地の塩、世の光

2022年1月9日主日礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>マタイの福音書5:13~16
【新改訳2017】
5:13 あなたがたは地の塩です。もし塩が塩気をなくしたら、何によって塩気をつけるのでしょうか。もう何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけです。
5:14 あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。
5:15 また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。
5:16 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。

<要約>

塩気を保つ生活とは

塩気を失った塩とは、みことばを失ったクリスチャン、みことばに立たないクリスチャンといえます。聖書のみことばに立たなければ、クリスチャンが世の人々と同化して、世の人々の中に埋没してしまいます。皆さんは、もし、一か月、説教も聞かない、聖書を読まないということであれば、危機的な状態であると思います。一年、教会を離れて、聖書から離れるならば、世の中に埋没してしまい、クリスチャンとしてのアイデンティティーを失ってしまうでしょう。塩気を失ったクリスチャンは、役に立たず、外に捨てられて人々に踏みつけられるとあります。みことばから離れて信仰を棄てた者には、神の厳しさがその上に臨むのです。クリスチャンが塩気を保つことは難しいことではありません。あなたが塩気を保つ 生活をするためには聖書のみことばに立って生活することです。

世の光として輝くために

イエス様は、地の塩、世の光となりなさいといっているのではなく、もうすでにあなた方は、地の塩、世の光であると断言しておられます。私たちはイエス様を信じたから地の塩、世の光なのです。聖書に、私たちは、以前は罪の中に死んでいたものであると書かれています。御怒りを受けるべき子らでした。神がわからない、神を知ることができないという私たちの心の状態。それは、心の目をふさいでいるものがあるからです。それは、すべての人の心に巣食う癌、罪です。罪によって、心の目がふさがれて、神を認めることができないのです。イエス・キリストの十字架により、たましいの癌である罪を取り除かれて、私たちは光の子、世の光とされたのです。世の光として輝くために、私たちは、信仰に励むことです。すなわち、神との関係に生きることです。自分を神に明け渡すことです。神との関係が正されると、行いは自然と出てきます。火があるところには必ず光が生じます。そのように信仰がある人は必ずよい影響を周りに及ぼしていくのです。