聖霊をいただくとどうなる?

2021年5月23日主日礼拝説教 ハレルヤチャペル牧師 森田友明

<聖書>使徒の働き2章32~42節
2:32 このイエスを、神はよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。
2:33 ですから、神の右に上げられたイエスが、約束された聖霊を御父から受けて、今あなたがたが目にし、耳にしている聖霊を注いでくださったのです。
2:34 ダビデが天に上ったのではありません。彼自身こう言っています。『主は、私の主に言われた。あなたは、わたしの右の座に着いていなさい。
2:35 わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで。』
2:36 ですから、イスラエルの全家は、このことをはっきりと知らなければなりません。神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」
2:37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。
2:38 そこで、ペテロは彼らに言った。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。
2:39 この約束は、あなたがたに、あなたがたの子どもたちに、そして遠くにいるすべての人々に、すなわち、私たちの神である主が召される人ならだれにでも、与えられているのです。」
2:40 ペテロは、ほかにも多くのことばをもって証しをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って、彼らに勧めた。
2:41 彼のことばを受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。
2:42 彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。

<要約>

イエス様を十字架に付けたのはあなたです

聖霊は、すべての聴衆に対して「あなたがキリストを十字架につけたのです」と言っています。2000年後の私がどうしてイエス・キリストを十字架につけたというのだろうかと疑問に思う方々もいると思います。キリストが全人類の罪のために十字架にかかったということは、すなわち私たちに原因があるということです。ここに居られるお一人お一人に原因があるということです。私の罪のためにキリストは十字架にかからなければならなかったと言うことは、すなわち、私がイエス・キリストを十字架にかけたのです。私たちがイエス・キリストを十字架につけたと思うことがなければ私たちとイエス・キリストの関係は何もなくなってしまいます。ペテロの告発を聞いた聴衆は、心刺されました。彼らは自分たちが神の民であるという意識を持っておりました。ところが神の御子を十字架につけ殺して神の敵になっているということを気づいたのです。

洗礼を受けると聖霊をいただけます

自分たちの罪の深さに気付いた人々は口々に「兄弟たち。私たちはどうしたらよいのでしょうか」と問いました。この時の彼らは自分たちの現状知りこのままでいけないと思ったのです。救いはすでに目の前に置かれていたのです。そうです。「悔い改めてそれぞれの罪を赦していただくためにバプテスマ、洗礼を受けなさい。」というものでした。聖霊がペテロを通して語ったことは、キリストは生きておられる、すべての人は罪を持っていて罪によって滅んでいく、罪を赦していただくためにイエス・キリストを信じなさい、そうすれば賜物として、聖霊が与えられるということです。主は、私たちをキリストにより世と罪と悪魔からそして死から救い出してくださいます。救いは一方的に神様が提供してくださる恵みなのです。ここに私たちの条件は何も書いていません。ただ罪を悔い改めて神を信じることです。すると信じる者に賜物として、聖霊が与えられるのです。信じた者たちには、聖霊の持っているすべての良い物を受けるということです。聖霊は良い果実を実らします。人を変え、人を幸福にします。ものの見方が変わります。ネガティブがポジティブに変えられるのです。聖霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。