。これまでは、罪と死と悪魔によって滅びに定められていたのですが、御子の死によって、滅びからいのちに移されました。それは、この肉体のいのちが終わっても、永遠のいのちをいただき、悲しみも苦しみもない、御国で感謝と喜びに満たされて生きるいのちです。それは神の約束で確かなことです。

教会は神の家族;

悪魔の支配下に置かれた人々がキリストの支配下に移され、神の民となりました。それは、目には見えませんが、時代を超えて、場所を超えて、天にある普遍的な教会です。成長して、聖なる宮となっています。私たちは、信じて洗礼を受けてその目に見えない普遍的教会の一因となりました。そして、同時に地上にあるハレルヤチャペルという教会にも属しています。教会は主にある兄弟姉妹による家族です。教会の頭はキリストです。キリストを中心として働きや賜物によって、職務が与えられています。牧師や伝道者、運営のための役員、会堂の準備、清掃、など維持管理のための人材も必要です。教会はどんなに小さくても、大きな岩であり、どんなに祝福を受ける場所であるかを示しています。そして、教会に集う信者一人ひとりに、人生の幸いと勝利が保証されています。そこに、私たちは罪赦されたものとして、キリストを模範として生きるのです。

信仰と行い

2025年12月28日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
罪による断絶と信仰による回復

神が最初に創られた世界では、創り主である神が中心におられて、人はその下で、神は人を愛し、人は神を愛し、また神が愛している隣人を愛し、隣人もその人を愛する、愛の循環する社会でした。しかし、人は悪魔にそそのかされて、高慢になり自分を神の上に置こうとしたのです。神の戒めを破り罪が入り、堕落しました。そして、神に敵対する関係になったのです。愛と信頼の関係はうしなわれました。そして、逆に、敵意と憎しみの世界になってしまったのです。罪は神と人との関係を断絶させました。しかし、十字架により、人は神と関係回復しました。罪により、すべての人は、神と敵対関係になっていたからです。キリストの十字架の死によって、罪に対する神の怒り、つまり敵意は取り除かれました。そして、敵意と憎しみは、愛と信頼にかわり、すべての人は神と関係回復するのです。つまり、義とされ、神の子、御国の世継ぎとされ、永遠のいのちをいただくのです。

良い行いに召される:

クリスチャンは基本的には、自分を救うことから解放されています。だから、いのちについて悩まなくてよい、心配しなくてよい、天のみ国に帰るところが用意されている、最終的に神が責任取ってくださるからです。この世の中では、世の光として輝くだけです。

ですから、「私たちが良い行いに歩むように」というのは、クリスチャンとして、この世の中で、ベストを尽くすようにということです。神を愛し、隣人を愛するのです。与えられた場所で、隣人によりよく仕えるのです。まず、神は思いと力と精神を使って、あなたの神を愛しなさいと命じています。これは、週一回の礼拝を大切にしなさいということです。そのベースに立って、私たちは、教会、家庭、職場あるいは学校に遣わされているのです。

良い行いに召されると題してお話ししました。私たちはイエス・キリストを信じる信仰によって神に義とされ、罪と死と悪魔から救われています。また、私たちはキリストにあって再創造された神の作品であって、神の備えてくださったところでよい行いに進むのです。それぞれ召されたところ、遣わされたところでベストを尽くすのです。隣人への愛を自分に課していくのです。

<聖書>ローマ人への手紙4章18~25節、エペソ人への手紙2章8~10節
【新改訳2017】

4:18 彼は望み得ない時に望みを抱いて信じ、「あなたの子孫は、このようになる」と言われていたとおり、多くの国民の父となりました。

4:19 彼は、およそ百歳になり、自分のからだがすでに死んだも同然であること、またサラの胎が死んでいることを認めても、その信仰は弱まりませんでした。

4:20 不信仰になって神の約束を疑うようなことはなく、かえって信仰が強められて、神に栄光を帰し、

4:21 神には約束したことを実行する力がある、と確信していました。

4:22 だからこそ、「彼には、それが義と認められた」のです。

4:23 しかし、「彼には、それが義と認められた」と書かれたのは、ただ彼のためだけでなく、

4:24 私たちのためでもあります。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、義と認められるのです。

4:25 主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。

エペソ2章8~10節

2:8 この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。

2:9 行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。

2:10 実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えてくださいました。

神のプレゼント、キリスト

2025年12月21日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
キリストはいのちの光:

キリストは人々の救いの光としてこの世界に来てくださいました。その光は、死の暗やみの地に住む私たちの上に燦然と輝いています。暗やみは追い出されて、消え去りました。暗やみは光に勝てません。朝カーテンを引いて外の光が室内に入ると 部屋のホコリが空中を漂っているのがわかります。そのようにキリストはあなたの心を探ります。そして、光は暗やみを照らし真理を明らかにします。天気の日に太陽を背負って路上に立つと目の前に自分の影が見えます。私たちの目の前にできる自分の影の深さが深いほどに、私たちの後ろにある太陽の光は強いのです。闇の深さ、それはあなたの罪と悩みの深さと言えます。光はキリストの救い、福音と言えます。すなわち、あなたの罪と悩みが深ければ深いほど、キリストの恵みとなぐさめは大きいのです。心の目を開いて、低くなって、悔い改め、すなわち、罪を離れ、思いを変えて、天を見上げて、神を呼び求めることです。必ず神はあなたにこたえてくださいます。真理といのちの源であるキリストを、是非、心の目ではっきり見ることができるようにお祈りします。神の子キリストを信じ、滅びから救われ永遠の命を得ていただきたいと思います。

キリストを信じた者の特権:

あなたは、気づいていないかもしれませんが、イエス様は外に立って、あなたの心の扉をノックしています。そこで、あなたの心の中にイエス様を受け入れる事こそ信じることなのです。神の子どもとされる特権とは何でしょうか。それは、第一に、罪の赦しです。第二に、神の子の身分を与えられるというのです。第三に、神のいのち、永遠のいのちをいただくことです。肉体の死は絶望でなくなります。第四に、「インマヌエル、主があなたと共にいてくださる」ことです。さらに この世にあってはキリストが信じる者と共にいてくださいます。また、あなたの内に住んでくださいます。さらに、生活の中に住んでくださることです。自分の力ではどうすることもできないことに神が介入します。キリストの光が生活の中に差し込むのです。神の時に奇跡が起きます。ですから、めぐみとまことの主に、素直に自分を明け渡して、あなたの心の戸を開いて、外で叩いておられる主を受け入れてください。神の約束は必ずあなたのうちに成就します。 あなたは、神の子となり、豊かな神の祝福に満ちた人生を歩むことになります。

<聖書>ヨハネの福音書1章1~14節
【新改訳2017】
1:1 初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
1:2 この方は、初めに神とともにおられた。
1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。
1:4 この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。
1:5 光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。
1:6 神から遣わされた一人の人が現れた。その名はヨハネであった。
1:7 この人は証しのために来た。光について証しするためであり、彼によってすべての人が信じるためであった。
1:8 彼は光ではなかった。ただ光について証しするために来たのである。
1:9 すべての人を照らすそのまことの光が、世に来ようとしていた。
1:10 この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。
1:11 この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。
1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。
1:13 この人々は、血によってではなく、肉の望むところでも人の意志によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。
1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

マリヤの信仰

2025年12月7日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
信じ切る信仰とは?:

マリヤも、自分自身をさして、「今から後、どの時代の人々も私を幸いなものと呼ぶでしょう」と神からの祝福を宣言しています。マリヤは主によって語られた事は必ず実現すると信じきることができました。一言で言うと簡単のように見えますが、実際には、私たちには、先のことが分からないがゆえに、信じ切ることができないのです。私たちはもう一度信じて信仰を持って心を定めて歩む必要があるのではないでしょうか。神は私を祝福してくださると信じ、神を信頼し歩むのです。それこそクリスチャン人生の醍醐味です。未婚の母となったことに対する非難やそしり、やがてわが子に臨む十字架に至るまでの苦難、そのようなものすべてを乗り越える力がマリヤのこの「信じ切る」という信仰から来るのです。信じきることは、どんなに周りの状況が変わって、よくない方向に行っているように見えても、みことばに留まり、信じ続けることです。

インマヌエルともにいてくださる神:

マリヤの信仰は、歴史を通して、すべてのクリスチャンに称えられています。なぜ、ただの田舎娘がそれほどまでの偉業をなしえたのでしょうか。そうです。マリヤには、インマヌエルなるイエス様が彼女の胎内に宿っていてくださったのです。インマヌエルなるキリスト、イエス様が文字通り共にいてくださったのです。マリヤには、みことばは必ずなると信じきる信仰とインマヌエルなるキリストが与えられていたのです。マリヤはあらゆる困難や苦難を乗り越えて、神に感謝し神をほめたたえました。それは私たちとともにいてくださるキリストによって与えられた信仰です。私たちのうちに住んでくださるイエス様を覚えましょう。イエス様に心の王座についていただきましょう。神は、そのあわれみは尽きることがありません。また、変わることなく、私たちに注がれているのです。心低くして受け取るのです。それは、御子イエスの十字架による贖いによる罪の赦しです。イエス様を信じる者は罪赦されて、永遠のいのちをいただくのです。神の命につながるのです。

<聖書>ルカによる福音書1章31~56節
【新改訳2017】
1:31 見なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。
1:32 その子は大いなる者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また神である主は、彼にその父ダビデの王位をお与えになります。
1:33 彼はとこしえにヤコブの家を治め、その支配に終わりはありません。」
1:34 マリアは御使いに言った。「どうしてそのようなことが起こるのでしょう。私は男の人を知りませんのに。」
1:35 御使いは彼女に答えた。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。
1:36 見なさい。あなたの親類のエリサベツ、あの人もあの年になって男の子を宿しています。不妊と言われていた人なのに、今はもう六か月です。
1:37 神にとって不可能なことは何もありません。」
1:38 マリアは言った。「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」すると、御使いは彼女から去って行った。
1:39 それから、マリアは立って、山地にあるユダの町に急いで行った。
1:40 そしてザカリヤの家に行って、エリサベツにあいさつした。
1:41 エリサベツがマリアのあいさつを聞いたとき、子が胎内で躍り、エリサベツは聖霊に満たされた。
1:42 そして大声で叫んだ。「あなたは女の中で最も祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。
1:43 私の主の母が私のところに来られるとは、どうしたことでしょう。
1:44 あなたのあいさつの声が私の耳に入った、ちょうどそのとき、私の胎内で子どもが喜んで躍りました。
1:45 主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです。」
1:46 マリアは言った。「私のたましいは主をあがめ、
1:47 私の霊は私の救い主である神をたたえます。
1:48 この卑しいはしために目を留めてくださったからです。ご覧ください。今から後、どの時代の人々も私を幸いな者と呼ぶでしょう。
1:49 力ある方が、私に大きなことをしてくださったからです。その御名は聖なるもの、
1:50 主のあわれみは、代々にわたって主を恐れる者に及びます。
1:51 主はその御腕で力強いわざを行い、心の思いの高ぶる者を追い散らされました。
1:52 権力のある者を王位から引き降ろし、低い者を高く引き上げられました。
1:53 飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせずに追い返されました。
1:54 主はあわれみを忘れずに、そのしもべイスラエルを助けてくださいました。
1:55 私たちの父祖たちに語られたとおり、アブラハムとその子孫に対するあわれみをいつまでも忘れずに。」
1:56 マリアは、三か月ほどエリサベツのもとにとどまって、家に帰った。

イエス・キリストの洗礼

2025年11月23日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明


<要約>
悔い改めて神と向き合う:

バプテスマのヨハネは、悔い改めを説きました。聖書は言います。人は生まれながら罪の性質を持って生まれ、現に人は罪を犯すものだと。聖書には、すべての人は罪を犯したから、神の栄光を受けることができない、と書いています。人の罪が、神との関係を断絶させています。そもそも人が創り主である神を認めないことが最大の罪です。これこそが、神との関係を失っている状態です。その様な状態では「神の栄光を受けることができない」と聖書にあります。それは、神はあなたを心配して祝福しようとなさっているのに、あなたは知らん顔して、そっぽを向いているという状態です。イエス様を信じる前に、私たちは自分の罪に気付かなければなりません。罪に気づいたならば神と向き合うのです。そして、罪を悔い改めて洗礼を受けます。自分の罪が分からない人は、イエス・キリストの救いもわかりません。実にイエス様は私たちの罪を取り除くために来られたからです。あなたと神の関係は大丈夫でしょうか。もう一度、悔い改めて神と向き合いましょう。

イエス様の救い主としての任命;

イエスは、水の中から上がるとすぐに、天が裂けて御霊が鳩のようにご自分に降って来るのをご覧になった。その光景をヨハネは目撃しました。これは、メシヤの任命でした。神が長い間準備をしてこられたことが実行に移されるのです。イエス様がヨハネのバプテスマを受けて、これからすべての人の救いのわざに立ち上がったことを神は喜ばれました。そして、「これはわたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」と声をかけられました。神は人が罪のために滅ぶのを惜しんでおられます。御子が身代わりとなって、あなたの罪の裁きをその身に負われたのです。イエス・キリストを信じた人は、洗礼を受けなければなりません。人が、水で洗礼を受ける時に聖霊を受けるのです。聖霊は目に見えませんが、生ける神です。生ける神が私たち一人ひとりの中に入り住んでくださるというのです。その時、古い人は死んで新しい人に生きるのです。私たちは生まれ変わるのです。悔い改めるということは、原語の意味からは、「思いを変える」ということです。自分の内側に目を留めるのではなく、自分の外で招いてくださる真の医者であるイエス様を見上げましょう。

<聖書>マルコの福音書1章1~11節
【新改訳2017】
1:1 神の子、イエス・キリストの福音のはじめ。
1:2 預言者イザヤの書にこのように書かれている。「見よ。わたしは、わたしの使いをあなたの前に遣わす。彼はあなたの道を備える。
1:3 荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ。』」そのとおりに、
1:4 バプテスマのヨハネが荒野に現れ、罪の赦しに導く悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた。
1:5 ユダヤ地方の全域とエルサレムの住民はみな、ヨハネのもとにやって来て、自分の罪を告白し、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けていた。
1:6 ヨハネはらくだの毛の衣を着て、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。
1:7 ヨハネはこう宣べ伝えた。「私よりも力のある方が私の後に来られます。私には、かがんでその方の履き物のひもを解く資格もありません。
1:8 私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、この方は聖霊によってバプテスマをお授けになります。」
1:9 そのころ、イエスはガリラヤのナザレからやって来て、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けられた。
1:10 イエスは、水の中から上がるとすぐに、天が裂けて御霊が鳩のようにご自分に降って来るのをご覧になった。
1:11 すると天から声がした。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」

神のことばは永遠に立つ

2025年11月2日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
信じれば二倍の慰めと祝福がある;

エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その苦役は終わり、その咎は償われている、と。そのすべての罪に代えて、二倍のものを【主】の手から受けている、と。」「主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、懐に抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く」まさしく、イエス・キリストのお姿です。神はイスラエルのために優しく語り掛けておられます。それは民の嘆きが大きかったからです。同様に、キリストを信じて苦難の中に置かされている人々も確実に慰められるのです。あるいは、キリストを信じてこれまで歩んできた人々、様々な悲しみを通って来られた人々を神は確実に慰め、平安と喜びで満たしてくださるのです。クリスチャンは、キリストの贖いにより罪の報いである死と滅びが取り去られてゼロになっています。さらにクリスチャンは神の子とされています。つまり天国の相続者とされています。罪が赦され、死と滅びがなくなり、つまり永遠の命が与えられるばかりでなく、天国の全ての富を与えられているのです。信じる者には罪に代えて二倍の慰めと祝福があります。神は、罪により炭より黒い私たちを真っ白にしてくださるばかりでなく、光り輝く黄金の栄光を与えてくださるということです。信仰によってあなたはそうなるのです。そうなっているのです。

王の王、主の主であり私の羊飼いイエス様

世の終わりの時に、世の終わりのラッパが鳴り渡るときに、皆さんは復活のからだでよみがえります。そして、真に救いが完成するのです。ですから、私たち信者は救いの完成を先取して生きています。やがて救われるのではなく、今救われています。そして、信仰により、そう確信しています。聖書は人間にとってなくてはならない重要なことが書かれています。その中でも、人はそのままでは、自らの罪のために滅んでしまうこと、神は人を愛し一人も滅びることを惜しまれて、救い主キリストを送ってくださった事、そして、すべての人の罪をキリストが背負って十字架で罪を贖ってくださった事、キリストを信じる者は誰一人として滅びることなく永遠のいのちをもつことです。私の羊飼いであり、すべての権威をお持ちの力ある神が私と共にいてくださることをもっと実感して、与えられた人生を喜びと感謝をもって、前向きに歩んでいきたいと思います。

<聖書>イザヤ書40章1~11節
【新改訳2017】
40:1 「慰めよ、慰めよ、わたしの民を。──あなたがたの神は仰せられる──
40:2 エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その苦役は終わり、その咎は償われている、と。そのすべての罪に代えて、二倍のものを【主】の手から受けている、と。」
40:3 荒野で叫ぶ者の声がする。「【主】の道を用意せよ。荒れ地で私たちの神のために、大路をまっすぐにせよ。
40:4 すべての谷は引き上げられ、すべての山や丘は低くなる。曲がったところはまっすぐになり、険しい地は平らになる。
40:5 このようにして【主】の栄光が現されると、すべての肉なる者がともにこれを見る。まことに【主】の御口が語られる。」
40:6 「叫べ」と言う者の声がする。「何と叫びましょうか」と人は言う。「人はみな草のよう。その栄えはみな野の花のようだ。
40:7 【主】の息吹がその上に吹くと、草はしおれ、花は散る。まことに民は草だ。
40:8 草はしおれ、花は散る。しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ。」
40:9 シオンに良い知らせを伝える者よ、高い山に登れ。エルサレムに良い知らせを伝える者よ、力の限り声をあげよ。声をあげよ。恐れるな。ユダの町々に言え。「見よ、あなたがたの神を。」
40:10 見よ。【神】である主は力をもって来られ、その御腕で統べ治める。見よ。その報いは主とともにあり、その報酬は主の御前にある。
40:11 主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、懐に抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。

福音の再発見

2025年10月26日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
神の義というプレゼント:

義のプレゼントはどこから来るのでしょうか?それはキリストの十字架によります。罪のない神の独り子がすべての人の罪を背負い身代わりとなって裁かれ十字架で死んでくださいました。それにより、すべての人が裁かれず、義とされる道を開いてくださったのです。私たちは誰でも生まれながらの罪人です。ルターは気づきました。人間には、本質的に邪悪なものがあること、人間の性質そのものが腐敗しているのだ、と。ルターは人間の一切が罪の赦しを必要としていることを悟ったのです。神は、神の義をプレゼントとして罪人にお与えになりました。私たちはそれを信仰によって受け止めるだけでいいのです。信仰によって義と認められる、これを信仰義認と言います。これは神が主導で一方的に備えてくださった救いの道で、恵です。この発見をしたルターは、自分は全く新しく生まれ変わった。聖書の戸が開かれた、と告白しています。これが福音の再発見でした。

信仰によって働く神の力:

ルターはこの世のどんな権力によっても奪われることのできない自由を得ていました。神のことばに捕えられた良心に従いました。人間の良心は移ろい安く、権力や状況によって曲げられることもしばしばです。神のことばに絶対的な信頼を置くならば、真理があなた方を自由にします。福音は神の力であり、最強の力です。それは悪魔の力、罪の力、死の力にも打ち勝ちます。最強の力です。それこそ、全知全能の神の力だからです。その神の力をもって、どんな状況の中にあるあなたをも救うことができるのです。罪の呪いは、イエス・キリストが十字架の上で飲み干し死んでくださいました。私たちすべての人の罪の裁きを身代わりとなって、イエス様が受けてくださったのです。ですから、私たちには罪の呪いは及びません。そのことを受け止めて、信じる者は、キリストが復活したように復活のいのちにあずかるのです。ルターは福音を再発見して、信仰によって働く神の力を体験しました。福音は輝きを取り戻しました。福音は信じるすべての人を救う神の力です。福音を知らないために多くの人々は未だに罪の暗闇の中にいます。先に救われた私たちは、福音を家族や知人の届けるために召されているといえます。

<聖書>ローマ人への手紙1章1~17節
【新改訳2017】
1:1 キリスト・イエスのしもべ、神の福音のために選び出され、使徒として召されたパウロから。
1:2 ──この福音は、神がご自分の預言者たちを通して、聖書にあらかじめ約束されたもので、
1:3 御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、
1:4 聖なる霊によれば、死者の中からの復活により、力ある神の子として公に示された方、私たちの主イエス・キリストです。
1:5 この方によって、私たちは恵みと使徒の務めを受けました。御名のために、すべての異邦人の中に信仰の従順をもたらすためです。
1:6 その異邦人たちの中にあって、あなたがたも召されてイエス・キリストのものとなりました──
1:7 ローマにいるすべての、神に愛され、召された聖徒たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。
1:8 まず初めに、私はあなたがたすべてについて、イエス・キリストを通して私の神に感謝します。全世界であなたがたの信仰が語り伝えられているからです。
1:9 私が御子の福音を伝えつつ心から仕えている神が証ししてくださることですが、私は絶えずあなたがたのことを思い、
1:10 祈るときにはいつも、神のみこころによって、今度こそついに道が開かれ、何とかしてあなたがたのところに行けるようにと願っています。
1:11 私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでも分け与えて、あなたがたを強くしたいからです。
1:12 というより、あなたがたの間にあって、あなたがたと私の互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。
1:13 兄弟たち、知らずにいてほしくはありません。私はほかの異邦人たちの間で得たように、あなたがたの間でもいくらかの実を得ようと、何度もあなたがたのところに行く計画を立てましたが、今に至るまで妨げられてきました。
1:14 私は、ギリシア人にも未開の人にも、知識のある人にも知識のない人にも、負い目のある者です。
1:15 ですから私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。
1:16 私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。
1:17 福音には神の義が啓示されていて、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。

岩手県滝沢市のプロテスタント教会