人間中心から神中心へ

2026年5月10日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>使徒の働き17章16~34節
【新改訳2017】
17:16 さて、パウロはアテネで二人を待っていたが、町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを覚えた。
17:17 それでパウロは、会堂ではユダヤ人たちや神を敬う人たちと論じ、広場ではそこに居合わせた人たちと毎日論じ合った。
17:18 エピクロス派とストア派の哲学者たちも何人か、パウロと議論していたが、ある者たちは「このおしゃべりは、何が言いたいのか」と言い、ほかの者たちは「彼は他国の神々の宣伝者のようだ」と言った。パウロが、イエスと復活を宣べ伝えていたからである。
17:19 そこで彼らは、パウロをアレオパゴスに連れて行き、こう言った。「あなたが語っているその新しい教えがどんなものか、知ることができるでしょうか。
17:20 私たちには耳慣れないことを聞かせてくださるので、それがいったいどんなことなのか、知りたいのです。」
17:21 アテネ人も、そこに滞在する他国人もみな、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、日を過ごしていた。
17:22 パウロは、アレオパゴスの中央に立って言った。「アテネの人たち。あなたがたは、あらゆる点で宗教心にあつい方々だと、私は見ております。
17:23 道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られていない神に』と刻まれた祭壇があるのを見つけたからです。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それを教えましょう。
17:24 この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手で造られた宮にお住みにはなりません。
17:25 また、何かが足りないかのように、人の手によって仕えられる必要もありません。神ご自身がすべての人に、いのちと息と万物を与えておられるのですから。
17:26 神は、一人の人からあらゆる民を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、住まいの境をお定めになりました。
17:27 それは、神を求めさせるためです。もし人が手探りで求めることがあれば、神を見出すこともあるでしょう。確かに、神は私たち一人ひとりから遠く離れてはおられません。
17:28 『私たちは神の中に生き、動き、存在している』のです。あなたがたのうちのある詩人たちも、『私たちもまた、その子孫である』と言ったとおりです。
17:29 そのように私たちは神の子孫ですから、神である方を金や銀や石、人間の技術や考えで造ったものと同じであると、考えるべきではありません。
17:30 神はそのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今はどこででも、すべての人に悔い改めを命じておられます。
17:31 なぜなら、神は日を定めて、お立てになった一人の方により、義をもってこの世界をさばこうとしておられるからです。神はこの方を死者の中からよみがえらせて、その確証をすべての人にお与えになったのです。」
17:32 死者の復活のことを聞くと、ある人たちはあざ笑ったが、ほかの人たちは「そのことについては、もう一度聞くことにしよう」と言った。
17:33 こうして、パウロは彼らの中から出て行った。
17:34 ある人々は彼につき従い、信仰に入った。その中には、アレオパゴスの裁判官ディオヌシオ、ダマリスという名の女の人、そのほかの人たちもいた。

<要約>
人間中心の生き方の結末:

神は霊ですから目には見えません。人間が作った金や銀や石の像のようなものではない、とパウロは主張します。偶像を拝むことは創り主である神への反逆です。神から遠く離れ、人間中心の社会は、サタンの支配下に置かれています。多くの現代人にとっては、神がいるいないかはどうでもいいことと感じています。自分にとって何の実害も感じないからです。自分のいのちはこの世の中だけで、死んだらすべてが無に帰すと考えています。刹那的で、正義も悪も区別がつかなくなっています。詐欺や嘘が日常となっています。万物の造り主である神は生きておられます。義なる神です。神への恐れを失った現代人を神は必ずさばきます。罪の赦しを受けなければ、誰一人、免れることはできません。燃えるゲヘナに落とされ永遠を苦痛の中で過ごすのです。悪は必ず裁きを受けます。科学は人間中心の知的活動です。そこから生み出されるのは人間中心の世界観です。それに反して、パウロが説いたキリストの十字架と復活は、神中心の世界観です。だから、アテネの人々は、パウロの話を愚かなこととして話を聞かなかったのです。現代人もどうでしょうか。イエス様の処女降誕、そして、十字架による死と復活の話をしたら、決まって人々は「あなたは、本当にそんなこと信じているの」と不思議な顔をするでしょう。神を認めない人間には、理解することはできないのです。人間中心の世界観だからです。人間が主となっている世界です。それは、はっきり言って、人間が神となっていることです。そして、人間中心の生き方の延長線上には明るい未来は見えてきません。

あなたを救うために神がなさったこと:

「神はお立てになったひとりの人により義をもってこの世界を裁こうとしておられる」と書いています。ひとりの人それは、イエス・キリストです。義というのは、神の前で正しい、罪がないという意味です。「義をもってこの世界を裁く」というのは、復活したキリストがすべての人間について、義の判定を下すという意味です。判定結果は、人間は、そのままでは、罪ありとされます。聖書に「義人は一人もいない。すべての者が無用のものとなった」と書いているとおりです。しかし、続いて「神はこの方を死者の中からよみがえらせて」と書いています。キリストはすべての人の罪を背負い十字架でその罪を贖いました。それゆえに、神はイエス様を復活させました。つまり、神はキリストにより、罪人の罪を赦し復活のいのち、永遠のいのちをお与えになるのです。罪により、すべての人間は自分から神を見出すことができなくなっています。そのように、神から遠く離れ、神を認めず、依然、世の流れに流され、本来の自分を失っている私たちです。あなたがしぼむことのない希望に生きるために、本来の神を愛し、隣人を愛する人生を取り戻すために、神は何をなしてくださったのでしょうか。私たちに何らかの条件を課すのではなく、神は無条件で、救いを用意してくださいました。私たちの求められていることは、ただ、空の手で、その救いをいただくことです。神は私たちの中に何の要素も求めていません。もう少し、頑張ってよい人間になろうとも、もう少し頑張って、献金や奉仕をしようとも、神は要求していません。ただ、信じて受け取るのです。神はあなたの中に住みあなたを造り替えてくださるのです。思いを変えて、神であるキリストに人生を導いていただくことです。自分で頑張って生きる人生から神に頼って生かされる人生、神中心の人生への転換です。将来が見えにくい時代です。不安や困難を目の前に抱えている方もおられるかもしれません。しかし、神は無条件で、あなたを罪と死と滅びの原理から救い、決してしぼむことのない希望、永遠のいのち、それからくる平安をくださいます。