聖なる一本の杭

2026年7月26日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
神のことばを恐れない人間

イスラエルの罪と堕落に対して、イスラエルの神のみことばを恐れかしこむ者たちがエズラのところにやって来ました。当時のイスラエルの民は神のことばから遠く離れてしまっていました。みことばから離れると、神のみことばを恐れなくなります。心に神に対する恐れを持っているでしょうか。そして、もし、恐れがあれば、私たちは神のことばを守ろうとします。私たちは神の言葉を否定しないまでも、日常のことに追われて、みことばから離れてしまう、聖書を読まない生活に陥っていないでしょうか。つまり、神のことば、聖書に重きを置かない生活になってしまっていることはないでしょうか。そして、私たちは、黙っていれば、神のことばを失ってしまいます。絶えず、心に刻み込まなければなりません。イスラエルの民は、神に対する恐れを失い、神のことばを守らなかったのです。そのために、当然の結果として、罪の結実を刈り取らなければならなかったのです。この世は、神のことばを知りません。また、神のことば、十字架のことばを愚かなこととします。しかし、イエス・キリストの十字架は、救いを受ける私たちには神の力です。私たちをキリストの十字架は罪と滅びから救ってくださるのです。

御前に立たせてくださる神:

そのように繰り返し犯した不信の罪により、滅ぼされても仕方がないイスラエルの民でした。しかし、神は、エズラを通してメシヤ預言を語られました。そして、神はペルシア王を通して民に恵みを施し、民を生かしてくださいました。私たち、すべての人は、そのままでは、自らの罪のために御前に立つことも許されない者たちです。にもかかわらず、キリストの十字架によって立たせてくださるというのです。歴史を支配しておられる神は、現代も、哀れみによりイスラエルの民を祖国に立たせていてくださっています。また、私たちをも忍耐をもって、今、立たせてくださっているのです。神は、どのようにして私たちを神の前で立たせてくださるのでしょうか。キリストは、私の罪の一切を取り除いてくださったのです。(エペソ5:27)「ご自分で、しみや、しわや、そのようなものが何一つない、聖なるもの、傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。」罪のない神のひとり子が私たちの代わりになって罪を飲んで十字架で刑罰を受けてくださったからです。

<聖書>エズラ記9章1~9,15節
【新改訳2017】
9:1 これらのことが終わった後、指導者たちが私のところに近づいて来て次のように言った。「イスラエルの民、祭司、レビ人は、カナン人、ヒッタイト人、ペリジ人、エブス人、アンモン人、モアブ人、エジプト人、アモリ人など異国の忌み嫌うべき習慣と縁を絶つことなく、
9:2 かえって、彼らも息子たちも、これらの国々の娘を妻にし、聖なる種族がもろもろの地の民と混じり合ってしまいました。しかも、指導者たち、代表者たちがこの不信の罪の張本人なのです。」
9:3 私はこのことを聞いて、衣と上着を引き裂き、髪の毛とひげを引き抜き、茫然として座り込んでしまった。
9:4 捕囚から帰って来た人々の不信の罪のことで、イスラエルの神のことばを恐れかしこむ者はみな、私のところに集まって来た。私は夕方のささげ物の時刻まで、茫然としてそこに座っていた。
9:5 夕方のささげ物の時刻になって、打ちのめされていた私は立ち上がり、衣と上着を引き裂いたまま、ひざまずき、自分の神、【主】に向かって手を伸べ広げて、
9:6 こう言った。「私の神よ。私は恥じています。私の神よ。私はあなたに向かって顔を上げることを恥ずかしく思います。私たちの咎は増し、私たちの頭より高くなり、私たちの罪過は大きく、天にまで達したからです。
9:7 私たちの先祖の時代から今日まで、私たちは大きな罪過の中にありました。私たちのその咎のため、私たちや、私たちの王、祭司たちは、諸国の王たちの手に渡され、剣にかけられ、捕虜にされ、かすめ奪われ、面目を失って、今日あるとおりです。
9:8 しかし今、しばらくの間、私たちの神、【主】はそのあわれみによって、私たちに逃れの者を残し、私たちのためにご自分の聖なる所に一本の杭を与えてくださいました。これは、私たちの神が私たちの目を明るくし、奴隷の身の私たちを少しでも生き延びさせてくださるためでした。
9:9 事実、私たちは奴隷です。しかし私たちの神は、この奴隷の身の私たちを見捨てることなく、かえって、ペルシアの王たちによって恵みを施し、私たちを生かして、私たちの神の宮を建て直させ、その廃墟を元に戻し、ユダとエルサレムに石垣を下さいました。

9:15 イスラエルの神、【主】よ、あなたは正しい方です。まことに、今日あるとおり、私たちは逃れの者として残されています。ご覧ください。私たちは罪過を負ってあなたの御前におります。このような状態で、だれもあなたの御前に立つことはできないにもかかわらず。」

人のことばと神のことば

2026年7月19日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
神のことばを無視する人間:

聖書によると、すべての人は、生まれながらに持つ罪に支配されています。そして、その罪により死と滅びに定められています。この世では、人は世の支配者である悪魔の配下にいると聖書は告げています。そのために、神は罪のない神のみ子イエス・キリストを世に送り、私たちを罪と死と悪魔のから救い解放してくださったのです。聖書は律法と福音からなっています。律法は神の戒めです。そして、多くの人は十戒を中心とした神の戒めから遠く離れて、耳を傾けることなく、神のことばを無視しています。その結果、人間社会には、争いと混乱が絶えることがありません。そして、すべての人は自らの罪のために死と滅びに定められています。そこからすべての人を救うために神は、罪のない神の子であるイエス・キリストをこの地上に送ってくださいました。それが、聖書のもう一つの要素である福音です。

参照:ヨハネ1:1 ローマ10:17

神のことばはあなたを救う:

もともと十戒を中心とした律法は、私たちに罪を教えています。すなわち律法は医療で言えば診断医ということができます。診断医は「あなたはこのままではいけない。このままでは死んでしまいますよ」というように病気を見つけて指摘します。そして、治療に結び付けます。律法は、私たちの罪を指摘し、私たちが罪過の中に死んでいるものであることを明らかにします。私たちはその罪に死んだものであることを気づかせます。治療は何でしょうか。罪と死と滅びに対する救いは何でしょうか。それは、イエス・キリストの十字架と復活です。イエス様あなたの罪を背負って十字架で身代わりとなって死んで罪を取り除いてくださいました。その結果として人は生きるものとなったんです。イエス・キリストを信じると、罪から救われ、罪と死と悪魔から解放されます。そして、新しいいのちに生きる者となります。そして、罪の呪いである死をうちやぶり、呪いを福福に代えてくださいました。罪の呪いである死は、いのちに変えられたのです。そのことを受け取る私たちは、キリストの復活のいのちである永遠のいのちをいただいているのです。

参照:イザヤ43:4 Ⅰヨハネ4:9 マタイ11:28 ローマ3:20

<聖書>マタイによる福音書15章1~20節
【新改訳2017】
15:1 そのころ、パリサイ人たちや律法学者たちが、エルサレムからイエスのところに来て言った。
15:2 「なぜ、あなたの弟子たちは長老たちの言い伝えを破るのですか。パンを食べるとき、手を洗っていません。」
15:3 そこでイエスは彼らに答えられた。「なぜ、あなたがたも、自分たちの言い伝えのために神の戒めを破るのですか。
15:4 神は『父と母を敬え』、また『父や母をののしる者は、必ず殺されなければならない』と言われました。
15:5 それなのに、あなたがたは言っています。『だれでも父または母に向かって、私からあなたに差し上げるはずの物は神へのささげ物になります、と言う人は、
15:6 その物をもって父を敬ってはならない』と。こうしてあなたがたは、自分たちの言い伝えのために神のことばを無にしてしまいました。
15:7 偽善者たちよ、イザヤはあなたがたについて見事に預言しています。
15:8 『この民は口先でわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。
15:9 彼らがわたしを礼拝しても、むなしい。人間の命令を、教えとして教えるのだから。』」
15:10 イエスは群衆を呼び寄せて言われた。「聞いて悟りなさい。
15:11 口に入る物は人を汚しません。口から出るもの、それが人を汚すのです。」
15:12 そのとき、弟子たちが近寄って来てイエスに言った。「パリサイ人たちがおことばを聞いて腹を立てたのをご存じですか。」
15:13 イエスは答えられた。「わたしの天の父が植えなかった木は、すべて根こそぎにされます。
15:14 彼らのことは放っておきなさい。彼らは盲人を案内する盲人です。もし盲人が盲人を案内すれば、二人とも穴に落ちます。」
15:15 そこでペテロがイエスに答えた。「私たちに、そのたとえを説明してください。」
15:16 イエスは言われた。「あなたがたも、まだ分からないのですか。
15:17 口に入る物はみな、腹に入り、排泄されて外に出されることが分からないのですか。
15:18 しかし、口から出るものは心から出て来ます。それが人を汚すのです。
15:19 悪い考え、殺人、姦淫、淫らな行い、盗み、偽証、ののしりは、心から出て来るからです。
15:20 これらのものが人を汚します。しかし、洗わない手で食べることは人を汚しません。」

モーセの誕生とイエスの救い

2026年7月5日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
困難苦難から引き出される神

王女はその子をモーセと名付けた。彼女は、水の中から、私がこのこう引き出したからといった」とあります。赤ちゃんモーセは、エジプトのパロによって、死に定められていました。苦境や困難から引き出されたのです。イエス様も赤ちゃんの時、ヘロデからいのちを狙われましたが、父母マリヤとヨセフにより引き出され、エジプトに逃げて命を守られたのです。モーセはイエス様の型であると言えます。モーゼのような特別な人生を歩む人は少ないかもしれません。しかし、私たちは神に愛され神に目を留められて、これまで歩んできました。それぞれの人生において困難なことも多々あったけれど、たくさんの導きを得てきたのではないでしょうか。神の方で私たちに近づき、様々な困難苦難から導き出し、救い出し引き出してくださって、今があるのです。数えてみよ、主の恵みという賛美があります。私たちはもう一度自分のこれまでの歩みを振り返ってみましょう。あの時あのように神様が困難の中から引き出してくださった。そのことを振り返って、覚えることが大切だと思います。私たちが必死で、もがいてもイエス様は近づいて私と共にいて下さった。それが、神のあなたに対する約束です。

十字架の血によって救われる:

律法によれば、ほとんどすべてのものは血によってきよめられます。血を流すことがなければ、罪の赦しはありません。私たちは、生まれながらの罪びとです。自分で意識できなくても罪があるのです。神の前で言い訳できません。ローマ書にある通り、そのままでは死に至るしかないのです。それは永遠の滅びです。裁きです。しかし、神は、キリストの十字架を通して、プレゼントとして罪の赦しと永遠のいのちをくださいました。キリストは十字架で血を流してくださり、その血によって、すなわち、身代わりの死によって、私たちは、すべての罪を赦されているのです。よく、自分には救いは要らないという人がいます。でもよく考えてくだい。あなたをつくり、命を与えてくださる神がおられるのだとしたら。イエス様はあなたを救うために、あなたに永遠の命を与えるために来てくださったのです。あなたの罪を取り除いてくださいました。もう一度、神の思いを自分の思いとしてみことばに立ち返ってください。神は忍耐を持ってあなたの応答を待っておられます。

<聖書>出エジプト記2章1~10節
【新改訳2017】
2:1 さて、レビの家のある人がレビ人の娘を妻に迎えた。
2:2 彼女は身ごもって男の子を産み、その子がかわいいのを見て、三か月間その子を隠しておいた。
2:3 しかし、それ以上隠しきれなくなり、その子のためにパピルスのかごを取り、それに瀝青と樹脂を塗って、その子を中に入れ、ナイル川の岸の葦の茂みの中に置いた。
2:4 その子の姉は、その子がどうなるかと思って、離れたところに立っていた。
2:5 すると、ファラオの娘が水浴びをしようとナイルに下りて来た。侍女たちはナイルの川辺を歩いていた。彼女は葦の茂みの中にそのかごがあるのを見つけ、召使いの女を遣わして取って来させた。
2:6 それを開けて、見ると、子どもがいた。なんと、それは男の子で、泣いていた。彼女はその子をかわいそうに思い、言った。「これはヘブル人の子どもです。」
2:7 その子の姉はファラオの娘に言った。「私が行って、あなた様にヘブル人の中から乳母を一人呼んで参りましょうか。あなた様に代わって、その子に乳を飲ませるために。」
2:8 ファラオの娘が「行って来ておくれ」と言ったので、少女は行き、その子の母を呼んで来た。
2:9 ファラオの娘は母親に言った。「この子を連れて行き、私に代わって乳を飲ませてください。私が賃金を払いましょう。」それで彼女はその子を引き取って、乳を飲ませた。
2:10 その子が大きくなったとき、母はその子をファラオの娘のもとに連れて行き、その子は王女の息子になった。王女はその子をモーセと名づけた。彼女は「水の中から、私がこの子を引き出したから」と言った。