必要は一つキリストに留まる

2019年04月014日
説教者:ハレルヤチャペル滝沢牧師

聖書:ルカの福音書10章38~42節
10:38 さて、一行が進んで行くうちに、イエスはある村に入られた。すると、マルタという女の人がイエスを家に迎え入れた。
10:39 彼女にはマリアという姉妹がいたが、主の足もとに座って、主のことばに聞き入っていた。
10:40 ところが、マルタはいろいろなもてなしのために心が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃってください。」
10:41 主は答えられた。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。
10:42 しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」

要約:

不平不満に代わりやすい人間の愛:

マルタは喜んでイエス様一行をお迎えしました。イエス様に喜んでもらいたい一心であったと思います。ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、ついにイライラして、先ほどの「喜んで」が「イライラ」に変わり、ついに「怒り」に変わってしまったのです。マルタの心には、「マリヤだけがイエス様のそばにいて良い思いをして、わたしは忙しく食事の準備をしている、不公平だ」という思いです。マリヤに対する不平ばかりでなく、イエス様に対しても、「イエス様、あなたは何とも思わないのですか」と不平を漏らしています。わたしたち人間の愛はつぶやきや憎しみに変わりやすいということも知っておかなければなりません。

神の愛とご計画は人の思いを超える:

この後、マルタとマリヤの家に大変なことが起きました。弟ラザロが重病になったのです。そしてマルタとマリヤはイエス様に使いを送って、すぐ来てラザロの病気を治して下さいと頼んだのです。しかし、イエス様は遅れてベタニアに来られました。ラザロは既に死んで四日も経っておりました。しかし、そこで主は、死んだラザロを復活させました。そのラザロを、イエス様の復活の予表となさったのです。このように、彼らを通して、主は栄光を表されたのです。神は、あなたを愛して、あなたにとって最善を導いてくださっているという確固とした神への信頼を持たなければなりません。そこに、人の思いをはるかに超えた神のご計画があるのです。

イエス様にとどまり神の栄光を見る:

イエス様はどうしても必要なことは、一つだけだといいました。イエス・キリストにとどまり続けること、別の言葉で言えば、イエス・キリストを信じ続けることです。マルタとマリヤ姉妹はこの後、弟ラザロの死と復活を通して、「信じれば神の栄光を見る」と言う体験をしました。彼女らは、ラザロの復活によって、神の栄光を見ました。さらに、イエス様の十字架と復活に与り、栄光に栄光を拝したのです。私たちがイエス様にとどまる人生は、この、神の栄光を見る人生に招き入れられているということです。