復活はすべてのマイナスをプラスに変える

2019年04月21日
説教者:ハレルヤチャペル滝沢牧師  森田友明



ヨハネによる福音書20章1~18節
20:1 さて、週の初めの日、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓にやって来て、墓から石が取りのけられているのを見た。
20:2 それで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛されたもう一人の弟子のところに行って、こう言った。「だれかが墓から主を取って行きました。どこに主を置いたのか、私たちには分かりません。」
20:3 そこで、ペテロともう一人の弟子は外に出て、墓へ行った。
20:4 二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた。
20:5 そして、身をかがめると、亜麻布が置いてあるのが見えたが、中に入らなかった。
20:6 彼に続いてシモン・ペテロも来て、墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。
20:7 イエスの頭を包んでいた布は亜麻布と一緒にはなく、離れたところに丸めてあった。
20:8 そのとき、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来た。そして見て、信じた。
20:9 彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかった。
20:10 それで、弟子たちは再び自分たちのところに帰って行った。
20:11 一方、マリアは墓の外にたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。
20:12 すると、白い衣を着た二人の御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、一人は頭のところに、一人は足のところに座っているのが見えた。
20:13 彼らはマリアに言った。「女の方、なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「だれかが私の主を取って行きました。どこに主を置いたのか、私には分かりません。」
20:14 彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。そして、イエスが立っておられるのを見たが、それがイエスであることが分からなかった。
20:15 イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」彼女は、彼が園の管理人だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。私が引き取ります。」
20:16 イエスは彼女に言われた。「マリア。」彼女は振り向いて、ヘブル語で「ラボニ」、すなわち「先生」とイエスに言った。
20:17 イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないのです。わたしの兄弟たちのところに行って、『わたしは、わたしの父であり、あなたがたの父である方、わたしの神であり、あなたがたの神である方のもとに上る』と伝えなさい。」
20:18 マグダラのマリアは行って、弟子たちに「私は主を見ました」と言い、主が自分にこれらのことを話されたと伝えた。

<要約>

死は別離の悲しみを与える:

もし、復活の希望がなければ、死は人間の力ではどうしようもなくあきらめなくてはならないことになります。福音は死に対する勝利です。イエス様は全人類の罪を背負って、罪の身代わりとなって十字架で死んでくださったこと。そして、今度は、死者の中から復活して私たち人間にとって最後の敵である死を滅ぼされたということ。信じる者には、ただ、神からのプレゼントとしての永遠の命があるのです。しかし、現代においてもイエス様が罪と死と滅びからの救い主であることを知らない人々がほとんどです。そのような方々には、いまだに死の別離はどうしようもない悲しみであり、また、自分の死もあきらめの中にあるのです。

イエス様を独占してすがりつく信仰:

イエス様は、最初に卑しく罪深い女とされていたマグダラのマリヤに表れました。イエス様は朝陽を背に受けていたのでマリヤには識別できなかったのでしょう。イエス様は彼女に言われた。「マリヤ」彼女は振り向いて、ヘブル語で「ラボニ(すなわち、先生)」と。マリヤはイエス様と分かって、恐れと喜びがまじりあったのでしょう。マリヤは「だれかが私の主を取っていきました」と「私の主」と言いました。マリヤは、私たちの主、ではなく、私の主とイエス様を独占しています。これは何を意味しているのでしょうか?私たちは、イエス様を独り占めにしておすがりしてよいということです。私の主と言って、いつもイエス様にすがりついていきましょう。

復活しあなたに会いに来てくださるイエス様:

彼女は死んだイエス様ではなく、よみがえって生きておられるイエス様に会ったのです。深い悲しみは大きな喜びに、絶望は大いなる希望に変えられたのです。これがクリスチャンライフに起こることです。人生で涙の谷を越えることもあるでしょう。希望を失って、絶望を感じる時もあるでしょう。しかし、復活したイエス様から離れないクリスチャンには、マイナスはプラスに、悲しみは喜びに変えられるのです。イエス様は天に帰られて、信じる者に神の子となる特権をお与えになり、神の国の相続者にするために聖霊を送ってくださったのです。罪の奴隷であったものが、自由の王となり、御国の世継ぎとなったのです。