信仰と希望の関係

2024年1月7日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>へブル人への手紙11章1~10節
【新改訳2017】
11:1 さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
11:2 昔の人たちは、この信仰によって称賛されました。
11:3 信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、その結果、見えるものが、目に見えるものからできたのではないことを悟ります。
11:4 信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神に献げ、そのいけにえによって、彼が正しい人であることが証しされました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だと証ししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって今もなお語っています。
11:5 信仰によって、エノクは死を見ることがないように移されました。神が彼を移されたので、いなくなりました。彼が神に喜ばれていたことは、移される前から証しされていたのです。
11:6 信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。
11:7 信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神から警告を受けたときに、恐れかしこんで家族の救いのために箱舟を造り、その信仰によって世を罪ありとし、信仰による義を受け継ぐ者となりました。
11:8 信仰によって、アブラハムは相続財産として受け取るべき地に出て行くようにと召しを受けたときに、それに従い、どこに行くのかを知らずに出て行きました。
11:9 信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに受け継ぐイサクやヤコブと天幕生活をしました。
11:10 堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都の設計者、また建設者は神です。

<要約>

信仰は神の賜物、救いの保証:

信仰は神が下さる救いの保証です。そして、信仰は神があなたにお与えになった贈り物とも言えます。なぜなら、生まれながらの人間は、信仰を持っていないからです。生まれながらの人は、すべてアダムの罪を引き継いでいますので、生まれながらの罪人です。そのままでは、真の神を恐れ、愛し、信頼するようにはなりません。すなわち、生まれながらのすべての人は、信仰は持っていないし、持てないのです。それでは、人は、どうようにして、真の神を信じるようになるのでしょうか。それは、神の恵みによります。一方的なあわれみによります。罪により神に裁かれ、死と滅びに定められています。しかし、神は人を罪と死と滅びから救うためにイエス・キリストを送ってくださいました。イエス・キリストの十字架と復活により、すべての人の罪はすでに取り除かれて、永遠のいのちが与えられます。その救いの約束をどのように受け取ればよいのでしょうか。神がすべての人に差し出している救いです。それを受け取るのは信仰です。誰でも悔い改めて真の神を仰ぐものには賜物として信仰が与えられます。そして、信仰は救いをあなたの内に保証します。

希望をもって信仰に生きる:

私たち信者は望みや願いを持たなければなりません。神は、自分の子どもを愛する父親のように、愛する子どもの願いを聞きたいのです。ですから、もし、あなたが祈ることもなく、神に何も願わなかったならば、神は悲しまれます。私たちは、神を信頼して、大胆に大きな願いをすることです。ですから、私たちは自分では、大それたと思えるような願いでも、キリストにあっては大いに求めてもいいのです。いな、求めるべきです。反対に、もし私たちが神を信じているといいながら、何物をも求めないならば反って怒られるのです。天の神は私たちのことを救い、祝福しようと御子イエスを十字架につけるほどに愛してくださって、このイエス様を贈り物として与えてくださいました。それは、どんな時も希望を持つことができる保証です。神のいのちにつながっているからです。決して失望に終わらない希望をクリスチャンは持っています。ですから、願いや望みを持ちましょう。そして、祈ることです。そうすれば、信仰が与えられ、信仰は強められます。その時、あなたは神の栄光を見るのです。

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