HARECHAPE のすべての投稿

行いと信仰

2022年2月18日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>ヤコブ書2章14~26節

【新改訳2017】
ヤコブ
2:14 私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立つでしょうか。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。
2:15 兄弟か姉妹に着る物がなく、毎日の食べ物にも事欠いているようなときに、
2:16 あなたがたのうちのだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹になるまで食べなさい」と言っても、からだに必要な物を与えなければ、何の役に立つでしょう。
2:17 同じように、信仰も行いが伴わないなら、それだけでは死んだものです。
2:18 しかし、「ある人には信仰があるが、ほかの人には行いがあります」と言う人がいるでしょう。行いのないあなたの信仰を私に見せてください。私は行いによって、自分の信仰をあなたに見せてあげます。
2:19 あなたは、神は唯一だと信じています。立派なことです。ですが、悪霊どもも信じて、身震いしています。
2:20 ああ愚かな人よ。あなたは、行いのない信仰が無益なことを知りたいのですか。
2:21 私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇に献げたとき、行いによって義と認められたではありませんか。
2:22 あなたが見ているとおり、信仰がその行いとともに働き、信仰は行いによって完成されました。
2:23 「アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。
2:24 人は行いによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことが分かるでしょう。
2:25 同じように遊女ラハブも、使者たちを招き入れ、別の道から送り出したので、その行いによって義と認められたではありませんか。
2:26 からだが霊を欠いては死んでいるのと同じように、信仰も行いを欠いては死んでいるのです。

<要約>

一歩踏み出す信仰:

私たちは誰でも、イエス様をわたしの救い主と信じることにより、神との正しい関係に入り、義と認められて救われます。行いは要りません。ただ、イエス・キリストを救い主と信じ、神を恐れ、愛し、信頼することです。行いは救いの条件ではありません。行いは信仰の結果です。また、行いと信仰を切り離すことはできません。車の両輪のように信仰と行いによって前進するのです。信じて一歩踏み出していくのが信仰生活です。信仰生活は前向きです。信じて一歩踏み出すからです。その時、道が開けます。見えないものが見えてきます。完全に先が見えなくても、神の御心を伺いながら、一歩前に踏み出すことです。神はあなたを用いたいと願っておられます。あなたを用いて、神のご計画を進めたいと願っておられます。すべてのことを不平を言わず、疑わずに行いなさいとも書いています。

生きて働く信仰:

キリスト教の信仰とは、簡単に言えば、「イエス・キリストを救い主と信じる。そして、唯一真の神を恐れ、愛し、信頼する」ことです。あなたはイエス様を信じています。しかし、神を恐れ、愛し、信頼するということについてはどうでしょうか。また、イエス様はマタイ、マルコ、ルカの三つの福音書で、最も大切な戒めとしてこのように言われました。「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くしてあなたの神を愛しなさい」と。これは、十戒のまとめと言えます。簡単に言えば、一生懸命に神を愛しなさい、と言うことです。そして、十戒の一番基本にあることは、思いと言葉と行いで神を愛しなさいです。私たちはこの地上で、生きています。すなわち、いろいろな考えや思いがあって、そして言葉があって、行動して、生活しています。すなわち、私たちの生活は思いとことばと行いの表れであると言えます。その生活自体があなたの信仰と結びついていますか?何をするにも信仰で行っていますか?何を語るのも信仰によって語っていますか?私たちはイエス様を救い主と信じています。また、唯一の神を恐れ、愛し、信頼しています。そして、思いとことばと行いで神を愛しています。それはあなたの生活全体が信仰と結びついていることです。あなたの内に住んでくださるイエス様と共に歩む人生です。イエス様におまかせしていく人生です。それはとても楽な生き方です。

終わりのときを前にして

2024年2月4日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>Ⅰペテロの手紙1章13~25節
【新改訳2017】
1:13 ですから、あなたがたは心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。
1:14 従順な子どもとなり、以前、無知であったときの欲望に従わず、
1:15 むしろ、あなたがたを召された聖なる方に倣い、あなたがた自身、生活のすべてにおいて聖なる者となりなさい。
1:16 「あなたがたは聖なる者でなければならない。わたしが聖だからである」と書いてあるからです。
1:17 また、人をそれぞれのわざにしたがって公平にさばかれる方を父と呼んでいるのなら、この世に寄留している時を、恐れつつ過ごしなさい。
1:18 ご存じのように、あなたがたが先祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、
1:19 傷もなく汚れもない子羊のようなキリストの、尊い血によったのです。
1:20 キリストは、世界の基が据えられる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために現れてくださいました。
1:21 あなたがたは、キリストを死者の中からよみがえらせて栄光を与えられた神を、キリストによって信じる者です。ですから、あなたがたの信仰と希望は神にかかっています。
1:22 あなたがたは真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、きよい心で互いに熱く愛し合いなさい。
1:23 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく朽ちない種からであり、生きた、いつまでも残る、神のことばによるのです。
1:24 「人はみな草のよう。その栄えはみな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。
1:25 しかし、主のことばは永遠に立つ」とあるからです。これが、あなたがたに福音として宣べ伝えられたことばです。

<要約>

苦難と困難のときを前にしての勧め:

13節から1章の終わりまでをまとめてみますと、救いの恵にしっかりとどまりキリストを待ち望みなさい。従順な子どもとなり、聖なる方であるキリストに倣い、聖なるものとなりなさい。正しく裁かれる神を恐れなさい。クリスチャンは、この世に身を寄せている旅人で、天の故郷を目指しているので、心を引き締め、身を慎んで過ごしなさい。そして、罪のない神の御子キリストがあなたの罪のために十字架で身代わりとなって裁かれ血を流されたのです。ですから、あなた方は小羊キリストの貴い血によって神の聖なる者とされました。あなた方は、信仰により、キリストが復活した栄光を目にしています。人の栄は草花のように消え去る、しかし、神のことばは永遠に朽ちることはないのです。みことばにしっかり立って歩みなさい。当時と比べると、現在の私たちは、いかに恵まれているかと言うことができます。信教の自由が保証されています。大きな迫害もありません。そのような時代に生きている私たちですが、真剣に信仰に生きようとするならば人生において試練を経験します。クリスチャンライフは平穏であるだけではありません。苦難も伴うのです。

キリストにならうクリスチャンライフ:

私たちはキリストに従うものとして、主が歩まれた後を歩んでいくのです。そこにはさまざまな試練や苦しみが伴うことがあるということが言えます。イエス様を信じていくと試練が来ます。しかし、思いがけないことが起こったかのように驚き怪しんではいけません。むしろ感謝して喜びなさい、と言うのです。イエス様の御生涯は苦しみと悲しみで終わったのではありません。そうです。イエス・キリストは十字架で殺され、墓に葬られ、よみにくだり、3日目によみがえられました。復活しました。私たち信者は信仰の結果である、罪の赦しからくる救いを得ています。人生は死んで終わりではありません。やがて、信仰の報いである天での栄えに満ちた喜び踊る生活があなたを待っています。私たちは天国を先取りして今、喜んでいます。この救いはことばだけのむなしいものではありません。私たちは信仰により確信しています。キリストの福音は決して失望に終わらない希望であることを。

本来の姿を取り戻すために

2024年1月28日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>申命記6章1~15節
【新改訳2017】
6:1 これは、あなたがたの神、【主】があなたがたに教えよと命じられた命令、すなわち掟と定めである。あなたがたが渡って行って所有しようとしている地で、それらを行うようにするためである。
6:2 それは、あなたの一生の間、あなたも、そしてあなたの子も孫も、あなたの神、【主】を恐れて、私が命じるすべての主の掟と命令を守るため、またあなたの日々が長く続くためである。
6:3 イスラエルよ、聞いて守り行いなさい。そうすれば、あなたは幸せになり、あなたの父祖の神、【主】があなたに告げられたように、あなたは乳と蜜の流れる地で大いに増えるであろう。
6:4 聞け、イスラエルよ。【主】は私たちの神。【主】は唯一である。
6:5 あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、【主】を愛しなさい。
6:6 私が今日あなたに命じるこれらのことばを心にとどめなさい。
6:7 これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家で座っているときも道を歩くときも、寝るときも起きるときも、これを彼らに語りなさい。
6:8 これをしるしとして自分の手に結び付け、記章として額の上に置きなさい。
6:9 これをあなたの家の戸口の柱と門に書き記しなさい。
6:10 あなたの神、【主】は、あなたの父祖、アブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地にあなたを導き入れ、あなたが建てたのではない、大きくてすばらしい町々、
6:11 あなたが満たしたのではない、あらゆる良い物で満ちた家々、あなたが掘ったのではない掘り井戸、あなたが植えたのではない、ぶどう畑とオリーブ畑、これらをあなたに与えてくださる。それであなたは、食べて満ち足りるとき、
6:12 気をつけて、エジプトの地、奴隷の家からあなたを導き出された【主】を忘れないようにしなさい。
6:13 あなたの神、【主】を恐れ、主に仕えなさい。また御名によって誓いなさい。
6:14 ほかの神々に、すなわち、あなたがたの周りにいる諸国の民の神々に従って行ってはならない。
6:15 あなたのうちにおられるあなたの神、【主】はねたみの神であるから、あなたの神、【主】の怒りがあなたに向かって燃え上がり、主があなたを大地の面から根絶やしにされることのないようにしなさい。

<要約>

的外れの人生からの回復:

アダムの罪により、善しかなかった人間社会に悪が入りました。すべての人は本来のあるべき姿から外れてしまいました。結果として、人間社会に災いと死が入りました。そこで、あわれみ深い神は、人を救うために、イスラエルを選びました。それは、彼らに、的外れの生き方から本来の生き方を取り戻させ、さらにすべての国民への手本として十戒をお与えになりました。モーセは、イスラエルの民に神から頂いた十戒を中心に律法を語りました。今後、約束の地で律法を守るように、そして平和と繁栄と長寿を受けることができるように、すなわち幸福になることができるように、主の命令に従うように勧めました。「それは、あなたが心といのちと力を尽くして神を愛することです。これを本気で守れば、あなたは必ず幸せになります。これは勧めであり、命令です。全うすることは困難ですが、イエス様が一緒に成し遂げてくださいます。心といのちと力を尽くして神を愛することを。イエス様を信じて従いましょう。そのことによってあなたの人生は的外れから本来の姿を取り戻します。それは、神のもとで、愛と喜びの関係を回復して、永遠のいのちとしぼまない希望に生きるのです。

真の神を恐れ愛し感謝する人生:

アウグスチヌスは言いました。人は神にしか満たすことのできない魂の空洞を持っている、と。すべての人は、その空洞を満たす何かを求めています。しかし、そこは、真の神しか満たすことはできません。真の神から遠く離れている人間は、代わりに代用の神を持とうとします。その代用の神が偶像です。イスラエルの民は、残念なことに、このあと歴史を通して偶像礼拝に陥り、神から離れていってしまいました。ここに私たち人間の罪の姿を見ることができると思います。私たちは、「天地を作り私たちに命を与え、私たちをご自身の命に代えて愛してくださる神だけが本当の意味で私たちの信頼と期待に応えることができる唯一の方である」ことを確認しましょう。多くの人々は、そのことがわからなくなり、迷い出てしまっているのです。これまで罪の呪いからすべての人は死と災いに定められていましたが、今は、キリストの十字架と復活により、呪いは祝福に、死はいのちに、災いは幸いに代えられました。真の神を恐れ、愛するとき、あなたは本来の人としての姿を取り戻し、感謝と喜びの人生に入るのです。

万事を益と替える恵の神

2024年1月21日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>申命記1章26~40節

【新改訳2017】
1:26 しかし、あなたがたは上って行こうとせず、あなたがたの神、【主】の命令に逆らった。
1:27 そして天幕の中で不平を言った。「【主】は私たちを憎んでおられるので、私たちをエジプトの地から連れ出して、アモリ人の手に渡し、私たちを根絶やしにしようとしておられるのだ。
1:28 私たちはどこへ上って行くのか。私たちの兄弟たちは、『その民は私たちよりも大きくて背が高い。町々は大きく、城壁は高く天にそびえている。しかも、そこでアナク人を見た』と言って、私たちの心を萎えさせた。」
1:29 それで私はあなたがたに言った。「おののいてはならない。彼らを恐れてはならない。
1:30 あなたがたに先立って行かれるあなたがたの神、【主】があなたがたのために戦われる。エジプトで、あなたがたの目の前で、あなたがたのためにしてくださったのと同じように。
1:31 また荒野では、この場所に来るまでの全道中、あなたの神、【主】が、人が自分の子を抱くようにあなたを抱いてくださったのを、あなたがたは見ているのだ。
1:32 このようなことによっても、まだあなたがたはあなたがたの神、【主】を信じていない。
1:33 主はあなたがたが宿営する場所を探すために、道中あなたがたの先に立って行き、夜は火の中、昼は雲の中にあって、あなたがたが行くべき道を示されるのだ。」
1:34 【主】はあなたがたの不平の声を聞いて怒り、誓って言われた。
1:35 「この悪い世代の者たちのうちには、わたしがあなたがたの父祖たちに与えると誓った、あの良い地を見る者は一人もいない。
1:36 ただエフンネの子カレブだけがそれを見ることができる。彼が踏んだ地を、わたしは彼とその子孫に与える。彼が【主】に従い通したからだ。」
1:37 【主】はあなたがたのゆえに、この私に対しても怒って言われた。「あなたも、そこに入れない。
1:38 あなたに仕えているヌンの子ヨシュアは、そこに入ることができる。彼を力づけよ。彼がそこをイスラエルに受け継がせるからだ。
1:39 あなたがたが略奪されるだろうと言ったあなたがたの幼子たちや、今はまだ善悪をわきまえないあなたがたの子どもたちが、そこに入る。わたしが彼らにそこを与えるので、彼らはそこを所有するようになる。
1:40 あなたがたは向きを変え、葦の海の道を通って荒野に向かって旅立て。」

<要約>

失敗の回顧:

イスラエルの民は、エジプトを出て約束の地に入ろうとしましたがくじけました。それは神を信じなかったからです。不信仰の結果です。罪の結果です。不信仰の度合いはいかばかりでしょう。自分たちには無理だという思いから、神は「自分たちを憎んで根絶やしにしようと思っている」と、神に対して逆恨みしています。ひどい言葉を投げかけています。神は、どんなに悲しまれ、また、怒られたことでしょうか。実は、それが私たち人間の罪の性質です。自分に都合が悪いことが起こると他人のせいにする。自分の責任を他者に転嫁する。イスラエルの民はこれまで目に見えないが生きて働かれている神を体験してきました。今、民は、過去40年間の負の歴史を振り返り、モーセの言葉に耳を傾けました。私達もこれまでの真実な神を見ながら、目の前にある困難から逃げていないでしょうか。神の命令に従っていますか。御心と知っていながら従おうとしないことはないでしょうか。マイナスと見えることが前に現われても神は最善をしてくださることを信じて従うのです。神に従うことはあなたの信仰の証です。もし、あなたが一歩前に踏み出せば、神は道を備えてくださるのです。

恵みの回顧:

振り返ってみるとイスラエルの民にとって、その40年間は恵みに満ちた年月でした。失敗も益に変えてくださる神です。不信仰の結果、失敗し、それでも神は、罪を赦し、愛をもって導かれます。私たちのすることは、自分の罪を認めて、キリストの十字架が私の罪の贖いだと信じることです。そのことにより、私の罪は赦され、そればかりでなく神の命とつながるのです、すなわちそれは永遠に続く命と祝福です。神は私たちの上に様々な病や苦しみが起こるのを許されています。あなたの周りで起こるすべてのことは神に覚えられており、終にはあなたを幸せにするためなのです。私たち信者がすべきことは恵の回顧です。今日の日を振り返り、神の恵を思い出し、感謝するのです。そして、自分にとってマイナスであったことの意味を探るのです。そうすれば、そのような試練や失敗の只中に共にいてくださる主を認めることができます。もう一度、十字架により罪赦されて、すべてのマイナスをプラスに変えてくださるイエス様を信じ続けましょう。過去の失敗や罪に攻められることなく、前を向いて進もうではありませんか。

信仰と希望の関係

2024年1月7日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>へブル人への手紙11章1~10節
【新改訳2017】
11:1 さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
11:2 昔の人たちは、この信仰によって称賛されました。
11:3 信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、その結果、見えるものが、目に見えるものからできたのではないことを悟ります。
11:4 信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神に献げ、そのいけにえによって、彼が正しい人であることが証しされました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だと証ししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって今もなお語っています。
11:5 信仰によって、エノクは死を見ることがないように移されました。神が彼を移されたので、いなくなりました。彼が神に喜ばれていたことは、移される前から証しされていたのです。
11:6 信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。
11:7 信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神から警告を受けたときに、恐れかしこんで家族の救いのために箱舟を造り、その信仰によって世を罪ありとし、信仰による義を受け継ぐ者となりました。
11:8 信仰によって、アブラハムは相続財産として受け取るべき地に出て行くようにと召しを受けたときに、それに従い、どこに行くのかを知らずに出て行きました。
11:9 信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに受け継ぐイサクやヤコブと天幕生活をしました。
11:10 堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都の設計者、また建設者は神です。

<要約>

信仰は神の賜物、救いの保証:

信仰は神が下さる救いの保証です。そして、信仰は神があなたにお与えになった贈り物とも言えます。なぜなら、生まれながらの人間は、信仰を持っていないからです。生まれながらの人は、すべてアダムの罪を引き継いでいますので、生まれながらの罪人です。そのままでは、真の神を恐れ、愛し、信頼するようにはなりません。すなわち、生まれながらのすべての人は、信仰は持っていないし、持てないのです。それでは、人は、どうようにして、真の神を信じるようになるのでしょうか。それは、神の恵みによります。一方的なあわれみによります。罪により神に裁かれ、死と滅びに定められています。しかし、神は人を罪と死と滅びから救うためにイエス・キリストを送ってくださいました。イエス・キリストの十字架と復活により、すべての人の罪はすでに取り除かれて、永遠のいのちが与えられます。その救いの約束をどのように受け取ればよいのでしょうか。神がすべての人に差し出している救いです。それを受け取るのは信仰です。誰でも悔い改めて真の神を仰ぐものには賜物として信仰が与えられます。そして、信仰は救いをあなたの内に保証します。

希望をもって信仰に生きる:

私たち信者は望みや願いを持たなければなりません。神は、自分の子どもを愛する父親のように、愛する子どもの願いを聞きたいのです。ですから、もし、あなたが祈ることもなく、神に何も願わなかったならば、神は悲しまれます。私たちは、神を信頼して、大胆に大きな願いをすることです。ですから、私たちは自分では、大それたと思えるような願いでも、キリストにあっては大いに求めてもいいのです。いな、求めるべきです。反対に、もし私たちが神を信じているといいながら、何物をも求めないならば反って怒られるのです。天の神は私たちのことを救い、祝福しようと御子イエスを十字架につけるほどに愛してくださって、このイエス様を贈り物として与えてくださいました。それは、どんな時も希望を持つことができる保証です。神のいのちにつながっているからです。決して失望に終わらない希望をクリスチャンは持っています。ですから、願いや望みを持ちましょう。そして、祈ることです。そうすれば、信仰が与えられ、信仰は強められます。その時、あなたは神の栄光を見るのです。

神と人と教会に仕える生活

2023年12月31日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>士師記6章1~14節
【新改訳2017】
6:1 イスラエルの子らは、【主】の目に悪であることを行った。そこで、【主】は七年の間、彼らをミディアン人の手に渡された。
6:2 ミディアン人の勢力がイスラエルに対して強くなったので、イスラエル人はミディアン人を避けて、山々にある洞窟や洞穴や要害を自分たちのものとした。
6:3 イスラエルが種を蒔くと、いつもミディアン人、アマレク人、そして東方の人々が上って来て、彼らを襲った。
6:4 彼らはイスラエル人に向かって陣を敷き、その地の産物をガザに至るまで荒らして、いのちをつなぐ糧も、羊も牛もろばもイスラエルに残さなかった。
6:5 実に、彼らは自分たちの家畜と天幕を持って上り、いなごの大群のように押しかけて来た。彼らとそのらくだは数えきれないほどであった。彼らは国を荒らそうと入って来たのであった。
6:6 こうして、イスラエルはミディアン人の前で非常に弱くなった。すると、イスラエルの子らは【主】に叫び求めた。
6:7 イスラエルの子らがミディアン人のゆえに【主】に叫び求めたとき、
6:8 【主】は一人の預言者をイスラエルの子らに遣わされた。預言者は彼らに言った。「イスラエルの神、【主】はこう言われる。わたしはあなたがたをエジプトから上らせ、奴隷の家から導き出し、
6:9 エジプト人の手と、圧迫するすべての者の手から助け出し、あなたがたの前から彼らを追い出して、その地をあなたがたに与えた。
6:10 わたしはあなたがたに言った。『わたしが【主】、あなたがたの神である。あなたがたが住んでいる地のアモリ人の神々を恐れてはならない』と。ところが、あなたがたはわたしの声に聞き従わなかった。」
6:11 さて【主】の使いが来て、アビエゼル人ヨアシュに属するオフラにある樫の木の下に座った。このとき、ヨアシュの子ギデオンは、ぶどうの踏み場で小麦を打っていた。ミディアン人から隠れるためであった。
6:12 【主】の使いが彼に現れて言った。「力ある勇士よ、【主】があなたとともにおられる。」
6:13 ギデオンは御使いに言った。「ああ、主よ。もし【主】が私たちとともにおられるなら、なぜこれらすべてのことが、私たちに起こったのですか。『【主】は私たちをエジプトから上らせたではないか』と言って、先祖が伝えたあの驚くべきみわざはみな、どこにあるのですか。今、【主】は私たちを捨てて、ミディアン人の手に渡されたのです。」
6:14 すると、【主】は彼の方を向いて言われた。「行け、あなたのその力で。あなたはイスラエルをミディアン人の手から救うのだ。わたしがあなたを遣わすのではないか。」

<要約>

敗北のサイクル(妥協と埋没):

イスラエルの民は妥協したために、彼らは敗北のサイクルに入っていきました。パウロは「あなた方は、この世と調子を合わせてはいけません」と言いました。具体的には、遊興や放蕩の仲間に入ってはいけません。また、低劣な話やうわさ話の輪に入ってはいけません。会社や組織で働く人々は、不正やごまかしに加担してはいけません。むしろ神は、「彼らの中から出て行って、彼らと分離せよ」と言っておられます。しかし、信者はこの世で孤立してはいけません。この世から遊離してはならないのです。この世の人々との付き合いを断ち切ってはいけません。この世の人々から遠ざかって孤立するのではなく、人々に感化を与えていくのです。この世の人々に影響力をもって行くのです。積極的に世の人々の中に入っていくのです。イスラエルの民のように敗北のサイクルに入ってはいけません。敗北のサイクルは、神のみことばを無視すること、そして、神に信頼を置かないことから始まるのです。それは罪であり行き着くところは死であり滅びです。

勝利のサイクル(分離と感化):

勝利のサイクルにいつもとどまる秘訣は、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」です。旧約の神の民のようにリーダーを見失うのではなく、私たちのリーダーであり贖い主であるキリストから目を離さないことなのです。キリストを信じ続けることなのです。イエス様は、言われました。「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。また、あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」と。この世にあっては、私たちはそれぞれに与えられた賜物を用いて人々に仕えます。隣人愛の実践です。また、キリストの身体である教会の一員として、神の国を知らしめていくのです。つまり、神の救いを世に届けていくのです、つまり福音伝えていくのです。クリスチャンになれば苦難や困難はなくなるということはありません。しかし、そのときに叫び求める方がおられるのです。それは、勝利者であるキリストです。そして、勝利のサイクルに入れられて、嘆きは、感謝と喜びと賛美に変えられるのです。信仰の創始者であり完成者であるキリストから目を離さないでいなさい。そして、神に仕え、人に仕え、教会に仕えるのです。そうすれば、あなたを通して神の国は広がっていきます。

クリスマス、救いと喜びへの招き

2023年12月24日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>ルカの福音書2章1~14節
【新改訳2017】
2:1 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。
2:2 これは、キリニウスがシリアの総督であったときの、最初の住民登録であった。
2:3 人々はみな登録のために、それぞれ自分の町に帰って行った。
2:4 ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
2:5 身重になっていた、いいなずけの妻マリアとともに登録するためであった。
2:6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、
2:7 男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
2:8 さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。
2:9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
2:10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。
2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」
2:13 すると突然、その御使いと一緒におびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。
2:14 「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」

<要約>

神の救いのご計画と私たちの応答:

メシヤ、救い主は誰で、どこに生まれ、どのような生涯を送るか、というところまで、キリストの降誕前、すなわち紀元前約700年から1000年も前に、旧約聖書に預言されていました。イエス・キリストの処女降誕。ベツレヘムで生まれたこと。そして、父親となるヨセフはダビデの子孫であったこと。すべてが偶然の出来事ではなく神のご計画によるものでした。神のご計画は確実に進んでいます。そして、やがて御国の完成の時まで、この世界は変化していきます。「すべての国民に福音が宣べ伝えられて、終わりの時が来る」と書いています。現代は、地球の裏側まで全世界に教会ができ、福音はすべての国民に宣べ伝えられつつあります。ですから現代は終末の時代です。私たちの応答はどうあるべきでしょうか。聖書にはたくさんの警告が書いています。「目を覚ましていなさい」「わたしは盗人のように来る」とイエス様は言っておられます。いつ来られてもよいように心を備えておかなければなりません。そして、みことばにある通り、救いは、「御子キリストを信じるか信じないか」の一点にかかっています。このクリスマスに是非、イエス・キリストをあなたの救い主と信じて救われていただきたいと思います。

万民の救いと大きな喜び:

神はこの素晴らしい喜びの知らせを羊飼いと異邦人の博士たちに伝えました。当時、羊飼いは、ユダヤ人としては一般に最も貧しい最下層の人々でした。神は、謙遜でただ受けることしかできないような人々に神の救いを届けました。救いは心低くへりくだった人に届くのです。またもう1つは異邦人です。当時、異邦人は、汚れた国民とされていました。そして、異邦人の博士たちに救い主の誕生が届けられたのは、イエス・キリストの救いがユダヤ人ばかりでなく、万民の救いであることを物語っています。羊飼いたちはベツレヘムに着き、家畜小屋を見て回って、ついに、マリヤとヨセフとイエス様を探し当てました。キリストとお会いしたのです。羊飼いたちは喜びで満たされたでしょう。救いの喜びで神を賛美しました。彼らは、素直に信じました。素直に信じた人は人生が変わるのです。

偉大な光イエス・キリスト

2023年12月17日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>マタイによる福音書4章12~17節
【新改訳2017】
4:12 イエスはヨハネが捕らえられたと聞いて、ガリラヤに退かれた。
4:13 そしてナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある、湖のほとりの町カペナウムに来て住まわれた。
4:14 これは、預言者イザヤを通して語られたことが成就するためであった。
4:15 「ゼブルンの地とナフタリの地、海沿いの道、ヨルダンの川向こう、異邦人のガリラヤ。
4:16 闇の中に住んでいた民は大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が昇る。」
4:17 この時からイエスは宣教を開始し、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と言われた。

<要約>

信仰者の立ち位置:

ヨハネはイエス様の現れを喜んだのです。そして、ヨハネは公言しました。「あの方は盛んになり私は衰えなければなりません」と。これは、主の使命に生きる我々クリスチャンのモデルと言うこともできるでしょう。これが私たち主に救われた者、主に贖われた者、主に選ばれた者の立ち位置です。私たちの人生は、自分の栄誉の為ではなく、主の栄光のためにあるのです。すなわち私たちは使命に生きるのです。使命と言うと何か大きなことのように響きますが、そうではありません。私たちはそれぞれ、職場に、家庭に、学校に遣わされています。そこで、自分にできる最善をすることです。そのことによりあなたの背後におられる神が崇められるのです。それが、信仰者の立ち位置です。

闇と死を打ち破る光:

「闇の中に住んでいた民は大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が昇る」というのは、ガリラヤ地方を代表として、深い闇と死の恐怖が最も強いところに大きな光が照り輝いたということです。すなわち、キリストは、私たち人間の悩み、苦しみ、死の恐怖が最も深いところに来てくださったということです。これは、個人的にも民族的にも国家的にも同様です。現代は、全世界が闇と死の蔭に覆われていると言えるのではないでしょうか。希望が見えない、将来に光が見えない。そこに光となって来てくださったのが、イエス・キリストです。大きな光を見る、とあります。私たちにはこの偉大な光が与えられているのです。神はどんなに悪い状況をもよい方向へと変えることができるのです。最終的には天の御国が来ます。偉大な光はその名のとおり私たちを死の恐怖からも完全に救うことができます。イエス様が私たちの一切の罪を十字架で贖い、取り除いてくださいました。ですから、罪の責めから解放されて、平安と喜びがついてきます。聖書の世界観は肯定的世界観です。結果オーライです。たとえ途中曲がりくねっても神はすべてのことを働かせて万事を益と変えてくださいます。たとえ死の影の谷を歩くような苦しい状況の中にあっても、です。私たちが、天の御国を待ち望んで歩むときすべてのマイナスはプラスに変えられます。

祝福と希望のクリスチャンライフ

2023年12月3日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>テトスへの手紙2章11~15節
【新改訳2017】
2:11 実に、すべての人に救いをもたらす神の恵みが現れたのです。
2:12 その恵みは、私たちが不敬虔とこの世の欲を捨て、今の世にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活し、
2:13 祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるイエス・キリストの、栄光ある現れを待ち望むように教えています。
2:14 キリストは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心な選びの民をご自分のものとしてきよめるため、私たちのためにご自分を献げられたのです。
2:15 あなたは、これらのことを十分な権威をもって語り、勧め、戒めなさい。だれにも軽んじられてはいけません。

<要約>

不敬虔とこの世の欲を捨てる:

イエス様にお会いする前までの私たちの人生は、不敬虔とこの世の欲と生まれながら持つ罪の力に縛られていました。この世は不敬虔であると言えます。神を敬わず、神を認めない社会です。世は、神なんかいない、あるいは神なんか信頼するに足りないというメッセージを一人一人に送っています。そして、サタンがこの世の君として、君臨しています。世の支配者です。それが、人間社会を悪い方へ引っ張っています。また、「不敬虔とこの世と欲」の欲は、私たちすべての人が持っている罪の性質です。それは、ねたみ、不満、憤り、怒り、そしり、など、私たち人間の内側の悪い思いです。そのため、私たちは平和を求め、いたわりや愛を求めていますが、反対に、怒りには怒り、復讐には復習と悪の連鎖に陥ってしまいます。そのような不敬虔とこの世の欲を捨てるということはどういうことでしょうか。第一に、この世の価値観に捕らわれてはいけないということです。世の価値観は、神が教える健全な教えとはかけ離れています。また、第二に、この世と調子を合わせてはいけないということです。それでは、今の世にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活するためには、どうすればよいのでしょうか。それは、キリストの再臨を待ち望むことです。

キリストを待ち望む人生:

信者はキリストにより、不法から贖いだされています。つまり、罪から贖いだされている、と言うこと。もう少し詳しく言うと、キリストの十字架により罪の代価が支払われたということです。罪の刑罰はキリストが代わって受けて下さったので、無罪とされました。さらに罪の束縛から解放され自由になりました。このように、キリストはご自身を私たちのために捧げられたのです。そして、私たちは神に選ばれて、良いわざに熱心なものとされました。再臨を待ち望むことは、祝福に満ちた希望です。それは、私たちが現在、困難や苦難の中にいて希望が見えないようでもやがて、この生涯の終わりには、祝福に満ちた希望があるということです。人生の最後のときは、すべてのマイナスはプラスに変えられるということです。やがて、信じて贖われた者たちは約束された御国に入り、永遠のいのちを神と共に送るのです。キリストを待ち望む人生は、祝福に満ちた希望の人生です。そして、神の栄光を見続ける人生です。

神の臨在と祝福

2023年11月26日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>第二サムエル記6章2~19節
【新改訳2017】
6:2 ダビデはユダのバアラから神の箱を運び上げようとして、自分とともにいたすべての兵と一緒に出かけた。神の箱は、ケルビムの上に座しておられる万軍の【主】の名でその名を呼ばれている。
6:3 彼らは、神の箱を新しい荷車に載せて、それを丘の上にあるアビナダブの家から移した。アビナダブの子、ウザとアフヨがその新しい荷車を御した。
6:4 それを、丘の上にあるアビナダブの家から神の箱とともに移したとき、アフヨは箱の前を歩いていた。
6:5 ダビデとイスラエルの全家は、竪琴、琴、タンバリン、カスタネット、シンバルを鳴らし、【主】の前で、すべての杉の木の枝をもって、喜び踊った。
6:6 彼らがナコンの打ち場まで来たとき、ウザは神の箱に手を伸ばして、それをつかんだ。牛がよろめいたからである。
6:7 すると、【主】の怒りがウザに向かって燃え上がり、神はその過ちのために、彼をその場で打たれた。彼はそこで、神の箱の傍らで死んだ。
6:8 ダビデの心は激した。【主】がウザに対して怒りを発せられたからである。その場所は今日までペレツ・ウザと呼ばれている。
6:9 その日、ダビデは【主】を恐れて言った。「どうして、【主】の箱を私のところにお迎えできるだろうか。」
6:10 ダビデは【主】の箱を自分のところ、ダビデの町に移したくなかった。そこでダビデは、ガテ人オベデ・エドムの家にそれを回した。
6:11 【主】の箱はガテ人オベデ・エドムの家に三か月とどまった。【主】はオベデ・エドムと彼の全家を祝福された。
6:12 「【主】が神の箱のことで、オベデ・エドムの家と彼に属するすべてのものを祝福された」という知らせがダビデ王にあった。ダビデは行って、喜びをもって神の箱をオベデ・エドムの家からダビデの町へ運び上げた。
6:13 【主】の箱を担ぐ者たちが六歩進んだとき、ダビデは、肥えた牛をいけにえとして献げた。
6:14 ダビデは、【主】の前で力の限り跳ね回った。ダビデは亜麻布のエポデをまとっていた。
6:15 ダビデとイスラエルの全家は、歓声をあげ、角笛を鳴らして、【主】の箱を運び上げた。
6:16 【主】の箱がダビデの町に入ろうとしていたとき、サウルの娘ミカルは窓から見下ろしていた。彼女はダビデ王が【主】の前で跳ねたり踊ったりしているのを見て、心の中で彼を蔑んだ。
6:17 人々は【主】の箱を運び込んで、ダビデがそのために張った天幕の真ん中の定められた場所にそれを置いた。ダビデは【主】の前に、全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げた。
6:18 ダビデは全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げ終えて、万軍の【主】の御名によって民を祝福した。
6:19 そしてすべての民、イスラエルのすべての群衆に、男にも女にも、それぞれ、輪形パン一つ、なつめ椰子の菓子一つ、干しぶどうの菓子一つを分け与えた。民はみな、それぞれ自分の家に帰った。

<要約>

恐れと愛と信頼をもって神に近づく:

この事件は、何を示しているのでしょうか?まず、私たちが神に近づくためには、第一に神を畏れなければなりません。神を恐れるならば、みことばに従います。自分の思いではなく、みこころを求めます。次に神に近づくためには、神を愛さなければなりません。神は何を喜ばれ、何を嫌われるか、みことばを調べ、考えて実行することです。そして、何よりも神を信頼しなければなりません。ダビデは、みことばを調べたのです。へりくだって神の前に出たのです。このままでは神をお迎えすることはできないと考えたのでしょう。しかし、ダビデは信じていました。神はイスラエルを祝福し最善のことをなしてくださると。私たちも、目の前のさまざまな困難や苦難がやってきても、神はすべてのことを働かせて益としてくださることを信頼しなければなりません。神の前にへりくだり、謙遜となってみこころをまず求めます。そして、みこころを実行します。人が神に近づき、救われる方法はただ一つしかありません。神がお与えになったイエス・キリストを救い主と信じることです。

神中心の祝福された人生:

この事件を通して、ダビデは神中心の人生を送るようになりました。神をあなたの心の中心にお迎えして生きることが、祝福の道です。あなたはあなたの心の王座に主をお迎えしていますか。心の王座にあなた自身が座り、主を足元に置いていませんか。旧約聖書には、神を中心において人生を歩んだ多くのモデルがあります。彼らは皆、神が信じる者と共にいてくださると確信し、神中心の生涯を送りました。そして、イエス様は父なる神のみこころを第一として、すべての人の救いのためにそのご生涯を歩まれました。イエス様の生涯は神中心でした。あなたが真の神を信じて、神中心の人生を歩むならば、神はあなたの人生を大いに祝福してくださいます。人はいろいろな知恵を働かせて、神に近づこう、真理に近づこうとしますが、神の示される方法でしか、真の神を見出すことはできません。イエス・キリストは「わたしが道であり、真理でありいのちです。私を通してでなければだれも父の御許に行くことはできません」と言われました。神中心の人生を歩んでください。それが、神が共におられる祝福です。