将来と希望の約束

2024年12月1日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
闇が深いほど背後の光は強い:

先の見通しがつかないというのは、個人的にも、国家的にも、世界的にも、とてもつらいことです。現代も、人類の未来は楽観できない状況です。日本も戦争に巻き込まれる危険を抱えています。日本は人口減に入り、超高齢化社会になっています。若者も未来に希望が持てず、闇バイトに手を出す子どもたちも増えており、社会不安も広がっています。不登校になる子どもの数も過去最高になっています。日本の教会の現状を見ても、牧師や伝道者のなり手が不足して、クリスチャン人口も減り教会も統合したり、閉鎖したりするところも出てきます。自分の前に見える自分の影、その闇が深いほど後ろから背中を照らす太陽の光は強いということです。同様に、もし皆さんが、個人的にも困難を覚え、あるいは行き詰まりを経験し、低迷無気力にあるならば、今のピンチこそチャンスであることを知りましょう。私たちが困難や苦難の中に居る時こそ神の恵みの光が強く注がれていることに気づきましょう。

礼拝の民として三つの領域でベストを尽くし希望に生きる:

神はエレミヤを通して、異郷の地でどのように生きて行ったらよいのかを、具体的に指示なさいました。まず、一つのことは、民がバビロニヤにいてもあたかもエルサレムに住んでいた時と同じように生活をすることです。もう一つのことは、今置かれたバビロンの町のために主に祈れ、そこで礼拝を守りなさいということです。同様に、現代に生きるクリスチャンたちは礼拝の民として、この地に根好き、仕事をし、家庭を立ち上げ、そして教会生活をするのです。すなわち私たちは、神を礼拝することを中心において、教会生活、社会生活、家庭生活の三つの領域に励んでいるものです。当時のイスラエルの民への70年後の祖国帰還の約束は歴史において成就しました。それは彼らには将来と希望でした。同様に、現代に生きる私たちクリスチャンにも聖書のみことばは、将来と希望を与えています。それは、主が再び来られること、そして、やがて新天新地に信じるすべての人々が招き入れられるということです。信じるすべての人は、罪の赦しと永遠のいのちをいただいています。神の将来と希望の約束をしっかり握っていなさい。そして、今を生きなさいというのです。先ほども言ったように落ち着いて生活し礼拝の民として神を中心とした生活をしなさいと言うことです。

<聖書>エレミヤ書29章1~11節
【新改訳2017】
29:1 預言者エレミヤは、ネブカドネツァルがエルサレムからバビロンへ引いて行った捕囚の民、すなわち、長老で生き残っている者たち、祭司たち、預言者たち、および民全体に、エルサレムから次のような手紙を送った。
29:2 この手紙は、エコンヤ王、王母、宦官たち、ユダとエルサレムの首長たち、職人、鍛冶がエルサレムを去った後、
29:3 ユダの王ゼデキヤが、バビロンの王ネブカドネツァルのもと、バビロンへ遣わした、シャファンの子エルアサとヒルキヤの子ゲマルヤの手に託したもので、そのことばは次のとおりである。
29:4 「イスラエルの神、万軍の【主】はこう言われる。『エルサレムからバビロンへわたしが引いて行かせたすべての捕囚の民に。
29:5 家を建てて住み、果樹園を造って、その実を食べよ。
29:6 妻を迎えて、息子、娘を生み、あなたがたの息子には妻を迎え、娘を嫁がせて、息子、娘を産ませ、そこで増えよ。減ってはならない。
29:7 わたしがあなたがたを引いて行かせた、その町の平安を求め、その町のために【主】に祈れ。その町の平安によって、あなたがたは平安を得ることになるのだから。』
29:8 まことに、イスラエルの神、万軍の【主】はこう言われる。『あなたがたのうちにいる預言者たちや、占い師たちにごまかされるな。また、あなたがたが見ている夢に聞き従ってはならない。
29:9 なぜなら、彼らはわたしの名を使って、偽りをあなたがたに預言しているからだ。わたしは彼らを遣わしていない──【主】のことば。』
29:10 まことに、【主】はこう言われる。『バビロンに七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにいつくしみの約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる。
29:11 わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──【主】のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

主と私たちの麗しい関係

2024年11月3日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>ヨハネによる福音書10章7~17節
【新改訳2017】
10:7 そこで、再びイエスは言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしは羊たちの門です。
10:8 わたしの前に来た者たちはみな、盗人であり強盗です。羊たちは彼らの言うことを聞きませんでした。
10:9 わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら救われます。また出たり入ったりして、牧草を見つけます。
10:10 盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかなりません。わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。
10:11 わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。
10:12 牧者でない雇い人は、羊たちが自分のものではないので、狼が来るのを見ると、置き去りにして逃げてしまいます。それで、狼は羊たちを奪ったり散らしたりします。
10:13 彼は雇い人で、羊たちのことを心にかけていないからです。
10:14 わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っており、わたしのものは、わたしを知っています。
10:15 ちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じです。また、わたしは羊たちのために自分のいのちを捨てます。
10:16 わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊たちがいます。それらも、わたしは導かなければなりません。その羊たちはわたしの声に聞き従います。そして、一つの群れ、一人の牧者となるのです。
10:17 わたしが再びいのちを得るために自分のいのちを捨てるからこそ、父はわたしを愛してくださいます。

<要約>
背後で働く悪魔と救い主;

狼に例えられる敵は何でしょうか。狼は羊の命を奪いにやって来ます。それは サタンあるいは悪魔と言うこともできるでしょう。当時のローマ帝国下のクリスチャンにとっては悪魔はローマ皇帝であったかもしれません。なぜなら当時のローマ皇帝はクリスチャンを捕まえて円形競技場で飼育している猛獣の餌にしたからです。そればかりではなく、歴史を通して信者には常に敵があることを心しておかなければなりません。私たちの戦いは、目に見える血肉に対する戦いではない、背後にいる悪魔や悪霊に対する戦いであるとエペソ書に書いています。私たちは、聖霊とみ言葉によって武装していなければなりません。悪魔は、私たち人間の全人格に働きかけます。知性、感情、意志をコントロールします。それとは反対に、わたしは良い牧者は、牧者は救い主です。私たちを罪と死と悪魔から救ってくださいます。イエス様は、羊のためにいのちを捨てる、つまり、すべての人の罪を取り除くために、身代わりとなって十字架でいのちを捨ててくださったのです。「世の罪を取り除く神の子羊」となって、すべての人の審判を受け、自ら進んで死ぬのです。主は言われました。「わたしはまたこの囲いに属さないほかの羊たちがいます、それらも、わたしは導かなければなりません。その羊たちは私の声に聞き従います。そして一つの群れ、一つの牧者となるのです」。イエス・キリストはイスラエルだけでなく全民族を一つにする救い主であることをご自身が自ら宣言しておられるのです。一人の人が滅びてしまうのを惜しんでいます。その動機は、あなたへの愛です。

いのちに至る門;

イエス様は、「わたしは羊の門です」と言われました。わたしは門です。誰でもわたしを通って入るなら救われます、と書いています。そして、牧草を見つけます。イエス様のところへ行き、イエス様の囲いにいれば、牧草を見つけます。これは、いのちが救われ、敵から守られると言ことです。また、イエス様は、「わたしを通してでなければ、だれひとりすくわれない」と言います。これは、イエス様ご自身が神であることの宣言でもあります。イエス様は、羊の門、救いの門です。聖書は、人は教えでは救われないことを明言しています。人は行いによっては救われないと明言しています。聖書は、人は教えである律法、十戒を守っても、救いに至らないことを何度も言っています。人は良い行いによってはよい人間にはなれません。かえって、高慢になってしまうのです。良い人間が良い行いをするのです。自分でよい人間になることはできません。三位一体の神である聖霊によって、良い人間に作り変えていただくのです。門であるイエス様を通して入るというのは、イエス様をあなたの救い主と信じることです。

安心して生きる

2024年10月27日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>マタイの福音書5章21~26節
【新改訳2017】
5:21 昔の人々に対して、『殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。
5:22 しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に対して怒る者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に『ばか者』と言う者は最高法院でさばかれます。『愚か者』と言う者は火の燃えるゲヘナに投げ込まれます。
5:23 ですから、祭壇の上にささげ物を献げようとしているときに、兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、
5:24 ささげ物はそこに、祭壇の前に置き、行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから戻って、そのささげ物を献げなさい。
5:25 あなたを訴える人とは、一緒に行く途中で早く和解しなさい。そうでないと、訴える人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれることになります。

神の日を心に据えて今を生きる

2024年10月20日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
神を認めない人間と神の忍耐:

世の中の人々は、キリストが神であることを認めず生きています。そして、その人生観、生き方は歴史を通して、ずっと人間社会を支配してきました。あざける者たちが、敬虔に生きようとしている信者たちをあざけっていました。それに対して、ペテロは、こう述べています。主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。ここに主のみこころがあります。キリストは、そのように神を認めず、神を知らず、神から遠く離れている人々、そして自らの罪のために死と滅びに定められている人々を救うために、世に来てくださったのです。さばきと滅びの日来る前に、すべての人を天の御国に招くために、罪びとを招くために来てくださったのです。「私を信じて、罪と死と滅びから救われなさい」と、今日も招いてくださっております。まだ、キリストを信じて洗礼を受けてない方は、是非、信じて救われてください。

終わりを見据えて希望に生きる:

最終的には世界は滅びます。しかし、この世界は「義と愛の神」が創られ、そして保っておられる世界です。神は義であるということは、神は正しくさばかれるということです。罪を放置しておくことは神にはできません。すなわち神の裁きは必ず起こるということです。また、愛の面では、神はすべての人を愛し、滅んでしまうのを惜しんでおられます。そして、すべての人が幸せになってもらいたいと考えておられます。私たちは、生まれながらの罪人です。しかし、イエス様の十字架により過去現在未来に至るまでの罪は赦されています。ですから赦された罪人です。罪が許されたものとして、これからは、どのように生きて行けばよいのでしょうか。罪が赦され、復活のいのちが与えられています。そして、やがて、新しい天と新しい地を相続する者たちです。神は、この地上にあって、一人一人に使命と目的を与えて神の民として、決してしぼまない、希望と喜びの人生を歩んでほしいと願っておられます。イエス様が命じているように、神を愛し、人を愛することです。具体的にはそれぞれに与えられた場所で与えられた職務や身分を通して、最善を尽くすことです。

<聖書>ペテロ第2の手紙3章1~14節
【新改訳2017】
3:1 愛する者たち、私はすでに二通目となる手紙を、あなたがたに書いています。これらの手紙により、私はあなたがたの記憶を呼び覚まして、純真な心を奮い立たせたいのです。
3:2 それは、聖なる預言者たちにより前もって語られたみことばと、あなたがたの使徒たちにより伝えられた、主であり救い主である方の命令を思い出させるためです。
3:3 まず第一に、心得ておきなさい。終わりの時に、嘲る者たちが現れて嘲り、自分たちの欲望に従いながら、
3:4 こう言います。「彼の来臨の約束はどこにあるのか。父たちが眠りについた後も、すべてが創造のはじめからのままではないか。」
3:5 こう主張する彼らは、次のことを見落としています。天は大昔からあり、地は神のことばによって、水から出て、水を通して成ったのであり、
3:6 そのみことばのゆえに、当時の世界は水におおわれて滅びました。
3:7 しかし、今ある天と地は、同じみことばによって、火で焼かれるために取っておかれ、不敬虔な者たちのさばきと滅びの日まで保たれているのです。
3:8 しかし、愛する人たち、あなたがたはこの一つのことを見落としてはいけません。主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。
3:9 主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
3:10 しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は大きな響きを立てて消え去り、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地にある働きはなくなってしまいます。
3:11 このように、これらすべてのものが崩れ去るのだとすれば、あなたがたは、どれほど聖なる敬虔な生き方をしなければならないことでしょう。
3:12 そのようにして、神の日が来るのを待ち望み、到来を早めなければなりません。その日の到来によって、天は燃え崩れ、天の万象は焼け溶けてしまいます。
3:13 しかし私たちは、神の約束にしたがって、義の宿る新しい天と新しい地を待ち望んでいます。
3:14 ですから、愛する者たち。これらのことを待ち望んでいるのなら、しみも傷もない者として平安のうちに神に見出していただけるように努力しなさい。

赦された罪人と赦し

2024年10月6日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>マタイの福音書18章21~35節
【新改訳2017】
18:21 そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何回赦すべきでしょうか。七回まででしょうか。」
18:22 イエスは言われた。「わたしは七回までとは言いません。七回を七十倍するまでです。
18:23 ですから、天の御国は、王である一人の人にたとえることができます。その人は自分の家来たちと清算をしたいと思った。
18:24 清算が始まると、まず一万タラントの負債のある者が、王のところに連れて来られた。
18:25 彼は返済することができなかったので、その主君は彼に、自分自身も妻子も、持っている物もすべて売って返済するように命じた。
18:26 それで、家来はひれ伏して主君を拝し、『もう少し待ってください。そうすればすべてお返しします』と言った。
18:27 家来の主君はかわいそうに思って彼を赦し、負債を免除してやった。
18:28 ところが、その家来が出て行くと、自分に百デナリの借りがある仲間の一人に出会った。彼はその人を捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。
18:29 彼の仲間はひれ伏して、『もう少し待ってください。そうすればお返しします』と嘆願した。
18:30 しかし彼は承知せず、その人を引いて行って、負債を返すまで牢に放り込んだ。
18:31 彼の仲間たちは事の成り行きを見て非常に心を痛め、行って一部始終を主君に話した。
18:32 そこで主君は彼を呼びつけて言った。『悪い家来だ。おまえが私に懇願したから、私はおまえの負債をすべて免除してやったのだ。
18:33 私がおまえをあわれんでやったように、おまえも自分の仲間をあわれんでやるべきではなかったのか。』
18:34 こうして、主君は怒って、負債をすべて返すまで彼を獄吏たちに引き渡した。
18:35 あなたがたもそれぞれ自分の兄弟を心から赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに、このようになさるのです。」

<要約>
罪がわからない人間:

自分が罪びとであるということが自覚できなければ、自分がどんなに赦されているかもわかりません。自分には赦される必要があることもわかりません。私たちが神の赦しを実感するためにはまず、自分の罪がわからなければなりません。アウグスブルク信仰告白に以下のように記述されています。「実に、人は母の胎内にいるときから悪への傾向と欲とに満ちており、生まれながら神への恐れもない」と。さらに、この原罪というものは、遺伝的罪であり、真の罪であると書いています。そのままでは、すべての人は、神の永遠の怒りのもとにあり、罪の裁きを受け滅びに至るのです。しかし、神は怒りの神である以上に憐みの神です。この例話の主君は家来をかわいそうに思って、家来の負債をご自身が担い帳消しとされたのです。イエス・キリストが、すべての人の罪を担い十字架で死んでくださり、そればかりでなく、三日目に今度は信じるすべての人のいのちのために復活してくださった。その事実を信じて、罪と死と滅びから救われるのです。王から「悪い家来だ」と言われたその男は、自分に百デナリ借金のあるしもべ仲間を牢獄に入れました。その結果、自分も牢獄に入れられたのです。これは、赦さない人は結果的に自分を牢獄につないでしまうということです。赦さない人はそれが自分にかえってきて自分を束縛し心の自由を失うのです。

赦された罪びととして人を赦し愛する:

人はそのままでは死と滅びに定められています。神は、人が滅びに向かうのを惜しんでおられます。そこで神は、すべての人の罪を赦すという決断をなされました。それは、罪のない神の一人子イエス・キリストに人類のすべての人の罪を着せて、すべての人の身代わりとして十字架で断罪し、死に至らせました。そのことにより、過去現在未来に至るまでのあなたの罪は赦されました。キリストは十字架で死んだばかりでなく、三日目に復活しました。それにより、信じる者は、罪赦されるばかりでなく、キリストが復活して生きておられるように、復活のいのちをいただき永遠のいのちに生きるのです。これからは、私たちは罪赦された罪びととして、隣人の罪を赦し、隣人を愛する人生を選び取っていくのです。それは、決してしぼむことのない自由と希望と喜びの人生です。ぜひそのことを受け止めて歩んでいただきたいと思います。

クリスチャンの身分と職務

2024年9月29日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明


<要約>
古い自分に死にみことばに生きる:

クリスチャンになるということは、古い自分に死んでみことばにより新しい人に生きることです。私たちは、バプテスマにより、腐敗していく古い人を脱ぎ捨てたのです。私たちは、生まれながらの罪びとです。その行き着く先は、死と滅びです。そのような私たちが、神に選ばれ、新しく生まれさせられました。私たちの古い人は、バプテスマにより、イエス様と一緒に十字架につけられて死んだのです。そして、イエス様が復活されたように、私たちもやがて、尽きない永遠のいのちに復活します。生まれたばかりの乳飲み子のように貪欲に乳を慕い求める、それと同じように私たちも神のみことばを慕い求めることを生活の中心に置いていきたいと願います。私たちは古い自分に死んで生まれ変わり新しいいのちに生きるものとして、決してしぼまない希望といつまでも続く喜びに生きるのです。私たちは赦された罪びととして、新しいいのちにより、失敗を恐れず、前向きに歩んでいくのです。

聖なる国民、祭司としての新しい人生:

クリスチャンは、選び分かたれた聖なる国民で、神の民、王である祭司です。私たちは、祭司として神との和解の仲介者とされました。家族知人、友人のため、他の人々のために神にとりなし、栄光の神を証しするのです。この世の中にあって、私たちは三つの領域に生きています。家庭、職場、教会です。三つのそれぞれの場所で、身分と職務に最善を尽くすことが、ペテロが命じている「立派なふるまい、立派な行い」といえます。私たちは、全能の神の子どもとされ、素晴らしい身分と職務を与えられた者たちです。地上のあらゆる富や名誉にはるかに勝る御国を受け継ぐものとされたのです。ですから、神の子、御国の世継ぎの身分にふさわしい願いを神に申し上げましょう。それは、大胆に神に祈り求めることです。神は大胆に祈り求める祈りを喜ばれます。最後にペテロは「この方に信頼するものは決して失望させられることがない」と確信を持って述べています。ペテロは、苦難の死の向こうに栄光に輝く希望をもって生き抜いたのです。「この方に信頼するものは決して失望させられることがない」という言葉は、決して地に落ちることはありません。イエス・キリストに信頼して、決してしぼまない希望と喜びのいつまでも続く人生を自分のものとしていただきたいと思います。

<聖書>ペテロ第1の手紙2章1~12節
【新改訳2017】
2:1 ですからあなたがたは、すべての悪意、すべての偽り、偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、
2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。
2:3 あなたがたは、主がいつくしみ深い方であることを、確かに味わいました。
2:4 主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが神には選ばれた、尊い生ける石です。
2:5 あなたがた自身も生ける石として霊の家に築き上げられ、神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げる、聖なる祭司となります。
2:6 聖書にこう書いてあるからです。「見よ、わたしはシオンに、選ばれた石、尊い要石を据える。この方に信頼する者は決して失望させられることがない。」
2:7 したがってこの石は、信じているあなたがたには尊いものですが、信じていない人々にとっては、「家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった」のであり、
2:8 それは「つまずきの石、妨げの岩」なのです。彼らがつまずくのは、みことばに従わないからであり、また、そうなるように定められていたのです。
2:9 しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。
2:10 あなたがたは以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、あわれみを受けたことがなかったのに、今はあわれみを受けています。
2:11 愛する者たち、私は勧めます。あなたがたは旅人、寄留者なのですから、たましいに戦いを挑む肉の欲を避けなさい。
2:12 異邦人の中にあって立派にふるまいなさい。そうすれば、彼らがあなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたの立派な行いを目にして、神の訪れの日に神をあがめるようになります。

赦すためです主の十字架

2024年9月22日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
赦されない、赦せない苦しみ:

人を赦す、ということは、もともと人間には困難な課題です。しかし、聖書は赦しなさいと命令しています。赦さないというのは、「殺してはならない」という十戒の命令を破ることだからです。つまり、人に対する、怒り、わだかまり、うらみは、心の内で罪を犯していることだからです。罪を赦すという困難な課題に対して、主の祈りでは、「私たちの負い目、あるいは罪をおゆるしください。私たちも私たちに負い目、あるいは罪のある人たちを赦しました。」と祈ります。それは、主が教えてくださった祈りであり命令です。祈れば、神はその祈りを必ず聞いてくださるからです。もし、皆さんの中で、だれかを赦せないという思いがあるならば、その思いをそっくり正直に神に申し上げなければなりません。赦せない自分と格闘しなければなりません。その時、同時にあなたは、あなたがどんなにか神に赦されていることかに気付くのです。神の赦しには、期限があります。この世の命が終わった後、神に裁かれるからです。私たちがこの世にいる間に無題課で提供された神の赦しを受け取る必要があります。

赦された者の平安と喜びの人生:

イエス様の十字架により、私たちは赦された罪びとです。そして、イエス様の復活により、復活のいのち、永遠のいのち、新しいいのちに生きるものとされました。では、罪赦されて、新しいいのちをいただいたクリスチャンはどのように生きればよいのでしょうか。私たちは礼拝の民として、まず、礼拝を中心として神中心の生活をします。そして、私たちクリスチャンは主に三つの領域に遣わされています。家庭、社会、教会です。その三つの領域にベストを尽くすのです。それが、神を愛し人を愛する生き方です。家庭では、夫として、妻として、親として、子どもとしての身分が与えられています。お互いに支えあい最善を尽くします。社会や学校では、職業人、あるいは学生としてあなたの持てる技量を磨き、人々に最良のものを提供します。学生も一生懸命勉強することもそうです。それが、神と人を愛する生き方です。教会では、救いの福音が安定的に地域社会に提供するために活動しています。皆さんの家族知人友人に福音を届けるために教会は活動しています。この福音は期間限定です。光の届かない闇が来る前に、もう手遅れになる前に、教会にお連れして福音に触れていただきましょう。

<聖書>マタイの福音書5章21~26節
【新改訳2017】
5:21 昔の人々に対して、『殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。
5:22 しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に対して怒る者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に『ばか者』と言う者は最高法院でさばかれます。『愚か者』と言う者は火の燃えるゲヘナに投げ込まれます。
5:23 ですから、祭壇の上にささげ物を献げようとしているときに、兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、
5:24 ささげ物はそこに、祭壇の前に置き、行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから戻って、そのささげ物を献げなさい。
5:25 あなたを訴える人とは、一緒に行く途中で早く和解しなさい。そうでないと、訴える人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれることになります。
5:26 まことに、あなたに言います。最後の一コドラントを支払うまで、そこから決して出ることはできません。

バベルの塔の出来事

2024年9月15日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
神なき世界の悲惨;

バベルの塔は神亡き世界の象徴です。現代も、人類は神亡き世界を継承しています。「自分たちには神は必要がない。神がなくても、自分たちですべてをやっていける」という人間の傲慢から出ています。神のところへ行く必要はない、逆に神を見返してやろうではないか、と言い出すのです。実はこれは、サタンの策略です。アダムの失敗以来見事に人類はサタンの支配下で操られているのです。神なき世界、イコール、サタンの世界です。現在の人間社会は神なき世界を受け継いでいます。国々は敵対し、多くの人々が戦争で無駄に命を失っています。この地球上で戦争がどこにもなかった時代はないと言われているくらい、人間は互いに殺し合っています。そして、これは、人類滅亡の序曲といえるのではないでしょうか。自然界を見ても私たちの住処である地球は環境破壊が進んでいます。住みにくい住処となっています。人間の罪により地球温暖化はブレーキがききません。漁業は大きな打撃を受け、南極の氷が解けてこのままでは、水没する国も出てきています。それは文字通り神なき世界の悲惨と言えるのではないでしょうか。

あなたを救うために降りてこられた神;

人間中心の世界には救いはありません。神のご支配をこの世に及ぼすために、キリストは来られました。キリストは、人類が悪に向かって滅びていくのを妨げ、今度は神を中心として礼拝する民を起こしてくださいました。人を罪と死と滅びから救い、永遠のいのちに至る道を切り開いてくださいました。すべての人は、アダムの罪を引き継いでおり、生まれながらの罪人です。自らの罪により死と滅びに定められていました。しかし、イエス・キリストの十字架で、すべての人の罪を贖う義の行為によって、神はすべての人の罪を赦してくださいました。ですから、すべての人は、十字架により赦された罪人となったのです。あなたの過去、現在、未来の罪は過ぎ去りました。今度は赦された罪人として、新しい復活のいのちに生きるのです。罪に縛られない、失敗を恐れない、前向きに与えられた賜物を用いて、神と人に仕える人生です。そしてもう一つ、先に救われたあなたの役割は何でしょうか。そうです、この救いの福音をあなたの家族、友人、知人へ伝えていくことです。罪と死と滅びから解放されて、永遠に続く祝福と希望、喜びと感謝の人生を一人でも多くの人に知っていただきたいと切に願います。

<聖書>創世記11章1~9節
新改訳2017
11:1 さて、全地は一つの話しことば、一つの共通のことばであった。
11:2 人々が東の方へ移動したとき、彼らはシンアルの地に平地を見つけて、そこに住んだ。
11:3 彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作って、よく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを、漆喰の代わりに瀝青を用いた。
11:4 彼らは言った。「さあ、われわれは自分たちのために、町と、頂が天に届く塔を建てて、名をあげよう。われわれが地の全面に散らされるといけないから。」
11:5 そのとき【主】は、人間が建てた町と塔を見るために降りて来られた。
11:6 【主】は言われた。「見よ。彼らは一つの民で、みな同じ話しことばを持っている。このようなことをし始めたのなら、今や、彼らがしようと企てることで、不可能なことは何もない。
11:7 さあ、降りて行って、そこで彼らのことばを混乱させ、互いの話しことばが通じないようにしよう。」
11:8 【主】が彼らをそこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。
11:9 それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。そこで【主】が全地の話しことばを混乱させ、そこから【主】が人々を地の全面に散らされたからである。


虹の約束

2024年9月1日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
労苦の中で心を守ってくださる神;

神は、ノアと、家族と、動物たちを試練の中で彼らの心を守られました「労苦の中で心を守ってくださる神」と題してお話をしてきました。人生の歩みの中においても、多かれ少なかれ労苦は続きます。生活の労苦もそうです。また、こうだと思って行ったことが不本意な結果に終わったということもあるでしょう。しかし、その中にあっても神は私たちの心を守って下さいます。神があなたに、心を留めてくださっているからです。神が心を留めてくださるというのは、私たちのすべての領域で、全人格的にかかわっていてくださるということです。今ある状況で、家族間の不一致、仕事がうまくいかないなど、思い通りに行かないこともあるかもしれません。しかし、それも神様が必要として与えてくださることを覚えましょう。また、試練と思われることにもあっても神は、信じる者の心を守ってくださいます。私たちは、自分のすべての領域を神に明け渡してお取り扱いいただく必要があります。神に自分の正直な気持ちを申し上げましょう。心を守ってくださいます。そして、あなたを祝福してくださいます。

無条件で差し出された赦しといのち;

無条件で差し出された赦しといのちと題してお話ししています。私たちは、アダムの罪を引き継いでいる生まれながらの罪人です。裁かれ、滅びる存在でした。しかし、キリストの十字架と復活により、罪の赦しと永遠のいのちを無条件で受けました。それにより、私たちは赦された罪人となりました。これからは、過去、現在、未来の罪はすべて過ぎ去り、新しいいのちに生きる者とされました。神を愛し、人を愛する人生です。失敗を恐れず、前向きに生きる希望と喜びの人生です。それは、遣わされている、教会、家庭、職場や学校であなたの最善を尽くす生き方です。それがキリストに従う生き方です。私たちは、それぞれに、取り巻く状況は決して万全ではないでしょう。仕事の問題、家族の問題、など、心をすり減らしているのが現状でしょう。しかし、神様はノアの家族と同じように、心を留めてくださるのです。すべての領域を神のみ手に委ねましょう。まず、はじめにノアが礼拝したように、良い時も悪い時も、ノアのように、礼拝をささげ感謝しましょう。

創世記8:1~5,8:15~22,9:8~11
【新改訳2017】
8:1 神は、ノアと、彼とともに箱舟の中にいた、すべての獣およびすべての家畜を覚えておられた。神は地の上に風を吹き渡らせた。すると水は引き始めた。
8:2 大水の源と天の水門が閉ざされ、天からの大雨がとどめられた。
8:3 水は、しだいに地の上から引いていった。水は百五十日の終わりに減り始めた。
8:4 箱舟は、第七の月の十七日にアララテの山地にとどまった。
8:5 一方、水は第十の月まで減り続け、第十の月の一日に、山々の頂が現れた。

8:15 神はノアに告げられた。
8:16 「あなたは、妻と、息子たちと、息子たちの妻たちとともに箱舟から出なさい。
8:17 すべての肉なるもののうち、あなたとともにいる生き物すべて、鳥、家畜、地の上を這うすべてのものが、あなたとともに出るようにしなさい。それらが地に群がり、地の上で生み、そして増えるようにしなさい。」
8:18 そこでノアは、息子たち、彼の妻、息子たちの妻たちとともに外に出た。
8:19 すべての獣、すべての這うもの、すべての鳥、すべて地の上を動くものも、種類ごとに箱舟から出て来た。
8:20 ノアは【主】のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜から、また、すべてのきよい鳥からいくつかを取って、祭壇の上で全焼のささげ物を献げた。
8:21 【主】は、その芳ばしい香りをかがれた。そして、心の中で【主】はこう言われた。「わたしは、決して再び人のゆえに、大地にのろいをもたらしはしない。人の心が思い図ることは、幼いときから悪であるからだ。わたしは、再び、わたしがしたように、生き物すべてを打ち滅ぼすことは決してしない。
8:22 この地が続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜がやむことはない。」

9:8 神は、ノアと、彼とともにいる息子たちに仰せられた。
9:9 「見よ、わたしは、わたしの契約をあなたがたとの間に立てる。そして、あなたがたの後の子孫との間に。
9:10 また、あなたがたとともにいるすべての生き物との間に。鳥、家畜、それに、あなたがたとともにいるすべての地の獣、箱舟から出て来たすべてのものから、地のすべての生き物に至るまで。
9:11 わたしは、わたしの契約をあなたがたとの間に立てる。すべての肉なるものが、再び、大洪水の大水によって断ち切られることはない。大洪水が再び起こって地を滅ぼすようなことはない。」

礼拝する民に加えられて

2024年8月25日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
人間の力と増大する罪の力:

人類は、人間の知恵と力に頼り、鉄や青銅を用いて、工業技術を発展させて、文明文化を築いてきました。かたや権力を追い求め、人のいのちを自分の欲望のために支配する権力者も人類の歴史の中で、数多く出てきました。現代社会は神を締め出し、自分の力に頼り、高慢になり、罪の力も増大しています。大量破壊兵器である核爆弾も、全人類を何回も滅ぼしつくすくらいつくられていると聞きました。そして、現代、人類滅亡の危機を迎えています。原罪によって、人の内面は恐ろしいほどに腐敗しているといえます。生まれながらの人は、自分からは神を恐れることがなく、信頼することもできません。いくら頭がよくて教養のある人でも、自らの理性や知識では、福音を信じることはできません。聖霊によって照らされるまでは、キリストの福音は単なる愚かな話と考えるのです。罪は、原語では的外れという意味です。本来あるべき状態にないといえます。人は、創造主の下にあって幸せに生きることができる存在です。それが、逆転して、神の上に自分を置いたとたんに罪のどん底に落ちたのです。人は神を礼拝し、神に栄光を帰し、神のために人生を使う時にこそ、本当に幸せなのです。しかし、神から離れた人には、罪は圧倒的な力を持ち、その人を死に閉じ込めるのです。人を死から救い、真のいのちを与えるのは、復活のキリストです。イエス様は私たちの罪のために死んで、私たちのいのちのために復活してくださったからです。

神の恵みの世継ぎ:

私たちは、礼拝に招かれ、礼拝を捧げる民に入れられました。アベル、セツの恵みを受け継ぐ民の一員です。やがて、アダム、セツの子孫にイエス・キリストが与えられました。キリストは十字架の死と復活により、罪と死と悪魔のとりこになっている人類、そして、あなたを贖いだして、キリストの支配に移してくださいました。最初の人アダムが罪を犯し、死が入り、それに続くすべての人が罪を犯し死ぬべきものとなりました。神は、罪と死と滅びに定められたすべての人を救うために、すべての人の罪を赦す決断をなされました。そして、セツの子孫にすべての人の罪を贖う救い主を送るご計画を実行なさったのです。この地上では、恵みの世継として、神と人に仕える新しい人として、喜びと希望の人生に生きるのです。

<聖書>創世記4章16~26節
【新改訳2017】
4:16 カインは【主】の前から出て行って、エデンの東、ノデの地に住んだ。
4:17 カインはその妻を知った。彼女は身ごもってエノクを産んだ。カインは町を建てていたので、息子の名にちなんで、その町をエノクと名づけた。
4:18 エノクにはイラデが生まれた。イラデはメフヤエルを生み、メフヤエルはメトシャエルを生み、メトシャエルはレメクを生んだ。
4:19 レメクは二人の妻を迎えた。一人の名はアダ、もう一人の名はツィラであった。
4:20 アダはヤバルを産んだ。ヤバルは天幕に住む者、家畜を飼う者の先祖となった。
4:21 その弟の名はユバルであった。彼は竪琴と笛を奏でるすべての者の先祖となった。
4:22 一方、ツィラはトバル・カインを産んだ。彼は青銅と鉄のあらゆる道具を造る者であった。トバル・カインの妹はナアマであった。
4:23 レメクは妻たちに言った。「アダとツィラよ、私の声を聞け。レメクの妻たちよ、私の言うことに耳を傾けよ。私は一人の男を、私が受ける傷のために殺す。一人の子どもを、私が受ける打ち傷のために。
4:24 カインに七倍の復讐があるなら、レメクには七十七倍。」
4:25 アダムは再び妻を知った。彼女は男の子を産み、その子をセツと名づけた。カインがアベルを殺したので、彼女は「神が、アベルの代わりに別の子孫を私に授けてくださいました」と言った。
4:26 セツにもまた、男の子が生まれた。セツは彼の名をエノシュと呼んだ。そのこ