神の契約の実行と証印

2019年06月30日
説教者:ハレルヤチャペル滝沢牧師  森田友明

<聖書>創世記17章15~27節
17:15 また神はアブラハムに仰せられた。「あなたの妻サライは、その名をサライと呼んではならない。その名はサラとなるからだ。
17:16 わたしは彼女を祝福し、彼女によって必ずあなたに男の子を与える。わたしは彼女を祝福する。彼女は国々の母となり、もろもろの民の王たちが彼女から出てくる。」
17:17 アブラハムはひれ伏して、笑った。そして心の中で言った。「百歳の者に子が生まれるだろうか。サラにしても、九十歳の女が子を産めるだろうか。」
17:18 そして、アブラハムは神に言った。「どうか、イシュマエルが御前で生きますように。」
17:19 神は仰せられた。「いや、あなたの妻サラが、あなたに男の子を産むのだ。あなたはその子をイサクと名づけなさい。わたしは彼と、わたしの契約を立て、それを彼の後の子孫のために永遠の契約とする。
17:20 イシュマエルについては、あなたの言うことを聞き入れた。必ず、わたしは彼を祝福し、子孫に富ませ、大いに増やす。彼は十二人の族長たちを生む。わたしは彼を大いなる国民とする。
17:21 しかし、わたしがわたしの契約を立てるのは、サラが来年の今ごろあなたに産むイサクとの間にである。」
17:22 神はアブラハムと語り終えると、彼のもとから上って行かれた。
17:23 そこでアブラハムは、その子イシュマエル、彼の家で生まれたすべてのしもべ、また、金で買い取ったすべての者、すなわち、アブラハムの家のすべての男子を集め、神が彼に告げられたとおり、その日のうちに、彼らの包皮の肉を切り捨てた。
17:24 アブラハムが包皮の肉を切り捨てられたときは、九十九歳であった。
17:25 その子イシュマエルは、包皮の肉に割礼を受けたとき、十三歳であった。
17:26 アブラハムとその子イシュマエルは、その日のうちに割礼を受けた。
17:27 彼の家の男たちはみな、家で生まれた奴隷も、異国人から金で買い取った者も、彼と一緒に割礼を受けた。

<要約>

勝利者は悩み苦しみ信仰に生きる:

主は、再度アブラハムに現れました。アブラハムは、心の中で笑ったと書いています。「百歳の者に子どもが生まれようか。九十歳のサラが子どもを宿すだろうか」彼は神の前にひれ伏しました。しかし、内面には葛藤、揺れ動きがありました。神の約束を受け止めきれない人間の弱さが見えます。信じ切れない思いを抱えながら神に向かい合っていたことがわかります。信仰とはそういうものです。私も過去を振り返ってみました。秋田大学3年生の時に信仰に導かれ洗礼を受けクリスチャンになりました。その後結婚し子どもも与えられ、米国留学をしました。そこで腎臓病になりました。突然、むくみがやってきて、高血圧になったのです。ネフローゼ症候群という病気です。将来の不安がありました。神様、私は大丈夫でしょうか。どうしたら良いのですか。と何度も祈りました。その度に、神はみことばで励ましてくださいました。私はあなたを癒す主であると。しかし、このようなみことばが与えれても、内面の揺らぎが常にあったのです。神は不信仰の笑いでも喜びの笑いに変えてくださいます。信じ切れない人間の思いと弱さを受け入れて、マイナスの思いをプラスに変えてくださるのです。悩み苦しみ、信仰の揺らぎを覚える時には主に向かいましょう。疑い退くか、信じて前に進むか、不信仰と信仰の選択が来ます。その時は信仰に立って前に進むのです。神は勝利を与えてくださいます。

心の割礼である洗礼がもたらすもの:

アブラハムはすぐに、神の契約に応え神の命令である割礼を全ての男子に執行いたしました。割礼は現在の洗礼の型であります。当時の割礼がアブラハム契約実行の出発点であったように、洗礼、バプテスマはあなたが神の民に加えられるという信仰の出発点です。割礼の包皮は何を表しているのでしょうか。それは、生まれながら持つ罪の性質です。あるいは、人の神を無視して自分を中心に生きようとする性質です。キリストと共に古い自分を十字架につけて、生まれながらの自分に死んで、キリストとともに復活することです。そして、新しい自分に生まれ変わることです。洗礼はそのような意味があります。誰でも無条件に、神の約束を自分のものとすることができます。