試練を通して成長する

2017年10月 15日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>創世記13章1~18節
13:1 それで、アブラムは、エジプトを出て、ネゲブに上った。彼と、妻のサライと、すべての所有物と、ロトもいっしょであった。
13:2 アブラムは家畜と銀と金とに非常に富んでいた。
13:3 彼はネゲブから旅を続けて、ベテルまで、すなわち、ベテルとアイの間で、初めに天幕を張った所まで来た。
13:4 そこは彼が以前に築いた祭壇の場所である。その所でアブラムは、【主】の御名によって祈った。
13:5 アブラムといっしょに行ったロトもまた、羊の群れや牛の群れ、天幕を所有していた。
13:6 その地は彼らがいっしょに住むのに十分ではなかった。彼らの持ち物が多すぎたので、彼らがいっしょに住むことができなかったのである。
13:7 そのうえ、アブラムの家畜の牧者たちとロトの家畜の牧者たちとの間に、争いが起こった。またそのころ、その地にはカナン人とペリジ人が住んでいた。
13:8 そこで、アブラムはロトに言った。「どうか私とあなたとの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちとの間に、争いがないようにしてくれ。私たちは、親類同士なのだから。
13:9 全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。」
13:10 ロトが目を上げてヨルダンの低地全体を見渡すと、【主】がソドムとゴモラを滅ぼされる以前であったので、その地はツォアルのほうに至るまで、【主】の園のように、またエジプトの地のように、どこもよく潤っていた。
13:11 それで、ロトはそのヨルダンの低地全体を選び取り、その後、東のほうに移動した。こうして彼らは互いに別れた。
13:12 アブラムはカナンの地に住んだが、ロトは低地の町々に住んで、ソドムの近くまで天幕を張った。
13:13 ところが、ソドムの人々はよこしまな者で、【主】に対しては非常な罪人であった。
13:14 ロトがアブラムと別れて後、【主】はアブラムに仰せられた。「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。
13:15 わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。
13:16 わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。もし人が地のちりを数えることができれば、あなたの子孫をも数えることができよう。
13:17 立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。」
13:18 そこで、アブラムは天幕を移して、ヘブロンにあるマムレの樫の木のそばに来て住んだ。そして、そこに【主】のための祭壇を築いた。

<要約>

試練と成長の正の連鎖:

エジプトで、妻サライを自分の妹と偽ってパロをだましたという失敗をしましたが、悔い改めて主に立ち返ったのです。自分の罪を覚えさせられたと同時に、自分の知恵や力で事を勧めようとする生き方が砕かれたのです。アブラハムは苦しみに会いましたがさらに謙遜を学んだのです。試練や苦しみは、マイナスではありません。それを通して、謙遜にされます。そして、神のあわれみと忍耐そして愛を知るのです。一難去ってまた一難という状況が発生しました。今度は持ち物が多くなって、アブラハムと甥のロトとの間に摩擦が生じたのです。彼らのいる土地は一緒に住むには十分ではなかったのです。アブラハムがロトに言ったことは、信仰に立った懸命な申し出でした。年長者として当然あるはずの選択権をロトに譲って尋ねました。ソドムとゴモラの地は滅ぼされる以前であったので、主の園のように、また、以前、滞在していたエジプトの地のように肥沃で潤っていたのが目に映ったのです。ヨルダン川の水により緑豊かな牧草地が広がっていたと想像します。ロトは、アブラハムの提案を聞いて、見た目によい方を選んで東の方へ移動しました。ロトと別れて後、アブラハムに主のことばがありました。神は、アブラハムにもう一度、子孫を地のチリのように増やし、その土地を永久に子孫に与えるといわれました。神は、祝福の約束を折々にアブラハムに語りました。折々に、神は約束をアブラハムに思い起こさせて、そして、彼は主を礼拝したのです。ここに、クリスチャンライフのヒントがあります。私たちがみことばを聞いて従う、すると神はみ心を示される、そして、神を礼拝する、信仰によって約束を受け止める、ということです。そこに、クリスチャンライフの成長のサイクルがあります。試練が起こるとみこころを求めて祈ります。すなわち礼拝します。悔い改めて信仰の原点に戻るのです。み心を信じて従うのです。みことばの約束をいただきます。そして、信仰によって歩み出すのです。試練に会うとこのサイクルを繰り返すのです。アブラハムは、成長の正の連鎖、成長のサイクルにあって信仰の成長を遂げました。アブラハムの最大の試練と勝利は、なんといっても、イサクをモリヤの山で主にささげたことでしょう。ここで、アブラハムは何を得たのでしょうか。アブラハムは、神からイサクをささげるように言われました。それはイサクを殺して全焼のいけにえとすることでした。イサクは死んでしまう。しかし、神はイサクを通して子孫を増やすといわれた、その矛盾に苦しんだと思います。そこで、アブラハムは、イサクが生き返ることを信じたのです。アブラハムが信仰によって、成長して、ついには復活の信仰を得たということです。私たちはみことばにより、復活を信じています。これは、アブラハムに与えられた信仰は御子キリストによって成就しました。そして、今後、すべての信じる者に成就するのです。

不信仰と堕落の負の連鎖:

アブラハムはロトに土地選びの優先権を与えました。それに対して、父なき後、これまで面倒を見てもらったアブラハムに感謝を表すことなく、また、神に祈ることもなく、ロトは躊躇なく目を挙げて、ヨルダンの低地全体を見渡したのです。目に見えないことより目に映る有利な物に心を置いているロトの姿が見られます。彼の心の中心にあったのは、神の栄光ではなく、自分の欲得でした。神を喜ばせることより、自分の利を求めて歩む人でした。ロトは邪悪な都市ソドムにいつの間にか住むようになったのです。邪悪な人々の住むところへとひきつけられていったのです。それは、神から離れた歩みです。ソドムはこの後、火と硫黄によって滅ぼされました。ロトとロトの家族はアブラハムの祈りによって、町が滅ぼされる寸前に救出されたのです。結果的に、ロトはすべての財産を失い、二人の娘だけを連れて山に逃れたのです。そして、ロトは、モアブ人とアモン人の先祖となるのです。双方ともイスラエルの敵となるのです。ロトは不信仰と堕落の負の連鎖に陥ったのです。聖霊に従うことなく自分の古い罪の性質に従う人です。アブラハムの下で神の約束を受けることもできたのに、世に埋没して、しまいには信仰を失ったのです。

天の都、キリストの支配に生きる:

アブラハムは、もう一度、神の約束をいただき、約束の地を縦と横に歩き回り神が与えてくださる相続の地を確認しました。そしてヘブロンに天幕を移して、そこに主のために祭壇を築きました。今後、アブラハムはこのヘブロンを拠点として、活動することになるのです。このヘブロンはやがてダビデがイスラエル王朝を確立した場所になります。すなわち、アブラハムへの約束の成就と言えます。しかし、まだ、カナンの地ではアブラハムは寄留者でした。これは何を意味しているのでしょうか。へブル11:9,10 にヒントがあります。アブラハムは、カナンで他国人のように彼の子孫とともに住みました。すなわち彼は、「カナン人の間にあってカナン人ではない」、それは神の民の姿です。そこでは寄留者でありました。アブラハムの信仰の子孫であるクリスチャンも「世にあって、世のものではない」とイエス様が言われました。クリスチャンは「世にあっては旅人であり寄留者」と書いてある通りです。アブラハムは「かたい基礎の上に建てられた都を待ち望んでいた。その都を設計し建設されたのは神である。」とある通り、彼はやがて来る神の国を意識していたと思われます。クリスチャンは、この世の中に生きていますが、神が設計して、キリストが十字架と復活で打ち立てられたキリストの支配する天の都に属しています。そして、信じる者はやがて時至って、黙示録にあるように天のエルサレムと言われる御国へと招かれているのです。これは何と驚くべきことでしょうか。アブラハムのカナンの地での寄留者としての歩みは、実は、私たち信者の歩みを予め示しているのです。