復活への期待

2022年4月17日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>ルカの福音書24章1~12節
【新改訳2017】
24:1 週の初めの日の明け方早く、彼女たちは準備しておいた香料を持って墓に来た。
24:2 見ると、石が墓からわきに転がされていた。
24:3 そこで中に入ると、主イエスのからだは見当たらなかった。
24:4 そのため途方に暮れていると、見よ、まばゆいばかりの衣を着た人が二人、近くに来た。
24:5 彼女たちは恐ろしくなって、地面に顔を伏せた。すると、その人たちはこう言った。「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。
24:6 ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、主がお話しになったことを思い出しなさい。
24:7 人の子は必ず罪人たちの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえると言われたでしょう。」
24:8 彼女たちはイエスのことばを思い出した。
24:9 そして墓から戻って、十一人とほかの人たち全員に、これらのことをすべて報告した。
24:10 それは、マグダラのマリア、ヨハンナ、ヤコブの母マリア、そして彼女たちとともにいた、ほかの女たちであった。彼女たちはこれらのことを使徒たちに話したが、
24:11 この話はたわごとのように思えたので、使徒たちは彼女たちを信じなかった。
24:12 しかしペテロは立ち上がり、走って墓に行った。そして、かがんでのぞき込むと、亜麻布だけが見えた。それで、この出来事に驚きながら自分のところに帰った。

<要約>

死を打ち破る復活:

女たちは死人のイエス様を求めていたと言えます。しかし、死人のイエス様はそこにはいないとの天使のメッセージです。すなわち、死んだイエス様はもういない、復活したイエス様が生きておられるのだ、というのです。もし、死んでしまったイエス様を信じお頼りしてもそれはむなしいことです。死んだままのイエス様には救いはなく、なおまだ、女たちも弟子たちも、そして信者である私たちも罪の中で滅びる者たちです。ここで現れた天使たちは、「ここにはおられません。よみがえられたのです。」「死人の内にはいません。生きておられるからです。」と宣言しています。ここに勝利の宣言があります。アダムの罪により、生まれながらに人はすべて罪人で神のいのちを失っています。しかし、キリストの義の行動によりすべての人が罪赦されて復活のいのちに生かされるのです。イエス様を信じる者は肉体の死にあうがそれは大きな力を及ぼさず、復活のいのちに生きることができます。永遠のいのちが与えられて、死に勝利しています。

最後のときを期待と希望に生きる:

女たちは、天使のみ告げを聞いて、「イエス様が十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない」というみことばを思い出しました。そして、墓から戻って、十一人の弟子たちに報告しました。ところが使徒たちはこの話がたわごとであるとして信じなかったのです。復活という事実を理解できなかったのです。クリスチャンは、やがて、世の終わりにラッパの音とともに復活するのです。その時には、顔と顔を合わせてキリストを見るようになります。私が神に完全に知られているように、わたしも神を完全に知るようになるのです。何と素晴しい約束でしょうか。ペテロは空の墓を見て、帰り道、彼の心には、何か素晴らしいことが起こるという予感で満たされていたのではと想像します。「私たち信者も、やがて復活の主に顔と顔を合わせてお会いするのです。やがて復活の主にお会いする時が必ず来ます。ですから、失望と落胆の中にあっても、心が熱くなったペテロのように、あなたも、あなたの人生に素晴らしい期待と希望をもって生きるのです。