布にくるまれた救い主

2019年12月8日
説教者:ハレルヤチャペル滝沢牧師  森田友明


<聖書>ルカの福音書2章1~7節 ヨハネの福音書3章16節
ルカ
2:1 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。
2:2 これは、キリニウスがシリアの総督であったときの、最初の住民登録であった。
2:3 人々はみな登録のために、それぞれ自分の町に帰って行った。
2:4 ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
2:5 身重になっていた、いいなずけの妻マリアとともに登録するためであった。
2:6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、
2:7 男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。

ヨハネ
3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

<要約>

救い主を拒む人の罪:

イエス様を布にくるんで飼い葉桶に寝かせた、とあります。飼い葉桶は石灰岩を削って作ったものです。神の御子は惨めな場所で惨めな姿でお生まれになりました。それだからこそイエス様はすべての人の救い主となられたのです。最も弱く貧しく小さな者たちの救い主として来て下さったのです。神の力や権利を持って治めることを好まず、へりくだってしもべの姿になり、仕えるものとなって世に来て下さったのです。神はご自身の栄光や御力を見せつけて人々の注目を集めようとはなさりません。また、神は人を力で支配し従えようとなさらない、力や権力で人を振り向かせようとはなさりません。それは私たち人間の思いを尊重しておられるからです。人の自由意思を大切にしてくださっています。あなたを縛りあなたを支配しようとはなさいません。神はそういうお方です。ヘロデも東方の博士たちもユダヤの王としてお生まれになる方は一角の人物と想像したでしょう。東方の博士たちは星に導かれてユダヤに来ました。そして、「ユダヤ人の王としてお生まれになる方は、どこにおられますか」と王の宮殿のあるエルサレムに尋ねて来たのです。貧しい大工のヨセフとマリヤの子どもとしてお生まれになるとは誰も想像だにしなかったのです。イスラエルの民は、救い主の到来を待ち望んでいました。民が期待していたのはかつて周辺諸国を制圧してイスラエル国家を統一したダビデ王の再来です。しかし、イエス様はそのような期待をよそに、「民を罪から救ってくださる方」として世に来られたのです。神は、世の罪、そして人の罪を取り除くために来られたといえます。それが私たち人間を最も苦しめ、滅びに至らせる問題であるからです。人の罪とは何でしょうか。それは、人をお創りになりいのちを与えておられる創造者である神を無視していることです。自分を優先して神を後ろに置いていることです。そこに救い主を拒み続ける人間の罪があります。

闇から光へ移してくださる救い主:

そのような人間を神は黙ってみていられなくて、イエス・キリストをお与えくださいました。神は世の人々を愛しました。神の愛の最大の表れは何だったでしょうか。それは十字架の上でご自身のいのちをお捧げになったことです。私たち人間の罪の代価をご自身のひとり子の命で払ってくださったということです。世にはそれを受ける資格も価値もありませんでした。ただ神が私たちを惜しんでくださっているのです。私たちを救い、命を与え、永遠の御住まいに招いてくださっています。救い主キリストを心にお迎えしてください。そうすれば、決してなくならない、尽きることのないいのちの希望と喜びに生きるこができます。死は肉体の死ばかりではありません。霊と魂の死も含まれます。人には肉体の死の向こうに魂の永遠の滅びが待っています。そして、すべての人は闇である「罪と死と永遠の滅び」の世界に閉じ込められていると言えます。その闇の世界から光の世界に移してくださったのが、キリストです。罪は赦され、死から救われ、永遠の滅びから永遠のいのちに移されるのです。すなわち「罪と死と永遠の滅び」が、「赦しと救いと永遠のいのち」に代えられました。どうすればよいのでしょうか。そうです。イエス・キリストを信じて、あなたの心にお迎えするのです。その時、あなたは闇から光へ移されるのです。